Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

エソルド座の怪人

2011-10-31 22:40:01 | 文学
異色作家短篇集の『エソルド座の怪人』、先日やっと読了しました。暇なとき気力のある間にちょびちょびと読み進めて、ようやく。

アイザック・シンガーとか、カブレラ・インファンテとか、トンマーゾ・ランドルフィとか、様々な国から多様な作家の作品を集めています。この三人もそうですが、(世界の文学に興味のある人にとっては)基本的には有名な作家の名前が並んでおりますが、例えばリー・アンとか、知らない名前もありました。アジアの作家はよく知らない(日本も含めて)・・・と無知を曝け出すのは露悪的であるとはいえ、それがアジアであることに、遠雷を不安に思う程度の微かな罪悪感を感じてしまう。

とまれ、おもしろかったのは、先日も言及したロバートソン・デイヴィス「トリニティ・カレッジに逃げた猫」と、レイモン・クノー「トロイの馬」、アイザック・シンガー「死んだバイオリン弾き」、ジャン・レイ「金歯」、エリック・マコーマック「誕生祝い」の5編でした。全部で11編収められているので、約半分ですね。打率5割に迫るなかなかよいアンソロジー(これ以外にも佳作はありましたが)。ホームラン級は、「トリニティ・カレッジ」と「トロイの馬」と「死んだバイオリン弾き」。ちなみに「トロイの馬」ってひょっとして『あなたまかせのお話』に入っているでしょうか、それなら既読のはずなのですが、全く記憶なし。

残念だったのは、オラシオ・キローガ「オレンジ・ブランデーをつくる男たち」とカブレラ・インファンテ「エソルド座の怪人」。図らずもどちらも有名な南米作家。前者は、後半盛り上がってくるのですが(というか興味をそそられる)、それまでの展開がどうも退屈で、少々辟易しました。ラテンアメリカ文学らしい雄渾な物語性の片鱗は確かに感じさせるのですが、しかしあくまで片鱗しか見えませんでした。後者は、引用から成る作品で、洒落が全編にちりばめられており、その意味では壮観なのですが、如何せんおもしろくない。訳者の力量には感服いたしますが、なぜこれが表題に取られているのか、意匠を凝らした通好みの遊び心ゆえなのかなあと、訝しんでいます。

引用と洒落で極彩色のようになった「エソルド座の怪人」は、ひょっとすると編者にはジョイス級とみなされてかなりの高評価を得ていたのかもしれませんが、幾つかネットのレビューを読む限りでは、文学の相当な読み手の方々でもこの作品には首を傾げておられるご様子。翻訳では凄味が伝わらないのか、それとも単なる選者の嗜好か。いずれにしろ、個人的にはこのアンソロジーのタイトルは『死んだバイオリン弾き』が相応しかったのではないかと、誠に勝手ながらそう思うわけです。作品自体は質量共に充実していますし、おまけにタイトルが幻想文学を喚起し愛好家の胸をくすぐる。

とは言うものの、全体的にはレベルが高く、基本的にはおもしろい。若島正の天才的翻訳術が光る他にも、軒並み翻訳は上等ですばらしい。まあ、原文と照らし合わせているわけではないので偉そうには言えませんが、日本語を読むだけでもある程度は分かりますからね。

もうすぐ11月

2011-10-29 23:54:38 | Weblog
ということで、昨年の11月のブログをぱらぱらっと読み直してみた。それによると、どうやら昨年の11月17日は、日中の最高気温が10度を大きく下回っていたらしい。へえ。今年はやっぱり暑いのかなあ。

それと、去年はどうやら紅葉を見にどこかへ出かけたりはしなかったようだ(それとも記事にしてないだけで行ったのだろうか?忘れている?)。もったいないなあ。今年はいずこかへ行きたいものだ。まあ、近場にでも。

まずは風邪が早く治らんことを。なんか、寝るたびに悪化している気がするのですが・・・あ、でも喉の痛みはよくなったかな。それにしても、このパソコン、文字が打てない・・・もう取っ換えたい。フラストレーションが増大する・・・うぐぐ。

初めてロシア文学を読む君へ(7)~20世紀導入編~

2011-10-27 23:27:14 | 文学
風邪をひいてしまいました。喉が痛い。思えば10年前の同じ時期にも喉が痛くなった。10年前と言えば、ぼくがロシア文学を本格的に読み始めた年です。まあ最近はあんまり読んでないけど。というわけで、今回は「初めて~」シリーズの7回目、やっと20世紀編に突入です。

で、19世紀ロシア文学というのは、大作家がいて、大長編があって、それらを読んでいれば大体は19世紀ロシア文学を知った気になれるのですが、しかし20世紀は違います。何もかもが複雑化・多岐化しています。革命は起きるは、戦争はあるは、亡命はあるはで、反体制派だの御用作家だの、名誉回復された作家だの、とにかく色んなタイプの事件があって、色んなタイプの作家がいます。歴史も背景もがんがん変わります。

しかも、多くの人は20世紀のロシア作家なんて、ほとんど知らない。だから、どこから手を付けるべきか途方に暮れてしまう。ですからここで道案内しようというわけですね。

さて、何から始めるかと言いますと、まず20世紀のロシア文学はどういうところで読めるのか、という話から。20世紀ロシア文学を読める有名なシリーズを挙げておきます。

・20世紀のロシア小説・全8巻
(ミハイル・ブルガーコフ、レオニード・アンドレーエフ、ジナイーダ・ギッピウス、ワレリー・ブリューソフ、アンドレイ・ベールイ、ボリス・ピリニャーク、ユーリイ・トゥイニャーノフ、アレクセイ・レーミゾフ)

・現代ソヴェト文学18人集・全4巻
(ザミャーチン、ヴェショールイ、バーベリ、ヤセンスキー、プラトーノフ、カターエフ、アントーノフ、オクジャワ、バクラーノフ、カザコフなどなど)

・群像社のシリーズ
 1、群像社ライブラリー
(バーベリ、ぺレーヴィン、ストルガツキイ、ナールビコワ、マンデリシュターム、ブルガーコフ、アナトーリイ・キム、クーチク、ガーリン、ウリツカヤ、プリーシヴィン、テッフィ、クプリーンなどなど)

 2、現代のロシア文学・全20巻
(シュクシーン、アスターフィエフ、ラスプーチン、イスカンデル、ヴァムピーロフ、トリーフォノフ、オクジャワ、オルローフ、アイトマートフ、イ・グレーコワ、アブラーモフ、ベック、グラーニン、ペトルシェフスカヤ、プリスターフキン)

これらの作家の本を読んでゆきましょう。20世紀ロシア文学のシリーズは他にもありますが、全部挙げてゆくと大変なので、というか自分が最初に読んでいたのはこれらなので、この4シリーズから攻めていきたいと思います。

では全て読んでしまいましょう。おわり。とすればそりゃ簡単なのですが、これだけの量を提示されても戸惑うばかりでしょう。それに、いまや入手困難なシリーズもあるわけです。だから、お薦めがあります。群像社を読破しましょう!ぼくは、2004年の時点で、それまでに刊行されていた群像社の小説は、ストルガツキイを除いてほぼ全て読みました。今は2011年ですから、それから何冊も刊行されていてちょっと苦労は増しますが、でも勢いでいけます。

そこでやっと本題です。何から読むか?手始めに、取っ付きやすい群像社ライブラリーを読破しましょう。第1冊目は、ずばりブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』(上下巻)です。

・・・異論はたくさんあると思いますよ。シンボリズムから始めるべきだとか、色々。時代順に読んでゆくのが正攻法なのでしょうけれども、ブルガーコフでがーんとやられて、それから群像社を片っ端から読んでゆくのが20世紀ロシア文学にどっぷり浸かるにはいいんじゃないかと思うのです。

そういうわけなので、ライブラリーを読んでゆきましょう。ぼくも2005年以降のものは、ちらほら未読だったりするのですが。

自転車

2011-10-26 23:17:00 | Weblog
ここのところ急速に、自転車が目の敵にされることが多くなってきていて、困る。お巡りさんだって歩道を走っている中、車道を走れとか、何言ってるんだよ、と言い返したくもなる。路肩に駐車している車の多いこと多いこと。そういうのがあるから、ただでさえ車道を走るのは危ないのに、危険極まりないことになっている。こっちだって好き好んで歩道を走っているわけじゃない。自転車が走る環境が整備されていないのにもかかわらず、急に歩道はダメ、だなんて、ちょっと拙速すぎる。

確かに、何を急いでいるのか歩道をすっ飛ばしている自転車もかなり多いので、歩行者が危険を感じるのも分かるのだけども、だからと言って自転車を歩道から締め出せばそれですぐ解決する問題でもない。歩行者の中にも、携帯でメールを打ちながらよろよろ歩いている不心得者が多いし、要は歩行者、自転車、車がそれぞれの分を弁えてほしいものだ。

歩行者に配慮することのできない自転車が増えてきているのだろうか。もしそうなら、困ったことだ。

新海誠@トリウッド

2011-10-24 22:27:46 | アニメーション
とりあえず全部見てきました。12時30分の『星追い』から、『秒速』の終わる18時過ぎまで、トリウッドにずっといました。さすがにお尻が痛くなった。

で、色々言う前に、一言だけどうしても書いておきたいことがあります。
高校生よ、学校はどうした!!

君、お昼過ぎからずっといたよね・・・。いや、まあ、いいんだよ。そんなに新海誠が好きなんだね。ぼくもうれしいよ、なんか。

さて、今日はとても幸せな一日でした。色んな発見もあったし。まず、『星追い』が初見よりもずっとおもしろかった。そして、『彼女と彼女の猫』は、心に沁みた。実は、この短い作品、これまで何度も見たことがありますが、ぼくにはそれほど響かなかったんですよね。心の琴線に触れる、とよく言われるのにもかかわらず、自分には実感できなかったので、これまで漠然と悔しい気持ち、不安な気持ちがあったのですが、今回はばっちり感動しました。いやあ、新海節でしたね。繊細な映像と台詞回しに、哀しみにも似たじわじわとした感動を覚えました。何気に名作ですね、これは。

『星追い』は、初見時は大きな劇場の最前列ど真ん中で見ていて、そのせいで画面全体に注意を集中することが難しかったんじゃないか、という反省がありましたので、今回は比較的後ろの方の座席で鑑賞させてもらいました(そうしたら『ほしのこえ』の字幕が人の頭に隠れてよく見えなかったのですが、まあそれはいいや)。すると、やはり風景描写が大変美しいという(新海作品にとっては)当たり前のことに気付かされました。そして、ところどころ泣けた。泣けたとか感動したとか言うと、薄っぺらい作品だと思われることがあったり、芸術に必要なのはそんなものじゃないんだよ、と諭されることがあったりしますけれども、ぼくはそうじゃないと思っています。それに、この作品はお涙頂戴物の安易な作りをしていない。泣かせるために人を死なせるわけではないし、ハラハラさせるために試練を与えるわけじゃない。

喪失を抱えた者たちが、必死で夢中に歩いてゆく姿に、ぼくは素直に心打たれました。初見時には幾つか気になる点もありましたが、今回はそういうことは全て織り込み済みですから、すんなりと物語に入っていけて、というか入ったままでいられて、極めて濃密な時間を過ごすことができました。思えば、新海作品は何度も繰り返し見ていると、その度ごとに作品の魅力が増してゆくんだったなあ。新海監督の作品って、ちょっと気になる箇所もあるんです。でも、何度も見ていると、そういう部分は自分の中で捨象されていって、純度の高い、何か結晶のような煌めきだけが残ってゆくんです。川辺で取れる砂金のように、余計な部分は篩い落とされていって、後には金だけが残る、というようなイメージ。確かに、『ほしのこえ』のように、最初からダイヤモンドの原石を直球で投げつけられるような出会いをした作品もありましたが、でも『星追い』の場合は、少なくともぼくにとっては、時間が経つにつれてそれまで隠れていた輝きが光度を増してゆく感覚があります。

『雲のむこう』についてはもう既に何度も何度も書いているような気がするので、簡潔に。ラスト間際のサユリの台詞「藤崎くん」に、ぼくは痺れた。痺れ過ぎた。そうか、こんな見事なまでに淡白でそっけない言葉であったか。この、全てを物語る重たい台詞は。それから、この作品は詩だと思った。

『秒速』についても書いたことがあるように思いますが、ほんのちょっとだけ。今までどういう訳か見落としていましたが、中学1年のとき、タカキはラブレターをもらっているじゃないか!あと、結婚するサユリばっか責めるのはよくないよな、と思いました。タカキだって付き合っていて、ひょっとしたらそのまま結婚ってことになったのかもしれないじゃないか。うん。そうだ。成り行きですね、そういうこともあるものですよ。

最後に。きのうは『秒速』上映時の約半数が女性だったと聞きましたが、今日はやっぱり男性率高かったよな。ぼくの両脇はたまたま女性でしたが・・・。ああそうだ、高校生よ、大学に入っても、出ても、新海誠を好きでいてくれよ。

トリニティ・カレッジに逃げた猫

2011-10-23 22:44:16 | 文学
ロバートソン・デイヴィスのこの短編が、ひどくおもしろかった。『異色作家短篇集』を今ちびちびと読んでいるところなのですが、ブログ・タイトルの作品もここに収録されています。

『フランケンシュタイン』を下敷きにした、ゴシック小説のパロディ的作品で、文句なしに笑える。若き科学者によって造り出された人造ネコが普通のネコの12倍の大きさで、というのはフランケンシュタインに倣っているところなのですが、しかもゴシック小説風の人語を操る、となると最早倣っているというかおちょくっているという感じです。

現代風のカレッジ・ライフにゴシック小説の仕掛けをちょこちょこと出してくるのもおもしろいし、事件の顛末の付け方も、予想通り過ぎて笑えてくる。

同書に収録のシュクヴォレツキーの短編はポーの短編を下敷きにしていたのですが、こちらはパロディというか文学的引用という風で、古典的。

別の作品を自らに巧みに取り込んで小説を書く、という手法はこれまでに何度も試みられてきたのでしょうが、大事なのはその別の作品との距離感。よく「批評的距離」という言い方がされますが、おんぶにだっこ状態で本歌取りするか、それとも十分な距離を取って批判を忍ばせるか、適度な距離感で笑いを含ませるか。それらはあるいはオマージュと呼ばれ、あるいはパロディと呼ばれ、あるいはパクリと呼ばれ、あるいは冒涜と呼ばれ・・・距離感や手法の露出の度合いによって、呼び名が様々に変わります。

今回の「猫」は、その距離感とユーモアのセンスが抜群なのでしょうね。とてもおもしろい小説でした。

例えば、書かないという選択

2011-10-21 22:26:40 | Weblog
書いてばかりいるとじっくり勉強できないから、書かないという選択肢もありだなと思い始めています。実績だの業績だの、基本的にぼくはそういうのを気にしない性格なのですが、ただ、自己満足というか、見栄というか、そういうのがあるから今まで書いていたのです。でも、そういうのもどうでもよくなってきました。書かないという選択が、より深い勉強に繋がればいいのですが。

例えば、読まないという選択。何をする気も起こらなくて、本は読みたいと思っているはずなのですが、いざ本を目の前にすると、読む気がさらさらないことに気が付く始末。本を読むことで得られる情報と充実感と喜びを再び味わいたいと思っているのですが、しかしそれを果たせるだけの根気がない。それらを一瞬のうちに手に入れられたら、と思ってしまうのです。読書ができるだけの辛抱がまるで足りない。何かをやり抜き通すという気が起きないのです。そうだ、これは読まないという選択ではなく、読めないという悲嘆。

何をするのも面倒で堪らない。こういう人間は大成しないのだろうな。めんどいめんどいめんどいめんどいめんどい。パソコンを開くのもめんどい。文字を打つのもめんどい。だから最近ブログの更新が滞ることが増えているし、文字数も以前と比べて減ってきている。はあ。

自由に、娯楽としての読書を楽しみたいものですが、それもままなりません。やれやれ、ぱーっと遊んで、おいしいものを食べて、綺麗なところへ出かけて、のんびりしたいなあ。

もう一人の新海さん

2011-10-20 22:18:40 | アニメーション
「山と人」新海岳人アニメーション作品 Mountain & Man, Taketo Shinkai


初めて「新海岳人」という名前を聞いたのは、もう何年も前のことですが、この人と新海誠とは何の関係もないですよね、たぶん。こっちの方の新海さんは、ご覧になれば分かる通り、動きというものを最小限に抑え、ほぼ会話のみで作品を作り上げています。ユーモアがあってけっこうおもしろいのでこういうのもアリだとは思いますが、個人的には、別にイチオシというほどでもないかな、という感じなので、これまでも特に言及してきませんでしたが、最近はブログのネタに困ることが多いので、今日はちょっと紹介してみました。時間のある人は見てみてください。

ユーモアと言えば、黒坂圭太の『緑子』を見ました。今年の初めにメディア芸術祭で見そびれて(インフルエンザにかかったっぽかった)、諦めかけていたのですが、渋谷で上映中とのことなので、行ってきました。かなり不気味な登場人物が多いのですが、ユーモアも随所に挿入されており、一言では形容しがたい作品でした。前情報なしで見に行ったら内容がほとんど掴めなかったのですが、後でチラシの解説(というか世界観の設定)を読んだら、なるほどそういうことだったのか、と得心がいきました。映画の中では全く説明されていないので、なんのこっちゃ、という状態だったのですが、なるほど、あの五人組は科学者たちだったのか・・・。ちなみに黒坂圭太監督のPV『Agitated Screams of Maggots』も見ましたが、こっちも凄いなあ。背徳的というか、残虐趣味というか、ゲテモノ好きというか。これに比べれば、『緑子』は割と陽気な映画ですよ。

初めてロシア文学を読む君へ(6)

2011-10-18 00:22:44 | 文学
帰ってきました。このシリーズが。いつの間にか忘れ去られていたこのシリーズが。今日から連載再開です。不定期ですが。需要はあるのか?いや、どこかの誰かがいつかロシア文学に興味を持ったときのために、書いておく価値はあるはずです。きっと。

さて、今日は19世紀編のおさらいと補足。

これまでの回では、プーシキン、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、ゴーゴリ、コロレンコ、ガルシン、ツルゲーネフ等を取り上げて、そのお薦め作品を紹介してきました。19世紀ロシア文学は非常に豊饒な時代ですから、これらの作家の作品を読むだけでも多大な時間が消費されますが、しかしそれ以上の満足感が得られるでしょう。

ただ、19世紀ロシア文学はもちろんこれらだけではありません。既に紹介していますが、『ロシア神秘小説集』には貴重な幻想文学が収録されていますし、作家としても、レスコフやゴンチャロフがまだ残っています。

レスコフは、岩波文庫から『魅せられた旅人』と『真珠の首飾り』が出ています。また、『封印された天使』も有名ですが、これは入手しにくいかもしれませんし、題名から期待されるわりにはそれほどおもしろくない、というのが正直なところで(個人的な感想ですが)、岩波文庫を読んでおけばとりあえずOKだと思います。もっとも、この作家は原文で読むべきだ、と考える人が多いのですが、その理由は彼の文体にあるようです。しかしここでは翻訳でロシア文学を読もう、という趣旨ですから、そのへんは勘案しないことにします。

次にゴンチャロフですが、彼は何と言っても『オブローモフ』ですね。更に『日本渡航記』、『断崖』(いずれも岩波文庫)が有名です。

また、やはり岩波文庫から、ネクラーソフ『ロシヤは誰に住みよいか』とシチェードリン『ゴロヴィリヨフ家の人々』が出ており、これらも読んでおくとよいでしょう。後者はロシア文学史上最も陰惨な小説と呼ばれているとか。

これらを読破したら、あるいは読破する前でも構わないのですが、やはり『イーゴリ軍記』(『イーゴリ遠征物語』)とアファナーシエフ編『ロシア民話集』と『クルイロフ寓話集』は押さえたいところです。そして、グリボイェドフ『智慧の悲しみ』。変わり種では、『ロシア好色昔話大全』なんかもあります。

これで20世紀以前のロシア文学は、ほぼ完璧です。
なお、作家や時代のことを体系的に知りたいという人には、リハチョフ他『中世ロシアの笑い』、ヒングリー『19世紀ロシアの作家と社会』をお薦めしておきます。ちなみに、20世紀の作家ですが、プリーシヴィンという人がおりまして、彼の書くものを一読すれば、ロシアの精神や自然といったものが、とても身近に感じられるようになると思います。

かなり駆け足になってしまいましたが、以上6回の「初めて~」シリーズで、20世紀以前のロシア文学の紹介は済んだことにします。触れることのできなかった作家や作品は当然まだありますが、ここで言及した作品だけを読んでも、かなりのロシア文学通になれること請け合いです。

というわけで、次回からはいよいよ20世紀!・・・でも次回っていつだろう?

ジンジャーリリィ

2011-10-16 00:07:00 | 音楽
やみくろさんの新曲『ジンジャーリリィ』を聴いていた。『いきてくちから』と同時に生まれたといい、二曲セットで聴くと泣ける。

『空っぽの空に潰される』は、サビの疾走感が癖になる。一週間限定視聴ということだけど、既にYouTubeとニコニコにアップされている。しかしそれも見越した上での試みか?

以下、覚書。

アップリンクでの『緑子』上映は今週金曜まで、17時からと21時から。
新海作品全作品を見るには、学生2600円、大人3600円。28日まで。12時30分から。
『とある飛行士への追憶』はテアトル新宿で、11時45分からと14時から等。
トリウッドでは11月26日からWAT開催。日本のCG作品も上映。セカイ系セカイ論あり。
ちなみに10月29日は、宇宙人と戦えます、一日だけ上映。午前中。

こんなところかな。

忙しい一週間

2011-10-14 23:51:11 | Weblog
嵐のような一週間が過ぎようとしている。
もうへとへとです。
きのう、今日、と疲れました。

さて。ときどき「寂しい」と思うことがあります。独りでいるときも、大勢といるときも、その間に差はなくて、この寂しさは突然、何の前触れもなく、思いがけないときに襲ってきます。いや、それとも、やはり寂しくなるときはいつも決まった状況なのかな。ある条件下で寂しくなるのかな。

寂しさの具体的な内訳をここで書くのは憚られるのですが、なんというか、ぼくはいつもワクワクしていたい。誰かと心を通わせたい。自分のことを分かってもらいたい。心を開ける相手が欲しい。心を開いてくれる相手が欲しい。そして、その交流にいい意味でドキドキしていたい。

もっと言うならば、誰か相手に接近してゆく過程が好きです。胸襟を開いてしまった交流というよりは、いかにして心を開くのか、という動的な交流。相手のことをもっと知りたい、と思っている好奇心の強い交流。

でもまあこの話はいいや。誤解を与えそうだし。さあそろそろ日付が変わる。今日の日にさようなら。

ちょっと百草園にでも行きたいな。紅葉の頃に。

空っぽの空に潰される

2011-10-12 17:22:21 | 音楽
『千年幸福論』のライブを予約しました。さあ、当選するかなあ。
で、ただいま『千年幸福論』の「空っぽの空に潰される」という歌を聴くことができます。過去の自分が仮想敵・・・ふむ。

一日中部屋に籠っていると、書くことが何もないな。今日は自分の勉強も兼ねて授業の予習をしていたんだけれども、なぜか時間が異様にかかりました。ひっかかりながら進んでいる。

明日からまたバイト始めます。せめて、人並みに。

一仕事終わり

2011-10-09 23:07:17 | お仕事・勉強など
学会は無事に(たぶん)終了。
厳しい質問が飛んでくるんではないかと戦々兢々としていたのですが、皆さまお優しくて、感謝です。聞きに来て下さった方々には、お耳汚し(って言葉あるのかな)だったんじゃないかと心配だったりもしますけれども、ともかくどうもありがとうございました。

発表の間は、前を向くと緊張しそうなので、ひたすら下を向いて喋ってました。去年、先輩からもっと前を見た方がいいのでは、とアドバイスをもらっていたのですが、活かすことができませんでした。というのも、前を向くとあがってしまいそうだったからで・・・というのは繰り返しですが、つまり、そういうことです。もっと度胸をつけないといけないかなあ。

懇親会では、知り合いがいないもので、孤立している時間が長かったのですが、そんなぼくに話しかけてくださる先生もいらっしゃって、どうもありがとうございました。もっとも、ぼくはけっこう人見知りで、且つ口下手で、だから十分に慣れていないと黙り込んでしまう癖があるので、そこは申し訳ありませんでした。あと、権力に弱いのか、自分よりも年配とか立場が上の人だとかが相手だと、すっかり恐縮してしまうのも癖です。・・・癖なのか?

他の発表者ともちょっとだけ話をしました。ぼくはまだペーペーなので、もうちょっとじっくり意見交換ができればよかったかなあと思っています。そのうちの一人にはメアドを教えてもらったので、何かあったらメールをやり取りしたいですね。

ぼくは人付き合いが極端に悪いので、同世代の研究者の知り合いがほとんどいないものですから、こういう場を積極的に活用すべきだったかなあ、とただいま反省中。もっと自分からアプローチしないとだめだよなあ、きっと。でも自分なんて・・・とか思ってしまって、話しかけられないんだよなあ。顔を覚えてないだろうし、とか思って話しかけれれないってことも多々ある。

何はともあれ一仕事終わったのでさあ休もう・・・と言いたいところですが、火曜までに、課題で30ページくらいロシア語を読まないといけなかったりするのだった・・・無理?ともかく明日、やれるところまでやるか。今日はもうやらないってところがまあぼくらしいのかな。