Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

活気がない

2012-09-29 19:48:26 | Weblog
だるい。昨日から自分の中の活力の炎が消尽してしまったようです。
今はただ、ネットだけが生きがい。
人生ってのは思惑通りには行かないもので、想定よりも駄目なこともあれば、思いがけずうれしいこともある。ただそれも自分の場合、全てネットの世界での話。

ところで「話」って、「話し」と書く人もいますけれども、名詞は「話」で、動詞は「話し」だと思っていたのですが、実際のところはどうなのでしょう。つまり「話し」というのは
「話す」という動詞の連用形(だっけ?)であって、名詞として用いるのは誤用。・・・でも、今では余りにも多くの人が名詞として「話し」を用いているような気がします。この動詞・名詞の話も、別に誰かに教わったわけではなく、自分で勝手に思い込んでいるだけなので、間違いかもしれません。学校文法的にはどうなんでしょう。

などとしょうもない話をしてしまう。
ああ、なんかだるいな。宿題がたくさんあるのでやらなきゃいけないんだけど、さっぱりやる気がしません。だるいっていうか、疲れてるのかな。疲弊。やれやれ。

スシ

2012-09-28 04:06:48 | お出かけ
今日はロシアでお寿司を食べてきました。ロシアでお寿司を食べるのは初めてのことです。ロシアでは日本食ブームが起きているらしくて、日本食レストランなど、モスクワの街のあちらこちらに見かけます。今日は、しかしながらそんな本格的なレストランではなく、ショッピングモール内のフードコーナーにあるお寿司屋さんで、軽くいただいた程度です。

お寿司屋さんと言っても、「お寿司コーナー」というか「お寿司屋台」というか、お寿司を提供しているたこ焼き屋みたいな店構えです。そこには東洋人風の店員が二人いて、どちらも無愛想。もちろん日本人ではありません。

で、そこでとりあえずマグロやイクラ、イカ、タコなど、有名どころを一通り注文してみました。値段はいずれも120円程度。それにお味噌汁と緑茶。いま思えば写真でも撮っておけばよかったですかねえ。失敗したなあ。まあいっか。

さて、肝心のお味ですが、やっぱりこういう屋台的な(いや屋台ではないんですけどね、なんというか、たこ焼き屋のチェーン店みたいな感じです)、要するに本格的なレストランで供された食事ではないからでしょうか、正直そんな美味しくないです。日本だったら、スーパーで売られている500円のお寿司パックでもそれなりには美味しくいただけますが、ロシアではやっぱりこんなもんかなあ。だいたい、醤油じゃないんですよね。得体のしれない醤油風味の甘口ダレで、器に並々と注がれています。この時点で既に「違うなあ」と思ってしまうわけですが、お寿司にわさびが入ってないため、一層のこと、「違うなあ」というか「甘口だなあ」と感じてしまうわけです。わさびはお皿の真ん中に蛇だか幼虫だかをかたどって盛られていましたが(なぜそんな気持ちの悪い形に盛るんだ?)、わさびを醤油(タレだけど)に付けて食べるのって、お刺身ですよね。お寿司ではないなあ。・・・なんか文句ばかり垂れている気がしますが、たぶん本格的な日本食レストランで出されるお寿司はこんなもんではないんだと思いますよ。

ちなみに、ショウガとお味噌汁はけっこう美味しかったです。

ところで、食べ終わってすぐに、どうもお腹のあたりが不穏な感じに。なんというか、いわば「腹もちならない」感じになってきて(このニュアンス伝わりますか)、ひょっとしてこのお寿司に中ったか、そういえば妙に生温かかったぞ、などと思いを巡らし、とりあえずすぐに寮に帰ってみましたが、帰るなり、急激にお腹がぎゅるぎゅると鳴り出し・・・。

いやあ、とりあえずここでお寿司を食べるのはもう止そうかな。

雑感

2012-09-27 01:12:46 | Weblog
1、隣人の話
きのう隣室の中国人と話していたら、新宿が話題に上りました。「新宿は東京の中でもとても大きい地区だよ」と言ったら、「遊ぶところはあるのかい、どうやって遊ぶんだい」と聞かれました。そこではたと困ってしまったんですね。そういえば、新宿では皆どうやって遊んでいるんだ?彼らは皆どこで遊んでいるんだ?・・・紀伊国屋で本を物色したり、百貨店で何かを見たり、映画を鑑賞し、喫茶店でおしゃべり・・・。どれも新宿ではなくたって可能なことばかり。もちろん、これらが全て一遍にできるというところに特色があるのかもしれませんが、しかしたぶん彼が聞きたいのはそういうことではないでしょう。新宿ならではの遊び場所ってどこだろう?・・・と考えていたら、彼はマフィアがどうのこうのと言い出しました。どうやら、新宿というのは非常に危険な場所だと誰かに吹き込まれているらしいのです。彼は「歌舞伎町」という言葉を知っていたから、「そこは真夜中はちょっと危険かもしれないね」と言ったら(実際はどうだか知りませんが、まあ雰囲気はそんなに良くはない)、「ちょっとだって?オーイ!」と驚いていました。あと、「新宿を歩いている女性の80パーセントは「ワケアリ」だけど綺麗だ」とも言っていました。どこからそんな奇怪な情報得たんだ?「その情報は全然違っているよ」と訂正しておきましたが、先入観という奴は厄介ですからね。

2、松山の話
きのう、あまりにも部屋で一人で寂しかったので、日本に帰りたいよう、帰ったら松山へ旅して道後温泉に入りたいよう、と嘆いておりました。それで、道後温泉や愛媛県のHPを見て、「へー、ほー」と感心していました。すると、松山では鍋焼きうどんが有名であることを発見。鍋焼きうどんと言えば、雫が初めて書いた物語を西老人に見せた夜に御馳走してもらったのが、鍋焼きうどん。それ以来(それを知って以来)、ぼくにとっては鍋焼きうどんは特別な料理であり続けているのですが、まさか自分が旅したいと思っていたその行く先にあるのが鍋焼きうどんだったとは!これも何かの縁ですから、帰国したら絶対に松山に行って鍋焼きうどんを食べてやるぞ。松山のは甘口らしいので、それも自分好み。

3、動画の話
先日、ちょっといいアニメーションを見つけました。それをここでも紹介しようと思って何日か経ちますが、なんとなくできていません。でも、本当に「ちょっといい」作品なんです。沼田友の「荒波」という作品です。今度このブログにも貼り付けようと思いますが、気になる方はその前に試しに覗いてみて下さい。

4、題名のない話
何かを書きたい気がするんですけど、何を書いていいのか分かりません。専門のこと?暮らしのこと?授業のこと?朝起きるのが辛いこと?もっと大事なことがあるはずなのに、それを思い出せない隔靴掻痒。

豚汁の味

2012-09-25 18:24:10 | Weblog
昼間っから(現在13時11分)ネットをやるのもどうかと思うのですが、お昼に食べた豚汁の味があまりにも感動的だったので、ここにその気持ちを残しておこうと思います。

毎日お昼はパンばかりで、さすがに飽きてきて、ああカレーが食べたいよう、ああカップ麺が食べたいよう、と嘆いていたら、ふと日本から持参した豚汁のことを思い出して、でも数が少ないのでどうしようかと悩んだのですが、いま食べなければいつ食べるのだ!という毎度のクシャナの精神を発揮して食べることにしました。

固形スープをコップに入れて熱湯を注ぐだけで、こんなにも美味になるなんて!発明者は天才ですよ。ぼくはこの人にノーベル賞を与えたい。ぼくみたいにぐうたらしながら色んなことを悲観しているだけの人間は、この商品の発明者に比べたら、この豚汁の一滴だけの価値もないですね。いや豚汁と比べようなんて、そもそも豚汁に失礼だ!

2年前、モスクワに3週間ほど滞在した際は、とにかく秋刀魚が食べたくて、秋刀魚に大根おろしを付けて、そこに醤油をちょびっと垂らした奴を味わいたいなあなんて夢想していたものですが、いまは日本に帰ったらお腹いっぱい豚汁を食べたいなあ!

いやあ、おいしかった。

逃避行

2012-09-25 03:51:30 | Weblog
「死に場所を探す逃避行が その実 生きる場所に変わった/そんな僕らの長い旅の先はまだまだ遠いみたいだ」。

逃げて、逃げて、逃げて、逃げまくって、どうだおれは死んでやるんだと嘯いて、でもいつしかその逃避行を生きていることに気が付いて。「僕の場合は逃げ出したいから なのに今も戦っているよ/それでいいだろ」。それでいいだろ?逃げたっていいじゃねえか、それでぼくらが遠くまで行けるんなら。どこまで逃げられるのか、見せてやるよ。

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amazarashiの『千年幸福論』がリリースされたときのぼくの感想は上記の通りですが、今でもそれは変わりません。

不確かで且つ曖昧な情報で申し訳ないのですが、『もののけ姫』の制作過程を追った番組で、アニメーターの描いた作画を宮崎駿は修正しながら、こんなニュアンスのことを言っていたような気がします。「腰が引けている絵を描いている奴は、人生から逃げている」。アシタカが森の中を走るシーン、そのアニメーターの描くアシタカは、宮崎駿から見たらへっぴり腰だったのでしょう、アシタカというのはそういう人間ではないのだと、宮崎駿は憤慨しているように見えました。

人生から逃げている――。ぼくは昔から宮崎駿の発言に影響されることが多くて、少なくとも20歳くらいまでは、逃げることは悪だと思っていました。「一旦逃げてしまえば、あとはずっと逃げ続ける人生になる」。これは誰の発言だったかもはや記憶にありませんが、宮崎駿の発言に触れたのと同じ頃、やはり中学生くらいのときに知った言葉です。一度逃げたら、あとは逃げるだけの人生になってしまう。ぼくはそれを恐れていました。

たぶんぼくは、小さい頃から逃げ続けていたのだと思います。スイミングスクールに行くのが嫌で、家の玄関から動こうとしなかったりね。でも、はっきりと「逃避」を自覚したのは、中学3年生の秋です。ぼくは運動会に出なかった。一応それには怪我という公的な理由があったのですが、でも自分の中では、逃げであることに他ならなかった。

ぼくは当時走るのが速かったのですが、ちょうど3年生くらいのとき、腰を痛めた影響もあってか、伸び悩んでいました。2年生のときのように楽しく走ることができないばかりか、速く走ることもできないのでした。周りには、中学生って成長期ですから、ぐんぐん実力を付けていっている人もいました。運動会が開かれようとしていたのはそういう頃です。ぼくは200メートルの選手になりました。そして初めての運動会練習のとき、200メートルの各クラスのメンツが顔を揃えました。そこにいたのは、いずれもクラスを代表するようなスプリンターたちでした。皆がぎょっとした顔をしていたのを覚えています。でも、去年までのぼくなら、決して怯むような相手ではなかったのです。去年までなら、ぼくは確実に1・2番になれた。しかし現時点においては、ひょっとすると最下位の可能性もある。ぼくは恐れました。学校で速いと評判の自分が、運動会で最下位になってしまう。これほどの屈辱・恥辱は、想像することさえ躊躇われました。そうしてぼくは、腰の痛み/怪我を理由に、運動会を欠場したのです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これがぼくの自覚している最初の逃避でした。それからぼくは、事あるごとに、これは「逃げ」ではないか違うか、ということに思い悩んできました。一度逃げたら後は逃げるだけの人生。この言葉が、今となってはもはや誰が発した言葉かも思い出せない言葉が、ぼくを縛り続けていました。

ぼくは色んなことから逃げてきたし、また向かい合ってきました。その選択の根幹には、「逃避=悪」という発想がありました。逃げてしまえば罪悪感に囚われ、たとえ向かい合っても、「次には逃げてしまうかもしれない」という予感に苦しめられました。ぼくはあの中学3年の運動会から逃げたことを、いつまでも後悔しているのです。しかしだからと言って、仮に出場して最下位になっていたとしたら、そんな自分をぼくは認めることがいつまでもできなかったでしょう。では逃げて正解だったか?いやその行為が長年の苦しみを胚胎したのです。



逃げる人生もアリだって思うようになったのは、いつからでしょうか。前進するばかりが人生ではない。留まる生き方もあるし、逃走に逃走を重ねる生き方もある。確かに、中学生の理想とは違うけれども、でもそういう生き方だって、けっこう粋なんじゃないのかな。こういう発想自体が既に「逃げ」なのかもしれないけれども、でもたぶん、そういう人の方が少しだけ優しい人間なんじゃないのかなと、誠に勝手ながらそう思っています。

冬まで続く坂道

2012-09-24 05:34:44 | Weblog
いま歩んでいる道の辿りつく先には、どんな季節が待っているのだろうと、ふと考えた。
それはきっと冬であるような気がした。あるいは晩秋。

ぼくは晩秋が好きだな。ロシアには晩秋なんてあるのだろうか。

東京の冬の夜、一人で歩く舗道。充分に雨を吸ったアスファルトは、漆を塗られたように黒々と光っている。街灯は薄ぼんやりと点っている。ぼくはこの道へ向かっている。いま歩んでいる坂道は、この舗道へと続いている。この冬へと続いている。あの日へと続いている。にゅっと突き出た小枝の茂みをぼくはさりげなくよけるだろう。水たまりをよけるように。電信柱に手を触れる。その氷のような冷たさにぼくは驚く。そうだ、この道は冬に続いている。

退屈な一日

2012-09-22 21:55:34 | Weblog
やばい、暇すぎる。
11時半に起床。
パンにブルーベリージャムをのっけてお昼ご飯。日本から持参したお味噌汁付き。
まだ風邪が治らないので、今日と明日部屋でゆっくり休んで完治させてしまおうと思い、昼食後すぐに勉強開始(つまり外出しないということです)。13時半頃にはもう飽きている。そこから、ぼくの退屈な時間が始まりました・・・! まず、ポテトチップスを食べて気を紛らわしてみる。それからフルーツゼリーをちびちび食べながら気を紛らしてみる。それからチョコレートをつまみながら気を紛らせてみる。

勉強開始と同時にパソコンを起動させていて、作業用BGM(ジブリ音楽)をずっと流し続けていましたが、それにも飽きてくる。今はひたすらCLANNADの音楽を流し続けています。

14時前から現在(16時半)まで、何もすることがないので、ぼちぼちお菓子を食べながら、音楽を聴きながら、色々なことに思いを巡らせてみました。まず、「イナガキ・タルホ・スタディーズ」のHPを開いて、開設者の高橋孝次さんとコンタクトでも取ろうかなと本気で考えてみました。この人はまだ30代前半のタルホ文学研究者で、HPには「コンタクト」というページもあります。しかしどうやらOutlookの設定をしないといけないらしい。ぼくは設定をしていないので、高橋さんのメールアドレスが見られない。ネットでアドレスを検索してみましたが、少なくともぼくの調べた範囲内では、見つかりませんでした。で、バイト先で知り合いになれた日本文学研究者の人に直接聞いてみようかなあとも思いましたが、あいにくその人のメールアドレスをぼくは知らなくて(聞いとけばよかった!)、別の人を経由してまずその人のアドレスを聞き、それからその人に高橋さんのアドレスを聞かなければいけない。じゃあそうするかとメールしようと思いましたが、いざという段になると、でも高橋さんとコンタクトを取ってどうしようというのだろう自分は、という根本的な疑問が浮かんできました。

ぼくはタルホの文学に興味があって、それというのも・・・云々とメールで説明したとしても、果たしてそれはただの迷惑ではないか?いや、ぼくには一つ狙いがあって、きのう書いたこととも関わるのですが、日本とロシアで同時多発的に起こった、ナンセンスな超短編という形式の文学の研究を共同で始めようではありませんかという課題提起をしようと考えていたのです。けど、それって本気なの? と自問自答してみるに、いや確かにそういう希望はあるのですが、それに関してはぼく自身が依然として何も手を付けていないし、そういうことに多忙な研究者を巻き込んでしまっていいものかと、理性がぼくの衝動に向かって言うのですね。ああでもないこうでもない、とうんうん悩んでいたら、そのうち何もかもめんどくさくなってしまって、とりあえずミカンを食べました。

研究というものは、必ず横断的であるべきだ、とは言わないですけれども、でも横断研究に適した素材というものはあります。きのう言った同時多発的な文学について研究するのであれば、それは横断的であらねばいけないです。そしてその作業は、一人でやるよりも協同でやった方がいい。例えばぼくはロシアのだれだれを、あの人は日本のだれだれを、というふうに。そういう協同作業を、ネット上で公開して随時更新していけたらなおいいと思います。

そんなことを考えながら、ブログを更新しています。じゃあそろそろ勉強再開するかなあ・・・

シュルレアリスム百科事典 in Russia

2012-09-22 06:26:33 | 文学
ロシア版『シュルレアリスム百科事典』の編者の一人ガリツォヴァは、20世紀ロシア文学とダダイズム/シュルレアリスムとの類似性・同時性に注目した論文でも知られ(邦訳あり)、この分野でのスペシャリストです。この百科事典には、「ブルトン」や「アラゴン」という項目はもちろん、「ロシア」や「ズダネーヴィチ」という項目も設けられており、広くロシア文学に目配せした編集になっています。もし日本だったら、「瀧口修造」や「日本」という項目があるでしょうね。

さて、ロシアにおけるシュルレアリスムというテーマは、個人的な印象ではこれまでそれほど活発には論じられてこなかったような気がしています。もちろんこのテーマで書かれた論文は存在していて、例えば、フォースター「ロシア文学におけるシュルレアリスムの問題に寄せて」;ハルジエフ「マヤコフスキーとロートレアモン」;カーリンスキー「20世紀のロシア詩におけるシュルレアリスム」等々があります。

ただ、ロシア未来派をイタリア未来派と比較して論じる立場がそれなりの正当性を保ちえるのに対して(仮に一部のロシア未来派がその関係性を否定していたとしても)、ロシア・アヴァンギャルドとフランスのシュルレアリスムとを比較することは、難しいと思われがちです。というのも、ロシアからフランスへザーウミを輸出し、ツァラと共闘したズダネーヴィチのような例外を除いて、直接的な影響関係を両者の間に見ることが困難だからです。ロシア・アヴァンギャルドの幾つかの事例はブルトンの実験とは直接的には明らかに無関係であり、フランス・シュルレアリスムがロシア・アヴァンギャルドの詩人に影響を及ぼしたとみなすことができないのです。

このような、世界文学における影響関係と同時多発性の問題は、現代において益々先鋭化しています。ハロルド・ブルームを援用したインターテクスチュアリティの理論、ドゥルーズの「反復」理論、あるいはハッチオンのパロディ理論・アダプテーション理論を礎に、ダムロッシュの世界文学理論を射程に収めた理論的構築が為されるべきでしょう。更に現代世界文学を論じる際には、ウェブ理論が必須であると思います。直接的な影響関係抜きの同時多発的文学の存在は、これまでも意識的・無意識的に言及されてきましたが、ロシア文学におけるシュルレアリスムを考える際にも、この理論的枠組みが必要になるときが来るかもしれません。個人的には、直接的な因果関係がなくとも、二つ(以上)の事例を対照させることで浮かび上がる要素もあるはずですから、もっと気楽に取り組んでもいいように思うのですが、アカデミックな世界ではなかなか難しいようです。もっとも、シュルレアリスムとアヴァンギャルドに関しては、フロイトの無意識の発見がしばしば媒介になり、その切り口から両者の関係性に照明を当てることができるかもしれません。

このように、ロシア文学とシュルレアリスムとを比較して論じることには学問的な困難さが伴うのですが、しかしある種のロシア・アヴァンギャルド文学を読むとき、その印象がシュルレアリスムの詩に近似している、あるいはブルトンの提唱する理論の明証となっていることに、驚きを隠せません。近年立て続けに翻訳の出たハルムスについて、その作品集は彼をシュルレアリストであると言明しています。その本には解説が一切付されていなかったため、その根拠が分からないのですが、しかしロシア版『シュルレアリスム百科事典』もまた、ハルムスの所属したグループ「オベリウ」をシュルレアリスムの代表例に数えています。ハルムスやオベリウに所属した詩人たちをシュルレアリストとみなす立場は、必ずしも主流であるとは言えないと思いますが、ただしこのような見方は、やはりある真理を突いているのではないでしょうか。シュルレアリスムのオブジェクト(対象)への関心とオベリウ・グループの物/対象への関心という興味の一致の他に、ふつう結合しえないイメージの結合という創作法の一致も看取されます。『百科事典』が指摘するように、ダダイズムからシュルレアリスムへの移行と、ロシア・アヴァンギャルドの発展史は、音声への関心から意味への関心という点で軌を一にしており、それぞれ言語実験を音声的領域から意味的領域へ移しているのです。恐らく、その文学史的な発展を個人史の枠組みで達成してしまったのが、20年代前半~後半にかけて作詩していた一部のアヴァンギャルド詩人たちでしょう。

『百科事典』を読みながら沈思する。でもこのテーマは難しいな・・・

モスクワ大学留学案内~初心者のために~(2)

2012-09-21 01:53:40 | お仕事・勉強など
1、立場
さて、モスクワ大学に留学すると言っても、どのような立場で留学すればよいのでしょうか。モスクワ大学には、大きく分けて4つの受け入れ立場があるようです。すなわち、博士課程、修士課程、学部生、研究生です。いわゆる「カンジダート」と呼ばれる学位は、博士課程を修了するともらえるようです。博士課程は3年間留学する必要があり、試験に合格して論文を提出しなければなりません。既に相応のロシア語力があり、先の見通しを立てている人が博士課程に留学するべきでしょう。聞くところによれば、近年は日本の大学に奉職する際にも「カンジダート」の取得が必須要件になっている、あるいはそれを取得していることがより優位に働く傾向が出てきているそうです(実際どうなのかは知りませんが。あくまで噂です)。したがって、大学で教鞭を取りたいという強い意志がある人は博士課程に留学するべきだと思います。

修士課程に留学、あるいは学部生として一年生から留学(つまり高校を卒業してすぐ)、という事例は、ぼくの周囲では比較的少ないようです。したがって、ぼくもよく知りません。ごめんなさい。ただ、中国人にはこのようなタイプの人たちがたくさんいます。実際ぼくの寮の隣人も学部生です。

研究生として留学する場合は、1年間(あるいは10ヶ月間)だけの滞在になります。研究生には試験や論文が課されることはなく、また授業は全て語学関係です。この点でも博士課程の学生とは異なります。彼らは、語学の他に哲学や文学(文学部に留学した場合)の授業も必修となっており、それぞれの試験に合格しなければなりません。概して、博士課程はシビアですが、研究生は緩いです。

研究生として留学しても、何の学位も得られませんから、物質的なメリットはありません。したがって、ロシア語力を磨きたい・ロシアで文献調査をしたい、といった個々人の目的に応じて留学するべきです。博士課程の学生の最終的な目標は「カンジダート」の取得ですが、研究生の目標は人によって様々です。目的意識をしっかり持っていることが求められます。

2、実際の授業
ここからは文学部に絞って書きます。モスクワ大学での授業は、恐らく全て小教室で行われます。日本のような大教室や講堂で生徒が先生の話に耳を傾ける、という光景は見られません。多くてもせいぜい10人程度のクラスで、先生と対話しながら授業が進行します。もちろん例外はあるようですが、一般的にはこのパターンです。とりわけ語学の授業は、こういう方式です。
まず最初にテストを受けます。博士課程の学生の場合は、その結果によって、昨日言及した、大学付属の語学学校である「ツモ」に通うことが義務付けられるようです。つまり、ロシア語力が十分でないと判断された場合は、語学学校へ通わなければならないわけです。一方研究生の場合は、どんなに結果が悪くても「ツモ」に行かされることはありません。自分の語学力に相応のクラスに編入され、そのクラスメイトたちと一緒に授業を受けることになります。博士課程の学生数は極めて少ないのですが、研究生の数は比較的多いため、結果的にクラスの数・クラスメイトの数も多いようです。ぼくは研究生として大学に通っていますが、クラスメイトは10人くらいいます。もっとも、一番人数の多いクラスですが。他のクラスはなぜか数人でしたから。「ツモ」では、欧米系とアジア系とでクラスも分かれる傾向がありますが、モスクワ大学ではそういうことはなく、ぼくのクラスにはスイス人、スペイン人、ドイツ人、フランス人、ベルギー人、台湾人、そして日本人(ぼくだけ)がいます。研究生のレベルはピンキリで、ロシア語を始めて半年という人から、もうかなりぺらぺら喋れる人までいます。
語学とは別に、「フォネチカ(音声学)」という授業があります。これは、発音や聞き取りを特に勉強する授業です。日本の大学でこういうシステムを持っているところがあるかどうか知りませんが、日本の大学も是非導入すべきだと思いますね。読めても話せない、という(ぼくのような)学生が多い理由は、こういう教育システム上の欠陥も関係しているような気がします。少なくとも、発音を矯正してくれる機会は日本では少ないのと思うので、フォネチカの授業は貴重です。

ところで、モスクワ大学の授業は頻繁に予定が変わります。急に時間が早まったり、あるいは授業そのものが消滅してしまったり。実は、ぼくはいまこれに悩まされています。自分の出るべきフォネチカの授業が何なのか、依然として分からないんですよね・・・。また、来週の授業も時間が早まるんだか早まらないんだか、よく分かりません。個人的に先生に尋ねてみたのですが、先生もよく分からないという答えでした。ともかく、留学する前に、せめて聞き取りはできるように努力しておいた方がいいと思います。

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いずれ、事務手続きについても書きたいと思いますが、これはまだぼくには謎の部分が多いので、その謎が解けたら書こうと思います。

モスクワ大学留学案内~初心者のために~

2012-09-20 01:53:03 | お仕事・勉強など
これからモスクワ大学に長期留学する誰かのために、ごくごく基本的な情報を提供しようと思います。留学について最初ぼくは皆目分からず、人に聞いてばかりいました。だからそういうぼくみたいな人のために、些細な知識を提供してあげましょう、というわけです。もっとも、依然としてぼくは様々なことが意味不明のままなので、これから知識を増やしていって、そしてそれをアウトプットしたいと考えています。

1、留学資金
1-1、私費留学
まず、モスクワ大学に留学するのに、私費で行くか公費で行くか、という選択があります。私費で行く場合は、①旅行会社などの長期留学プランを通じて渡航する、②個人で大学とコンタクトを取って渡航する、という二つのパターンがあります。①の場合、例えばJIC旅行センター(代表的なロシア旅行会社)で行くとなると、行く先はモスクワ大学の付属教育機関である「ツモ(ЦМО)」というところになります。ここでは専ら語学の勉強をすることになります。最初にテストを受けて、その結果次第では文学や歴史等、自分の専門的関心に応じた講座を受講することができますが、基本は語学学校であり、その所在地もモスクワ大学とは少し離れた場所です。とはいえ、モスクワ大学の寮に住むことができます。②の場合は後述します。

1-2、公費留学
各種奨学金や、各大学に設けられている交換留学制度がこの項目に相当します。その応募方法や応募条件や応募時期は、それぞれ大きく異なっています。したがって、私費以外での留学を検討されている方は、まずは自分の大学等(のHP)に掲示されているはずの奨学金や交換留学制度についての情報をチェックするところから始めるべきでしょう。
さて、運よく奨学金を得られることが決まったら、次はモスクワ大学と自分でコンタクトを取らねばなりません。これから留学しようとする人の中には、既にかなりロシア語力があって、ロシア語でメールを書いて大学とやり取りをするということに抵抗を感じない人もたくさんいるでしょう。ですが、そもそもこのブログ記事はそういう人たちを対象にしていません。ぼくのような、ロシア語でメールを書くなんて大変だよう!という人に向けて書いています。ですが、案じるには及びません。必要事項だけを書いて送ればよいのです。
まず、これから留学しようとする人は、モスクワ大学から必要な書類を受け取る必要があります。また、必要な書類を提出する必要があります。そのために、最初のメールでは簡潔に次のように書いて送りましょう。「こんにちは。私は●●大学の学生(院生)の○○です。今年の秋からモスクワ大学の★(学部・大学院・研究生)の☆学部に留学したいと思います。受け入れ証明書(справка)を下さい。」これでいいんですよ。ロシア語ができない人は、余計な情報は書かなくてもいいのです。そうしたら、しばらくするとモスクワ大学から返信があります。たぶんそこには、「授業料と寮費を支払うという条件で、あなたを*年*月から*年*月まで受け入れます。受け入れ証明書を添付いたします。なお、パスポート情報とパスポートの写真、それから添付のアンケートに記入したものをお送りください」と書かれているはずです。そうしたら、アンケートに回答したものとパスポートの必要ページを自分でスキャンして、再びモスクワ大学にメールしましょう。なお、その際に、「招待状(приглашение)を送ってください。また、送る前に招待状のPDFも送ってください」と書くのを忘れないようにします。すると、たぶん「招待状は*月頃に送ります。」と返事がきます。
無論、奨学金や交換留学制度の種類によっては、他にも必要な書類等があるかもしれませんが、その場合はそれらの機関から必ず通知があるはずですから、それに従えばいいのです。あるいは、ぼくが必要な書類を忘れているかもしれませんが、しかし基本的なやり取りの流れはこの通りで間違いありません。
この後しばらくモスクワ大学からの通信が途絶えると思いますが、しかし「受け入れ証明書」を受け取っていれば、とりあえずは安心です。あとは「招待状」を待つだけです。

2、航空券の手配、ビザの取得
招待状が届いて、出発日が確定したら、航空券を手配してビザを取得しましょう。前者にはパスポートが、後者にはパスポートと招待状が必要です。ただ、ここが大事なところですが、恐らくあなたに招待状は届きません。理由は分かりませんが、招待状をスムーズに受け取ることができた日本人をぼくは知りません。招待状の取得は、出発予定日のぎりぎりになるものと考えておくべきです。場合によっては間に合わないこともあります。ですから、航空券の購入もぎりぎりまで待ちましょう。
ところで、旅行会社に航空券の購入とビザ取得の代行を依頼するという方法があります。ある理由から、ぼくはこの方法をお勧めします。その理由は口にはできないのですが、招待状の遅着の問題に関して、非常な効力を発揮しえます。

想像以上に長くなってしまいました。次回に続く。次回のテーマ「博士課程?修士課程?学部生?研究生?」

散策

2012-09-19 01:37:39 | お出かけ
時間を潰すために、寮の周辺を散策しました。すると、自然豊かな場所に出られる道を発見しました。奥へと足を踏み入れるとそこにはこんな光景が。


細い小道が更に先へと続いています。


ぐるぐる歩き回っていたら、元の広い場所に戻っていました。


モスクワではもう木々が紅葉を始めてしばらく経ちます。


池の向こうに見える、一番汚らしい灰色のビルが寮です。


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今最善の生き方をしようとしている人が、将来を考えていないというのは嘘だと思います(何のための最善なのか?)。今できることだけ淡々とこなしている人が将来を考えていないというのは本当です。両者は同じようで違います。やれることをやっているだけ、というのはしかし、ちょっとした目標ですよね。何をやるべきなのか、今できることって何なのか、それすら分からないのが現実だから。

植物園

2012-09-18 01:46:30 | お出かけ
きのうの写真ですが、実はぼくが住んでいる寮ではありません。大学の(たぶん)一番大きな建物の写真です。この知り合いが住んでいる(住んでいた)寮からはちょっと離れた寮にぼくは飛ばされて(?)しまって、そこに独りで暮らしています。その寮はもっと小さくて、そして外観はかなりぼろっちいです。初めて見たときは、暗澹たる気持ちになりました。いや、暗澹たる気持ちにさせるような建物です。灰色の、薄汚れた、今にも瓦解しそうな寮です。でも、ぼくはきのうの写真の寮にも去年滞在しましたが、そこよりもむしろ部屋は広いし、スーパーや駅は近いし、暮らしは楽だと思います。ただし問題は、大学には歩いて通えないってこと。そこが最大の欠点ですね。あと洗濯場もないので、別の寮まで衣類を運ばないといけません。まあ、利点もあれば欠点もあるってことです。

さて、前もって書いていたように、今日は大学付属の植物園に行ってきました。教えてもらった通り、本当に野外授業でしたね。もしドイツ人学生から教えてもらっていなかったら、ぼくは大学の教室で来ない先生を待ち続けていたことでしょう。もっとも、そういう学生も何人かいて(後で合流しましたが)、ぼくと同様にこの間ちゃんとロシア語を聴き取れていなかった学生がいたんだと思うとほっとします。

植物園の写真を撮ってくればよかったのですが、カメラを持っているのがめんどくさくて、やめました。というのも、先生が話をするのを皆メモしているので、ぼくも真似してメモしていたからです。メモ、ペン、カメラ、そしてティッシュ(風邪で鼻水が出る!)を常に持っているのは大変ですからね。で、一応先生が言う単語(主に植物の名前)をメモっていたわけですが、音だけを聞いているので、綴りが合っているかどうか・・・たぶん半分くらい間違っているでしょう。「たくさん枝がある樹木」・「たくさん土がある場所」という単語がロシア語にはあるそうですよ。あれ、違うかな? もともとそんな聞き取れてない上にもう忘れてしまった。メモを見るのもめんどい。
そういえば、蛙はロシア語では「クヴァッ」と鳴くそうです。日本ではなんと鳴くのかと聞かれたので、「ケロケロ」と答えたら、先生はびっくりし、生徒たちは笑っていました。そんなに変かな? もし「ゲロゲーロ」と答えたらどんな反応だったんだろう・・・。ちなみに、ロシア語の「蛙」という単語を聞いてもぼくはピンとこなくて、「分かりません。鳥ですか?」と尋ねるという失態を演じてしまった。そうしたら、他の学生から「フロッグだよ」と教えられて、やっと思い出しました。旅の恥はかきすて。

ちなみに、生徒の人種構成は、どうやらスイス人、スペイン人、ドイツ人、フランス人、中国人、日本人(ぼくだけ)みたいです。陽気なアメリカ人だと思っていた人は、どうやらスイス人らしい。テスト結果でクラス分けされたにしては、皆のロシア語能力はバラバラの気がします。でも皆基本はしっかりできているみたいなので、置いてかれないようにしないとな。中にはもうかなり喋れる人たちもいて、なんで同じクラスなんだろうと不思議。ヨーロッパ系の人たちは、ヨーロッパ系だけで固まってしまっているので(まず言語の問題があるし)、なんとなく疎外感がありますが、まあ別に無理に友達にならなくてもいいや。

あんまり植物園の感想になりませんでしたね。今度は個人的に訪れようと思います。そうしたら写真も撮ってくるつもりです。
それと、ここではリンゴを販売していて(植物園で採れたもの?)、激安です。なんと、2個で1円程度です。1円です。つまり、1ルーブル以下だったんです。コペイカですよ。コペイカ。びっくりですね。

喉、その他

2012-09-15 03:17:06 | Weblog
朝目が覚めたら、喉の痛みが猛烈過ぎて、これはやばいんじゃないかと本気で心配しましたが、日本から持参してきていた薬をお昼に飲んだら、だいぶよくなりました。それから夕飯後にもう一度服薬したら、もっとよくなりました。今はトローチを舐めながらこの文章を書いています。

モスクワに来て早々に喉が痛くなって、全部で一週間分しかない薬を飲むのは、なんだかもったいないような気がして躊躇われましたが(だってこの先は長いから)、「いま使わずにいつ使うのだ!」というクシャナの精神で服薬、回復してきたので正解でした。ケチらなくてよかった・・・!

ところで月曜日の授業は、まず大学付属の植物園に集合するそうです。きのうの授業の最後に先生がばーっと事務連絡をして、その中に自分の名前が出たので、なんだなんだと思って授業後に先生に尋ねてみたら、どうやら火曜日の授業がそっくりなくなってしまったらしい。で、その代わりの授業はどうなるんだろうと思ってもう一度尋ねようとしたら、脇からドイツ人の女生徒が、月曜日はどこどこに集合らしいわよ、とぼくに言うのです。どこどこがよく聞き取れないので繰り返し聞いていたら、先生が「植物園よ」と言うのです(もっとも、このときは音だけを記憶して、あとで辞書を引いたら「植物園」ということが判明したのですが)。だからぼくは、どうやら月曜日にはその植物園に行かなければならないようなのです。場所が分からないのでネットで確認したのはいいのですが、こういうのは怖いですよね。まず、自分で聞き取れた情報ではないから、情報の真偽が分からない。もちろん、そのドイツ人学生がわざわざ嘘をつく理由はないから本当の情報なんでしょうけれども、自分で直接聞いたわけではないので、心配になります。あと、今回は目的地が割と近いのでいいけれど、集合場所が急遽変更されるのも困りますね。普通に教室に集合してほしいものです(しかも月曜の初回の授業だし)。

日中暇だったので、逮捕された詩人の調書を読んでいました。なかなか興味深い。自分の創作が超意味的で反革命的である旨を証言しています。

先日は指導教官に会って話をしてきました。というか、一方的に話を聞いていただけのような気もしますけど。論文を書くならこの雑誌がいいでしょう、書いたらまず私に見せてください、というようなことを言われたのですが、いまのところその予定は・・・。まあ、余裕があったら書きますよ(とは言わなかったけれど)。

少しずつ論文や資料を読み進めています。授業の宿題が多そうなのでどこまでできるか分かりませんが、のらりくらりと過ごしながらロシア語能力も上達して研究も進展すればいいなと思っています(欲張り過ぎかな)。

再びの悪夢

2012-09-14 05:08:55 | Weblog
きのうトロリーバスに乗っていたら、降車口付近で掴み合いの喧嘩が始まりました。すると、すぐ傍の女性が「悪夢だわ!」と叫びました。・・・寮に帰って辞書を引いてみたら、この「悪夢」という単語には、「ぞっとする」「ひどい」くらいの意味があるみたいですね。ということは、最初の日に寮のぼくの部屋を見て言った案内人の一言は、「ひどい部屋ね!」という意味だったことになりますね。

それはさておき、先程から喉が急激に痛み出しています。またかよ。去年もロシアで痛くなったんだよな。でも、夕飯に紅茶を飲んでいたら急に、なんですよね。他に痛いところはないし、理由が分からない。風邪なのか?

授業は今日から開始。先生はまだうら若くて、そしてやたら美人だった。この先生に会えるのが木曜日だけだというのがもったいない。ただ、事務連絡がロシア語で早口なのは非常に困ってしまう。クラスはドイツ人やフランス人や中国人等で構成されていて、日本人は他にいないので、聞く人がいない。なんか、時間割が変更されたらしいんだけど、よく分からない・・・。それと、月曜日はどうやら教室の外で集まるらしいんだけど、それはドイツ人の生徒から聞いた情報なので、なんだか要領を得なかった。というか、そんな連絡をあのとき先生はしていたのか?聞き取りができないといういのは、死活問題ですよ。

とりあえず、喉の痛みが早く収まればいいのですが・・・健康第一のはずなのにな。