サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 10465「ソウ6」★★★★★★☆☆☆☆

2010年06月21日 | 座布団シネマ:さ行

殺人ゲームを仕掛ける殺人鬼ジグソウと、彼のターゲットにされた人々の攻防を描き、大ヒットを記録してきたシチュエーション・スリラーの第6作。今回は、今は亡きジグソウの遺品の謎が解かれる中、ジグソウの真の後継者は誰なのか? といった疑問にスポットが当てられていく。監督はシリーズ第2作から編集を務めてきたケヴィン・グルタートが担当。シリーズの持ち味ともいうべき悲惨な残酷描写の数々と、予想を覆す展開に注目だ。[もっと詳しく]

髪の毛を引っ張られただけで、すぐに「ゲロ」しそうな僕なのだが。

よく昔から、思想犯に対する拷問論議があるたびに、それが国によっては今でも現実の拘置所の中で行われる行為であろうが、ヤクザの世界での落とし前であろうが、歴史的に数限りなく行われてきた残虐な権力の方法であろうがいいのだが、資料で読んでも、映画などでそうした再現シーンを観ようが震えが来る。
別に思想犯でなくても、極論すれば、イジメやSMや暴力の発露といったことの世界でも同じことだ。
学生時代に、権力に捕まったら「完全黙秘」せよと言われてきたし、もちろん現在の日本では虐殺された小林多喜二のような世界はまずないだろうとしても、とても忍耐などできようはずがない。
冗談に、「俺はあらゆる精神的なリンチに耐えて見せるけど、肉体的には髪の毛を引っ張られたぐらいで大事なことをゲロしちゃうよ」なんてあらかじめエクスキューズしていた。
幸いなことに、そんな場面には、いまのところ人生で遭遇していないのだが。



ハードボイルドやスパイ小説や冒険小説が好きなくせに、そして拷問に耐える主人公などに思いを馳せるくせに、自分のこととなると、からっきし軟弱野郎なのだ。
それは誰だって痛い思いをするのは恐怖だろうし、かかわりあいたくないのは当たり前だ。
でも考えてみれば、本当に<痛さ>や<苦しみ>に対する「逃げ腰」なのだろうか。
たとえば、爪を剥がれる、歯を無理やり抜かれる、水に顔を浸けられるなどなんでもいいのだが、古典的な責め苦に対して、そんなことは経験はしたくはないが、なったらなったで泣き叫ぶか、絶望に無気力になるか、気を失うかは分からないが、どこかでこうなっちゃったんだから仕方ないや、と思うような気もする。
けれども、自分にとってもっと耐えられないのは、たぶんいきなりそういう場面に遭遇することの理不尽さ、なにが起こるかどうかわからない不気味さ、逃げることが出来ないという絶望感に思い至る「想像としての恐怖」のようなものだろうと思う。



ソリッド・シチュエーション・ホラーなのかどうか知らないが、『ソウ』という映画に6作品付き合ってきた。
これは僕などからすると、嫌になるほど怖いシチュエーションが連続している。
亡霊や憑依や悪霊や呪いやといったオカルト・ホラームービーの怖さとは少し異なっている。
「ソウ」シリーズの怖さとは何かといえば、ひとつは徹底してなんらかの拘束状態にある自分を発見するところから、「責め」は始まるところだ。
自分がシミュレーションの過程で落とし穴に嵌ってしまったと反省する時間もなにもない。気がつけば、用意周到に絶体絶命の状況に置かれている。
「ソウ」でいえばジョン・クレイマー=ジグソウが設定した、「物理的」な予期せぬ拘束状態からスタートする「ゲーム」に一方的に巻き込まれることだ。
手枷、足枷といった単純なものから、体を締め付けるさまざまな工作機械のような責め具に、身を委ねざるを得ない自分の状況に気づくことだ。
なんなのこれは?その不条理に抗議することは出来ない。



二つ目は、ゲームのルールが一方的にジグソウによって説明されることだ。
それもジグソウ本人の映像によることもあるが、ほとんどは奇妙な腹話術師が使うような気味の悪いピエロのような人形を借りてである。
「何故なんだ?」「お前は誰だ?」と問うことも出来ない。一方的に状況とゲームのルールが説明される。
三つ目は、考える間もなく、時間が設定されて、時計の針が刻み出すことである。ゲームだから、選択の一部は、ジグソウが選んだ人間に与えられる。
瞬間、その人間は、もしかしたら、うまくやれば、自分は助かるのではないか?と考える。あるいは、複数以上の人間が、同じような状況にさらされた場合は、確率として自分は助かるチャンスがあるのではないか?と考える。
単純な刑の執行ではない。自分のアクションが自分に跳ね返ってくる。そして、ジグソウが出す設定は、究極の「選択」なのだ。
自分が助かる為には、他人を犠牲にしなければならない、苦痛を自ら負わなければならない、自分もまた「責め」の主体とならなければならないといったような。
最後に、どうあがいても、究極の平安は期待出来ないこと。
仮に、ゲームを演じ、なんとか自分や仲間の苦痛と引き換えに最終地点に辿り着いたとしても、それも織り込み済みといったかたちで、ジグソウはさらなる絶望的な「試練」を与えるからだ。
これは、怖い。



『ソウ』の第一作を観たのは2004年。監督・脚本のジャームズ・ワンと脚本・監督のリー・ワネルがたぶん怖ろしく低予算の中で、本作を世に出した。
老朽化したバスルームでなぜか間に「死体」をはさんで、2人の男が足を鎖で繋がれている。
そしてジグソウは一作目から、猟奇殺人犯として不気味に登場する。
『ソウ2』は出口のない館で8人の男女が、生存をかけての裏切りと本能の修羅場を演じる。
『ソウ3』では食肉工場を舞台に惨劇が演じられながら、いったんジグソウは死を迎えることになる。
いやいやいやいやいや、と汗を拭きながら、ようやくシリーズが終了したかと思ったら、『ソウ4』で、死んだはずのジグソウが「ゲームはこれからだ」などとほざき、第2のトリロジーに入っていく。
『ソウ5』では、ジグソウの後継は誰かと謎を振りまきながら、前妻のジル・タックにジクソウから謎の遺言と遺品が渡されるラストを置いて、近作「ソウ6」でジグソウの謎を改めて「暴露」することになる。
『ソウ4~6』がまたひとつの、トリロジーとなっている。
じゃあ、これでようやく終了ですか、と言えば、なんだかそうは問屋がおろさない気配でもある。



『ソウ6』で「死んだ」ジグソウから不条理とも思えるシチュエーションに送り込まれるのは、悪徳金貸し業の男女であったり、保険の解約率3分の2ということで、その方程式を「無慈悲」に考案する保険会社の副社長やそのチームの面々であったり。
結局のところ、ジグソウは「必殺仕置き人」のような裏パブリックともいえる存在なのだが、彼の論理はその主張だけを聞けば、案外まっとうである意味で「モラリスト」であるととれなくもない。
もちろん「死」を前にして初めて人間が「生きる」価値を見出すといった実存主義哲学の断片もふりまいてはいるし、あるいは今回の保険会社の面々のような「安全な位置で」他人の不幸を決定するといった身勝手な行為に対する、倫理的な鉄槌というか逆の立場になった時の自分を味わえといった復讐のような趣もある。



ジグソウの知能指数は異常に高く、どこかで「ハンニバル」のドクターを思わせられなくもないが、決定的に異なるのは「快楽殺人」という発想は、ジグソウには窺えないところである。
「ソウ6」に至っては、この壮大な儀式的な「処刑ゲーム」の動機は、ジグソウの病に対して保険会社が「死人に口なし」のような企業論理を立てたことによるジグソウの復讐心のような陳腐な動機設定のようにも描かれている。
「なーんだ」といったがっかり感はあるものの、それもまた次作以降があるとすれば(7は3D映像になるという話も聞こえてくるが)、もしかしたらもっとラディカルな「善悪論」や「死生論」がこじつけられるかもしれない。



究極のシーンに置かれた時に、人間はその上辺を捨てて、本質があからさまになるといったところに、この作品の単なるホラー映画を凌駕するなにかがあるのだろう。
なにもそこまで、と思うより以前に、人間の肉体なんて脆いものだなという思いに晒される。
このシリーズの監督は何人か変わっているが、結局チームのようなかたちでシリーズのスタッフは構成されている。
歴史的文物展示としては、日本の明治大学博物館なんかにある「拷問」歴史コーナーや、ドイツのロマンチック街道にある「拷問博物館」などに行ったことはあるし、中国の暴君なんかのとてつもないスケールの拷問や、戦時のさまざまな思想犯などへの弾圧を読んだりして、惨憺たる気分に陥ることはある。
現代では、そういう「拷問」や「処刑」は影をひそめて来ているのかもしれないが、このスタッフたちはジグソウのある意味での「正論」を借りて、ホラーな想像力のエンタテイメントを、性懲りもなく捉えようによってはかなり高度に、たぶんこれからもハロウィンの季節に、「執行」しようとしている。


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2 コメント

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たまにはこちらから。 (オカピー)
2010-11-09 21:39:08
TBだけしていつも逃げてくる僕ですが、たまにはこちらから。

>ジグソウの復讐心のような陳腐な動機設定
確かに陳腐なのですが、単純な復讐譚として作られたところがゲーム的なお話に合っているような感じで、逆に気に入っちゃったんですよ(笑)。
どうも人間が段々単純になってきています。
すみません。
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オカピーさん (kimion20002000)
2010-11-09 22:04:04
こんにちは。
いやぁ、この低予算映画シリーズが出たときにはびっくりしましたね。そこまでやるかって。
で、堂々の人気シリーズに育ったわけだけど、僕は拷問にさらされずに、静かに消え入りたいです(笑)。
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