サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

244日目「アフリカの貌(宮本三郎記念美術館)」自由が丘

2011年07月24日 | 姪っ子メグとお出かけ

姪っ子メグ 7月から世田谷美術館が改築工事のため企画展が来年3月末まで開催されないのね。
キミオン叔父 うん。それで世田谷美術館の分館が三つあるんだけど、ここで小ぶりの企画展を併設するようになったんだ。まずは弦巻にある向井潤吉アトリエ館。こちらは、先日まで「街・人・出来事ー向井潤吉と桑原甲子園」。面白い取り合わせだな。今やってるのが「武蔵野を歩くー向井潤吉と師岡宏次」。師岡さんもモダン東京の移り変わりをずっと見続けてきた人だからね。
向井潤吉は、ライフワークが「民家」よね。とくに茅葺の、もうどんどん無くなっていく風景。このシリーズをやり始めたのが1945年。戦前に渡仏し、ルーブルで模写もしてるけど、戦中は陸軍づきの記録画家となった。そのことでなにか思うところがあったんでしょうね。戦後は、近代に背を向けるように、「民家」一筋で・・・。
成城にあるのが清原泰次記念ギャラリー。ここでは「抽象の風」というタイトルで同時代の抽象画家を取り上げている。清原泰次は、色彩感覚が美しい洋画家・立体作家だけど、戦後はアメリカでも制作し、日本ではどのグループにも属さずに、アンディペンダントの代表の一人になった。
このギャラリーもなかなかクールな建築ね。


もう一人、世田谷にアトリエを構えた画家が、自由が丘にある宮本三郎記念美術館。
先日、日曜美術館でやってたね。宮本三郎といえば、明るい赤とか使った裸婦像で有名だけど、なんか番組見ているとドラマティックな人生だったのね。
この人の戦争時代の戦争記録画である『山下・パーシバル両司令官会見図』は日本の戦争画としても一番有名なものだった。この人は戦前からそのデッサン力をとても高く評価されていた。渡仏もし、ルーブルで模写をしながらヨーロッパの美術館を巡る。すると、やはりヨーロッパというのは神話的なというか歴史的なというか、壮大な叙事詩を絵にするんだよな。そこで、デッサン力を買われて従軍画家となった宮本は、単なる記録画家、単なる肖像画家ではなく、叙事詩的な歴史の一こまに挑もうとする。これは、とても優秀な戦争画家でもあったレオナルド藤田と似ているね。でも、結果として、戦争協力の烙印を押されるわけだ。
藤田は日本国籍を捨てて、ヨーロッパに渡り、宗教画の世界に向かったりするけど、宮本三郎は日本美術家連盟理事長になったりもしているのね。生涯を通じて、日本画と西洋画を統合した女性美の世界を追求している。
今回の「アフリカの貌」展は、もう小粒な企画展だったけどね。世田谷美術館は結構、アフリカ美術を収集してるんだよ。まあ、ポンピドーの千分の一ぐらいだろうけど(笑)。
セネガルとかコートジボワールとかの現代作家の作品がいくつか紹介されていたけど、それよりアフリカンPOPというか、画家不明のポスターとか看板とかブリキのオモチャとか、そういうアートともいえない展示物に、なんかアフリカのおおらかさ、ユーモアみたいなのが感じられたよね。
床屋さんの看板、見とれてしまったよ。どこか70年代から80年代のガロ文化やパルコ文化と重なっていたりして。原寸大の飾りつけ人形がいい。人物を描いたベニヤみたいなのを切り抜いて関節をピン止めして、ブラブラ動くようにしていたりして・・・。あれ、欲しいな。
無名のペンキ屋さんでしょうね。100万円といわれればそうだし、転がってるのを只で貰ってきたといっても、おかしくはないような・・・。
横尾忠則さん的コラージュを無意識にやってるような。こういうのは、美術館じゃなくて、街角アートだね。
でも、なんで宮本三郎のアトリエでアフリカなのかは疑問だけど(笑)。

 


 

 

 


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