自分で読んで憂鬱になってしまうような記事を書くものではないな、と思う。このあいだはとても気分がくさしていたので、ああなってしまったのです。なかなかポジティブな考え方を身に付けられないで困ります。誤解のないように言えば、基本的には知らない知識を仕入れたり、未知の人と出会ったりするのは楽しいものですが(むしろぼくは比較的そういうのが好きな人間の部類に入ると思う)・・・ある特定の場合においては・・・そうじゃない。つまり、自分の劣等感を刺激するような場合、ということです。劣等感や、その反対の優越感が全くない人間はいないと思うので、綺麗事だけを並べても仕方がないですね、劣等感と優越感の微妙なバランス関係の中にある人間関係において・・・もちろん目上の人は対象外であり・・・したがって・・・ぼくは・・・もうやめておこう。
レスコフ「封印された天使」を読む。中編小説で短いのですが、やや時間をかけて読む。なんとなくロマンチックなタイトルに惹かれますが、中味はそれほどでもないです。要はイコンの物語でして、天使の顕現があったとか、そういう物語ですから多少は神秘的なところもあるようには思いますけれども、たぶんこの小説のポイントは語り口調にあるのであって、それは翻訳からも十分に伝わるものでして、そういう語り口のおもしろさ、情感、躍動感といったものに乗せられて、一気読みしてしまう小説なんだなあと思います。まあぼくは3日に分けて読んでしまったのですがね。
最後の種明かしはどうなんだ、と解説にはありましたが、まあこれは今なら一種の「ためらい」創出の手法の一環ともみなせるわけで、むしろ評価の高まる発条にもなりうる箇所なのかもしれません。「ためらい」というのはトドロフに言わせると幻想文学を幻想文学たらしめる要素なわけですが、物語を完全な神秘とするか、それとも日常からの説明の余地を残したものにするか、というためらいが重要なわけですね。ただし、レスコフの小説はいわば「信仰小説」とも呼ぶべきもので、日常からの説明を必要とはしていないかもしれないな、とは思います。でも、そこがレスコフのバランス感覚なのかも。
イコンの知識を披歴する箇所が随分多く、恐らくここは日本の読者にとってはいささか退屈だろうと想像しますが、ロシア人にはおもしろいのかな。それともそうでもないのでしょうか。一種の情報小説だ、と解説には書かれていましたが、情報小説というのは、特定の時代背景の中で読んでみて最大の魅力を発揮するものでしょうか。そうだとしたら、後世の日本人が読んでみても、あんまりおもしろいとは感じないのも無理からぬことなのかも。
まあしかし、翻訳はうまい。自分も日本語を磨きたいな、と思いますよ、本当に。
レスコフ「封印された天使」を読む。中編小説で短いのですが、やや時間をかけて読む。なんとなくロマンチックなタイトルに惹かれますが、中味はそれほどでもないです。要はイコンの物語でして、天使の顕現があったとか、そういう物語ですから多少は神秘的なところもあるようには思いますけれども、たぶんこの小説のポイントは語り口調にあるのであって、それは翻訳からも十分に伝わるものでして、そういう語り口のおもしろさ、情感、躍動感といったものに乗せられて、一気読みしてしまう小説なんだなあと思います。まあぼくは3日に分けて読んでしまったのですがね。
最後の種明かしはどうなんだ、と解説にはありましたが、まあこれは今なら一種の「ためらい」創出の手法の一環ともみなせるわけで、むしろ評価の高まる発条にもなりうる箇所なのかもしれません。「ためらい」というのはトドロフに言わせると幻想文学を幻想文学たらしめる要素なわけですが、物語を完全な神秘とするか、それとも日常からの説明の余地を残したものにするか、というためらいが重要なわけですね。ただし、レスコフの小説はいわば「信仰小説」とも呼ぶべきもので、日常からの説明を必要とはしていないかもしれないな、とは思います。でも、そこがレスコフのバランス感覚なのかも。
イコンの知識を披歴する箇所が随分多く、恐らくここは日本の読者にとってはいささか退屈だろうと想像しますが、ロシア人にはおもしろいのかな。それともそうでもないのでしょうか。一種の情報小説だ、と解説には書かれていましたが、情報小説というのは、特定の時代背景の中で読んでみて最大の魅力を発揮するものでしょうか。そうだとしたら、後世の日本人が読んでみても、あんまりおもしろいとは感じないのも無理からぬことなのかも。
まあしかし、翻訳はうまい。自分も日本語を磨きたいな、と思いますよ、本当に。