Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

ついにchromeユーザーに

2014-04-29 22:50:52 | Weblog
これまでもときどきchromeは使ってきましたが、今回のIEの件で、完全にchromeに移行することにしました。

で、今日の昼間から色々試しているのですが、なるほどこっちの方がずっと使いやすいかも。もっと早くにchromeにしてた方がよかったかなあ、と思えるくらい。

そんなわけで、ぼくも今日からchromeユーザーです。

IEは長年使ってきたから愛着があるのは確かですが、でもな・・・別れなければならないのだ。別れるのがつらいと言うより、出会ってしまったことが辛いですね・・・。さらば。友よ。

丸6年

2014-04-28 23:41:04 | Weblog
2008年4月13日に第一回目のブログ更新をしているので、今年の4月13日でブログを続けて丸6年になりました。6年と言うと、3月まで幼稚園生だった子が中学生になってしまうくらい長い長い期間です。それでも6年前のことは比較的よく覚えています。だからあっという間という気がします。

6年間ブログを書き続けてきた間、後から記事を削除したことはなかったと思うので(たぶん)、そのときぼくが感じていたことごとが、このブログにはそのままの形で残されています。ぼく自身が過去の記事を読み返すことはほとんどないのですが、何かの折に誰かが(あるいはぼく自身が)過去の記事に目を留めて、自分にとってためになる何かを感じ取っていただけたら、ものすごくうれしいです。

実を言えば、このブログは4月でやめようと思っていました。
この6年でぼく自身はそんなに変化しませんでしたが、取り巻く環境は少しずつ変わり、また3月末には大きな出来事もありました。ブログを書き始めた頃のぼくであれば、その「大きな出来事」の仔細を綴ったでしょうが、今のぼくはそれをするつもりはありません。理由の一つには環境の変化があり、もう一つには、まさにその「大きな出来事」の性質があります。

まあしかし、4月に入って改めてブログを続けることにしました。
今の自分には何もできない、という諦念がどっしりと胸の奥に居座っていますが、それでも何か書き続けなければならないという、ほとんど義務感に近いものがぼくを急きたてるからです。

ここには割と自分の率直な感情が吐露されているので、実際にぼくと何度も話したことがある人よりも、このブログを定期的に読んで下さる方の方が、たぶんぼくのことを深く理解して下さっていると思います。それがうれしいとぼくは思っています。自分を理解してもらえる道具を与えられていることに感謝し、そしてそれを活用できていることに安堵します。たぶんネットがなければ、ぼくは他者からひどく誤解され煙たがられたまま、暮らしていたことでしょう。いやそれは現状も変わらないかもしれませんが、それでも、理解してくれる人たちがいる、あるいは理解してくれる人が現れる可能性がある、と今は信じていられるので、随分気が楽です。

前にも書きましたが、ぼくはこの世界に「雫」はいると思っています。「聖司」はいると思っています。「思っている」と言うより、「知っている」と言った方が正確な気さえします。たとえ彼らがぼくの目の前に現れなかったとしても、いると断言します。いた。いる。いるだろう。かつて。いつも。これからも。

その確信があまりにも強いためにむしろぼくはブログをやめることにそれほど躊躇いはありませんでした。でも、また改めて自分のペースで続けていきます。

季刊誌

2014-04-27 00:13:28 | 本一般
1月に言及した古書店の月刊誌がいつの間にか季刊誌になり、6-7月頃に夏号を出したいみたいです。

春号は、ぼくがお店に数日間通い詰めて編集やら製本やらをお手伝いしてようやく出来上がりました。思考錯誤する部分が多かったのですが、代わりに「次はこうすればいいんだ」というのも分かりました。

当初の想定とはまるで違うものが出来上がってしまいましたが、まあ最終的には形になったかなと。

夏号は、テーマを設定しようか(店主は)迷っていらっしゃるみたいです。個人的には自由でいいんじゃないかと思っているわけですが、それよりも次は縦書きで書いてくれるように執筆者に頼んで欲しいと思っています。そっちの方が編集しやすい。

もっとも、編集と言っても特別なソフトを使うわけではないのですが。っていうか、夏号を編集するのは誰か未定ですが。ちゃんとした人(センスのある人)が編集した方がいいと思ってます(でもそれがなかなか見つからなかったのですが)。

ゴールデンウィークに

2014-04-25 23:19:57 | Weblog
分野の違う研究者・批評家の方とお会いすることになったので、その方の著書を拝読。専門や分野が違う方が、おもしろく感じる気がするのは文字通り気のせいなんだろうか。けっこう読みやすいこともあり、あっという間に読了。

近いうちに、今度はもう一人の方の著書も拝読する予定。こちらも分野が異なる研究者。

ところで、3日くらい前まで全然関係ない本を読んでいて、で、新たにこの本を読み終えて、意外なつながりが見えてきたのがおもしろかったです。いわゆる読書の醍醐味ってやつなのかもしれないけど、まるで違う事柄を扱っているはずなのに、しかし思いがけず重なる部分があって、しかもその二つの重なりこそ今の自分の最大の関心事だったりするわけです。関心があるからこそ、重なっているのが分かったとも言えると思います。

そんなわけで、読書っていうのは受動的じゃいけないんだなってことを再認識。自分でも考えていないと、大事なことに気付かない。そもそも大事なことが生まれない。

さて。明日と明後日は休日だけど早起きしないと。

きのうのつづき

2014-04-22 00:35:54 | 本一般
こんな親切な人もいるんだなあと思っていたら、今朝またメールが来ていて、なんだかよく分からないことをおっしゃっている・・・。

要は、お金を余分に受け取ってしまいましたってことを書いてきているんだけど、だからどうしてもらいたいとか、そういうことが一切書かれていない。

余分に受け取ってしまいましたって言われても、そんなこと言われても、どうしたらいいのか分からないよ。こっちの口座を教えてそれにお金を振り込んでもらうのも手ではあるけど、ちょっと心配だし、第一その余分なお金というのはたったの300円なのです。

だから、「最悪の場合は300円余計にお支払いしますから、できるだけ早く本を送って下さい」と書いてやりました。

たぶん300円損することになるけど、こんないい加減な仕事でいいんだろうか。どうしてこんなミスが起きたのか分からないとかメールで書いてきたけど、前回のメールでこの担当者は間違った合計金額を書いてきていたから、原因は自分だろうとツッコミたくなった。

ロシア語でお金の話をするのは神経使うしメール書くのも時間かかるので、もっと円滑な運営を期待したいものです。

とにかく早く送ってきてほしい。

割引

2014-04-21 00:34:27 | 本一般
先日、海外のネット書店で本を購入したのですが、そのうちの3冊は既に在庫切れであったにもかかわらずサイトに掲載され続けていたとして、お詫びのメールが先程届きました。つまり、その3冊は配送できません、ということです。

で、そのお詫びとして、配送料と残りの本の購入費を割引してくれることになりました。へえ、親切じゃないか。担当者はロシア人だったのですが、ロシア人からこんなに親切にされたのは・・・けっこうあるかな。

承知しましたという旨のメールを返したら、文字通り即座に返事が来て(送信エラーかと勘違いするくらい即座に)、「重ね重ねお詫び申し上げます」と書いてきました。う~む、ロシア人にあるまじき振る舞いだ。いやそんなことはないのかな。

今回買えなかった本は残念ですが、絶対欲しいと思っていた本はどうやら入手できそうなので、一安心。


今日は昨日より調子が悪かったけど、50ページ読めました(日本語)。

迎え入れる準備は整っていた

2014-04-15 23:17:08 | 本一般
先日、新海誠の小説が発売されたのですが、まだ購入してませんでした。本棚にスペースがなかったので、いまいち買う気が起こらなくて。でも、きのう色々と部屋を整理した結果、本棚にもスペースが生まれました。やっと新海監督の小説を迎え入れる準備ができたというわけです。そこで、今日大学からの帰りに購入しました。

すぐには読めないと思いますが、できるだけ早いうちに読んでしまいたいと考えています。

しばらくの間具合が悪かったのですが、ここ何日かで回復してきたので、ぼちぼち本を読んでいきたいですね。

なんかぼくがだらしないせいでたくさんの方々にご心配・ご迷惑をおかけしてしまっているので(たぶん見放してしまった人もいるんだろうな)、そういう方々に少しでも御恩返しできるように、また改めて歩き出さないと。

本当に調子悪いときとかあらぬ方向に向かっているときとかにも見捨てずに見守ってくれている方々こそ、大切にすべき人だと思うので、そういう方々を悲しませないためにもがんばらないといけない。がんばれない状態なのがもどかしいけど。

今日は疲れた。早めに寝よう。

雑感

2014-04-10 00:56:51 | Weblog
具合が悪かったりして更新できずにいました。

さて、話題のSTAP細胞について雑感。会見を見ていましたが、個人的に大きなポイントだと思ったのは、次の二点。まず、200回以上作成に成功したという点。次に、第三者が作成に成功しているという点。

これらの点に関しては、テレビで大学の先生などがコメントを出していました。またネットのニュースでもちらりと彼らのコメントを読みました。曰く、証拠がないから信用できない。

全くその通りだと思いますが、しかしピントが外れているとも思います。

そもそもいま問題になっているのは、STAP細胞があるかないかということです。しかし、それを証明したとされる論文に疑義が生じたために、その存在は白紙に戻ってしまったわけです。何かが存在することを証明するためには、客観的な証拠を挙げなければなりません。ネイチャーの論文はその証拠を揃えることができなかったので、STAP細胞の存在は証明されませんでした。ですが、不在を証明できたわけでもありません。ここには、「存在」のレベルと「証拠」のレベルという二つのレベルがあると考えることができます。

先の大学の先生らのコメントというのは、この証拠のレベルについてだけ言及していて、存在のレベルの話をしていません。証拠がないから存在しているとは言えないのだ、と主張したいのだと思いますが、しかし不在だとも言えません。つまり、彼らは何も言っていないに等しい。証拠がないから信用できない。確かにそうです。でもいま問題になっているのは、証拠のレベルの話ではなく、存在のレベルの話です。別様のコメントが可能だったのではないでしょうか。

例えば、ぼくは次のようなことを疑問に感じました。彼女は200回以上作成したと言っているけれども、これは明らかに数日で作成できると言っているのと同じです。ところが理研はSTAP細胞が作成できるか調査するには1年かかると言っています。どういうことでしょうか。200回作成したと言うけれども、どの工程から始めてどの工程で終えているのか。同じ作業で200個作成したということなのか。

また、STAP細胞の作成に成功した第三者がいるということですが、世界中の研究者で発見者以外に誰も作成できていないとされる中で、どうしてその人だけが成功したのか、これは非常に素朴な疑問です。いわゆるコツをその人にだけ伝授したのか。もしそうならなぜその人にだけ伝授したのか(その人はインディペンデントではなく身内ではないのか)。なぜその人は成功したことを公表していないのか。

こういった疑問は誰にでも浮かぶはずなのですが、なぜか追及されていません。そうではなく、証拠のレベルの話にすり替わってしまっています。

証拠がないというのは、今更分かり切った話です。ぼくも、今回の会見を聞くまでは、どうやらこの人はとてもずさんな研究をしていて、STAP細胞というのも、そのずさんな研究の結果、誤ってES細胞などが混入してできてしまったものだろうと考えていました。しかし、今日の会見を見てみて、200回以上成功している、第三者が成功しているというのを聞いて、おやと思いました。とりわけ第三者の成功というのはとても大きなことです。というのも、その人の実験ノートを見れば、全て解決する可能性があるからです。また、200回以上作成したという実験も、ノートが残されているかもしれません。そういう点について言及してほしいのに、なぜか記者はあまり重要と思えないことを聞くし、コメントを求められた先生も証拠のレベルの話をしてしまう。

証拠がないから信用できないと切り捨てるのではなく、例えばその第三者に実験ノートの提出を呼びかけるとか、色々できたと思います。


ここまでが1つの話題。
他にもたくさん言いたいことはありますが、長くなりすぎるので手短に。
「悪意」という言葉について様々なことが言われていますが、科学の世界では悪意の有無は問題ではなく、故意にやったかどうかが問題なのだと科学者は主張しています。したがって、故意に画像を変えた行為は改竄であると。しかし、どうやら理研の規定では「故意」ではなく「悪意」という言葉が使われているようです。そうなると、事情が違ってきます。研究所が「悪意」という言葉を選んだこと自体が厳しく問われるべきではないでしょうか。なぜ「故意」ではなく「悪意」だったのかと。もし科学の世界では「悪意」という言葉が意味を為さないのだとすれば(多くの科学者がそうコメントしているように)、どうして理研はわざわざその言葉を用いているのでしょうか。不思議です。

それから任命責任。どうやら随分ずさんな研究をしていたことが今回明らかになりました。ところが、ユニットリーダーに任命されてしまっているわけです。一体どうなっているのでしょうか。業績を残しているからだと思います。その業績の中味までは精査されないのでしょう。

バカンティ教授について。この人についての報道がほとんどなされていないことがすごく引っかかります。かなりのキーマンなはずなのですが。彼の実験ノートを見れば色んなことが分かるんじゃないかって、素人ながら思うわけです。


STAP細胞はないものと決めつけて攻撃的に質問・報道する人、いやSTAP細胞はあるのではないかと擁護するような発言をする人。どちらも情緒的すぎて、あまりよろしくありません。そうではなくて、今回新たに分かった幾つもの事柄に関して抱くはずの数々の疑問点を冷静に検証し、場合によったら取材する姿勢が欲しかったです。

会見での質疑応答やその後のニュースなどを見ても、自分の疑問は解決しませんでした。