思い返せば、ぼくのアニメ熱が最高度に高まったのは、2001年から2004年にかけてだったような気がします。
2001年の初夏には、「宮崎駿・漫画映画の系譜 1963-2001」という上映会が恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館で開かれ、そこでは宮崎駿が演出に関わった全ての作品(つまり東映動画や初期のテレビアニメからジブリまで)が上映されました。そして、今でも覚えていますが、視聴料金はどれもたったの600円だったのです!安い!
ぼくはここで『ホルス』を初めて観ましたし、また公開当時は劇場へ行けなかった『ナウシカ』や『ラピュタ』や『耳をすませば』などを観ました。とりわけ『耳』を巨大スクリーンで初めて観られた感動はあまりにも大きく、ぼくは文字通り失神しそうになって、気が遠くなりかける中で本当に意識を失ってしまうのを半ば覚悟しながら観たものです。
それから2003年には海外の短編アニメーションに開眼し(というか目を啓かされた)、2004年の『ハウル』でぼくのアニメ熱は燃え上がりました。2005年からは、しかし次第にその熱情は下火になっていったような気がします。いや、2005年や2006年はまだ2002年・2003年並みに盛り上がっていたと思いますが、その、傾向としては下り坂だったかなあ、と。
そんな感じで2012年2月29日です。
今日は大雪でしたね。
2001年の初夏には、「宮崎駿・漫画映画の系譜 1963-2001」という上映会が恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館で開かれ、そこでは宮崎駿が演出に関わった全ての作品(つまり東映動画や初期のテレビアニメからジブリまで)が上映されました。そして、今でも覚えていますが、視聴料金はどれもたったの600円だったのです!安い!
ぼくはここで『ホルス』を初めて観ましたし、また公開当時は劇場へ行けなかった『ナウシカ』や『ラピュタ』や『耳をすませば』などを観ました。とりわけ『耳』を巨大スクリーンで初めて観られた感動はあまりにも大きく、ぼくは文字通り失神しそうになって、気が遠くなりかける中で本当に意識を失ってしまうのを半ば覚悟しながら観たものです。
それから2003年には海外の短編アニメーションに開眼し(というか目を啓かされた)、2004年の『ハウル』でぼくのアニメ熱は燃え上がりました。2005年からは、しかし次第にその熱情は下火になっていったような気がします。いや、2005年や2006年はまだ2002年・2003年並みに盛り上がっていたと思いますが、その、傾向としては下り坂だったかなあ、と。
そんな感じで2012年2月29日です。
今日は大雪でしたね。