2011.3.15 ブログより
三崎町立釜木小学校の閉校に際して
校長 松坂 末広
続き
思えば、明治12年5月15日に釜木小学校が設立されてから
昭和52年3月現在に至るまで、隆々発展した本校は、卒業生1272名を数えます。
国民教育のたしかな基礎を修めた本校卒業生は、郷土の文化・産業の発展に貢献し、
あるいは都市に進出して、政治・経済・文化等各会における成功者も多く輩出しています。
本校は地域生活文化の中心として機能し、同窓生にとりましては、
心のふるさととして親しまれてきたのであります。
世の移り変わりはどうすることもできず、ここに閉校の日を迎えました。
心さみしい限りであり、本校97年の歴史を偲び、学校閉鎖の現実に寂寥の感を禁じ得ません。
しかしながら、私たちは閉校の感傷をのりこえて、あしたへの希望に目を転じ、
教育の進展と子どもたちのしあわせを願わなければなりません。
近代化された二名津小学校の広い運動場、完備された教室での学習を思うとき、
ほのぼのとした展望がひらけています。
21世紀に生きる子どもたちに、どうか思う存分自己を伸ばしてほしいと願ってやみません。』
松坂校長先生のあたたかい思いがしのばれます。
「明日への希望に目を向ける」ことが私たちにはとても大切なことです。
母校釜木小学校の校舎はもうありませんが、
校庭の片隅に二宮金次郎の像が残っています。
今度の休みに、久しぶりに行ってみようと思います。
金次郎さんに会いに。
岬人
三崎町立釜木小学校の閉校に際して
校長 松坂 末広
続き
思えば、明治12年5月15日に釜木小学校が設立されてから
昭和52年3月現在に至るまで、隆々発展した本校は、卒業生1272名を数えます。
国民教育のたしかな基礎を修めた本校卒業生は、郷土の文化・産業の発展に貢献し、
あるいは都市に進出して、政治・経済・文化等各会における成功者も多く輩出しています。
本校は地域生活文化の中心として機能し、同窓生にとりましては、
心のふるさととして親しまれてきたのであります。
世の移り変わりはどうすることもできず、ここに閉校の日を迎えました。
心さみしい限りであり、本校97年の歴史を偲び、学校閉鎖の現実に寂寥の感を禁じ得ません。
しかしながら、私たちは閉校の感傷をのりこえて、あしたへの希望に目を転じ、
教育の進展と子どもたちのしあわせを願わなければなりません。
近代化された二名津小学校の広い運動場、完備された教室での学習を思うとき、
ほのぼのとした展望がひらけています。
21世紀に生きる子どもたちに、どうか思う存分自己を伸ばしてほしいと願ってやみません。』
松坂校長先生のあたたかい思いがしのばれます。
「明日への希望に目を向ける」ことが私たちにはとても大切なことです。
母校釜木小学校の校舎はもうありませんが、
校庭の片隅に二宮金次郎の像が残っています。
今度の休みに、久しぶりに行ってみようと思います。
金次郎さんに会いに。
岬人
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます