ドラゴンボールの実写版がもうすぐ公開されます。
CMで少しだけ観ましたが、あれだけでは判断つきません。でもたぶん、設定を借りただけの作品になっていると思います。
ぼくは、それはそれで構わないと思っています。でも、大事な部分だけは変更しないで欲しいとも願っています。ハリウッドが作ると、惚れた腫れたの映画になってしまいそうで怖いです。戦う理由として、地球を守りたいからとか、ある女性を守りたいからとか、そういうものが大きくなってくるのは仕方のない面もあります。娯楽映画ですからね。しかし、ドラゴンボールを映画にするのなら、そのような陳腐な理由だけにはして欲しくないのです。
ドラゴンボールで次第に明らかになってくるテーマというか、一つの強烈な感情があります。それは、「誰よりも強くありたい」という悟空やベジータの気持ちです。とにかく相手に負けないこと。守りたいものがあるから戦うというのはその通りです。しかしそれは建前に過ぎません。本当は、その敵と戦って勝ちたいのです。とにかく負けたくないのです。だから戦うのです。これはひょっとしたら危険な思想かもしれないのですが、でもこんなに純粋な気持ちは、他に滅多にあるものではありません。偉そうな理由をつけて戦う凡百のヒーローよりも、ドラゴンボールのキャラクターたちの方が、よほど輝いて見えます。
悟空は相手の命を絶つことに執着しません。むしろ情けをかけます。けれどもそのことを巡りベジータと対立します。ドラゴンボールにおいて、この殺生のテーマは段々と浮かび上がってきます。あるいは、「悪」を巡るテーマと言ってもよいかもしれません。どういうことかというと、鳥山明が最後に辿り着いた結論は、絶対悪なら殺しても構わない、ということなのです。それはブウ編で象徴的に描かれています。加えてドラゴンボールの後の作品『カジカ』でもそのテーマは前景化しています。しかし逆に言えば、少しだけでも「善」があるのなら、殺してはならないのです(そして普通の人間には必ず「善」がある)。
だからぼくはハリウッド版が、無闇に無辜の市民が殺されたり、または悟空が誰か愛するようになった女性を守るために戦いを始める展開に流れ込むことを恐れています。そうなってしまったら、それはもうドラゴンボールではありません。確かに漫画でも地球人はあっけなく殺されてしまうので(たとえ生き返るにしても)映画にばかり奇麗事は要求できないのですが、でも映画には漫画で深められた悪についての考察を出発点にして始めて欲しいのです。ちなみに、漫画では最後まで悪だったのはフリーザくらいですよね。セルは微妙なので(というのは彼も単純に悟空よりも強くありたいと願っているだけのように見えるから)。純粋悪のブウは善人に生まれ変わりますし。
単なるアクションもののメロドラマにはなって欲しくないです。
CMで少しだけ観ましたが、あれだけでは判断つきません。でもたぶん、設定を借りただけの作品になっていると思います。
ぼくは、それはそれで構わないと思っています。でも、大事な部分だけは変更しないで欲しいとも願っています。ハリウッドが作ると、惚れた腫れたの映画になってしまいそうで怖いです。戦う理由として、地球を守りたいからとか、ある女性を守りたいからとか、そういうものが大きくなってくるのは仕方のない面もあります。娯楽映画ですからね。しかし、ドラゴンボールを映画にするのなら、そのような陳腐な理由だけにはして欲しくないのです。
ドラゴンボールで次第に明らかになってくるテーマというか、一つの強烈な感情があります。それは、「誰よりも強くありたい」という悟空やベジータの気持ちです。とにかく相手に負けないこと。守りたいものがあるから戦うというのはその通りです。しかしそれは建前に過ぎません。本当は、その敵と戦って勝ちたいのです。とにかく負けたくないのです。だから戦うのです。これはひょっとしたら危険な思想かもしれないのですが、でもこんなに純粋な気持ちは、他に滅多にあるものではありません。偉そうな理由をつけて戦う凡百のヒーローよりも、ドラゴンボールのキャラクターたちの方が、よほど輝いて見えます。
悟空は相手の命を絶つことに執着しません。むしろ情けをかけます。けれどもそのことを巡りベジータと対立します。ドラゴンボールにおいて、この殺生のテーマは段々と浮かび上がってきます。あるいは、「悪」を巡るテーマと言ってもよいかもしれません。どういうことかというと、鳥山明が最後に辿り着いた結論は、絶対悪なら殺しても構わない、ということなのです。それはブウ編で象徴的に描かれています。加えてドラゴンボールの後の作品『カジカ』でもそのテーマは前景化しています。しかし逆に言えば、少しだけでも「善」があるのなら、殺してはならないのです(そして普通の人間には必ず「善」がある)。
だからぼくはハリウッド版が、無闇に無辜の市民が殺されたり、または悟空が誰か愛するようになった女性を守るために戦いを始める展開に流れ込むことを恐れています。そうなってしまったら、それはもうドラゴンボールではありません。確かに漫画でも地球人はあっけなく殺されてしまうので(たとえ生き返るにしても)映画にばかり奇麗事は要求できないのですが、でも映画には漫画で深められた悪についての考察を出発点にして始めて欲しいのです。ちなみに、漫画では最後まで悪だったのはフリーザくらいですよね。セルは微妙なので(というのは彼も単純に悟空よりも強くありたいと願っているだけのように見えるから)。純粋悪のブウは善人に生まれ変わりますし。
単なるアクションもののメロドラマにはなって欲しくないです。