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女優ジェーン・ラッセルさんが死去=米軍兵士のピンナップガール |
歯医者の診療所で受付係りをしていたところ、新作映画「ならず者」のヒロインを探していたプロデューサーのハワード・ヒューズの目に留まって抜擢された。1943年に公開された同作でグラマー女優として有名になり、米軍兵士のピンナップガールとなった。マリリン・モンローと共演した53年の「紳士は金髪がお好き」でハリウッドでの地位を固めた。
肉体派としてのイメージとは裏腹に、私生活では熱心なキリスト教徒で保守的だった。3度結婚し、1度の離婚と2度の死別を経験している。虐待児童らの養子縁組支援活動にも熱心に取り組んだ。
ピンナップガールというのは、プレーボーイとかペントハウスとかのヌード中心のグラビア雑誌が出てくる前の呼称である。
特には1920年代から40年代にかけて、戦争兵士の慰安としてブームになった。
性的な憧憬もあっただろうし、恋人を思い起こすこともあっただろうし、故郷の映画文化に早く戻って楽しみたい、という気持ちもあっただろう。
マリリン・モンローやベティ・ペイジらと並んで、ジェーン・ラッセルも人気を博したらしい。
その頃の、日本の兵隊さんは、そんなカラーの大きなピンアップ写真を持ち歩いたとは思えないから、ほとんどは家族や恋人の写真だろうが、なかには戦前のスターのブロマイドを胸に抱いて、戦地に行った若者もいたかもしれない。
僕らの呆けた思春期の頃は、家族と同居する家では、恥ずかしくてなかなかこういうお色気満載のピンアップを部屋に貼ることはしなかった。
だから下宿生の部屋の壁にベタベタ貼り付けたり、部室に貼り付けたりしていたが、教師に叱られたりして、剥がしたこともあった。
いまはネット上できわどい写真や映像はどれだけでも入手することができるが、なにかピンアップ写真を盗み見ていた頃のほうが、想像(妄想)力は高められたかもしれない・・・合掌!
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