Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

若手のアニメーション作品

2009-05-31 02:11:15 | アニメーション
イメージフォーラムで開催されている「ヤング・パースペクティヴ2009」に行ってきました。今日はアニメーションのプログラム。ちなみに6月13日にも同じものが上映されます。

上映作品は、

「おるすばん」
「東京ミンチ」
「水平線に近づく為に」
「日曜日ノ昼下ガリ」
「COMETO」
「notice Bhim」
「車窓」
「ハピー」
「ぐるぐるの性的衝動」

の、9作品。

この中から一番気に入った作品を選ぶとしたら、最初の「おるすばん」ですね。これは注目の若手・坂元友介の監督作。既に彼を特集した上映会も催されているほど、評価されている作家です。
「おるすばん」は「電信柱のお母さん」に続いて珍しく2Dのアニメ。彼は人形アニメの印象が強いですが、技術の幅が広いんですね。
さてこの作品は、画面が動きません。「浮楼」や「地球の果ての果て」と同趣向のアニメーションです(後者は少し画面が切り替わりますが)。カメラの位置もズームも変化しません。ただ、短い章立てで構成されているので、場所は同じですが場面はこまめに転換します。幕を挟んで同じ舞台で様々なことが行われる演劇みたいなものと思えばいいでしょう。
しかし、かなり奇妙な世界ではあります。「坂元ワールド」全開と言っていい。家の前の芝生を何人もの人が泳いだり、地面に投げ捨てたはずのジョウロが巨大化して空から降ってきたり、ケーキが空を飛んでいってしまったり、家が機械化して立ち上がったり。これは全て少年の留守番中に起きた出来事で、たぶん少年の空想ないし妄想を表現したものと捉えることができるだろうと考えられます。

ただ、ぼくはかねがね思っているのですが、なんでもかんでも「少年の空想」に還元してしまっていいものか。子ども時代には色んなことを空想して不思議なことが起こったように感じるものさ、なんて大人は言って、そのようにそういう作品を見ますが、なんとなくしっくりこないのです。これは少年らしい空想を描いた作品だ、という言葉は、非常に大人じみていて、なんとなくうそ臭いのです。見るのなら、本当に起こった出来事だ、と完全に子どもの気持ちになりきって見るのが望まれる姿勢だと思うんですよね。子どもらしい空想だね、ではなく。しかしそもそも、本当に子どもというものはこのような奇妙奇天烈な妄想をするものなのか、ということも疑問です。確かに色々なことを夢見て想像を膨らませはしますが、大人の作った作品というのはその誇張ですよね。誇張だからこそ、これは少年らしい空想だ、という大人の考え方が入り込んできてしまうような気がします。だから、ぼくが望むのは、本当に少年の目線に立った、したがってたぶん地味になるであろう物語です。子どもの心の延長ではなく、まさにその心そのものが全てであるような、そういう作品が見たいですね。子どもの心をもった大人は詩人と呼ばれますが、大人の詩人の作品もいいです。けれども、そんなに洗練されていない、もっとごつごつした手触りの素のままの作品というのも見たいものです。

長く書いてしまった。
「東京ミンチ」はよく意味が分からなかったなあ。人々がミンチにされてるってことなんでしょうか…?あの電車から出てくるどろどろっとした物質の質感がなかなかよかったです。ちょっとその動きに引っかかったんですが。

「水平線に…」は、とにかく暗いアニメーション。こんなにとことん暗鬱なアニメーションは、そんなに見たことがありません。胎児のまま年老い、白骨化する、というアンビバレントでグロテスクなイメージ(たとえば老婆が子を孕むような)が基になって出来上がっているような気がしました。違ってるかもしれないですけど。ムンクの叫びのような人物たちがひたすら殺し合い、相手の肉を噛みちぎります。血飛沫。暗い。

「日曜日…」はすっきりしたいい作品。CMで使えそう。

「COMETO」は独特のセンスを感じました。

「notice Bhim」は床屋の店頭にあるあのぐるぐる回ってるやつをアニメートしただけの作品で、?。

「車窓」を制作した人が会場に来ていました。この人はどこか別のところでも見た覚えが…。古澤龍さんね、覚えておこう。作品は、電車の中でうつらうつらしている若い男性の目に、小さな魚が車内を泳いでいるのが見えました、というもの。嫌いな作風ではないですが、やはり幻想的な「おるすばん」と比べると、若干弱いかな、という印象を捨て切れません。更に内容に膨らみをもたせるといいのかなあ。短すぎるので。でもこのミニマルな感じに作者は拘っているのかもしれませんね。ところで題名は「車窓」ですが、あんまり窓は関係なかったような…

「ハピー」はなかなかよかったです。ユーモアと哀しみがあって。お腹に物を詰めて赤ん坊ができたように見せかけている妻と、それに気付かない夫。しかし最後に服の下からぽとりと物が落ち、赤ん坊ではなかったことが明らかになります。手で顔を覆う妻。しかし夫はまたそれを服の下に隠し、お腹を撫でてやります。そして明確な表情のない夫の顔のアップ。表情が見えないだけに、ぼくはそこに一抹の哀しみを見てしまいました。ちなみに、最初と最後のカットの意味がよく分かりませんでした。

最後に「ぐるぐるの性的衝動」
交差点や公園を実写のコマ撮りでぐるぐる撮影しただけの作品。一分おきに、24時間も撮影していて、これはものすごい大変な仕事だぞ、と思いました。どうってことはないのですが、制作の裏側を想像すると、けっこう楽しめます。

帰りの山手線、クーラーがついていました。今日は涼しいのに、なぜ?

古本屋を巡る~西荻窪編~

2009-05-30 01:34:31 | 文学
中央線沿線には、古書店が多く存在しています。
そこで、このあいだ西荻窪の古書店を巡ってきました。
さすがに神保町には及びませんが、駅周辺には10軒ほどの古書店が点在しています。
文学を愛好する人に向けて、以下古書店ガイド。

いわゆる「文学」が好きな人にとって役に立つと思える、また個人的に評価の高い古書店は、3軒ありました。

・まず興居島屋(ごごしまや)。
ここは絵本や絵葉書などがたくさん並んでいるお店ですが、他に美術関係の書籍も置いており、文学関係の文庫本もたくさんあります。文庫の並べられ方がかなり雑多な印象を受けますが、探す楽しみはあります。また文庫本ではないですが、ハロルド・ピンターの詩と散文の収められた洋書が売られていました(1000円)。掘り出し物が見つかりそうな気がしてくるお店です。

・次に夢幻書房。
非常に幅広いジャンルの本が置かれたお店。意外な本が安く売られていたりします。入口のベティ・ブープの置物が目印。漫画本が約半数を占めますが、手塚作品も多く、文学好きにも楽しめそうです。

・そして盛林堂書房。
入るとすぐに目に付くのが岩波文庫のぎっしり入った棚。けっこうお得なお値段設定で、良心的です。絶版本も多く、ゴーゴリ『検察官』がかなり安く売られていました。その横には新潮文庫や中公文庫などたくさんの文庫本が壁を覆っています。村上春樹に内田百、江戸川乱歩、後藤明生など、色々なジャンルの小説が置かれています。反対側の棚にはハードカバーの本が並んでいて、やはり文学関係のものばかり。その裏側には、思想関係のかなり古い本が置かれていました。
また、ここの店主は古書店の主人としてはかなり愛想のいい感じの人で、ぼくは話しませんでしたが、他のお客さんとの対応などを聞いていると、とても気さくで親切そうな人です。また行きたくなるところですね。

他にも、花鳥風月やスコブル社など、文学関係の書籍が置かれている古書店はありましたが、個人的に気に入ったのは以上の3店です。
東京にお住まいの文学愛好者の方々は、これらの古書店を目指して行かれるといいと思います。え、場所?ぼくは『おにきち 古本案内』というフリーペーパーを5年前に入手して、その地図を元に散策しましたので、このフリーペーパーを荻窪、西荻窪、吉祥寺のいずれかの古書店で手に入れるのが手っ取り早いかもしれませんね。もし(これらのお店に)ホームページがなければ、ですが。

ちなみに言うと、5年前の地図には掲載されているものの、現在はもう存在していないお店もありました。やっぱりこの業界は厳しいようです。

ベスト・オブ・ベケット3

2009-05-28 01:21:56 | 文学
『ベスト・オブ・ベケット3』を読みました。これでこのシリーズは全て読了したことになります。長かった…。3巻しかないのに。

収録作品は、
「しあわせな日々」
「芝居」
「言葉と音楽」
「ロッカバイ」
「オハイオ即興劇」
「カタストロフィ」

非常に先鋭的で難解と称されるベケットの戯曲は(このシリーズにあるのは戯曲のみ)、物語の起伏が豊かだったり読者の興味を惹こうとする試みが盛んになされていたり、といったことは皆無なわけで、一読しただけでは何が書かれていたのかさえよく分からない場合が多いです。しかし、この本には注がたくさん付されており、その助けを借りれば何となく意味がつかめるようになっています。

とはいえ1ページに5つも6つも注があるとき、その度に読書を中断させられるのはいささか苦痛で、読む意欲をなくすには十分なほどです。それがなければ意味が分からないですが、しかしそれがあることで気勢をそがれるので、なんともフラストレーションの溜まる本ではあります。

解説や注を読んでいると、戯曲の中に思いがけず非常に深い意味が込められていることに気付き、自分の読解力のなさを恨めしく思います。解説がなければ何を言っているのかよく分からない、というのは作品の問題なのか、それとも読者の問題なのか。

「言葉と音楽」の注で、暖炉の炎に懐かしい人の姿の到来を見る、というのは俗信として存在するということを知りました(フランスの俗信?)。なんか、『耳をすませば』を思い出しました。西老人が暖炉の前でうたた寝をしていて、ドイツ時代のかつての恋人のことを思い描く、というシーン。火が消えたとき、薪のガコンという音と共に彼は目覚め、そのとき雫が地球屋に入ってきます。夢の中で恋人が訪れてきたように。まさに暖炉の火が懐かしい人の到来を予言したと言えるでしょう。宮崎駿も近藤さんもこのような俗信は知らなかったと思いますが、彼(ら)の想像力が民衆のそれと結び付いた例ですね。『ハウル』の城がバーバ・ヤガーの小屋に似ていたように。

「芝居」は永遠反復の芝居。戯曲が終わり近くになってまた最初から繰り返されます。そしてまた振り出しの台詞に戻る。登場人物たちはどうやら「あの世」にいるようで、そこで現世での出来事をひたすら喋ります。しかし喋るだけで、救いは用意されていません。彼らは審問官の前で、生きていた頃の思い出を幾度も繰り返すだけです。

「ロッカバイ」も同様の台詞を何度も何度もリフレインさせながら、少しずつ舞台が進展してゆきます。揺り椅子の揺れという往還/反復運動も一つのイメージとして機能していると言えるでしょう。解説を読むと、この戯曲は生と死という相反するイメージをも同時に包含しており、生→死→生→…という循環構造、反復構造を持っています。反復を肯定的にも否定的にもどちらか一方に固定しようとせず、一つの大きな命のサイクルとして表現しているようです。その点で、ごく短いながらも壮大な規模の作品だと言えそうです。

ベケットの戯曲は人物の動きが極端に少なく(地面に埋まっていたり(「しあわせな日々」)つぼの中に入れられたりしている(「芝居」))、ときには登場人物の体と声とが分離させられていたりします(「ロッカバイ」)。身体性というものに注目の集まる昨今、こうした身体性の明らかな欠如は、時代に逆行しているかに見えますが、しかしかえって身体というものについて考えさせる契機にもなっているように思えます。

ただ、彼の設定した絶望的な状況(「勝負の終わり」に顕著な)や、語られるべきことは全て語られてしまった後のような(「語るべきことはもうなにも残っていない」in「オハイオ即興劇」)味気ないストーリーは、あまり好きにはなれません。解説や注などを読んで、少しだけ分かったような気になるのですが、でも意味はほとんど全てぼくの手から滑り落ちてしまっているのだと思います。いや、そもそも意味などあるのか、ということが問われているのかもしれません。禁欲的なまでに娯楽性を排したベケットの戯曲は、様々な可能性を含んではいるのでしょうが、専門的すぎる嫌いがあります。一般の読者にはよく分からないですから。色々なアイデアは詰まっているので、作家志望の人にはいいかもしれませんが。でも、なんていうか、つまらんと言って投げ出してしまえないような、そういう不思議な力を備えた作家ではありますね。

夢見るゴキブリ 超短編

2009-05-26 00:55:46 | 文学
アウグスト・モンテローソ著「夢見るゴキブリ」を引用します。

昔々、自分がゴキブリである夢を見たグレゴール・ザムザという名の外交官をめぐって書いている作家である夢を見たフランツ・カフカという名のゴキブリである夢を見たグレゴール・ザムザという名のゴキブリがいました。

実はこれで全文です。
『超短編アンソロジー』というちくま文庫に収められている小説(と呼べるのか?)です。「夢見」という章の巻頭作品。

このモンテローソという人はホンジュラスの作家だそうです(って、どの辺にある国だっけ?)。
ラテンアメリカには超短編の系譜があり、その先駆となったのはフリオ・トーリというメキシコの作家が1917年に出した「詩とエッセイ」だとか。そして現在世界で最も超短編が隆盛しているのはラテンアメリカなのだそうです。

ごく短い短編のことをショートショートとか掌編とか小品とかコントとか言ってきたわけですが、アメリカではショートショートという表現が一般的のようですね。日本でもショートショートという呼び方が比較的一般的のような気がします。ただ、この引用元の本は『超短編アンソロジー』。『Sudden Fiction』なども、「超短編小説」と副題が付いていますから、この二つの呼称が競合しているということでしょう。

ところで超短編ないしはショートショートには大きく分けて二種類あるように思えます。一つ目は、プロットに趣向を凝らして結末で読者をあっと言わせるもの。二つ目はとにかくナンセンスなもの。マザーグースやハルムスの作品は後者に属するでしょう。最初に引用したモンテローソの作品もナンセンスに近いですね。
一読しただけでは意味を取りづらい作品ですが、結局のところ夢を見たゴキブリがいた、というだけの話で、なんのことはありません。

超短編は短いが故にウィットがぴりりと効いていたり、オチが強烈であったりしますが、ナンセンスさも極度に高まる可能性を秘めています。

初期チェーホフ(チェホンテ)をショートショートの作家に分類している人もいますが、難しいところですね。ショートショートにしては長いかな、というところなので。う~む、でも短いのは短いですからねえ。

超短編というのはとても魅力的だとぼくは思っています。素人でも一つのアイデアさえあれば簡単に書くことができる点でも、現代的ですよね(読者参加型なので)。実際、日本では昔からショートショートを募集する文学コンクールというものが存在しています(吉行淳之介や阿刀田高が選者だったりする)。外国でも素人の書いたショートショートが本になり、日本でその翻訳があります。

しばらくしたらこれらの作品を集中的に読んでみようと思っています。今はとにかく英語の本を読まなくては…。ちょうどきっかり100ページ読んだところなのです。新記録更新中。全部読み終えたら、鍋焼きうどんを食べるつもりです。なぜか?分かる人には分かる、ということで…

テレビを買いました

2009-05-25 01:10:52 | テレビ
我が家もとうとう「地デジ」になりました。
これまで家にあったテレビの具合がおかしくなり、それではもう買い換えようか、ということになったからです。

すごいです。ものすごく綺麗です、画面が。くっきりと鮮明に映ります。はっきり言って、現実を超えました。視力2.0の人が見る世界はこんななのかなあ。ぼくは小学校のときまではそのくらいありましたが、今ではもうだいぶ視力が衰えてしまったので、ぼくの普段見ている世界よりも、このテレビの中に映る世界の方が美しいです。

これは感動の体験です。初めて眼鏡をかけたとき、あるいは初めてコンタクトをつけたときに得られた感動と同等のものです。世界が美しい。

それにしても、現実を凌駕した美は、新海作品を思わせます。彼の作品で描かれる風景もやはり現実を超えてしまっていますから。テレビ中毒者を生み出すんじゃないかというほど、この美麗さは圧倒的です。もしこのテレビで新海作品を観たら…すごいんじゃないでしょうか!「コスモナウト」とか、かなりやばそうです。DVDレコーダーがないので今は観られませんが、近い将来購入したですね。

地デジにしてくれなんて誰も頼んでないのになんで強制的に買わされるんだ、と感じていましたが、これはすごいです。お金のない場合は仕方ないですが、多くの人にとっては、たぶんこっちの方がテレビ番組を楽しめると思います。特に自然を映し出す番組などは、絶大な効果を発揮するでしょうね。NHKに期待。

ただ、色々とリモコンで操作できて、便利ではありますが、うちではあまり使いそうにありません。番組を見ているときに天気予報などのデータが見たいとは思いませんから。集中したいので。でもリモコン操作で休日当番医が分かるのはありがたいですね。

ああ、これで新海作品が観たい…

ブルガリア民謡

2009-05-23 00:30:35 | Weblog
ぼくは実はヨーロッパの民謡が好きで、最近は寝るときにブルガリア民謡を聞いています。といっても、これまでほとんどそういった音楽を聞いたことがなくて、たまにテレビなどで流れているのを聞いたりしたときに、ああいいなあ、と思っていた程度なのですが。『おもひでぽろぽろ』で流れるハンガリー民謡はいいなあ、とかそのくらいです。

聖歌なども好きなのですが、これはたぶん、澄んだ声の素朴な合唱が好きなんでしょうね。ウィーン少年合唱団とかもいいと思いますし。神秘性もあれば言うことなし。

ブルガリア民謡を聞いていると、チェーホフの小説「谷間」のラスト近くの場面を連想します。暮色の濃い坂道、森から村へと続く坂道(斜陽が上の方にだけ射している)の途中で、娘たちが歌を歌いながら歩いてくるシーンがあります。このとき彼女たちが歌っているのは、こういう民謡じゃなかろうかと、根拠のない想像をするのです。野原のようなところで、手にキノコの入った籠をぶら下げ、横一列に並んで歌う。日はいまにも沈もうとしていて、茜色の光が女たちのつややかな髪に当たり、宝石のように輝いている。澄んだ歌声は光の中を空に溶けてゆく。

あるいは星空の下で焚火を囲む風景とかも似合いますね。

素朴で心温まる光景っていうのがぼくは好きです。だからたぶん、森などをリアリスティックに描いた絵画にも惹かれるのでしょうね。
もっと光を。

現実から目をそむける

2009-05-22 00:46:35 | Weblog
だれ、かと、はな、し、たい。

ジブリのこととか、新海誠のこととか、そういうことを語り合える仲間がぼくの周りにはたくさんいる、そういう状況を6年前は夢見てた。
そういうふうになるよう努力もした。
一時期実現した。
でももう駄目みたい。

羊飼いの少年になりたい。
ああいう仕事はぼく向きだ。
一匹だけいなくなってしまったら困るけれど。
でもなんか憧れる。

風に服をはためかせ、髪をなびかせ、
青い空を見上げて、
雲の形が変わるのを眺め、
夕日の光を全身に浴びて。

でも、それはやっぱり孤独だなあ。

ほとんど学校に行かないから、家族としか話さない状態がずっと続いている。
もうこんな生活には耐えられないよ。
就職活動もうまくいかないし。

そろそろ東のエデンが始まる時間だ。
木曜日って一番辛い日だから、
この日にアニメがあるってのはうれしい。

でも明日は豊島園に行く予定なのです。

ナイフランプカバンに詰め込んで

2009-05-21 01:51:27 | 文学
暇だったので自転車でぶらぶら。
ナイフやランプはカバンに詰め込みませんでしたが、ちょっくら旅に、という気分で。

古本屋を開拓してきました。といっても、見つけたのは2件だけ。以前に立ち寄ったことのある古本屋は見つからず、それがあったと思しき場所には何やら異臭を放つラーメン屋が建っていました。

一軒目ではレム『ソラリスの陽のもとに』が100円で売られていました。しかも初版です。これは安いなあ、買いだなあ、と思いましたが、どうせ新訳が出てるし、この文庫で読むことはないだろうと自らを納得させ、買いませんでした。こういう読まないであろう本を買っていると、本当に本の置き場所がなくなってくるのです。ああでも、どうなんだろう、100円というのは珍しいんだろうか。もし貴重な本なら手元に置いておきたいけれども、ありふれているのならいらないな…
ここでは、外山滋比古『異本論』を買いました。コピー論(たぶんドゥルーズのシミュラークル称揚と問題意識を共有している)がこの中で展開されていたので。著者は有名な人ですが、専門がよく分かりません。アカデミックな論文で引用できる人なのか。余談ですが、そういう論文で言及されるもの(人・作品)って、だいたい相場が決まっていてつまらないんですよね。「真面目な論文」では、プルーストは大いに引用していいけれど、宮部みゆきなんてちょっと躊躇われます。またタルコフスキーなら引用OKですが、『耳をすませば』はたぶん先生方に眉をひそめられるでしょうね。こういう暗黙の了解ってぼくは嫌いですよ。
ちなみにこの古本屋、硬派な文学からアダルト関係の本・DVD、漫画、アニメ関係の本、美術書、民俗学の本、実用書、というふうに、かなり広いジャンルの書籍が置かれていました。もともと硬派なお店がアダルト関連の本を置くと潰れる、というのがぼくの観察ですが、このお店はその途上にあるのか、それとも最初からこういう路線なのか。

さて二軒目の古本屋では、フォークナー『響きと怒り』が300円で売られていました。安い。でももう読んだことのある小説なので、買いませんでした。手元に置いていてもいい作品ですが、こういうのを買っていると本棚が。ここでは『まさかの結末』という、ドイツ人の書いたショートショート集を買いました(100円)。でもこれも引用できない作品かもしれないです。結局、研究で取り上げるべきものっていうのは、カノンかカノンになりうるものだけで、そうではない作品を扱ったら途端にサブカルチャー研究になっちゃうんですよね。変なの。

ところでテレビが壊れてしまいました。ずっと前から調子がおかしかったのですが。とりあえず今は通常通りの画面ですが、また駄目になるかもしれないです。だから近いうちにテレビを買い換えることになりそうです。

贋作・恐竜ガーティ

2009-05-20 01:41:46 | アニメーション
文学とアニメーションを接続するテーマを先日発見しました。修士論文に入れてやれ。

さて、最近このブログで触れることの多いウィンザー・マッケイの代表作「恐竜ガーティ」。たしか1914年の作だったと思いますが、翌年には贋作が出ます。題名はもちろん「恐竜ガーティ」。真作の方は、マッケイが約10分の映像に10000枚も費やした労作で、ブラキオザウルスのような体格の恐竜ガーティが水辺で足を上げたり木を引っこ抜いたりする、まあ他愛のない作品なのですが、贋作の方もそれとほぼ同じ構成で、やはり水辺で猿を追っ払ったり木を引っこ抜いたりします。両作共にプテラノドンと水蛇(というか水竜)と象が登場して、ガーティが石をくわえて彼らに向かって放り投げたりする動作も共通しています。

ガーティの造形が少しだけ異なっていますが、完全な物真似です。もし二人の人がそれぞれ異なる片方だけを見ていたとしても、「恐竜ガーティ」に関する彼らの会話はある程度成立するのではないかとさえ思われます。

ところが、この二つの作品には、決定的な違いがあります。
動きです。
贋作の方が、明らかに稚拙でお粗末な出来なのです。絵自体は別に下手ではないのですが、アニメーションというものをバカにしていますね(少なくても真剣に考えてはいない)。動かすことは動かすのですが、ただ単に尻尾を左右に振らせたり(同じリズムで)、体をやはり左右に揺するだけ(これも同じリズム)です。想像力があったのは、長い首をぐるりと巻いて、飲み込んだ石がそこを通り抜けるカットだけですね。
本当にしょーもない作品で、せめてもっと上手く真似ろよ、と言いたくなるほどです。

ウィンザー・マッケイの作品は、うなるような箇所こそないですが、一定の水準には達していると思います。

そういえば贋作の方は、レイアウトというのではないかもしれないですが、ガーティのポージングというのかな、とにかくガーティの画面の収まり方が妙に悪かったです。こういう悪い例を見ると、マッケイの作品はよくできていると思えてきますね。それだけを見るのでは気付かないですが、別のもの(似て非なるもの)と比較することで、良さや悪さが分かってくるのですね。

勉強になりました。

平成教育学院

2009-05-18 01:13:10 | テレビ
いつも陰ながら宇治原を応援していますが、今日はとりわけ熱心に応援してしまいました。

あんなに自分のことを自慢する男って、初めて見ました。早稲田卒のナントカ君です。宇治原にこてんぱんにのされてしまえ~と思いながら見ていましたが、僅差だったので残念。もっとも、正解数では完全に彼が負けていましたが(宇治原は最後の問題まで全問正解だった)。

偉くなればなるほど、そして知識を吸収すればするほど、立派な人は謙虚になると言いますが、あんなふうに自分のことをテレビでべらべら喋り、本気になればできないことなんてないと豪語するようになるには(スタッフにそう言ったとか)、どんな育ち方をすればいいのでしょうか…。たぶんちやほやされて育ったんでしょうが。

国語が全国一位だったと言っていましたが(総合順位じゃないのか)、小林多喜二という字も書けないのはなぜ?と思ってしまう…。自慢すればするほど彼を見る目が厳しくなります。

自分がいかに何でもできるか、ということを頻りに主張していましたが、ひょっとするとこれは彼が悪いのではなく、テレビの罪かもしれませんね。あんなに自分から進んで話すのは珍しいですが、打ち合わせやカンペでそう指示されていたのかもしれないですからね。そうだとしたら、本当にテレビってやつは罪作りですよ。今日の番組で彼に対しかなり悪印象を抱いてしまいましたから。

今日の教訓は、初対面の人に向かって自分のことばかり話さない、ということですね。

男子/女子の好きなアニメ?

2009-05-16 22:35:36 | テレビ
テレビで「一万人に徹底調査!男子の好きなアニメVS女子の好きなアニメ」とかいうのがやっていたから、とりあえずレッドカーペット終了後の8時から見始めましたが、う~む、という内容ですね。

「徹底調査」と書かれていますが、誰に調査したんですかねえ。いや、こんなふうに言うのは皮肉で、誰に調査したのかは分かりきっているのです。だいたい40歳前後の、今ではもうアニメなど見ていない人たちですね。どうやらいわゆる「懐かしのアニメ」の名場面を放送しよう、という企画なんだと思います。でもそのくせ「テニプリ」なんかがランクインしていて、そこがまたう~む、と唸る理由なのですが。

男子の好きなアニメ・第一位はガンダムで、やれやれって感じです。いや、それ自体は別にいいんですけど、もうガンダム世代にばかりフォーカスを当てるのはいい加減やめてほしいです。その世代の人たち(そしてもうアニメなど見ていない人たち)にアンケートを取ったらどういう結果が出るかなんて火を見るよりも明らかですから。

かといって、今テレビで放送されているアニメをがんがん見ている人たちにアンケートしたら、一般の人は聞いたこともないようなものばかりが選出されると思うので、難しいところではあります。だから、多くの人々が共有している知識というものが、アニメの世界ではひどく限られているんですね。もう分かりきっていることですが、今日改めてそのことに気が付きました。

ただそれでも、20代の人にもっとアンケートを取っていたら、せめてエヴァやDBくらいはランクインしただろうに、と少し残念です。
それともう一つ残念だったのは、どういうわけかテレビアニメばかりがフィーチャーされていたこと。ナウシカやラピュタすら名前が出てこない。本当にどうにかならなかったのか、と思います。

こういうのを見て懐かしいな、と感じるのは、ガンダム世代かそれよりちょっと上の世代だけだと思うので、もっと広い世代をターゲットにしてもよかったはずです。
そして、相も変わらず同じ作品ばかりが取り上げられるのにもうんざり。あまり知られていない名作を紹介するとか、そういう番組作りはできないのでしょうか。ノルシュテインやウォレスとグルミットシリーズ、あるいは最近では電脳コイル(ぼくは未見ですが)や河童のクゥとか、万人受けしそうな作品はたくさんありますから。もっともノルシュテインの作品をこういうテレビ番組で紹介されたくないですね。紹介するならNHKでやってもらいたい…

番組の最後に『つみきのいえ』がダイジェストで紹介されていましたが、少々むかつきました。アカデミー賞ってこんなにも日本人に対して影響力が強いものなのか…。日本人のミーハーさというか、抜け間なさというか、あるいは「泣ける作品」とみなすやそれを貪婪に食い荒らそうとするような行為に、嫌になりました。

まあ要するにだ、エヴァがランクインしていないことに疑問と不満を感じたわけです。

ところで最近は友達なんかと居酒屋に行っていないことを思い出しました。本当に行かなくなりましたね。ゼミの飲み会にも参加していない。久々にどこかへ食べに行きたいなあ。

安いぞズボン

2009-05-16 00:18:36 | お出かけ
古着屋がたくさんあるというので、高円寺にズボンを買いに行ってきました。
以前にも高円寺で服(そのときは半袖の上着)を買ったことがあるのですが、今日はズボンです。古着と言ってもけっこう値が張るので、あんまり安いのは期待していなかったのですが、ありました。すごいのが。

800円です。

2800円でも1800円でもありません。800円です。800円のズボンなんて初めて見ました。しかも、ほとんど履いた形跡が見られないほどきれいで、少しよれっとしているのはかえってフィット感が高まるほどです。ヴィンテージものでも何でもないごく普通のズボン(チノパン)なので、こんなに安いのでしょう。

ひょっとしたら、明日も出かけるかもしれません。あのお店に、もう一着の800円を求めて。

それにしても、高円寺は本当に服屋が多いですね。古着だったり新品だったりしますが、徒歩10分圏内に、20~30店舗くらいはありそうです。なんとかという通りはまさに服屋通りで、神保町の古書店街の服バージョンです。

あんまり安いのばっかり身に付けていると、その値段にふさわしい人間になってしまいそうな気がして怖いですが、今はズボンが3着くらい欲しいので、高いのは買う余裕がありません。まあ、1着くらいは5000円程度のものがあってもいいですけどね。

スタレーヴィチ

2009-05-14 23:13:02 | アニメーション
ようやくスタレーヴィチのアニメーションを観ることができました。
スタレーヴィチはロシアで最初の人形アニメを作ったと言われる、世界的に有名な監督です。…というのはアート・アニメーション界onlyの話で、一般の人はもちろん、アニメ好きにもほとんど知られていないと思います。
でも、海外の短編アニメーションを好きな人なら、たぶん知っているでしょう。

特に有名な「映画カメラマンの復讐」は、ちょっとえぐい。カブトムシやトンボといった昆虫が登場人物なのですが、その人形の造形には可愛らしさが微塵もなくて、かなりリアル。これが発表された当時は、人形だとは分からなくて、どうやって昆虫を調教したんだ、という声があったそうです。随分おばかな観客がいたものだ、と笑うことは容易いですが、でもこういう意見があったおかげで、スタレーヴィチのアニメーションの様子がそれを観たことのない人にも伝わるし、何より人形の余りのリアルさを評価していることになるから、ありがたいのです。

本当に昆虫そのまんまといった人形が動き回るのですが、題材が不倫なんですよね。だから抱き合ったりするシーンがあって、ちょっと気持ち悪いです。カブトムシとトンボが一つの椅子に座ってキスを交わしている様子を想像してください。ちょっと引くでしょ?

とんでもない内容で、カブトムシが不倫の相手であるトンボとホテルで乳繰り合っているところを映画カメラマンであるバッタに盗撮されます。それに気付いたカブトムシがバッタを追い返すのですが、それに腹を立てたバッタは復讐を思いつき、映画カメラマンであることを利用して、その不倫の模様を映画館で流してしまうんですね。ちょうど夫婦でその映画を観に来ていたカブトムシはその映像を観てしまう…。とんでもない内容です。
不倫はよくないですが、いくらなんでもその様子を映画館で上映されてはたまったもんではないですよね。さすがに可哀想。まあ現実には起こり得ないシチュエーションだと思いますが、少しやりきれない気持ちになってしまいました。

ところで「マスコット」という作品は、意味がよく分かりませんでした。それと、ものすごいひどい間違いがあって、あるキャラクターの死ぬシーンが、二回出てくるんですよね。あれ、さっき死んだのに…わあ、また同じ死に方してる~…。最初のは明らかに編集ミスですね。そのへんは古い映画の緩いところでしょうか。

「カメラマン」は名作と言われ、再評価も進んでいると聞きますが、個人的には想像の域を出なかったというのが正直なところ。昆虫の造形には舌を巻きますが。モノクロで映像も悪いことが、リアルに見せている要因の一つかもしれないですね。それともカラーでくっきり映されてもリアルなのでしょうか?

CLANNAD memorial

2009-05-14 00:06:05 | アニメーション
声優・平野綾のグラビア見ましたが、彼女は動画より写真の方が可愛い気がします。それにしても彼女の容姿からこなたの声は想像できない…

さて『CLANNAD memorial』買いました。記録全集だというので、楽しみにしていましたが、あんまり内容が充実していないような…。第一、「AFTER STORY」が入ってないじゃないか…。むしろそっちの方を楽しみにしていたのですが。

これまで色々な雑誌に掲載されたイラストと、キャラクター設定画と、過去のスタッフインタビューの再録。これだけです。作品世界の解説とか、もっと突っ込んだ内容を期待していたのですが。

「AFTER」も出して欲しいです。そこで、もう一つの世界の解説などを期待したいですね。

イラストがあればいいじゃん、という人もいるかもしれませんが、ぼくにはちょっと物足りないですね。

そういえば、初版の発行日が6月1日になっていましたが、かなり先ですね。店頭には5月2日に出ているはずなんですが。実際の出版より少し先の日付を発行日にしている本というのはざらにあるとはいえ、でも一ヶ月も先というのは珍しいと思います。5月中には出せないと思われていたのでしょうか?

プチシアター vol.2

2009-05-12 23:12:06 | アニメーション
『プチシアター vol.2』を観ました。7分程度のアニメーションが4本。例によって記憶を頼りに書くので題名は少し違っているかもしれませんが、収録作品は、

「お坊さんとさかな」
「恋のかけひき」
「紙ヒコーキ」
「アパートの猫」

「お坊さんとさかな」は二度目の鑑賞。これは「岸辺の二人」と同じ監督の作品で、それを劇場で観たときに同時上映されていました。が、雰囲気はだいぶ違いますね。「岸辺の二人」はいわゆる「泣かせる作品」で、雰囲気も音楽も涙に貢献していましたが、「お坊さんとさかな」はどちらかと言えばコミカルでシュールな内容。要は坊さんが魚を捕まえようと追いかける、というだけの話なのですが、お坊さんの動き(というかそのジャンプ)がコミカルで、最後はシュールな感じで終わります。しかしながら、素朴なタッチや光と影を強調した演出はやはり「岸辺の二人」を思い出させますし、音楽も何気にいい。才能の片鱗を感じさせる、といったアニメーション。

「恋のかけひき」は、寓意に満ちた話で、真実の愛は何か、というテーマが最終テーマなのでしょうか…。余計なものを一再排除した演出で、画面を「白」が支配します。まあまあおもしろい、かな。

「紙ヒコーキ」は心温まる話。落ち込んでいる女性を励まそうと、男がその女性のいる部屋に紙飛行機を飛ばすが…。結局、いい行いというのは自分に返ってくるんだよ、という「情けは人のためならず」のアニメーション化、といった内容ですね。紙飛行機にどんなメッセージが書かれていたのかが気になります。

「アパートの猫」は、可もなく不可もなく、という印象。つまらなくはないです。でもおもしろいかと言われれば…。フレデリック・バックを思わせるタッチで、それは好みなのですが、やっぱり猫には自然と自由が必要だよね、ということなんでしょうか、このお話は。

ところでこの『プチシアター』シリーズは何巻まで出ているのでしょうか。とりあえず三巻までは観たのですが。