Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

ダンス・ダンス・ダンス

2009-05-11 00:26:37 | 文学
昨日も言いましたが、村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』を読み終えました。長編を読んだのはけっこう久しぶりの気がします。これから英語の本を読まないといけないので、その前に一つ日本語の小説で景気をつけとくか、というような心積りでした。ちがうかな?英語の本を読んでいると日本語の小説を読む暇がなくなってしまうので、今の内に読んどくか、という心算だったかもしれません。うん、こっちの方が正しそうだ。

そんなことはおいといて、この小説の感想。
しかし、はたと困る。何を書けばいいんだろう。あらすじを書く気にはなぜかなれません。ただ、『羊をめぐる冒険』の続編的位置付けであるということは言っておきます。したがって「いるかホテル」や「羊男」が出てきます。

春樹の小説というのは、ぼくにとっては内容がどうこうというよりは、その文体が興味深いです。とにかく読ませる。簡潔で、クールで、比喩が多くて、中毒性がある。昨日のぼくの記事(春樹の文体模倣を試みた)とは大違いです。ぼくの文章はなんだか飽きてきてしまうけれど、彼の文章はおもしろいんですよね。おもしろいんです。改行の効果っていうのもあるような気がします。ぼくもこれから適宜改行していこうかな。少なくても読みやすさは増しますからね。

『ダンス・ダンス・ダンス』はどことなくカフカ的(模倣した箇所がある)で、『ロリータ』的でもありますね。13歳の少女とのドライブは、どうしてもハンバート・ハンバートとロリータとの道行を想起させます。警官にあだ名をつけるところは『坊ちゃん』的でもありました。このように『ダンス・ダンス・ダンス』は他の文学作品を連想させそれらを結びつける小説でもありますが、このあいだここで紹介したロシアの批評家だったら、インターテクスチュアルと言うかもしれません。しかも、これらの作品との関係についてそう言うのではなく、宮崎アニメとの関連で。

この小説には、キキとメイという人物が登場しますが、これって『魔女の宅急便』と『となりのトトロ』の主要キャラの名前です。かのロシアの批評家は、複数の作品に共通する名前から想像を働かせて、それらの作品を結びつけていましたが、そういう誘惑にかられそうになります。さすがに『ダンス・ダンス・ダンス』と宮崎アニメとの間に共通しているのは名前だけのような気がしますが、これらの作品の発表年がかなり近いんですよね。小説は88年、トトロも88年、魔女宅は89年です(原作はもちろんそれ以前ですが)。もっとも、こういったことはかなり珍奇な想像ではありますが、読者のそれまでの教養(というか知識)から、頭の中で網の目のように複数の作品が繋がってしまうのは事実です。それらの間には客観的な証拠を持つ影響関係がないからそれらを重ね合わせて見るのは間違いだと言われても、でも実際問題として連想してしまうのですから、これは仕方ありません。
インターテクスチュアリティは、そういう読者の自由を認めてあげよう、ということに結局は落ち着くのだと思います。

本当に小説の中味には踏み込んでいませんね…。
これは、喪失感を描いた作品だ、と言えると思いますが、少女ユキが「僕」との触れ合いを通して少し変わってゆく作品だ、ともみなせそうです。その少女の変化こそが、喪失感に繋がるのですが。つまり、「変わる前の少女」というのは失われてしまったし、そして大人になれば、「少し大人になった少女」さえ失われてしまうのですから。次々と大事な何かを失ってゆく中で、しかし「僕」が一つのものを手に入れるまでを描いた小説、と言えばまとめになりそうかな。