Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

日々に追われて

2013-03-31 19:39:46 | Weblog
ちょっと変則的な時間に投稿。

日々の些事に追われて、自分のやりたいことについて考えることができないでいます。一日中空いているのは日曜日だけになってしまったのはあまり言い訳にはならないのですが、ともかくじっくりと考え事をすることができません。もともと、基礎がないところに抽象的なことを考えるのは苦手なのですが(つまり、本を読んでの感想とかではなくて、漠然と将来のことを考えたりすること)、最近はその傾向に拍車がかかっています。

将来どうするのか、どうしたいのか。研究職を志すのならば、今どうすべきか、また何を研究したいのか。志さないのならば、どうすればいいのか。ロシアで自分は何をすればいいのか、したいのか。こういう諸々のことをぼくは一生懸命考えなければいけないのに、全然できていません。ただ目の前にある最低限の課題を淡々とこなしているだけです。

来年の今日、ぼくは大学を卒業(退学)しなくてはいけないので、それからのことを考えなければいけないのに、逼迫感がないというか、真剣に考えようとする気持ちが湧いてきません。走るだけならば、だらだら走ることはできますが、だらだら考えるということはできません。考えようとしても、一向に思考が進んでいかないのです。同じ所をぐるぐる回り、2,3分後にはまるで関係ないことを空想してしまっています。

何かについて調べて、それを基に空想することは好きだけど、何もないところから何かを考えるのは苦手です。というか、考えるのは疲れる。文章を書きながら考え事をするのは好きだけれど、文章を書かずに考え事をすることは自分にはできません。

そういえば、自分は考えるという作業をこれまでほとんどしてこなかったなあ。あああ、自分は何がしたくて、何ができるのか。これからどうやって生きていけばいいのか、皆目分からない。

幾つかの話題

2013-03-31 03:54:45 | Weblog
今朝は頭が痛くて目が覚めてしまいました。首や肩を揉むと痛くなくなるので、もしかしたら肩が凝っているのかもしれません。でも、一日中なんとなく体調が優れない日でした。

授業に出たら、自分一人だけでした。したがって(贅沢な)個人レッスン状態。しかも通常の時間よりも大分早めに終了。ラッキーなんだかアンラッキーなんだか。

昨夜に引き続き、今夜も外食。チキン南蛮を食べました。けっこう美味。ただ、二日間で1000ルーブル使ってしまったので、来週は節約しないとなあ。でも食事の質は落としたくないなあ。

おもしろい話を書きたかったのですが、いまいちネタがないのです。ネタがなくても、つまらない話をおもしろく仕立て上げるのが腕の見せ所ってものでしょうが、そんな技術はないわけで。

そういえば、映画『外套』観ました(ノルシュテインじゃないです)。モノクロの古い映画。最後、(原作では)「亡霊」が外套を盗むシーン、(映画では)強盗が外套を盗んでいて、なるほどと思いました。記憶が定かではないのですが、たしか原作では亡霊が外套を盗むという噂が立っている、という指摘に留まっていて、実際に盗んだのは誰なのかが判然としていないのですが、これに対してナボコフは、これは強盗の仕業であると喝破していました。映画はそのナボコフの主張と一致していますね。

ところで、中学生に家庭教師をしていたことがあるのですが、そのとき英語の教材でなぜかこの『外套』が紹介されていて、ぼくは教え子に尋ねたものです、この小説知ってるかい、と。そうしたら、「外套」という単語それ自体を知らないのでした。外套って死語なのか。・・・あれ、この話、随分前に書いたことがあるような気がします・・・

ロシアカフェ

2013-03-30 04:30:14 | Weblog
月曜日がつい昨日のことのように感じられますけど、明日はもう土曜日なのだなあ。明日で今週も終わり。

今晩はちょっと外食してきました。で、そこで聞いた話によると、吉祥寺にロシア料理屋があるとか。知らなかったので、先程早速調べてみたら、確かにありました。カフェロシアという名前のお店。ロシア料理とグルジア料理が両方味わえるらしくて、お得ですね。(グルジア料理の)ハチャプリまであるじゃあないか。実はまだモスクワで食べてないんですよねえ。来月こそ食べてみよう。

帰国したら行ってみよう、と思うこの倒錯感。なんでロシアから帰って日本でロシア料理を食べたいと思うのだろう?ロシアで本格的なロシア料理を食べようと思ったら、かなり高くついてしまうので、意外とロシアでロシア料理は食べないんですよね。モスクワで外食するのは、東京と比べてもだいぶ高いのです。一週間くらいの旅行だったら、よく分からないままにレストランで食事してしまうと思うのですが、長期でいると金銭感覚も身に付きますから、ロシア料理をレストランで食べるってことがどれだけ贅沢なことなのか、よく分かってしまうのです。今回の留学でロシア・レストランに入ったことはありますが、あまりに高額なので、ほとんど食べれなかった思い出があります。ボルシチ一杯で3000円くらいしましたからね。おかしいだろ。もちろん、ファミレス並みの安いお店もあります(それでも、モスクワの物価からすれば高いですが)。でも個人的にあまり行ってないですね。・・・ロシア料理は、日本で食べるより先に、やっぱりロシアで食べないとな。

ばたばたした月末でしたが、来月も色々出かけたりする予定があるので、ちょっと忙しい。でも4月というのは、大抵の日本人は忙しいものです。そろそろ4月。来週から4月。

最近は健康的に12時頃に就寝しているので、この時間帯(11時半)になるともう眠たい。そして朝は早い。

そろそろ活動的に

2013-03-28 03:22:02 | Weblog
寮のエレベーターの前に張り紙が貼ってあって、呼び出しリストの中に自分の名前。うわあ、嫌だなあ、何だろうと思いつつ、登校。授業が終わったら真っ直ぐ寮に戻らないといけない。

大学の入り口ではいつも警備員が学生証をチェックしているのですが、今日は「スタンプ」と一言だけ言われました。「何?」と聞いたら、もう一度「スタンプ」。どうやら学生証に押してあるスタンプが消えかかっているのが気に障るらしい。こんなの日が経てば薄れるんだし、どうでもいいだろって思うけど、これから入り口でいつも呼び止められるのはストレスだなあ。もっとも、こういう警備員は大抵気紛れにちょっかいを出してくるので、明日以降は平気かもしれません(そもそも昨日までは何も言われなかったわけだし)。

学校から帰って寮の指定された部屋に行くと、帰国日を聞かれました。完全に帰国するのか、それともまたロシアに戻ってくるのか、後者の場合には何か問題があるらしいのですが、自分のような完全帰国の場合は関係ないらしい。何も要らない、と言われて終了。ふう。ありがたい。

4月からは暖かくなるはずだし、そうしたらそろそろ活動的になろうかな、と思案中。劇も観に行くし、本屋にも寄っちゃうぞ、と。本屋くらいはこれまでだってときどき覗いていましたが、新規開拓しようかな、と。ネットで色々探し回って、10軒くらい(以上?)目星を付けておきました。

モスクワの書店のまとまった数のレビューは誰かが書いておいた方がいいと思うので、このブログに載せるか、あるいはどこか公的機関のHPに載せるか、いずれにしろ探訪記を書きたいと思います。

文春ジブリ文庫

2013-03-27 03:04:38 | アニメーション
今日はだるかった。かなりしんどかったです。

この寒さも明日までらしい。木曜日からは、気温がマイナスでなくなるという予報。そして4月からは+10℃以上も珍しくなくなるはず! あ~、東京生まれ・東京育ちには、モスクワの冬は過酷でした。暖かくなるのが、春になるのがこんなに待ち遠しいなんて。寒過ぎて嫌になっちゃったよ。

さて。文春ジブリ文庫なるものが4月から刊行されることになっていますが、どうやら「ジブリの教科書」と「シネマ・コミック」の二種類が基本らしい。後者はたぶんいわゆるフィルム・コミックのことだと思うのですが、ぼくはそもそもフィルム・コミックってそんなに好きではないし、それに改めてフィルム・コミックを出すことに意味があるのかもよく分からない。

問題は「ジブリの教科書」の方です。これは、一つ一つのジブリ映画についての解説書、という体裁を取るようです。つまり、最初はナウシカについての本(ナウシカはジブリじゃないけどね)、次はラピュタ、というふうに。だから、ジブリ映画の数だけこの「教科書」も出版されるということになります。内容は、映画の紹介や著名人による感想文・解説等で構成される模様。なんかなあ。個人的には、昔出てた設定資料集の続刊を期待したいんですけど、あれはどうして途中で終わってしまったんでしょうかねえ。何か裏事情があるのでしょうか。あるいは、叶精二『宮崎駿全書』的な、コアなファン向けの解説書や、『ジブリの森へ』的な論文集を刊行してほしかった。一般向けのライトなジブリ解説本かあ。執筆陣を見ても、これは!ってなる人がいないんですよね。新海誠とかに書いてもらえたらおもしろいんだけどな。というか、『耳をすませば』のときは自分に書かせてほしい。ネットから感想文・論文を募るとかすりゃあいいのにな(でも審査員は誰が?)。

とまあ、ぼやいておく。

明日は学校帰りに美味しいものでも食べたいものです。

食べること

2013-03-26 03:31:17 | Weblog
今日の昼はマックでハンバーガー。味をしめたか、自分。

ところで新しいクラスに替えたところ、お昼に外食(あるいは食堂で食事)する機会が増えることになりそうです。出費がかさむから嫌だなあと最初は思ったのですが、しかし改めて考えてみると、これはむしろいことかもしれません。というのも、ロシアでぼくは痩せていく一方だから。これは危険水域ではないのかってくらい痩せてしまっているので、もっと食べないといけない。

今までは、昼が「パンとジャム」、夜は食堂で「じゃがいも(またはそばの実)、ハンバーグ(みたいなもの)、スープ(またはサラダ)」だったのですが、これからは朝が「パンとジャム」、昼は外食、夜は食堂で「じゃがいも・・・」ということになりそうです。たぶんこっちの方が健康的であるはずだ。

よし、今週からばりぼり食べて(びしばし勉強しよう)。
でも明日の昼はまたパンだなあ・・・。
なんか急にイタリアンが食べたくなってきた。ピッツァが食べたい、ピッツァが。今度の昼はピザにしようかなあ、昼間にピザってのは、日本でもほとんど経験ないんだけど。

やっぱり、食事というのは大切ですよ。食べることくらいしか楽しみがないもんな。ああ、美味しいものが食べたいなあ・・・味わいたいなあ。食堂のメニューがワンパターン過ぎるのが問題なんだよな。

望み

2013-03-25 03:41:18 | Weblog
いま自分が大学でやっていることは、たぶん文学研究だと思います。でも、それがとても虚しい作業に感じられてしまう。世間の目に触れるわけでもない、一つの狭い共同体内部でのみ活用される論文を書くこと。あるいは関連文献を調査すること。これは一体何なのだろう。研究というのは、もっと広範に影響力のある誰かの評論に役立つのかもしれない。でもだとしたら、初めからそういう評論を書けばいいのではないか?・・・

なるほど基礎分野の研究を疎かにはできないし、こういう作業が必要だというのは分かります。でも、少なくても自分がやりたいのは、こういうことじゃあないんだ。ぼくが求めているのは、対象を研究することではなくて、対象を共有することなのです。分かち合うということです。

例えばぼくはCLANNADが好きだけれど、これについて評論/コメントを書く人が全員この作品を好きだとは限りません。登場人物の機能分析をしたり、並行世界の構造を解析したり、示唆に富むものもあるとはいえ、でもぼくが思うこの作品のすばらしさというのは、もっと別のものです。その「別のもの」が何なのか、自分なりに考え、調べ、書いてみたい。そしてそれを共有したい。いや、たぶん「別のもの」というのは明らかにはなりません。それを明らかにすることはできません。曖昧なままの、障子越しの月のように朧げな、儚いままのそれを、そのままの形で共有したい。作品をすっぱりときれいに分析して終了、みたいな研究、批評、評論は、したがって著者の思い上がりの強い、独断的なものであるような気がします。自分なりの方法論・視座で対象を分析して見せたところで、それが一体何なのだろう。そういう文章を好む読者がいるのは知っていますが、でもそういう文章からは、「共有」の意志が感じられません。自分の頭のよさをひけらかすような論文は駄目だ。

その作品や作家をより光り輝かせるために書かなければ駄目だ。駄目なんだ。でもぼくにはそれが全然できていない。はっきりと言っておきます、ぼくがもっと輝かせたい作品は、CLANNADの他に、チェーホフの幾つかの作品、『耳をすませば』、宮崎駿の作品、新海誠の作品です。けれども、自分はいまそのために何をしているんだ?・・・ぼくは一遍、本当に命をかけるようにして『耳をすませば』に取り組んでみたい。そしてその結果を世に出して多くの人と分かち合いたい。そうするべきではないだろうか?だけど、そんなことをする時間的・金銭的余裕はどこにあるのだ?社会的ステータスは?自分はどうしたらいいんだろう?何をしたいかは本当は分かっているんだ。でも、どうしたらいいのかが分からない。このままロシア文学の道に進んだとしても、ぼくはたぶん一生定職には就けない。だとしたら、だとしたら・・・

ガンブルゲル

2013-03-24 04:34:49 | Weblog
新しいクラスは土曜日も授業があるので、行ってきました。その帰り、マクドナルドに寄ってみた。実はロシアでハンバーガーを食べたことがなくて、今日が初。というのも、前にもちょっと書いたことがあるのですが、ロシアでは「ハンバーガー」と言うのを「ガンブルゲル」と発音するのですけれども、ぼくにはそれが恥ずかしかった。レジで「ガンブルゲル」と言うのがどうしても抵抗あって、なかなかお店に入れなかったんですよね。でも今日は人に誘われたので、せっかくなのでチャレンジしてみたというわけです。そうしたら、案外簡単に済んでしまいましたね。こんなものか。(それにしても夕飯がマックってのもいかがなものかと思うけど。)

ロシア語で自由に会話できたらいいなあ、と思う。せめて相手の言っていることくらいは完全に理解できていたい。それを痛感した今日の夜。でもなかなか会話の勉強に取り組めないというジレンマ。勉強のために会話ができるようになりたいと言うよりは、普通に会話するために会話ができるようになりたい。日本に興味のあるロシア人って、日本のアニメが好きな場合がけっこうあるので、そういう人たちと自由に語り合いたいわけですよ。でも自分には難しいなあ。

ところで今日寒いです。かなり寒いです。やっぱり-10℃を下回ってくると、凍えるよな。仮に最高気温が-5℃くらいまで上昇していたとしても(今日はたぶんそんなに行ってないと思うけど)、あくまで最高気温なので、ほとんどの時間帯はそれよりも低いわけです。だから、冬は最低気温ってのが重要だと思います。そういえば、昼間に見た天気予報では現在の気温が「-11℃」ってなっていたんですが、その下に体感温度の表示があって、それには「-24℃」と書かれていました。いやそんなに違うはずないだろ、と一応ツッコミを入れておきましたが、でも確かに寒いことは寒いですね。風強いし。

しかし本当に寒いな。久々にストーブを付ける。でもこの寒さもたぶん今月で終わり。来月からはプラスに転じる予報。早く+15℃くらいにならないかなあ。

明日は日曜日。論文読まないと。

一つの事実

2013-03-22 04:58:15 | Weblog
何を書こうかな、なんて考えていたんですが、ある事実に気が付きました。
ぼくが論文を書いてどこかの雑誌に発表したとしても、それを見る人の数は限られているわけです。たぶんそれは一般書籍でも同じでしょう。はっきり言って、ぼくが何かを訴えたいと思ったら、そしてそれを多くの人に知ってほしいと思ったら、このブログを通して主張した方が、より多くの人にぼくの声を届けられる。

ブログを始めてもうすぐ5年になりますが、トータルの閲覧数は90万回ほどになっていることに、さきほど気が付きました。1日で多いときは1000回閲覧されることもあります。どのような方たちが閲覧して下さっているのかは、ごく少数を除いて分かりませんが、ともかくありがたいことです。

このブログという場を利用して、もっとおもしろいことができないか、と考えています。一つ腹案はあるのですが、ただそれには自分の情報を開示しなければならず、ちょっと悩んでいます。まあ、もう少し様子を見てみようかな。

動いている

2013-03-21 03:52:05 | お仕事・勉強など
大学に用事があったのですが、3時間待たされました。疲れた・・・。まあ、自分が早く行き過ぎただけかもしれませんが。

その用事とは、クラス替えです。ここのところ、クラスメイトの異動が非常に流動的になっていて、クラスが自分にちょっと合わないと感じたら(レベル的に)、すぐにクラスを変更する人が続出しているのです。ぼくのクラスには新しく4人入って来て、そのうち3人が既に去りました。更に、もともといた1人が出ていきました。そんなわけで、ぼくもまたクラスを去ることになりました。

新しいクラスはどんなところだかまだ知りませんが、今日ぼくが要望したのは、「自分は喋るのと聞き取るのが苦手だから、簡単なレベルのクラスがよくて、先生がゆっくりしゃべってくれればうれしい」ということ。「文法は分かっている」とも付け加えておきましたが、さてどうなることやら。

新しいクラスに移るのは非常にストレスですが、もうすぐ日本では新学期が始まりますし、これも皆が経験する試練だと思って乗り切るしかありません。今日相談してみたところでは、「試してごらんなさい」とのことだったので(ちなみにロシアではこの「試してごらんなさい」とか「やってみなさい」という表現は頻出)、とりあえず明日授業に出てみて、明後日も出てみて、それで判断したいと思います。

一週間前、先生から「このクラスはどう?」と聞かれました。どういう意味かなと思いつつ、「まあまあですね」と答えると、「あなたはときどきロシア語が聞き取れていないようで、困っているみたいね。別のクラスに移るのも方法よ。色々なレベルのクラスがあるわ。クラスを変えるのは悪い事じゃないの。色んな経験をするのも大事よ」という意味のことを言われたのでした。ぼくはこの先生がけっこう好きだったし(美人な先生)、それに要するに「あなたにはこのクラスは難しすぎる」ということをその先生から直接言われたわけですから、そのときはけっこうショックだったので、「いえ大丈夫です。たしかにぼくは先生が早口でしゃべると聞き取れないですけど、でも・・・問題ないです」と答えて、これからもこのクラスで勉強する意思を示したのでした。しかし、よくよく考えてみれば、これはチャンスかもしれないと思い直したのです。ぼくは確かに先生の話がよく聞き取れていないし、ロシア語をペラペラ喋れるクラスメイトと満足に会話することもできていない。したがって、クラスに溶け込めていない。これまでの約半年間、授業は苦行だったと言っていい。それならば、自ら事態を打開した方がいいんじゃないか。折しも、クラス間で学生が非常に流動的になっていました。自分もこの波に乗ってみよう、と思ったわけです。

ふう。こうやって、自分の恥を晒すようなことをわざわざ世界中に公開するのは、いちおう自分なりに考えてのことです。変に強がったりせずに、こうやって本当のことを書く方が、きっといいのです。自分にとっても、この記事を読む誰かにとっても。

忙しい月曜日

2013-03-19 02:43:06 | お出かけ
今週から少々慌ただしくなる予定なのですが、その第一弾として、今日は外で用事を済ませてきました。まず、スーハレフスカヤ駅というところにある劇場に、演劇のチケットを買いに。それが終わったら、今度はマヤコフスカヤ駅の近くにあるという「ブルガーコフの家博物館」へ。

最初の劇場はわりとすぐ見つかりました。チケットも無難に購入(ただ、座席をどこにするか聞かれたのだけど、どこがいいのか分からないのでまごまごしていたら、向こうで勝手に席を選んでくれました)。

そしてブルガーコフの家へ出発。最寄駅はマヤコフスカヤなのですが、スーハレフスカヤからの乗り換えがより楽なプーシキンスカヤ駅で降りて、そこから歩くことにしました。モスクワ中心部は狭いので、最寄駅でなくとも問題なく歩けるのです。それに、プーシキンスカヤ駅からなら、トヴェルスカヤ大通りに沿って進めば分かりやすいので、むしろこちらの方が目的地に早く着けるのではないかと考えたのです。

ところが。ブルガーコフの家がなかなか見つからなかった。1時間ほど彷徨い続けました。-5度くらいの寒さだったと思うのですが、ところどころ凍った道を用心深く通り抜け、頭上から滴る水滴(つららから垂れているのか?)を避けつつ、歩きに歩きましたが、全然見つかりません。半ば諦めかけていたところ、ようやく発見した目的地は、なんと大通り沿いだったというオチ。住所をメモってくればよかった・・・。地図上だと、大通りから少し中に入ったところにあるから、てっきり通りには面していないと思って入り組んだ横道ばかり探していたのに。でも、大通り沿いとは言っても、すごく分かりにくい所に立地しています。入口の半開きの鉄の門が「入ってくるな」と睨みつけているような。いやあ、分からなかったなあ。

ここでもチケットを購入しましたが、寒さで口が強張っていて、「ビレート(チケットのこと)」という単語がうまく発音できなくて、ちょっと恥ずかしかったですね。ちなみにブルガーコフの家博物館の内部はこんな感じ。



ここで用事を済ませて、ついでにトイレも済ませて、一通り中を見学してから、再び外に出ました。ちなみに中でコーヒーや紅茶もいただける感じでしたが、そして疲れていたのでゆっくりお茶でも飲みたい感じでしたが、まだもう一つ用事が残っているので、やめました。

もう一つの用事というのは、プーシキンスカヤ駅のそばにある「ファランステル」という古書店に寄ること。あまりに疲れていたらよそうと思っていましたが、そして何度も言うように疲れていたのですが、せっかく近くまで来たのだから覗いてみることにしました。そうしたら、欲しいなあと思っていた本を発見!やった・・・。1000ページ近くありそうな大著ですが、日本円にして1800円もしない。安いなあ、ロシアの本は。結局3冊買いました。外に出たら小雪が舞っていて、メトロに揺られて最寄駅で降りたら雪がいよいよ強まり出していて、夕飯を食べる頃には本降りになっていました。運がよかったかな。今は止んでいるようですけどね。

というわけで、忙しい月曜日でした。

窓/夥しい死

2013-03-18 02:35:49 | Weblog
気が付いたら、窓辺に夥しい虫の死骸。ざっと10匹以上はある。中にはまだ蠢いているのも。これは昨日まではなかったと思うのですが、それとも気が付かなかっただけなのでしょうか。窓の隙間から侵入したのかどうか知りませんが、どうして死んでいるのだろう。凍え死んだか。昨日は暖かかったようなので虫が出てきて、しかし冷え込んだ夜の内に死んでしまった?よく分かりません。それにしても気持ち悪いな。処分しようにも気持ち悪いな。

ときどき窓がゴトゴト鳴ります。最初は何だろうと怖かったのですが、あとで鳥が来ているのだと分かりました。しかし最近、それだけが理由ではないことも判明。この寮には、窓からゴミを捨てる不届き者が幾人もいるようで、そのゴミがぼくの部屋の窓にぶち当たるようなのです。先日、空から落ちてくる段ボールやジュースの空きパックを目撃して、ようやく事の真相を悟りました。危ないからやめてくれよ。

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去年の秋頃にも書いたような気がしますが、愛媛に行って道後温泉に浸かりたい。道後温泉本館は近々改修工事をするという噂もあるので、2013年度中に旅したいものです。友達同士で行ければいいんだけど・・・どうだろう・・・。
先日暇な時間に独り虚しく旅館を検索していましたよ。一万円くらい出せばけっこういい所に泊れるんだな、いい料理が食べられるんだな、などと感嘆しながら。うう、日本の「おもてなし」を堪能したいものです。旅館に着いたらお出迎え、荷物を持ってもらって部屋に案内してもらう、戸を開けると広々とした和室、井草の香り、テーブルにはお茶菓子。お風呂の案内、夕食の案内。

明日からちょっと忙しい。気分的には落ちているのに、やることは増えてストレスが溜まりそう。とりあえずやる気を下さい。

成功者の視座

2013-03-17 03:29:10 | 音楽
とてもいい曲だと思う。しかしあえて言うけれども、違和感が拭えない。この違和感の原因は分かっていて、そしてその原因が悪いものではないことも分かっている。人間というものは変わるものだし、創作者もまた変わるものだ。作家も、アニメーターも、歌手も、皆それぞれの道を歩きながらそれぞれの変化をする。それは決して悪い事じゃない。むしろ、同じ所に留まって人にもそうすることを求めることの方がよっぽど悪い。

amazarashiの新曲『ジュブナイル』は、疾走感あふれる応援歌と言っていいと思う。秋田さんは、「少年少女」たちに、「前に進むんだ」と呼びかけている。そこから一歩も動かないのなら君は「侮辱された人間だ」けれども、そこから一歩歩き出せたら君は「負けなかった人間だ」と。

苦しむ少年少女たちの背中を押す。大いに結構。でもぼくの違和感もここにある。これまで秋田さんは、「そこから一歩も動かないのなら君は「侮辱された人間だ」」と歌ったことがあっただろうか。いや、彼はいつもこう歌ってきたのではなかったか、「歩き出すのも 諦めるのも 好きにさせろよ 奇跡 奇跡」。彼は常に「行こうか戻ろうか悩んで」いて、「逃避行」が生きる道になる逆説を歌ってきた。確かに、一歩も動かないままでは「侮辱された人間」として終わってしまうかもしれないけれども、しかしそれさえ「奇跡」ではないのか。秋田さん自身は、過去を全て燃やして前を見据える決意を歌うこともあったけれど、しかし「前進しなければならない」と「少年少女」を鼓舞することはなかったのではないか。

「少年少女」に向けた歌という体裁を取らざるを得ないのは、これが成功者の視座から語られた歌詞だから、という気がしてしまう。つまり上からの目線で語られているから、対象は少年少女にならざるをえない。自らの悩みを叫ぶように表白するこれまでの歌と違い、成功者の立場で、君たちも頑張るんだと応援している。彼は「一歩 歩き出」したのだ。

もちろん、これは寿ぐべきことだと思う。でも、ぼくは置いていかれてしまった。『終わりで始まり』で既に気付いていたこの事実、あるいは亀裂は、いよいよ大きくなっていくのだろうな。

amazarashi、進めよ。行けるところまで行ってくれよ。後ろなんて振り返らないで、無我夢中で走って行けよ。その姿に、ぼくはまた違う感動を覚えるかもしれないから。

三人姉妹 in モスクワ

2013-03-16 03:21:18 | お出かけ
amazarashiの新曲『ジュブナイル』が思ったよりよくて、0時からずっと聴いてる。


さて、先日チェーホフの『三人姉妹』(舞台監督ソローミン)を、モスクワはマールイ劇場で観てきました。実はこの舞台、2004年秋に同劇場が来日公演をしたときにぼくは観ているんですよね。したがって8年半振りの再見ということになるわけです。

この日は朝から雪が降っていましたが、幸い午後には上がりました。それで劇場の外観を写真に収める余裕ができたのですが、生憎まだパソコンに取り込んでいないので、後日ブログに載せようと思います(たぶん)。

マールイ劇場は、ボリショイ劇場と並んでロシアを代表する非常に有名な劇場です。ボリショイ劇場は直訳すれば「大劇場」、マールイ劇場は「小劇場」となります。実際、前者の外観がギリシャ神殿のように壮麗で威風堂々としているのに比べて、後者は威容を誇るといった佇まいではなく、小ざっぱりした感じ。

けれども中に入ってみると、なかなか豪華な造りで、廊下には俳優の写真がずらりと並び、階段には絨毯が敷かれています。カフェもあって、幕間にここで軽食を楽しむことができます。で、いざ客席に行ってみると、驚いた、なるほどマールイ劇場と言うわけだ、けっこう小じんまりしているんですよね。何と言うか、ミニチュアセットの中に実際に入り込んでしまったというか、不思議な感覚を覚えました。このくらいの小さな劇場だったら日本にもたくさんあって、ぼくも何度も足を運んだことがありますが、しかしそれと明らかに違うのは、絢爛さの程度。マールイ劇場は、小さいけれども非常に美しい内装でした。基調となっている赤・白・金の三色の端正な配色、緻密な細工、煌めくロウソクの光(電気です)、劇場内が宝石をばらまいたように燦然と輝いて見えました。小さいけれども煌びやか。だから精巧なミニチュア・ハウスを思わせるのかもしれません。チケットの裏には「事前の許可なく撮影することを禁止する」旨書かれているので、カメラを手荷物ごとクロークに預けてしまったのですが、でも劇場内では皆さん普通に写真撮ってましたね・・・。なんだよかったのか。

肝心のお芝居ですが、今回の舞台装置「回り舞台」というのは有名なようで、2004年にも日本で実施したようですが、ぼくは完全に忘れていました。舞台がくるくる回って、それで場面の転換をするわけです。屋敷の内部や庭先(?)などが、ちょうど阿修羅の顔のように一つの装置の中で共存していて、舞台が90度回転すると新しい舞台が現われるのです。なかなかおもしろい仕組みだと思います。

美術はリアリズムが基本で、格調があります。幕が変わるときにはどこか物憂げで、しかしテンポのよい音楽が流れます。

4幕の劇ですが、ひょっとしたらそれぞれ四季に対応しているかもしれません。中でも第4幕の秋の情景は抒情的でよかったですね。

俳優のロシア語は残念ながらよく聞き取れなかったのですが、でも芝居の内容は当然知っているので、何が起きているのかはよく分かる。

ここで『三人姉妹』の内容を紹介したり自分なりの分析をするのもいいかもしれませんが、なんとなくそんな気分になれないので、感想を書くことはしません。

それにしてもあれから8年半かあ。もうそんなに経ってしまったのか。当時ぼくはまだロシア文学を専攻していなかったなあ。2004年はチェーホフ没後100年の記念の年で、色々催しがあって、そこでお世話になった先生とは今もときどき連絡を取ります。8年以上前に東京で観た舞台を、今またモスクワで観るとは・・・。感慨深いな。舞台が回るように人生も巡る。

挑発

2013-03-15 01:00:06 | Weblog
昨日から色々なことがあったので、何を書こうか迷いますが、とりあえずこの不愉快な事件から。

さきほど、寮の階段を登っていたときのこと。何の気もなくふと上を見上げると、欄干から身を乗り出すようにしてこちらを見ている若い男がいました。「日本人かな」と、そのアジア系の男の顔をちらりと見てから、足元の階段に再び目を落とそうとしたとき、その男がこちらに向かって中指を突き立てるのが一瞬目に入りました。次の瞬間にはもう既に足元を見ていたぼくは、その行為が侮辱の仕草であることに咄嗟には気が付かなくて・・・というよりは、「いやそんはずはないだろう」と打ち消す気持ちの方が強かったために、それが何だったのか把握しきれずにいて、しかし階段を登りきる頃にはやはりそれが「あの仕草」であることに疑いをさしはさむ余地がないように思われてきたのでした。ぐるりと周囲を見渡してもその男の姿は既になく、まるで幻を見たような気がしましたが、もちろんそんな訳はなく、あの日本人ふうの男は確かにこちらに向かって中指を突き立てたのに相違ありません。黒のパーカーを着て、へらへらと顔を崩していたあの男は、一体ぼくを誰だと思ったのだろう。同じアジア系の人間は見分けがほとんどつかない以上、同国人の可能性もあるのだから、そういう真似を平気でしてくるというのは、ちょっと頭がイカれているとしか思えない。見分けがつかない、と言いましたが、しかしこちらで中国人・韓国人・日本人を多く見ていると、なんとなくその違いが分かってきます。あの男は、ぼくの見立てでは日本人であるような気がします。

モスクワで生活しているのに、同じ母国かもしれない人間を嘲弄しようとする。どういう神経をしているのだろう。不可解だし、不愉快だ。ロシアでは日本人の男は殴られるという話をよく聞きますが、相手の侮辱と暴力に黙って耐えなければいけない理不尽さに、心がざわつく。ああいう人間がいる限り、この世界からは戦争はなくならないし、いじめも絶えないだろうな。そしてああいう人間は、必ず一定の数存在するのだ。この世にはいい人間がたくさんいるけれども、どうしようもなく忌まわしく、厭らしい、唾棄すべき人間もいるという恐ろしい事実を忘れてはならないと思う。