Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

アニメ熱

2012-02-29 22:49:32 | アニメーション
思い返せば、ぼくのアニメ熱が最高度に高まったのは、2001年から2004年にかけてだったような気がします。

2001年の初夏には、「宮崎駿・漫画映画の系譜 1963-2001」という上映会が恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館で開かれ、そこでは宮崎駿が演出に関わった全ての作品(つまり東映動画や初期のテレビアニメからジブリまで)が上映されました。そして、今でも覚えていますが、視聴料金はどれもたったの600円だったのです!安い!

ぼくはここで『ホルス』を初めて観ましたし、また公開当時は劇場へ行けなかった『ナウシカ』や『ラピュタ』や『耳をすませば』などを観ました。とりわけ『耳』を巨大スクリーンで初めて観られた感動はあまりにも大きく、ぼくは文字通り失神しそうになって、気が遠くなりかける中で本当に意識を失ってしまうのを半ば覚悟しながら観たものです。

それから2003年には海外の短編アニメーションに開眼し(というか目を啓かされた)、2004年の『ハウル』でぼくのアニメ熱は燃え上がりました。2005年からは、しかし次第にその熱情は下火になっていったような気がします。いや、2005年や2006年はまだ2002年・2003年並みに盛り上がっていたと思いますが、その、傾向としては下り坂だったかなあ、と。

そんな感じで2012年2月29日です。
今日は大雪でしたね。

入試問題にチャレンジしてみた

2012-02-28 23:33:56 | お仕事・勉強など
「以前は移民社会とその出身国とは分断されてしまっていたが、現在では様々なメディアを用いることで両者の間に絆が復活し、地理的条件に依存しない社会が形成されている。」(79文字)

2012年の東大の英語の要約問題をいま解いてみました(今朝の朝日新聞に問題と解答が載っていた)。どんなもんでしょうね。標準的なレベルの英文とはいえ、けっこう厳しい。ぼくは英語が不得手なので、もっと意識的に勉強しないといけないかもなあ。もっとも、その前にロシア語だけどね。

あれ、苦労した割には短い記事になってしまった。なんか損だな。というかこのエントリは誰得だったんだ?

d-laboはこちらです。

2012-02-27 23:54:22 | アニメーション
メディア芸術祭で短編アニメーションを見てきました。
ミッドタウン7Fの「d-labo」というスペース。ここはシアターではなくて、なんかコミュニケーションスペースっぽい場所で、大型テレビに映し出される作品を視聴。シアターではないので、出入りが激しく、また人はやむを得ずテレビの前を通ることになる。部屋も完全に暗いわけではなく、ブラインドを下ろしただけなので、そのブラインドの隙間から漏れる外の光がテレビの液晶に反射しているのが少し気になる。映写スタッフが頻繁にテレビ画面を覗き込むのもなぜか気になる。受付が頻繁に「d-laboはこちらです」と言う・・・というふうに、落ち着いて鑑賞できる環境ではありませんでした。そしてたぶんそれを狙っていない。では何を狙っているのか、ということを考えるのはめんどいのでやめにして、作品の感想。

3時間20分ほどの長丁場だったので、上映された作品数も多いのですが、印象に残ったのは少なかったです。

植草航「やさしいマーチ」
前作よりも洗練されているように感じました。タイプは基本的に同じですが、「日本的なもの」を鮮烈に表現しえています。相対性理論の「♪パラレルパラレル」という耳に残る旋律もいい。端的に言って、ぼくはこれを「新しい」作品だと思ってしまった。日本的なある種のポップさを、いわゆる「n次的」に加工し、「作者性」を消し去ったキャラクターデザイン、日本アニメ的なポップで洗練された作画の影響関係性(誰の影響を受けているのかという推測行為が可能であること)、そういった諸々のことは、この作品の「独自性」や「新奇性」を本来覆い隠してしまうものですが、それにもかかわらず、ぼくにはこの作品がとても新しく思えました。それは、この作品の作者がそういったことに極めて自覚的であろうと思われるから、というのも理由の一つなのでしょうけれども、たぶんそれが最大の理由ではない。スタイリッシュでスピード感溢れる作画と斬新な演出が、有無を言わせずに「これまで見たことのなかったもの」を見ているような感覚もしくは錯覚を植え付けているのかもしれない、というのも理由の一つなのかもしれないけれど、あくまで一つに過ぎない。では何が何故これほど新しいのか。これは極私的な感想に過ぎませんが、その理由は物語のムードにあったような気がしています。破滅的で且つ楽観的にも思える、ハチャメチャな物語。ぼくにはその物語のムードが、なにか現在の日本のムードに、あるいは現在のぼく自身の心のムードに、即応していたような気がするのです。明々とした破滅感、とでも言いましょうか、どこか投げやりで、でもなぜだか楽観的で。希望なんて信じてないのに、自分が死ぬってことにも実感がない。そういう、いまいち言葉にはしにくいことを、まことに日本的な手法で描破してしまった。とてもいい作品でした。

椙本晃佑「これくらいで歌う」
実は今日、ぼくは朝から気分が悪かったので、ひどくはじけた作品を見たいものだと思っていたのですが、それがこれ。前にも見たことがある作品ですが、何度見てもいいね。・・・感想短いですが・・・

折笠良「scripta volant」
今回のメインディッシュ、ですかね。これがオオトリでもよかったなあ。
素晴らしい作品であるとともに、アニメーションというものについて考えさせられてしまう作品。
題名の意味は、「飛ぶ文字」ということですが、この作品はただひたすらオスカー・ワイルド「幸福な王子」の英語テキストを、もちろん英語の朗読と共に画面に映し出します。テキストの文字は手書きで、左から右へ、上から下へと書かれてゆき、画面が文字で満たされると一行目が消されて(黒い痕跡は残る)上書きされてゆく。それがしばらくの間ずっと続きます。そして基本的にはこのシステムは最後まで変わりません。時折り文字はその意味に合わせて翼を生やして飛び立ち(swallow)、上から落下したり(drop)、また図形を形作ったりもしますが、映像が物語内容を伝えることは基本的になく、ただ文字と朗読だけが、その役割を担います。極端なことを言うと、絵のないアニメーションです。したがってぼくらは単に「幸福な王子」という誰もが知っている有名な物語を再度読んでいる/聞いているに過ぎず、アニメーションを鑑賞していることにはならないのではないか?作品を見終えた後の恐ろしいほどの感動は、ワイルドの物語それ自体に感激したのであって、アニメーションはそこに全く干渉していないのではないか?・・・恐らく人はここでハーツフェルトの三部作(日本ではまだ2作しか公開されてないけれど)を思い出すでしょう。ハーツフェルトのマッチ棒人間のアニメーションもまた、その物語内容だけでぼくらを打ちのめしていたのではないか?もちろん、そうじゃない。たぶん折笠良やハーツフェルトの極めて消極的なアニメーションというのは、ぼくらの想像力というものを刺激するマッサージなんだと思う。最小限の情報のみを得て、ぼくらは映像を頭の中に作り出す。過剰な映像情報による押し付けではなくて、ささやかなマッサージによって作品と観客とによる豊饒なコミュニケーションが可能になっている。「scripta volant」を100人が見たとして、その映像イメージを100人が共有するとしたら、それは無理だと思う。各々によるイメージは全て異なり、異なっているけれども、その一つ一つが「scripta volant」足りえている。これはアニメーションの機能や可能性について考究を迫る非常に実験的な作品である一方で、既にしてその実験の達成でもある稀な例です。すばらしかった。

だるかった

2012-02-26 23:59:40 | Weblog
今日は久々にだるかったです。
巨大なゴムに押し潰されているような感覚。何年振りだろう、この感覚は。

11時に起床。
東京マラソンを見る。
12時50分頃昼食。
東京マラソンを見る。
14時半頃からいよいよだるくなり、横になる。
17時頃に自室にこもるが、依然だるいので居間で寝る。
19時夕飯。
もやさまを見る。
20時頃より横になる。
21時過ぎより自室でメールなどなど。
23時前に居間へ行き、お茶を飲んで、また自室。
23時過ぎにパソコンを開く。
今に至る。

こんな日だった。つまり、何もない日。
勉強したくてもできない日ってのは誰にでもある。ぼくの場合、それがたぶん少し普通の人よりも多いだけ。それだけ。
上のような(今日のような)日が1週間続くと、嫌になってくる。数週間続くと、将来を悲観し始める。ぼくはこれが2・3年ほど続いた時期があった。今でも、ときどきこんな日がある。

そういう日には何をしよう。何を考えよう。

そうしてぼくはブログを始めたのだったっけな。つらいときにこそ明るい話題を。いつも生真面目に小難しいこと暗いことを考えるなんてしたくない。そんなのは御免被る。ぼくはつらいときはつらいって言う方だけどさ、楽しいことがあったらそれもちゃんと伝えたいよな。きっとそうやって、ぼくらは人生の6月を乗り越えてゆく。だからぼくは、明日からはもっとしっかりやっていきます。

やみくろさんの歌

2012-02-25 23:51:42 | 音楽
【巡音ルカ】モーニンググローリー【ヘリくろ】


↑こちらは、歌詞はやみくろさんで、曲はヘリPさん。

【巡音ルカ】生命ツマリ症候群【やみくろ】


↑こちらは、歌詞・曲共にやみくろさん。

「モーニンググローリー」は、短い小品だけども、とてもいい。
「生命」の方は、とても「らしい」歌で、ぼくは好きだな。
どちらにもはっとする歌詞があって、この直截さ、この柔らかさ、この優しさが胸を打つ。

・・・・・・・・・・・
もう寝るつもりでいたんだけど、思いついて今年になって初めてやみくろさんの歌を聴いてみた。

日々の読書

2012-02-25 01:52:29 | Weblog
先月末に、ロシア語の本を読み始めたことを書きましたが、実は随分前に読み終わってました。結局、1日7~8頁程度読んだ計算で、150頁ほど。塵も積もれば山となるってわけだ。本当は1日に20頁くらいずつで、400頁くらい読めていればよかったのだけど、まあどうやらそれは無理らしい。継続させるには余裕を持たなければいけないからな。20頁が「余裕」に感じられるようになるには、どれほどの修練が必要なのだろう・・・

で、代わりに別の本(こちらは文学作品)を読み始めたのだけど、最初の4頁くらいで中断中。いや、なんか意味不明で・・・。全部でそれなりに分量があるので、先が思いやられます。という感じで気が進まないので、さっき別の文章(こちらは論文の類)を読み始めることにしました。これは全部で10頁くらいしかないので、あとたぶん比較的易しい文章のはずなので、いい気晴らしになるんじゃないかな。

で、明日か明後日は図書館に出かけて、きのう借りられなかった本を借りてこようって思ってます。もちろん日本語。そしてそれを例によってちびちび読んで、合間にロシア語の作品を読んで、そんな調子でだらだら一ヶ月くらい過ごそうかなと計画。この間に日本語の本は4冊読めればいいな。何にしようかな・・・明日借りてくるのは2冊の予定だから・・・

たまにはフランスの戯曲でも読もうかな。このあいだ戯曲集を買ったのです。

やれやれ、やる気を失くしている暇なんてぼくにはないんだけど、すぐにだれるので、気を引き締めたいものだ。いつも計画だけは立派に夢想できるんだけどなあ、こんなふうに。

4月8日は耳をすまそう

2012-02-24 14:15:25 | アニメーション
4月8日から、聖蹟桜ヶ丘駅で、列車接近メロディが映画『耳をすませば』の主題歌に変わるらしい。また同日、同駅の西口広場には『耳をすませば』をモチーフにしたモニュメント(地球屋をかたどっているそうです)がお披露目されるらしい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120223-00000093-it_nlab-sci

両方とも既に情報は得ていましたが(特にモニュメントに関しては企画したもーりさんご本人が先日このブログにコメントをくれましたね)、2月23日に正式発表されました。

4月8日。

この日何も予定が入ってなければ、ぼくも久々に聖蹟まで足を延ばそうかな。
ステキな日になればいいな。

HAVE A NICE DAY

ヤフェティードあるいはヤフェトあるいはヤペテ

2012-02-23 23:11:15 | 本一般
図書館へ出かけたら、休館でした。で、手ぶらで帰るのも癪なので、古本屋に寄ってきました。5冊で700円。そのうちの2冊に、珍しい本がありました(ちなみに共に100円)。

ブイコフスキー『ソヴェート言語学』
スピリドヴィッチ『言語学と国際語』

いずれも1930年代前半に書かれた本(出版時期は必ずしもそうではないけれども)。
ぼくは言語学には暗いのですけれども、この本は両方ともマール(マル)言語学を取り上げており、それで購入を決めました。

ニコライ・マールという人は、ソ連の謂わば御用学者であり、「スターリン時代の悪のシンボル」(亀山郁夫)として覚えている人がいると思う。マールがまだ生存している時代に、その言語学の解説書が邦訳されていたことは今日初めて知ったのだけど、現代ではマールの言語学はほとんど忘れられているかもしれない。もっとも、ヤグェーロ『言語の夢想者 十七世紀普遍言語から現代SFまで』や、田中克彦『「スターリン言語学」精読』などはマールの言語学にも触れていて、完全に忘れ去られたわけではないのだろうけれども。

マールの唱えた学説は、ヤフェティード言語学あるいはヤフェト言語学(またはヤペテ言語学)と呼ばれていて、それは1930年前後に西側で主流だった比較言語学に反駁するものだった。比較言語学においては、言語は様々に分岐して発展してゆくものであるのに対して、ヤフェティード言語学においては、言語は究極的に単一の言語へと収斂する。意味論や民族性との関わりなど、ヤフェティード言語学には興味深い問題が詰まっているのだけど、ここで重要なのは、「単一の言語」という発想。

亀山郁夫『熱狂とユーフォリア』という大著もこの発想について言及しているわけですが、実のところ亀山先生のご登場を待つまでもなく、単一の言語という着眼はフレーブニコフの言語観と通底するものがあるのは明らかであり、もっと言うならば、何人かのアヴァンギャルド芸術家はこのマールの言語学に魅せられてさえいたのだ。

例えばレニングラードのアヴァンギャルド詩人トゥファノフもその一人であり、フレーブニコフやマールの影響の下に、自らの詩論を組み立てている。ちなみにこのトゥファノフの大きな影響下にあったのがまだ駆け出しの詩人ハルムスであり、あるスイスの有名な研究者は、彼の初期の詩行にヤフェティード言語学の反響を聞き取っている。

このように、マールとアヴァンギャルド詩人たちとの直接的・間接的繋がりは真面目な考察の対象になっていると言ってよく、実際、ロシアでは既にそうした論文がものされている。興味深いことに、このマールの息子がアヴァンギャルド詩人のユーリー・マールであり、彼は昨日このブログに書いたばかりの「41度」グループと近しい若者だった。

スターリンに支持され、後に批判された悲劇のヤフェティード言語学は、確かに「悪のシンボル」という側面もあるのだけど、でもアヴァンギャルド研究という視座から見れば、それは興味深い光を放っていたりもする。その光彩を仔細に見るのは、ソ連時代を直接的には知らないぼくらの世代の役目なのだろうな、という気はしている。

Russian Futurism

2012-02-23 00:47:49 | 文学
Markov, Russian Futurism (1968).
という本を買ってしまった。朝目が覚める前から、勃然としてこの本が買いたくなり、覚醒したときにはもう欲しくて堪らなくなっていた。
この本には、クルチョーヌイフらが所属した「41度」グループについて割合詳しいことが書かれているらしい、という情報をこれまでに得ていたので、確かに前々から気にはなっていたのだけども、なぜ今日、なぜ急に、居ても立ってもいられなくなったのかは分からない。

「41度」グループは、日本ではあまり知られていないけれども、しかし大石雅彦『彼我等位』という本で概要を知ることができる。このグループには、クルチョーヌイフの他にイリヤズド(すなわちイリヤ・ズダネーヴィチ)、テレンチエフらが参加し、詩的実験を行った。クルチョーヌイフはロシア未来派(つまりRussian Futurism)の頭領のような人物であるけれども、イリヤズドは後にパリに渡り、かのトリスタン・ツァラと協同してロシア未来派の詩的果実である「ザーウミ」を伝達した。テレンチエフはレニングラードでそのザーウミを研究し、ゴーゴリ原作の『検察官』を上演した。これはまことに前衛的なもので、一部から非難を浴びたが、「ザーウミ」を拒絶するグループ「オベリウ」によって、擁護されることになる。その「オベリウ」の演劇が上演されたのは、テレンチエフの「検察官」の数ヵ月後、全く同一の舞台においてだった。

というふうに、「41度」グループのメンバーについては少々知っているのですけれども、肝心のこのグループの活動内容や、その創作については無知なので(『彼我等位』で説明されている他は)、もっと知りたかったのです。もっとも、上記の本は1968年の本なので、記述が古い可能性もあるのですが、基本的な事実関係は押さえられるだろうし、また古典的な名著っぽいので、やはり一読の価値はあるだろうなと思いました。ニコーリスカヤという研究者も「41度」グループに関わる論文を幾つか書いているので、そちらも併せて読めれば理想的。

希望的観測を述べてみましたが、これらは外国語なので、そうそう簡単に読めたり理解できたりはしないのである。ちっ。

収穫

2012-02-19 23:35:55 | 文学
購入した本。

1、稲垣足穂『ヰタ マキニカリス』ⅠⅡ・・・計900円
2、イヴ・デュプレシス『シュールレアリスム』・・・300円
3、『ダダ・シュルレアリスムを学ぶ人のために』・・・800円
4、『ユリイカ 特集ロシア・アヴァンギャルド』・・・300円
5、『怪奇小説傑作集』1~4・・・各300円
6、水野忠夫『囚われのロシア文学』・・・100円
7、『ロシア・アヴァンギャルド1910-1930』・・・2500円
8、ボウルト編著『ロシア・アヴァンギャルド芸術』・・・2900円
9、『メイエルホリド 粛清と名誉回復』・・・2000円

以上13冊、およそ1万円はたきました。
5番は、第5巻(ドイツ・ロシア編)だけ長年所有していたのですが、ついに全巻揃えました。バラ売りで且つ全巻揃っていて、更に1冊300円だったので、今しかないなと。

ブローン『メイエルホリドの全体像』も買おうかなと思ったんですけど、ちょっと考えてやめました。水野忠夫『マヤコフスキイ・ノート』も買おうかなと思ったんですけど、たしか改版が出ていたなと閃いて、やめました。トフストゴーノフ(だっけ?)の『三人姉妹』演出ノートも買おうかなという考えが頭をかすめましたけど、結局やめました。『ベケット大全』も買おうかなと思ったんですけど、思い直しました。

そんなわけで、購入を断念した本も幾冊かあるものの、まずまず満足のいく買い物ができたと自負しています。9番の本は、もちろん未読で、その存在すら知らなかったのですが、さきほどamazonで検索してみたらヒットしました。なんだ、それほど希少価値が高かったわけではないのですね・・・。

これから積極的に関連書籍を集めていこうかな。

20世紀ロシア文学史の教科書

2012-02-18 01:02:11 | 文学
『20世紀ロシア文学』(モスクワ、2011年)というロシア文学史の参考書がロシアで出ています。

目次
序論:ロシアの20世紀
1章:シンボリズム
2章:アクメイズムの歴史と詩学
3章:ロシア未来派の詩
4章:ロシア・イマジニズムの歴史と詩学
5章:構成主義
6章:「セラピオン兄弟」
7章:オベリウ:歴史と詩学
8章:社会主義リアリズム
9章:現代文学のプロセス(1990年代~21世紀初頭)
10章:ロシア亡命文学
11章:ロシア・ポストモダニズム
12章:20世紀末~21世紀初頭における大衆文学の現象

以上のような内容です。
日本にもロシア文学史の教科書は何冊かあります。東大出版のものが定番ですが、10年ほど前には岩波文庫から、また数年前には早稲田大学の執筆陣によるロシア文学史の参考書が出ました。ただ、20世紀に的を絞った、しかも最新の研究成果を反映している文学史の教科書は、日本ではなかなか出版の機会がないようです。ロシアでは20世紀にのみ範囲を絞った文学史の教科書さえ何種類も出ており、やはりその多様性は日本とは比較になりません。まあ本国なので当然と言えば当然なのかもしれませんが、しかしそのうちの1冊くらいは邦訳してもよいのではないだろうか、と思うわけです。それで、訳すとしたらこれがいいのではないだろうか、と考えたのが上の本。

日本にも20世紀ロシア文学を紹介する好著がたくさんあるのは確かですが(例えば沼野充義先生の多くの著作や井桁貞義『現代ロシアの文芸復興』等々)、それらの多くは文学史の教科書として書かれているわけではないので、記述が著者の好みに偏っていたり、体系性に欠けていたりします。もちろんそういった点こそがその本の魅力でもあるわけですが、20世紀ロシア文学を本格的に学ぼうとする若者にとっては、必ずしも「最適の入門書」にはなりません。これまで20世紀ロシア文学を勉強してきた人たちは、したがって外国語で学んできたわけです。それは大変すばらしいことですが、しかしもし日本語で文学史を体系的に学ぶことができたら、という願望がぼくにはあります。翻訳があってもなくても研究者であればどうせ外国語で多くの本を読んで勉強しなければならないとはいえ、その前段階にいる若者たちには、もうちょっと日本語で知識を提供してあげた方がいいのではないだろうか、と考えます。これは、ひいては20世紀ロシア文学を研究したいという若者を育てる土壌になりえます。

上記の本を選んだ理由は、これまでの日本ではあまり知られていないけれども重要な文学一派である「イマジニズム」「セラピオン兄弟」「オベリウ」が入っており、また21世紀にまで目配りしてあるからです。更に分量が適量であること(少なすぎず多すぎず)。当然この本にも欠点というか記述が不足している項目がありますが、しかしシンボリズムからポストモダン、更には21世紀の現在まで一望できる教科書が日本語で読める、というのはとてもありがたいんですよね。

文学史の教科書は、学生のみならず一般の人たちにも手に取ってもらえるでしょうし、それなりに需要はあるような気がするのですが、やはり翻訳は難しいのかなあ。原著は2011年刊なので、訳すなら早ければ早い方がいいと思うのですが。5人くらいで分担してやればすぐですよ(たぶん)。

臥せっていた

2012-02-14 22:23:32 | Weblog
流行りの風邪にやられて・・・というわけではないのですが、ともかくダウンしてました。
今日になって熱が36度台にまで回復。やれやれ。それにしても、これだけインフルエンザがショウケツ(ショウケツも出ないのかよ、このパソコンは!手書きも面倒なのでカタカナでいいや)を極めているというのに、ただの風邪だったとは、なんか乗り遅れてますねえ、ぼくは。もちろん、いいことだとは思いますがね。でも今はインフルエンザは薬さえ飲めば一発で熱が下がるので、かえって長く苦しい思いをしなくても済むんだよなあ。

最近は外出の機会も多く、疲れが溜まっていたのかもしれません。でもこんなに軟(やわ)だったかなあ。

そういえば、今年の秋にモスクワで「笑い学会」があるらしい。行ってみたいなあと思ったりする(ほとんど聞き取れないだろうけど・・・)。

ロシヤだよ チェホフだよ

2012-02-12 00:37:32 | 文学
『ロシアの憂愁 アントン・チェーホフ』という本が手元にあります。1989年に北海道で開催されたチェーホフ展のパンフレットです。もちろんぼくはこの展示会には行きませんでしたが、幸運なことに、2004年頃に入手することができたのです。

さて、このパンフレットには中本信幸氏のチェーホフに関する小文が載っていて、何気なくそれを見てみたら、宮沢賢治の詩の一節が紹介されています。

葦の穂は赤い
(ロシヤだよ チェホフだよ)
はこやなぎ しっかりゆれろ
(ロシヤだよ ロシヤだよ)

こんな詩があることは知りませんでした。日本におけるチェーホフ受容史を昔それなりに調べたことがあったのに、うっかりしてましたね。中本氏は、他にも中村草田男や伊藤整、尾崎翠らによるチェーホフへの言及を紹介しています。日本文学におけるチェーホフというテーマでは、このパンフレットにも文章を寄せている柳富子氏が権威だと思うのですが、芥川とチェーホフとの関係を分析した彼女の論文を拝読したことがあります。また、中本氏の著書に『チェーホフのなかの日本』というものがあり、兎にも角にも「チェーホフと日本」というテーマは日本人の興味をそそるようです。それだけチェーホフが日本で長く愛されてきたのでしょう。

チェーホフがサハリン島から帰還する際、日本にも立ち寄る予定であったことは、比較的よく知られている事実です。日本では当時コレラが流行っていたことから、結局この計画は頓挫し、遂にチェーホフが日本の地を踏むことはありませんでしたが、しかしサハリン島でチェーホフは日本人の外交官と親しくしていた(一緒にピクニックにも出かけた)そうです。

それにしても、宮沢賢治はチェーホフのことをどのように考えて上記の詩を書いたのでしょうね。1989年のパンフレットの題名には「ロシアの憂愁」という言葉が冠せられていますが、やはり憂愁の、絶望の、黄昏の詩人としてイメージしていたのでしょうか。日本におけるチェーホフ観は、時代が移り変わるにつれて様々に変化していっていますが、賢治はどう思っていたんだろうな。この詩が書かれたのは1921年。1925年には築地小劇場で小山内薫演出の『桜の園』が上演されていますが、それはモスクワ芸術座を踏襲した、悲劇的なものだったようです。チェーホフの死後、シェストフの有名なチェーホフ論(チェーホフを「絶望の詩人」とみなす)を始めとして様々なチェーホフ・イメージが日本に輸入されましたが、その多くがシェストフ流の虚無的な作家像を定立したものでした。賢治がそのような潮流の中にあって尚、独自のチェーホフ像を思い描いていたと考えるのは少し難しいかもしれません。

ただおもしろいのは、やはり「ロシヤだよ チェホフだよ」という一節。賢治はチェーホフのことを身近に感じていたのかなあ。

大学生活

2012-02-11 00:56:30 | お仕事・勉強など
ぼくは依然として大学に籍を置いているため、研究室のメーリングリストで学部生からのメールを受け取ったりします。すると、大概の場合、難読漢字や普段あまり用いられないような単語が平気で使用されているんですよね。大学院に入りたての学生のメールにもこの特徴は共通しています。要は、20歳そこそこの青年のメールというのは、何か生硬で堅苦しくぎこちないんですよね。

思えば自分も当時はそういう傾向がありました。大学に入ったばかりの頃などは、サークルの部誌に妙に小難しい表現を使って文章を書いていました。たぶん大学3年生くらいの頃がピークだったでしょうね。しかしそのうちぼくの文章は平易になってゆき、一般的に言って難しい言葉はなるべく使わなくなりました。

高校1年生のときからニーチェやキルケゴールなどを読んで、難解な語句(いわば「大人の哲学者/文学者」の言葉)を習得してゆき、その蓄積が一定の形になったのが大学の学部時代だったのでしょう。今から思えば変な気がしますが、例えば「桎梏」とか「畢竟」とか「陋劣」とか、使う必要もない文脈で、無闇にぼくはこういった言葉を用いていました。「畢竟」などは別に難しい言葉ではないし、論文の中ではしばしば用いられる単語ですが、しかし文脈を弁えなかったのですね、ぼくは。

鼻もちならない学生だったと思いますよ。どうしてこのような言葉使いをしていたのだろうと考えますと、たぶん、第一に背伸びをしたかったというのがあるでしょうね。つまり、いっぱしの文学者気取りでいたのでしょう。文学者というのは、その言葉の最も広い意味におけるそれで、つまりは(畢竟!)文学をやっている人間、という程度の意味です。当時ぼくは文学サークルに所属していましたから、難しい言葉を用いるのが当然だと考えていたのですね。周りを見渡しても、「文学を志している」ということが何故だかあらゆることの免罪符であると考えている偏った思考の学生がいたように思います。

第二に、その時分に読んでいた本の影響があるでしょう。まだ古典を多く読み漁っていた時期だったので、翻訳も含めて文章が古典特有の端正さを備え、且つ流麗で格調高かったのだと思います。ぼくは感化されやすいからなあ。

それはそれとして。もう一つ別のことを書く心算でいたのでした。
輪読について。
大学の授業や勉強会などで、ある文献を輪読することが儘あります。授業であれば仕方ないのでやりますが、しかしもしも有志で何か特定の文献を読む、となった場合、ぼくは基本的にその勉強会には参加しません。というのは、モチベーションを保てないからです。自分にとって最重要文献かそれに次ぐ程度の重要度の文献でない限り、定期的に勉強会で輪読しようという気にはとてもなれません。それをするくらいなら、自分の勉強をしていたい。要するに心に余裕がないわけです。気持ちにも時間にもゆとりがあれば、自分の勉強の時間を割いて別の文献を吟味するのも可能だと思うのですが、ぼくにはそれがない。家にいるときずっと勉強しているはずがないので、心に余裕さえあればできるんですけどね。

もし自分が輪読するとすれば、その対象となる文献はかなり絞られてきます。そして共に読んでゆくメンバーもかなり絞られるでしょう。というか、ほとんどいないな。20-30年代のロシア文学/文化を研究している人(同世代がいい)か・・・。テキストは・・・。

煙草の害について

2012-02-10 00:00:42 | 文学
三谷幸喜が朝日新聞のエッセイで書いていたのだけど、30年ほど前に紀伊国屋ホールでチェーホフに関する座談会があったらしい。そこで誰かさんと誰かさんと誰かさんによるなんらかの座談会が行われたとのこと。三谷氏の印象には全く残らなかったみたいだけど、いったい誰による座談会だったのか、ロシア文学畑にいる人間にしてみれば気になるところ。何人か候補はいるけれども、決め手がない。30年前の座談会か、ネットで調べたら見つかるかな。もしも気が向いたらいちおう検索してみるだけしてみようかな。気が向いたらね。

座談会のほかに、チェーホフの『煙草の害について』が上演されたそうだ。これは三谷氏も述べているように、脱線に次ぐ脱線が非常におもしろい作品で、本筋とはまるで関係ないことに話が終始する。講演のため壇上に立った男性が、「煙草の害について」という題目で話をするはずが、いつの間にか家庭内の愚痴をこぼし始める、という筋立て。その愚痴は段々エスカレートしてゆき、どこか人生の悲哀すら感じさせるところはやはりチェーホフらしい。

ところで、このような脱線の手法は既にヨーロッパを始めとして過去の作品にも見られたもので、スターンの小説がその代表例に挙げられると思うのですが、チェーホフの場合はかなり意識的にこの手法を用いているところが、20世紀の実験小説にも連なる精神性を垣間見させる。もっとも、チェーホフ本人にしてみれば、実験精神というよりは、喜劇の可能性を探求した結果なのかもしれないけれど。要するに期待のはぐらかしという古典的な手法を過激にラディカルに用いたのがこの作品。

ぼくは大学に入ったばかりの頃、いつも鞄にこの作品のコピーを入れて持ち歩いていました。暗記してやろうかなと考えたこともあるくらい、この作品が好きです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どろどろの感情を吐露する場として、別のブログを作ろうかなと、ときどき夢想したりする。今のところ実現していないし、実現しない方がいいんだろうけれど、それでも夢想する。残酷な想像はいつも甘美だ。自分の死を空想するトム・ソーヤ少年を思い出す。