Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

手帖

2013-01-31 17:13:04 | Weblog
私を嘲弄する声が聞こえる。

さぞや満足だろう。今頃悦に入っているだろう。

本当に苦悩している人間は、本を読んだりはしない。バラエティは見ても、ゲームをしたりはしない。なぜならば、苦悩以外のものに没入できるのならば、それは既にして苦悩ではないからだ。

苦悩の味を知らない人間が、苦悩を続ける作家の心中を推し量ることは絶対にできないと断言したい。

「馬鹿」と耳の傍で囁かれる。

心の苦悩を知らないものが、体の苦痛を訴える。体の苦痛を知らないものが、心の苦悩を訴える。溝。

臨界点突破。

繰り返し。

その出来事の前でも後でも何も変わらない。何も変わらなかった。どちらか一方がこの世から消え去るしかない。「馬鹿」と耳打ち。

決行。

スレスレ

2013-01-31 03:43:10 | Weblog
自分でも少し偏執的になっているのが分かるが、書いていなければ頭がおかしくなりそうだ。

一つの疑惑にもう一つの疑惑が重なった。いや、後者は既に「疑惑」ではなく、「確信」スレスレの推量だ。こんなふうに書くと本当に頭がおかしい人に見られそうで嫌なのだが、恐らくぼくは騙されていたのだと思う。騙されていた、と書くといかにも不穏だけれども、もっと穏当な表現に変えれば、秘密にされていた、ということになる。知らされていなかった。事実とは違うことを信じさせられていた。たとえどんな理由があろうとも(それがどんな理由だか見当もついているのだが)、これはあまりにも不誠実な仕打ちだ。怒りが沸々と湧いてくる。

ああ、これほどの辛苦を異国で一人で耐え忍ばねばならないとは!
冷蔵庫の音にビクリと反応する。
もう自分は「ここ」で生きることはできない。動悸。動悸。動悸。

書くことしかできないから

2013-01-31 00:58:10 | Weblog
断片。

奇妙な人。
「こんがらがった、こんがらがった(直訳)」と言いながら自分の部屋を探し回っていた、隣室のロシア人。

勘違い。
エクスカーションは明日、という電話が今さっきあった。今週の月曜ではなかったらしい。で、「プーシキン博物館/美術館」に行くというのだけど、モスクワには「プーシキン博物館/美術館」と呼ばれる博物館/美術館が4つくらいあり、てっきりヨーロッパ絵画をコレクションしたプーシキン美術館に行くのだと思ったら、プーシキンが昔住んでいたという家を博物館にした場所へ行くようだ。「スモレンスカヤ駅」に13時半~14時の間に待ち合わせと言われたのだけど、まず「スモレンスカヤ駅」という名前の駅が二つあること、そして待ち合わせ時間に30分も幅があること、といったことが気になって仕方ない。前者に関しては、より博物館に近い方の駅が待ち合わせ場所なのだろうと推測するけれど、後者に関しては、結局のところ皆14時に集合するのではないかと思われてならない。

後悔。
高校は馬鹿みたいなところだったので、自分は社会科は世界史と地理しか勉強できなかった。でも、日本史や倫理も勉強すればよかったと今更ながら後悔している。世界史に関して言えば、授業で習ったのは中世ヨーロッパだけで、あの高校に通っていて且つ自習をしなかった生徒は、高校で覚えるべきことのほとんどを知らないまま卒業していったことだろう。可哀想な話だ。ぼくは受験のために世界史を自学自習することで精一杯だったので、倫理や政治経済や日本史にまではとても手を回す余裕がなかった。残念な話だ。高校側は、極めて緩慢な進度で非常に狭い分野しか生徒に教えようとしなかったわけだが、どういう意図でカリキュラムを組んでいたのだろう。興味が湧けば大人になって勉強してからでも間に合うと考えていたのだとしたら、無責任にも程がある。幅広い知識を体系的に身につける作業は、高校生のときにやっておくべきだったと痛感している。自分にこういう負い目・劣等感があるから、何か分からない用語があったりすると、高校のときに学習しておくべき知識を知らないからではないか、と無性に悔しくなる。これで奮起して努力、高校の学習内容を勉強するだけの意欲がもしあれば、世間には秀才だけしかいないことだろう。

疑惑と打ち消し。
疑惑を抱いているときは、胸が熱くなり、鼓動が早まる。しかし時折り打ち消しの精神が甦って来て、疑惑を打ち消そうとするが、そうすればそうするで、虚しさばかりが心に残る。

アリストテレス。
結局アリストテレスって何をした人なのかが分からない、ということに今気が付く。ニーチェは?ハイデガーは?キルケゴールは?カントは?その著作はもちろん読んでいるけれども、彼らが結局何だったのか、ということが分からない。知識は断片化し、統合されることがない。ぼくの知的活動は、分析的方向にのみ及んでいる。

どんなに嫌ってもぼくを受け入れてくれた世界に。
アポロジー言いてえな。

エピソード

2013-01-30 19:24:26 | Weblog
中学生の頃、結婚式とお葬式と日にちが重なったらどちらへ行くか、という話をしたことがある。ぼくはちょっと考えてから、「お葬式」と答えた。彼女も「お葬式」と言った。「だって恨まれそうじゃない?」「そうだね」とぼくは言った。
でも、このときぼくの考えていたのは別のことだった。その「別のこと」が何だったのか、今でははっきりと思い出すことはできないけど、たぶん、お葬式に行くことは、もう亡くなってしまった人に対してできる最後のことだと考えたのじゃないかと思う。結婚する人たちに対しては、これからいくらでも何かをしてあげられる。でもお葬式は、それをする最後の機会なのだ。あるいは、こんなふうに考えたのかもしれない。結婚式はどうせ幸せな場だ、ぼくが行っても行かなくても差し支えない。けれどもお葬式は悲しい場だ、一人でも嘆く人が多い方がいい。もしかしたら、彼女も同じようなことを考えていたのかもしれない。口では「恨まれそうじゃない?」と言っていたけれど。
ぼくが彼女のお父さんのお葬式に行ったのはそれから一年後のことだ。

大学3年生の夏に、祖母が亡くなった。お葬式は夏にしてはとても涼しい日で、気持ち悪いほどだった。まず祖母を棺に入れ、それからお寺に向かい、お経をあげてもらった。従姉が祖母に死化粧を施した。このあと、火葬場に直行することになっていた。ところでぼくはこの日、大学で大事な試験があった。この試験を落としてしまうと、教員免許を取るのが危ぶまれた。母が「お前は大学で試験を受けなさい」と言った。「火葬場までは来なくていいから」と。ぼくはその言葉に従って、一人タクシーに乗り込み、ターミナル駅で降りた。試験には無事合格した。大学を卒業するとき、教員免許ももらえた。でもぼくは教員にはならなかった。

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疑惑の種は、雪だるま式に巨大化する。朝目が覚めたとき、頭を領していたのはこの疑惑だった。一つ一つ事実を確認する作業。もちろん、まだ決定的ではない。全ての正解は、ただ時だけが教えてくれる。でももし、その「正解」が実現してしまったら、どうしよう?

疑惑

2013-01-30 04:22:06 | Weblog
ある「疑い」が頭から離れない。しかしその「疑い」を解消する術は、もはやない。頭の中で検証を重ねてみるに、いよいよ「疑い」は濃厚になるばかりだ。ひょっとしたら、自分はまんまと嵌められたのではないか?この「疑い」が萌したのは既に去年のことだけれど、ここに来てその「疑い」は一挙に現実味を増し、膨張し、ぼくの脳髄を押し潰さんばかりになっている。ぼくは強迫観念に苦しめられたことはほとんどないのだけど、急速に「疑い」が増長を始めている。もしかしたら、ひょっとして、という段階を今にも突破し、そうに違いないという確信に至るほどの勢いがある。いや、これは妄想の類ではない。一つ一つ事実を積み重ねて得られた結論なのだから。結論?もう「結論」なのか?違う、まだこれは推測の域だ。だからこそ「疑い」なのだ。ただし、いま嫌なことが起きているのは確かだ。この「疑い」が事実無根であればよいのだけど・・・

隣室の中国人がアーモンドを勧めてくれたので、どこで売ってるんだと聞いたら、どこにでもあるようだった。早速近くのお店でアーモンドとピーナッツを購入、退屈で所在ないときはこれを食べて気を紛らわせるようにしている。

この感情が失われる前に

2013-01-29 05:14:08 | Weblog
連続して投稿してしまいます。先のエントリで、病気の症状がほとんどない、と書きましたが、ぼくは自分の病気の症状というものを実は知りません。今の時代、病名を宣告されたらそれについてネットで調べるのが常識かもしれませんが、ぼくにはそんなことへの興味関心が皆無だった。ネットの情報を侮っていた所為かもしれませんが、自分で調べる意欲はさらさらありませんでした。

しかし、「感情」というものが少し気になって、色々とネットで検索していたら、出てくる出てくる、情報が山のようにある。その中に、「アレキシサイミア」「アレキシソミア」という言葉を見つけました。似たものとしては、「感情鈍磨」というものもありました。「アレキシサイミア」は、感情を表現できない、内省できない、感情をコントロールできない、などの症状が典型であるようです(たぶん)。これは身体感覚の欠如とも深く関連しているようです。

優しい人とか、怖い人とか、そういう人間の性質は、他者からは絶対に分からないのではないか、と思います。例えば、ぼくは基本的に知人や友人には優しく接しますが、その主な理由は自分が臆病だからです。つまり、嫌われたくないとか、そういう内向きな理由から、優しく接するのです。必ずしも相手を思いやった末の優しさではない。しかし、結果的にはこの態度は「優しい」態度でしょう。逆に、本当はとても相手のことを思いやっているのに、恥ずかしさからそれを態度で示すことができないという事例も多々あるでしょう。これは親しい間柄、恋人関係や家族関係などによく見られると思います。結果的にこの態度は「恐ろしい」「無礼な」態度となるでしょう。・・・そんなことをぼんやりと考えて、ネットで検索してみたら、「アレキシサイミア」という言葉に出会ったのでした。

いま、こういった事柄について理解を深めたいという欲求が初めて高まっています。でも、それは恐らく寝て起きたら跡形もなく消え去っている感情でしょう。ぼくには喜怒哀楽はある。でも「興味」が失われている。それが非常に大切なことであっても、それを知りたいという関心がない。これはなんだ?「アレキシサイミア」ではない。じゃあこれはなんだ?ビルの屋上から眼下を見降ろしたときのように、自分の中の欠落にぞっとする。

思ったことなど

2013-01-29 02:32:07 | Weblog
センター試験の小説が難しかったと聞いて、読んでみましたが、牧野信一じゃないか。内容も別にどうということはない。設問が難しかったのかな?カタカナが多用されているとか、やたら「スピンスピン」が話題になっていたので、ローマ字日記的なものが出題されたとか、余程奇抜な内容なのだろうと期待して読んでみたら、何のことはなかった。牧野信一を知っている高校生はあまり多くないかもしれないけれど、これくらいの文章は抵抗感なく読めてもいいはずじゃないかと思う。

大学が冬期休講になったらしく、どうやら授業がないようです。代わりにエクスカーション(社会科見学とでも訳せばいいのか?)に行きましょうという話になって、facebookに連絡を回すということになったので、やっていないぼくには後で連絡を入れるという話に落ち着いたのだけど、結局そんな連絡は来ず、ぼくはエクスカーションに行かなかった。それとも日にちを間違えているのか?じゃあ今日は授業があったとか?よく分からない。明日はとりあえず滞在登録書を受け取りに大学まで行きます。が、明日はもともと授業のない日なんだよなあ。様子を見ることができません。

授業が休講になるのに合わせてかどうか知りませんが、寮の食堂がこの期間、昼から夕方までの営業になりました。したがって、夕飯を食堂で取ることができない!しかし昼間はやっているので、今後しばらくは昼食を食堂でいただき、夕飯は部屋で済ませることにします。今日は早速そうしてみましたが、いつも夕方はガラガラの食堂が、昼間は大変な賑わいだったので驚きました。でも観察してみると、お客はどう見ても学生じゃない。中年のおじさんがほとんどなのでした。どういうこと?

今日は日中の間、平時より余計体が重くて気だるかったのですが、これはやはり薬の副作用なのだろうか。無気力、倦怠感、だるさ、落ち着かない感じ、といった要素は以前服用していた薬の副作用の症状でもあり、ただしその程度が以前に比べてかなり微弱であるため、これまで我慢してきましたが、もういい加減薬をやめたい。病気の症状はほとんどないので、自分で自分が病気だとは思っていないのにもかかわらず、これまで薬の服用を続けたのは、「惰性」という一言で説明できます。一度この鎖を断ち切らねばならないような気がします。

春の予感

2013-01-27 23:48:54 | Weblog
モスクワは、もうだいぶ日が長くなりました。夕方6時でもまだ闇は薄く、ビルディングは残光に照らされています。2月4日は立春。そろそろ春が近いのかもしれません。天気予報によれば、今週から寒さが和らぎ、暖かくなる模様です。

去年の間に何度もメールをやり取りし、日本への一時帰国中は実際に会ってお茶をおごってもらい、論文について(僭越ながら)アドバイスさせていただいた先輩が、もうすぐ論文審査を受けるみたいです。是非がんばってもらいたいですね。留学のことで励ましてもらったり、あと別件で相談させてもらったりもしたので、できれば大学に駆け付けて応援するのが筋なのですが、そうもいかず。もどかしい・・・。

そういえば、日本では色んな人たちと会って話をしたけれども、帰れば再会を喜んでくれる人たちがいるんだよな。そうだ、すぐ会えるさ。

優しさとは

2013-01-27 06:12:23 | Weblog
優しさとは、相手のことを想う気持ち。そう考えているし、考えてきた。したがってそれは普段、行為としては表出されない。誰かに贈り物をあげたり、年寄りの荷物を持ってあげる行為は、往々にして優しさの表れであると解釈されるけれども、ぼくはそうは考えないし、考えてこなかった。もちろん、それが相手を想った上での行為であれば、優しさの表れであると言えるかもしれない。しかし、半ば義務化され習慣化された行為は、既に優しさではない。

相手のことを想うとは、どういうことか。相手の便宜を図ることか、相手の体調を慮ることか。いずれも正解だろう。しかし恐らく、もっと単純で密やかで原初的な正解がある。それは、文字通り相手のことを考える、ということだ。なるほど、それはときには自分の一方的な想像に過ぎないことがある。しかし、特定の誰かに思いを巡らせるということは、いつも誰もが誰に対してでもできることではない。

相手のことを考えるだけで、その相手の便宜を図ろうとしない人間がいるかもしれない。相手を喜ばせることに思いが至らない人間がいるかもしれない。でもそういう人の中にも、優しさは溢れているのだ。きっかけさえ与えられれば、その人は相手の為に力を尽くすだろう。というのも、その人間は相手のことばかり考えているからだ。

つまるところ、優しさとは恋の一種なのかもしれない。いや恋が優しさの一種であると言うべきか。

ぼくはよく人のことを考える。今頃、彼・彼女はどうしているかなとか、そんな他愛のないことだ。でもそれもまた相手を想う気持ちであり、つまり優しさなのだと思う。

ぼくは行為に現れた優しさを信用しない。本心ではその人が何を考えているのか分からないからだ。陋劣な思いを抱きつつ、人に優しくする人間がいる。したがって言葉に表れた優しさも信用しない。でも、多くの人は行為や言葉に表れた優しさしか見ようとしない。それも当然だ、心の中の優しさは誰にも見えないのだから。よく小学生が、恋する相手にかえって意地悪をしてしまうように、優しさを秘めている人がその感情をそのまま行為に移すことができないことは大いにありうる。恋は優しさの一種だからだ。

優しさの原点は、相手のことを想う気持ち。そう言うのが正確だろうか。この原点を蹂躙することは、誰にも許されない。

孤独でみじめなあのこにあっちっち

2013-01-24 04:39:16 | Weblog
孤独でみじめで思い悩む。
こちらに来てからまだ日本人と会っていないどころか、誰かとまともに会って話をしていない。それで別に困ることはないけれども、人はパンのみで生きるにあらず、精神的な糧がなければ人間らしく生きていけない。それにしても孤独がこたえる。孤独への耐性が強い人と弱い人とがいるけれども、昔の自分は前者だった。でも今の自分は後者だ。孤独が過度だとみじめで死にたくなるので、できれば避けたいのだが、しかし孤独を癒す方法がない。

まずい、みじめすぎる。生来の引っ込み思案とある種の対人恐怖と語学の不安が由来して友達ができない。ここにいる日本人の知り合いは皆それぞれ忙しくしているようだから声をかけられない。益々自分がみじめに感じられる。みじめで孤独だから誰かと話したくなる。でも誰も相手がいない。益々自分がみじめに感じられる。だから誰かと話したくなる・・・。

友達づくりというのは昔から苦手だったのだけど、こういう人に劣っている性質が自分にあれば、努力して改善しようとするのが本当らしい。人に劣っている部分は、みな努力で補っている、と前に人から言われたのだが、努力できるということ自体が才能であるとはよく言ったもので、自分には昔からこの努力するという才覚が決定的に欠けていた。欠けている部分は努力して補わなければいけないのだけど、でもその努力ができないわけで。「努力が足りない」という物言いは、自分の最も嫌いな発言の一つなのだけど、努力したくてもできない人が現にいるのだ。それは甘えではなく、無気力という精神状態に陥っているためだ。努力のできる人間はいずれ成功する気がするのだが(しかしだからと言って人に努力を強いてはいけない)、自分のような努力できない人間はこれからどうなるのだろうと不安。まあ見ていてほしい。
さて、友達づくりは苦手だったのだけど、学校に通っていた頃は(いまも通っているけど)、幸い向こうから声をかけてきてくれた。自分からは特にアクションを起こしたりはしなかった。周囲に恵まれていた。(クールなあのこはきっとあっちっちだから、皆さんも敬遠しないでほしい。←元ネタを知らなければ意味不明か?)

しかし異国では本当に独りぼっちだな。人間、結局独りなんだよと冷め切った物言いもまた嫌いなので、そんなことは言いたくないのだけど、自分が孤独でみじめだとそんなことも嘯きたくなる。いや、でもやっぱりこういう発言は嫌いだな。しかしだからこそ、自分が本来あるべき友好関係から切り離されているのを痛感して、いよいよ孤独が身に沁みる。

一人で思い悩んでいると頭の中で悪い思考が加速していくのを感じる。

言葉遊び

2013-01-23 05:33:57 | 本一般
そういえば日本でピエール・ギロー著『言葉遊び』を読んだのだった。

フランス語を解さない自分としては、読みながらもどかしい思いもあったのだけど、それなりに楽しめた。ロシアにもこういう本はないだろうか(しかも翻訳が)?

ある種の言葉遊びというのが、言語の壊乱と革新を企図するのだとしたら、それは確かにシュルレアリスムの実践と相通ずる。「優美な死体」(翻訳ではたしか「妙なる死体」だったか)の実験が、言葉遊びの一つとして挙げられているのも頷ける。ここで思うのは、言葉が先か理念が先か、ということで、シュルレアリスムが理念先行だとしたら、『不思議の国のアリス』などは言葉が先行しているのではないか、と当てずっぽうに思ったりもする。言葉と理念の先頭争いは実は重要で、何らかの理念の下に言葉遊びが行われていれば、その作品はその理念の名称で呼ばれることになるけれども、もし理念や哲学がなく、言葉遊びが言葉遊びのために行われていれば、それはノンセンスと呼ばれるのではないか。いやノンセンスというのもある種の哲学であるとすれば、言葉遊びのための言葉遊びは、それ自体で一つのジャンルを形成するのかもしれない。・・・『ノンセンス大全』を読んでいないので、あまりに勝手なことは書かない方が無難かな。

それにしても、エスリンは『不条理の演劇』(誰か第二版を新たに翻訳して出してよ)でベケットやイヨネスコを扱っているけれども、彼らの文学はどこから来たのか。不条理というのは、本来意味のない世界に意味を見出そうとしてしまう人間の絶望的状況だというのが一般的な理解だけれども、そういう哲学的なバックボーンがなければ「不条理演劇」は存在しなかったのか?カミュの演劇が不条理だというのが、仮にその哲学性(理念)から来ているとすれば、イヨネスコの演劇が不条理だというのは、恐らくその言語実験や芝居全体の非論理性から来ていると思う。そしてその言語実験や非論理性は、人間と世界の対立という実存主義における不条理を抜きにしても成立しうる。実際、イヨネスコの演劇と多くの点で共通する作品をハルムスが書いたのは、実存主義哲学が現れる前のことだ。もちろん、ハルムスの思想に実存主義的な危機を読み取り、彼を実存主義/不条理哲学の先駆者とみなすことは可能だろう。しかしながら、一方で彼の言語実験は明らかに実存主義とは無縁であり、もし不条理演劇が内容と形式(言葉)双方において「不条理」と称せられるのだとしたら、ハルムスの作品における「不条理」は、内容はともかく、形式の面から言えば実存主義を経ない不条理ということになる。

言葉遊びは、しばしば不条理(条理にそぐわない)なイメージを醸し出すけれども、それは往々にして何らかの哲学に裏付けられているものではない。もちろん実存主義とは無関係だ。ダダイズムの音声詩やロシア未来派のザーウミも言葉遊びの一つとして捉えることができるかもしれない。そしてザーウミを用いたある種の作品が、イヨネスコら不条理演劇と類似するとき、ぼくらは否応なくそこに実存主義哲学とは別のバックボーンを見出す。

改めてエスリンを読み直そうと思うのだけど、それは当分先になりそうだな。

壊れる

2013-01-22 03:58:41 | Weblog
出来事。

空港から外に出た瞬間、空気が東京のそれとはまるで違うのを感じた。猛烈に寒い。

ボヤ騒ぎの翌日、事情聴取された。そして紙に見たことを記し、署名した。よく分からないが少し不安になった。

日本で購入したネックウォーマーが、ロシア滞在三日目にして早くも壊れた。ファスナーが壊れて、直そうとしたら完全にいかれてしまった。無念。買ったときからチャックの調子が悪かったのだが、まさかこんなことになるとは予想だにしていなかった。

それにしても眠い。

戻る

2013-01-20 03:38:36 | Weblog
やれやれ、モスクワに戻ってきてしまった。
飛行機では、退屈と不安と寂しさにやられたけれど、これからはこの部屋で孤独に耐えなければならない。

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いま、隣の部屋の電子レンジから煙が出て、大騒ぎになった。
そしてパソコンの電源が消えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記(モスクワ時間午前11時半)
昨晩のうちにボヤ騒ぎも収束し、電源も復旧(冷蔵庫も止まってしまい焦った)。
これからのことが不安で胸が鉛のようだけれども、夏まで乗り切らなければならないのだなあ。でも夏の前にとりあえず春を待つことにしよう。

ロシア語の学習

2013-01-17 01:30:27 | お仕事・勉強など
せっかくロシアに留学していても、部屋で論文を読んでばかりいたら日本にいるのと何ら変わらないので、会話の勉強に精進することにしました。そこで、ぶらりと立ち寄った本屋で早速ロシア語参考書を購入。『口が覚えるロシア語』という、例文暗記に役立つ本です。日常生活でよく使用されるフレーズを丸ごと覚えてしまおうというわけですね。ただ、ぼくは以前にも日常会話を勉強するための参考書を買っているのですが、そのままうっちゃっているのです。他にも、ロシア語熟語集とか持っているのですが、早々に挫折。ロシア語学習でやり遂げたのは、『ロシア語重要単語2200』だけです。このままではいけない!と思いつつ、やる気がなかったり体がだるかったりで、なかなか勉強に身が入りませんでした。しかし、ロシアでの生活は思っていたよりもずっと暇であることが分かったので、その退屈な時間を勉強に充てたらいいのではと考えて、今回渡航する際には参考書を何冊か持参する心算です。『口が覚えるロシア語』もそのうちの一冊に数えよう。60課600例文あるので、一日1課10例文として、2カ月で終えられる計算。

もう一つの懸念は、やはり聞き取り。これまで色々と試してみたのですが、どうしても長続きしない。せいぜい1か月が限度という体たらく。大抵の場合は2日(!)もたない有様。3年ほど前に『NHK WORLD』というサイトがいいという話をどこかで聞いて、「お気に入り」に登録したのはいいですが、それで終わり。音声を聞いてもさっぱりなので、諦めたのでした。朗読テキストが読めるという話だったのですが、そのテキストが見つからない。概要を記したテキストはあるのですが、朗読している文章そのままを読めないと、意味がない。でもとりあえず、明日からこのサイトで聞き取りの勉強をしようかなと思ってます。意味不明の音声を漫然と聞いているだけで効果があるのか分からないので、止めてしまうかもしれないけど。でも、NHKのラジオ番組はネットでも聞けるので、それは毎日続けようかな。あと、去年ナウカでリスニング教材を購入していて、それも面倒で聞いていなかったので、ロシアに行ったら勉強しようかな。ただ、MP3をパソコンで再生するという、それだけの作業が面倒で面倒でたまらなくて、これまでやってこなかったんだよな。・・・でもロシアではパソコンを起動させることくらいしか暇潰しがないので、きっと平気になるさ・・・

というわけで、今までサボりにサボっていたロシア語の学習を始めようかな。せめてロシアにいる間は続けよう。

17年前の雪

2013-01-15 01:17:11 | Weblog
※以下の記事で、「17年振りの大雪」と書いていますが、実際には「7年振り」の間違いでした。

17年振りの大雪だったらしい。都心でも7・8センチ積もったということだが、我が家の付近では明らかに10センチ以上の積雪があった。夕方に雪かきをして家の前だけ道を作っておいたけれど、明日車道へ出るには残りの雪の中に深々と足を踏み入れなければならないだろう。

1996年。17年前にいた人、あった物のことを思い出していた。ぼくはこの年に初めて『耳をすませば』を観た。劇場で上映された翌年のことだ。たぶん、ぼくの人生のうちで最も喜ばしい時期だった。当時のぼくが、自分の欲するものを全て手に入れていたとは言わない。でも、現在のぼくが欲するものは全て手に入れていた。思えば、あれからぼくは一つ一つ大切なものを失っていき、そして今日に辿り着いた。

喫茶店『邪宗門』の桜ヶ丘店が昨年閉店したということを、今日になって知った。店主が亡くなったそうだ。『耳をすませば』のファンの間では、「地球屋のモデル」ではないかと噂されていて、ぼくも何度か足を運んだことがある。『邪宗門』は都内に複数店舗のある喫茶店で、桜ケ丘店以外にも訪れたことがあるけれども、古風で落ち着いた佇まいは共通していた。ぼくは決して『邪宗門』の常連ではないし、お店の主人と世間話をするような客ではなかったけれども、ご主人の死と桜ケ丘店の閉店には、魂を盗まれたような喪失感を覚える。また一つ、愛着の対象を、大切なものをぼくは失ってしまった。

17年前の雪は溶けた。今日の雪も、早晩消えてなくなるだろう。『火垂るの墓』は、短命の蛍に戦時下の兄妹の姿を仮託して戦争の悲惨を描いているけれども、ぼくらは依然として蛍だろうか。いずれ溶ける雪なのだろうか。やがて虚空に消える花火が一瞬の煌めきを人々の瞼に焼き付けるように、蛍の遊泳は人々の心を和らげ、降りしきる雪はあたかも街を浄化し、早々と訪れる終焉の前に人の心に印象深い美を刻印する。ぼくらもそのようなものなのだろうか。

ぼく自身も、ぼくの周りにあるものも、そのうち雪のように溶けて、消えて、忘れられてしまうのだろうか。1996年のクラスメイトの名前を思い出してみる。・・・大丈夫、男子は大方覚えている。でも、これで全員だったろうか?忘れてしまっている人はいないか?

過去を刻印するものをぼくは失いたくない。思い出は人の中に、物の中に生き続ける。たとえ人や物が消えゆく雪のようなものだとしても、それがまだ白さを保っていられる間は、ぼくはそれを自ら投棄しようとはしない。それはとても儚いものだからこそ、ぼくは大切にする。一瞬のような時間だからこそ、ぼくは慈しむ。間もなく失われてしまうからこそ、ぼくは守る。

17年前の雪。ぼくは忘れてしまいました。ぼくは忘れてしまいました!これ以上の忘却と喪失がぼくには怖い。溶けてこその雪であるという世界の真理を、ぼくは恐れ続けている。でもぼくは覚えている、17年前のある秋の日に見た空の色を、友人からもらった年賀状のイラストを。どうか忘れないで。昔のままでいて。凍結してゆく雪に祈る。全ての幸いが人と物の中に生き続けますように。