少し思ったことを。
ボルトの世界新記録についてタイソン・ゲイは、「人間がこんなに速く走れることが分かった。残念ながらそれはおれではなかったが」という意味のことを述べたそうですが、この言葉にぼくは大変共感します。共感、と書くと、なるほど少しおかしいかもしれません。ですけれども、これと似たような発想はぼくにもあります。
世界には真理がある。あるいは、ほとんどの人間が到達できない高みというものがある。
多くの人間はその真理を究明したいと考えているし、より高いところへ昇りたいと思っています。ところが、それは誰にでもできることじゃない。そういうとき、悲しくなるわけです。自分はこの世に生を受けて、何もすることができない。何も成すことができない。いやそもそも、何かを成すことなど可能なのだろうか?そんなとき、誰かが、それは一人でもいい、とにかく自分以外の誰かが、いまだ見たこともなかったような頂きに到達する。ここに山があったぞ!こっちの方が高いぞ!ぼくはそれを見て、引き裂かれた気持ちになるのです。もちろん、うれしい。このような高みがあったのか、人生は、世界は、まだまだ捨てたものじゃないな、このようなことが可能なのだから。しかし一方で、つらい。というのは、それが自分ではなかったから。
「選ばれた人間」としか形容しようのない人間がいます。その他の人間は、恐らくこの世で偉大なことを成し遂げることができない。偉大なる幸福を得ることもない。しかしながら、巨人の到達した高みを見て、世界は生きるに値するのだ、と感じ取ることはできます。それがたとえささやかすぎる幸福であったとしても、ぼくはその巨大な足跡を見て、世界の豊かさを想像します。でも、それが自分でないことが残念であるという気持ちは根強く残ります。
巨人たちは、ぼくらのつつましい業績から思いがけない原石を発見して、それをダイヤモンドへと磨きあげるでしょう。ぼくにはそれくらいの手助けしかできない。自分が巨人でなくて残念だ・・・という怨恨感情を抱きながら、やるせない時を送るのは苦痛です。
世界の美を我が手でつかみ取る人がいる。その光景を羨望して世界の美を想像する人たちがいる。後者を肯定的に語る思想をぼくは持ちたい。自分でなくて残念だ、と思うのではなくて。
一年の最後の日にこんなことを書いてしまい、自分でもいかがなものか、と思いますが、なかなか悩みの種はつきません。来年は、「肯定する思想」に出会えたらいいな。ということで(?)、皆様よいお年を。
ボルトの世界新記録についてタイソン・ゲイは、「人間がこんなに速く走れることが分かった。残念ながらそれはおれではなかったが」という意味のことを述べたそうですが、この言葉にぼくは大変共感します。共感、と書くと、なるほど少しおかしいかもしれません。ですけれども、これと似たような発想はぼくにもあります。
世界には真理がある。あるいは、ほとんどの人間が到達できない高みというものがある。
多くの人間はその真理を究明したいと考えているし、より高いところへ昇りたいと思っています。ところが、それは誰にでもできることじゃない。そういうとき、悲しくなるわけです。自分はこの世に生を受けて、何もすることができない。何も成すことができない。いやそもそも、何かを成すことなど可能なのだろうか?そんなとき、誰かが、それは一人でもいい、とにかく自分以外の誰かが、いまだ見たこともなかったような頂きに到達する。ここに山があったぞ!こっちの方が高いぞ!ぼくはそれを見て、引き裂かれた気持ちになるのです。もちろん、うれしい。このような高みがあったのか、人生は、世界は、まだまだ捨てたものじゃないな、このようなことが可能なのだから。しかし一方で、つらい。というのは、それが自分ではなかったから。
「選ばれた人間」としか形容しようのない人間がいます。その他の人間は、恐らくこの世で偉大なことを成し遂げることができない。偉大なる幸福を得ることもない。しかしながら、巨人の到達した高みを見て、世界は生きるに値するのだ、と感じ取ることはできます。それがたとえささやかすぎる幸福であったとしても、ぼくはその巨大な足跡を見て、世界の豊かさを想像します。でも、それが自分でないことが残念であるという気持ちは根強く残ります。
巨人たちは、ぼくらのつつましい業績から思いがけない原石を発見して、それをダイヤモンドへと磨きあげるでしょう。ぼくにはそれくらいの手助けしかできない。自分が巨人でなくて残念だ・・・という怨恨感情を抱きながら、やるせない時を送るのは苦痛です。
世界の美を我が手でつかみ取る人がいる。その光景を羨望して世界の美を想像する人たちがいる。後者を肯定的に語る思想をぼくは持ちたい。自分でなくて残念だ、と思うのではなくて。
一年の最後の日にこんなことを書いてしまい、自分でもいかがなものか、と思いますが、なかなか悩みの種はつきません。来年は、「肯定する思想」に出会えたらいいな。ということで(?)、皆様よいお年を。