2008年4月13日に第一回目のブログ更新をしているので、今年の4月13日でブログを続けて丸6年になりました。6年と言うと、3月まで幼稚園生だった子が中学生になってしまうくらい長い長い期間です。それでも6年前のことは比較的よく覚えています。だからあっという間という気がします。
6年間ブログを書き続けてきた間、後から記事を削除したことはなかったと思うので(たぶん)、そのときぼくが感じていたことごとが、このブログにはそのままの形で残されています。ぼく自身が過去の記事を読み返すことはほとんどないのですが、何かの折に誰かが(あるいはぼく自身が)過去の記事に目を留めて、自分にとってためになる何かを感じ取っていただけたら、ものすごくうれしいです。
実を言えば、このブログは4月でやめようと思っていました。
この6年でぼく自身はそんなに変化しませんでしたが、取り巻く環境は少しずつ変わり、また3月末には大きな出来事もありました。ブログを書き始めた頃のぼくであれば、その「大きな出来事」の仔細を綴ったでしょうが、今のぼくはそれをするつもりはありません。理由の一つには環境の変化があり、もう一つには、まさにその「大きな出来事」の性質があります。
まあしかし、4月に入って改めてブログを続けることにしました。
今の自分には何もできない、という諦念がどっしりと胸の奥に居座っていますが、それでも何か書き続けなければならないという、ほとんど義務感に近いものがぼくを急きたてるからです。
ここには割と自分の率直な感情が吐露されているので、実際にぼくと何度も話したことがある人よりも、このブログを定期的に読んで下さる方の方が、たぶんぼくのことを深く理解して下さっていると思います。それがうれしいとぼくは思っています。自分を理解してもらえる道具を与えられていることに感謝し、そしてそれを活用できていることに安堵します。たぶんネットがなければ、ぼくは他者からひどく誤解され煙たがられたまま、暮らしていたことでしょう。いやそれは現状も変わらないかもしれませんが、それでも、理解してくれる人たちがいる、あるいは理解してくれる人が現れる可能性がある、と今は信じていられるので、随分気が楽です。
前にも書きましたが、ぼくはこの世界に「雫」はいると思っています。「聖司」はいると思っています。「思っている」と言うより、「知っている」と言った方が正確な気さえします。たとえ彼らがぼくの目の前に現れなかったとしても、いると断言します。いた。いる。いるだろう。かつて。いつも。これからも。
その確信があまりにも強いためにむしろぼくはブログをやめることにそれほど躊躇いはありませんでした。でも、また改めて自分のペースで続けていきます。