Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

クローディアの秘密~児童文学の世界~

2008-05-31 23:28:37 | 文学
ここ6、7年の間、ずっと読みたいと思っていた、E.L.カニグズバーグの『クローディアの秘密』をやっと読みました。もっと幼い頃に読んでおけばよかったのですが、二十歳をとっくに過ぎた今、読んでしまいましたよ。

12歳の少女と9歳の少年の姉弟が家出をして、ニューヨークのメトロポリタン美術館に隠れて過ごしてしまうというお話。そこでミケランジェロ作かもしれないと噂されて評判を呼んでいる天使の像を見つけ、その真偽を確かめようとする二人。大まかなストーリーはこんな感じです。この程度の説明は、本の表紙の折り返し部分に書かれているので、いまここで書いても問題ないでしょう。

ストーリーそのものにはあんまり引き込まれなかったんだけど、後半ちょっとよくなった。ストーリーとは別のところで。そこらへんから、題名になっている「秘密」についての話が出てくる。要するに、人は秘密を持っているから充実できる、みたいな話なんだけど、なるほどなあと思った。こういう話は他のところでも聞いたことがあるような気がするんだけどね。

一番感銘を受けたのは、人間には不可能なことがある、という大人の言葉が真実として紹介されているところ。それは苦々しい事実だけど、こういう真実を子どもは受け止めなくちゃいけないんだな、と思った。それは子どもの心に刺さる棘なのかもしれないんだけども。でも、裏返せばそれは、この本には嘘がないということなんだな。真実というのはときに棘になるから(これもどっかで聞いたような台詞だな)。棘がない児童文学っていうのは、やっぱりどこか甘いところがあると思う。おれは棘があるのが好きだな。そういうところがまた心に残るんだよね。

やはり嘘がない児童文学としては、フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』がある。この本はすばらしい。「児童文学」の枠組みの中で語られるけど、「大人になること」がよく描かれている。もっと言えば、大人になることの切なさが。それと「時間」について、そして「出会い」についてが、うまく主題化されている。宮崎駿はこの本に影響を受けていると思うよ。特に『ハウルの動く城』。『トムは真夜中の庭で』は、一番の仕掛け、というか、オチはすぐに察しがついてしまったんだけど(これも二十歳を過ぎてから読んだ)、分かっててもラストは感動的だ。ああ、小学生くらいのときに読んでればなあ。運命の本になってたかもしれないのに(仮定法)。

さて、『クローディアの秘密』に話は戻りますが、この話は現代的な冒険譚です。『トム・ソーヤーの冒険』みたいな冒険はありませんが、現代っ子ならこんな冒険をするんじゃないかっていう作者の想像力の賜物でしょうね。男の子よりも女の子向きかも?

ハルムスの戯曲

2008-05-30 00:34:42 | 文学
ロシアの作家ハルムスの短い戯曲の紹介。

    「無題」
   ニコライ二世
私は扉に錠を下ろした。
もうここには誰も入って来れない。
小窓のそばに座り
そして天空にある惑星の軌道を観察するのだ。
惑星よ、お前たちは獣に似ている!
太陽よ、お前は獅子だ、惑星は君主だ、
天よ、お前は支配者だ。お前は皇帝(ツァーリ)だ…
私も皇帝だ(ツァーリ)だ
だから我々は兄弟だ
   …
とまあ、こんな出だしで始まります。
「おや、ハルムスにしては普通だな」と思って読み進めていくと、彼の妻が扉の外から「開けてくれ」と言ってきます。なんだか『エリザヴェータ・バム』のような導入。でも大した問答は起こらずに、扉を開けてやり、召使を呼んだの呼ばないのといった会話が続きます。あとなんやかやとどうでもよさそうな会話があります。すると突然、会話に出てきていた登場人物がやって来て、

おはよう!
おはよう!
おはよう!
おはよう!

と言います。それに応えてニコライ二世も、

おはよう!
おはよう!
おはよう!
おはよう!

と言います。ハルムス特有の「反復」がここに出てくるわけです。
そしてそれに続いてさっきの登場人物が、

個人の心配事や
数え切れないほどの親類の悩み事をうっちゃって、
労働のために一つになろう
我らが日々を労働に捧げよう。

と言って終幕となります。
「なんだこりゃ?」って感じでやっぱり終わるわけですが(さすがハルムス)、「あれ?」と思うのは、最後の台詞でしょうね。このような労働賛美が宣言されるのはどういうわけ?と。この戯曲が書かれたのは1933年で、勤労者を社会主義の視点から教育・賛美しようとする社会主義リアリズムが公認されたのが1934年ですから、だいたい時期的に一致するわけです。また、ニコライ二世というのは帝政ロシアの最後の皇帝であり、旧時代を象徴する人物であるとも言えます。すると、この戯曲は、一見すると、旧時代と決別して、新たな時代を労働によって築いてゆこう、という時代に即したプロパガンダにも見えます。しかし、ハルムスの全著作を読まないと、判断は難しい。他にもこういった内容のものを多く書いているのであれば、そういう傾向のある作家と受け取られうるし、これだけであれば、何か別の意味があるとも取れます。はっきりしているのは、ハルムスの代表作と言われるものには、こういった内容は含まれていないということです。

それでは、この戯曲はいったいなんなのか?初めは、表向きだけ時代に適用しようとした、ハルムスなりの一種のポーズではないかと思いましたが、そうではないかもしれません。ハルムスというのは、欧米では不条理文学の作家として死後再評価された人ですが、これも彼特有の不条理の現れではないかと思うのです。つまり、ニコライ二世の真面目ぶった演説からの突然の戯曲の飛躍は、論理の矛盾という不条理さを表しているのです。当時世を賑わしていた社会主義のイデオロギーを道具として使って不条理を表現してしまう、この身軽さ。これは驚くべきものです。ハルムスは、軽やかでしなやかな精神の持ち主だったのではないでしょうか。あるいは、何年かで急速に変化してしまった実際のロシア社会そのものに、不条理を感じ取ったのかもしれません。

ハルムスらしさと社会性とがうまく融合した、珍しい戯曲です。

それにしても、ここでは反復は、論理の飛躍を表現するための一つの目印になっているような感があります。他の作品でどのような使われ方をしているか、もっと調べてみる必要があるでしょう。

アニメーション・ベスト10

2008-05-26 23:36:18 | アニメーション
古今東西のアニメーションでベスト10をやってみました。もちろん、個人的な評価です(必ずしも好きな順ではない)。

ユーリー・ノルシュテイン『話の話』
宮崎駿『天空の城ラピュタ』
ユーリー・ノルシュテイン『霧の中のはりねずみ』
近藤喜文『耳をすませば』
イシュ・パテル『ビーズ・ゲーム』
コンスタンチン・ブロンジェット『地球の果ての果て』
フレデリック・バック『大いなる河の流れ』
宮崎駿『ハウルの動く城』
新海誠『ほしのこえ』
アレクサンドル・ペトロフ『老人と海』

なんとなく偏りがありますが…自分でも分かる。宮崎駿とノルシュテインが複数入ってるけど、これは仕方ない。エヴァをどこかに入れたいのだが…入れる余地がないなあ。

言葉のないアニメーション(ねこぢる草など)

2008-05-26 00:24:58 | アニメーション
ちゃんとした台詞のないアニメーションってのは、よくある。日本にもある。多くの場合、それはアート系アニメーションだ。でも、しっかエンターテインメントしているものだってある。栗田やすお『緑玉紳士』がそうだ。

全部で45分くらいのアニメーションで、主人公はグリーンピース(の擬人化されたやつ)。こいつは眼鏡屋で、街頭で眼鏡を売って生活している。ある日、眼鏡の入ったスーツケースを邪悪な何者かに盗まれて、それを追いかけスロットマシーンを通り抜けて異世界へと迷い込んでしまった。

その異世界で起こる様々な事件を描くのがこのアニメの主眼。後半は、やりたいことをやったな、という雰囲気が漂う。なんで!?って感じの格闘シーンとか。それと、このアニメは便器が妙に出てくる。グリーンピースとトイレの映画だ、と言っても過言ではない(?)。便器が重要な役を担っていたりするのだ。

台詞は完全にないわけではなく、登場人物は「うにゃうにゃうにゃ」となにやら喋っている。でも何を言っているのかは分からない。

おもしろいシーンもあったが、個人的にはそれほど点数は高くない。しかし苦労は認める。

一方、完全に台詞のないアニメ、佐藤竜雄『ねこぢる草』は非常におもしろい。2001年の文化庁メディア芸術祭で優秀賞を受賞している(ちなみにこの年の大賞は『千と千尋』と『千年女優』)。受賞理由はこうだ。

「この作品はかわいい2匹の子猫のシュールな夢物語のように見えるが、話が繋がっているわけではない。ファンタジックな画面、ドキッとする場面には現代医学や気象の管理、食べ物の不気味さ、環境の温暖化などの痛烈な風刺が隠されている。波が鯨と一緒に乾燥して固まっているシーンなどはアニメだからこそ生きる表現。今までになかった不気味でふしぎな味わいをもつ作品である。」

「痛烈な風刺」が本当にあるかどうかはともかく、確かに風刺とも取れるほどグロテスクな場面が多い。基本的に絵柄はかわいらしいのに、リアルに血が噴き出す場面もあり、残酷だ。おれはこのアニメを、最初の方で既に、「これは普通のアニメじゃない」と感じた。なにやら孤独な雰囲気が画面に広がっていたからだ。大きくて白い部屋。そこに子猫が一人(擬人化されている)。このアニメはサーカスのシーンから大きく印象を変えてゆく。イメージの奔流と残酷さ。大洪水後の世界での方舟の旅にはブラックユーモアがある。干からびた大地での水の象との出会いは心地よい。切れた腕を針と糸で繋ぐシーンは作画の見事さによって極めてリアルに、したがって薄気味悪く描かれている。そう、一言しなければならないのは作画力だ。湯浅正明が作画監督なのだが、さすがだ。

これは非常に優れたアニメーションである。不気味さと残酷さとユーモアと可愛らしさが同居する、極めて稀な、そして見事な作画によって描かれた、傑作である。

一流ホテルのグルメ特集

2008-05-25 00:33:30 | お出かけ
今日、日本橋の三越で日本各地のホテルが小さな食料品の店舗を出してオリジナルメニューを提供する、というイベントがあった(日曜もあり)。で、せっかくなので行ってきたんだけど、高い。小さなショットケーキが1050円って、どういうことだよ。

お目当ては1260円のシフォンケーキ。そこそこのお値段で、量もある。色々な種類があって、紅茶、抹茶、マンゴー、チェリー、ショコラ味などがあった。一番人気はマンゴーだと言うんだけど、いまいちマンゴー味のシフォンケーキってものがどういうのかよく分からなかったので逡巡していたら、試食を勧めてくれて、さっそく食べてみた。すると、これがなかなかの美味。マンゴーの味は強くなく、スポンジのふんわりした味がほとんどで、ほのかに果物の香りがする、といった程度。でも紅茶の方がおいかな?とは思ったんだけど、なんだかここで「では紅茶に」とは言いにくいので、結局マンゴー味を購入。

あと北京ダックを売っていた。一本840円。高い!というのも、一本はほとんど春巻きくらいの大きさだから。実は北京ダックというのは実際に見るのも食べるのも初めてで、以前、脂っこいから食べるとお腹を壊す、みたいなことを聞いたことがあったんだけど、せっかくの機会だから、その場で食べてみた。ダックの皮とキュウリとネギに味噌をつけて、それを薄皮で巻いた料理で、味噌の味しかしなかった…。別にそれほどおいしくはなかったような。でも高いんだなあ…

凄い込みようだったけど、やっぱり年配の人が多かった。これで年齢層が低ければお祭り並み。

HOLiC・美少女の怪奇―鈴音―

2008-05-23 02:06:08 | アニメーション
HOLiCをたった今見た。
ちょっとシックスセンスみたいな話だった。
怪奇現象を見る人が実はあやかし、っていう。

あるいは、夢を見ているのか、それとも夢に見られているのか、という詩的な発想の転換に通じるものでもある。

アニメーション表現自体は別に大したことはないんだけど、話はおもしろい。

バイトの愚痴を書きます

2008-05-20 23:04:14 | お仕事・勉強など
たかがバイトだけど、つらい。始めたばかりなんだけど。
本当に嫌だ。早く辞めたい…
慣れるまでが辛いだけ、という気も確かにするけど、なんとなく周囲に溶け込めないし、仕事も全然上達しないし、経験を積めば積むほど周りのおれに対する要求も高くなってくる気がして、気が重い。
おれに対する態度が妙に冷たい人もいるし、精神的にしんどい。

これでは「千と千尋」の千尋ではないか。ああ、千尋も最初嫌だったんだろうなあ…働くとは、これほどまでに嫌なことだったのか。今までしてきたバイトは基本的に一人でするものだったから、プレッシャーとか何もなかったもんな。

それにしても、こんなに辛い気持ちで、とてもじゃないけど毎日仕事に行けないよ。世の働くお父さん・お母さんはどうしてるんだろうなあ。それともこんなには嫌ではないのかなあ。おれって接客業向いてないのかもしれないな。

エヴァのシンジ君は、投げやりな態度で「乗りますよ。乗ればいいんでしょ」とか言ってエヴァに乗ろうとして、ミサトさんの怒りを買っていたけど、「働きますよ。働けばいいんでしょ」みたいな態度でバイトしたら、やっぱりまずいんだろうなあ。そりゃそうだよな。確かに今のおれはあそこまでひねひねしてない。14歳の頃はいざ知らず。ああいう態度は、14歳だからこそ許されるんだと思う。

だから、そうだ、やらねばならない。確かに嫌だ。本当に辛い。でも、やらねば。

ロシア文学ベスト10

2008-05-19 23:18:19 | 文学
おれの選んだロシア文学ベスト10。

1、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
2、チェーホフ『三人姉妹』
3、トルストイ『アンナ・カレーニナ』
4、パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』
5、ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』
6、ソローキン『ロマン』
7、ペレーヴィン『虫の生活』
8、ナボコフ『ディフェンス』
9、ヴァムピーロフ『去年の夏、チェリームスクで』
10、マルシャーク『森は生きている』

趣味も混じってますが、この一覧はけっこうかたいと思う。

ちなみに、他のスラヴ諸国も混ぜると、5位にアンジェイェフスキ『天国の門』、9位にパヴィチ『ハザール事典』、10位にエリアーデ『ムントゥリャサ通りで』。あ、そうすると『森は生きている』が抜けてしまうな。でもそのときは、『虫の生活』をはずします。他にもソログープとか好きな作家いるけど、10位以内に入れるのは難しい…

忘れられた不条理文学・ハルムス

2008-05-19 01:16:08 | 文学
20世紀初めのロシアに、ハルムスという人がいた。不条理文学の先駆けとして後に欧米で高く評価されるようになった作家だ。日本に初めて紹介されたのは今から20年くらい前か(沼野充義先生による)。

最近、ハルムスの翻訳が盛んである。ヨーロッパではいまブームを迎えているところもあるそうだ。日本でも去年ハルムスの翻訳集『ハルムスの小さな船』が刊行されたし、最近では柴田元幸責任編集の雑誌『モンキービジネス』にハルムスの短編が僅かだが紹介されている。

では、未訳の作品を紹介しよう。
『空色ノート』。
これは、有名な『出来事』という連作短編群に収められている『空色ノート№10』とは別物だ。『空色ノート』という題名の、これまた連作短編群である。全部で29編の超短編が入っている。短いものだとたったの一行だ。こんな作品がある。

「今日は何も書かなかった。それは重要じゃない。」

これだけの作品である。だからなんなんだ?というような文だ。成立年代が明らかではないが、恐らく1937年である。スターリン時代である。ハルムスのような奇異な作風の作家が文章を自由に発表できなくなってきた時代だ。すると、このような短い一文にも、何かしらの意味があるのではないか?と思えてくる。
こんな作品もある。一部を抜粋する。

「イワンは長いステッキを持ってネズミを追いかけた。
窓から好奇心の強い老婆が見ていた。
イワンは老婆の側を走り抜けるとき、彼女のつらをステッキでぶん殴った。」

ハルムスの作品に特徴的なのは、その暴力性だ。淡々と記述を進めていくのだが、その中に暴力を織り交ぜていく。ところで、「好奇心の強い老婆」というモチーフは、『出来事』の中の一編「転げ落ちる老婆たち」にもっと印象的な形で現れる。モチーフが反復されているが、老婆の印象はかなり違う。『空色ノート』ではただの老婆だが、「転げ落ちる老婆たち」の老婆はグロテスクに歪められている。人格が奪われていると言ってもいい。この非人格化、あるいは性格の分裂は、ハルムスの他の作品にも見られる。
最後に、非常にハルムス的な一編を挙げる。

ある女の子が「グビャー」と言った。
別の女の子が「フルィ」と言った。
三人目の女の子が「ムブリュー」と言った。
一方エルマコフは塀の下からキャベツをがつがつ食べまくった。

何の意味もない「音」の記述と場面の急激な転換。これがハルムスだ。

弘道お兄さん

2008-05-19 00:05:41 | Weblog
NHKの「課外授業 ようこそ先輩」に、体操の弘道お兄さんが出ていた。
別にファンというわけではないんだけど、テレビがついていたのでなんとなく見ていた。すると、けっこう意外な事実がわかった。弘道お兄さんは、ああ見えて辛い過去を背負っているみたいだ。学生の頃に首を大怪我して、オリンピックへの道を諦めたそうだ。さらに、「おかあさんといっしょ」に体操のお兄さんとしてテレビ初出演する日の朝、父親が息を引き取ったという。つまり、父親を看取ってから笑顔でテレビに出演したというわけだ。しかも、初めての出演。これはつらいな。いつも笑ってるけど、しんどい経験をしてきたんだなあ。

翻って自分はというと、中学のときまでは恵まれていたように思う。高校に入る頃から暗転してきて、今はつらい毎日だ。しかし、つらい経験の後にはよいことがあるかもしれないと思って、やるしかないな、これは。信じ難いけど。もちろん今だって楽しい日はあるけどね。

朝日の新聞小説

2008-05-18 00:42:00 | 文学
朝日新聞ではいま、朝刊で島田雅彦の『徒然王子』が、夕刊で長嶋有の『ねたあとに』が連載されている。島田雅彦は、連載前に、毎日の連載で必ず一つは見所を作る、小説家をなめてはいけない、などと豪語していたが、どこに見所があるのかと、毎日探す日々。ケータイ小説に対抗するんだ、と息巻いていたが、改行が少ないだけ。なによりコレミツのツッコミが寒すぎて痛々しい。今朝の展開からすると、これから仙人に連れられての『神曲』ばりの「地獄巡り」になりそうだが、今後おもしろくなることを期待しよう。

一方、『ねたあとに』は、たいして筋がないタイプの小説。20世紀以降、筋のない小説が世界で増加したが、この作品もそのタイプだ。ただ、特徴がある。文体だ。文体が独特で、なかなかおもしろい。筋がないから、一冊の本として手渡されて、「これを読め」と言われるとつらいが、毎日少しずつ読むなら別に苦痛ではない。

以前連載されていた、夢枕獏の『宿神』は非常におもしろかった。この人独特の改行の多さも今風でとても読みやすいし、何より筋がおもしろかった。オノマトペも効果的で。西行を扱うことで物語りに品というものも生まれた。個人的には前半から中盤にかけてが好きだった。女の首を落とすところなど。

荻原浩の『愛しの座敷わらし』は、ほのぼのとした小説だった。確かにちょっと狙いすぎ、という箇所や、読んでいて恥ずかしくなるような箇所もあったが、小見出しをつけることでそれこそ毎回「見所」があり、素直に楽しめた。小説家としての技量は認めなければならないだろう。

もっと奇想天外な物語を新聞小説で読んでみたいな、という気がする。『宿神』はいい線いってたけどな。パヴィチの『ハザール事典』のような内容で、誰か書いてくれないものか。あるいはかつての『夢十夜』のような、短編集も読んでみたい。

バイト始めた

2008-05-17 00:09:34 | お仕事・勉強など
バイトを始めたんだけど、思ってたよりもしんどい。
まわり知らない人ばっかだから孤独だし。
作業は分からないことばっかだし。
あと、一度説明すればもう分かるでしょ?みたいな態度を社員の人に取られるとつらい。いや、一度説明受けただけじゃ覚えられないんですけど…自分で実際にやってみないと。

なんか、アニメーション監督の新海誠とか、いまの自分のおかれている状況がぬるま湯だと考えて、より厳しい状況を求めてロンドンへ語学留学をしに日本を旅立ってしまったようだけど、そういう人って信じられない。こんなつらい気持ちを好き好んで味わおうとするなんて。

あと、新入社員が最初はヘマばかりやって、あとから段々周りに認められて…なんていうドラマがよくやってるけど、あれってけっこう本当なんだなあと実感(最初にヘマばかりやらかすというところだけね)。おれはこれまで楽なバイトしかしてこなかったから、いま壁にぶち当たっている。朝出かける前とか、ものすごく気持ちが沈んでいて、これってやばいんじゃないかって思うほど。

ああ、神よ、なぜこのような試練を与え給うたのか…

NHKのアニメーション!

2008-05-14 22:15:50 | アニメーション
いま一番とんがってるのはNHKだ、などと言われることもあるNHK。新進気鋭の若手アニメーション作家を使ってテレビでアニメーションを放映したりしている。

七尾一哉を御存じだろうか?『放課後、エメラルド』で様々な賞を取った若手のアニメーション監督だ。NHKのスタッフがこの人の映像を見て、CMを作らせることを思いついたそうだ。実際に地方で放映された。この人の特色はなんと言っても背景だろう。溢れるような光の表現で背景を美しく描く。タッチは違うけれど、どこか新海誠を髣髴させる。人物の素朴な感じも好印象だ。

また、「アニクリ15」では様々なアニメーション監督にたった1分間の映像を作らせている。若手もいれば、押井守のような巨匠もいる。このラインナップはすごい。

だがやっぱりNHKのアニメーションと言ったら「みんなのうた」だろう。個人的には、ここ最近の「みんなのうた」にはいいものがないが(あの「おしりかじり虫」は好きじゃなかった)、きのう、むかし大好きだった「みんなのうた」の映像をYouTubeで鑑賞した。「僕は君の涙」。一人の女子高生(中学生?)からこぼれた一粒の涙の行方を追ったアニメーションなんだが、特に後半がいいんだ。少女の流した涙が雨になり川になり大地を潤し葡萄になり、そしてワインとなって再び少女の元へ戻ってくる。その戻ってくるところを、前半で使用されたカットをそのまま利用することで表現している。なんか、うおおおおって感じになって、興奮してくる。
それと、電車の遠ざかっていくシーンが昔とても好きだった。あと、歌もいい。こういうアニメーションをもっとたくさん「みんなのうた」で放映してくれないかなあ。

ちなみに、「みんなのうた」で、ジブリの『海がきこえる』の主要スタッフが結集して「カゼノトオリミチ」というアニメーションを作ったことがあった。もちろんトトロの曲「風の通り道」から借用した名前なんだろうけど、なかなかに大人なアニメであった。タッチがどこか『海がきこえる』に似ていたので、スタッフの名前をよくよく見てみると、なんとあの三人ではないか!とすぐに気がついたんだけど、おれの周囲でそれに関心を示した人はいないようだった。当時、ネットでは話題になったんだろうか?個人的にはビッグニュースだったんだが…

同窓会

2008-05-13 22:53:46 | Weblog
高校の同窓会案内、というか、これこれの金額を寄付してください、という封筒が届いた。合同同窓会なので、いろいろな年代の人が来るようだけど、当然先生も何人かは来ることになっていて、一人、知っている先生がいた。国語の先生だ。この先生にはちょっと世話になった。

夏休みの宿題で読書感想文を書いて提出したんだけど、それが返却されたとき、先生から、あとで職員室に来るようにと言われた。返却されたノートにはなんだか達筆すぎてよく読めない文字が書かれてあったので、評価内容もよく分からず、一体なんだろう、と思いながら、職員室へ。

そうしたら、君の書いた文章は、ぼくの受け持っている生徒の中では一番出来がよかった、という趣旨のことを言われた。だから、高校で出している機関紙に君の感想文を載せてあげようと。それまで自分の文章というものにまるで自信のなかったおれだから、そのときは素直にうれしかった。返却されたノートを後でよく見てみると、「giant A」と書かれているようだった。

もともと大学は文学部志望だったので、その経験によって進路が変わった、というようなことはないけれど、自信になったのは確かだ。ありがたい。

ちなみに、同窓会には出席しません。高校の頃には、ほとんどいい思い出がないので。

床屋とおもしろいブログ

2008-05-13 00:43:09 | Weblog
とってもいいブログを見つけた。何がいいかっていうと、文章がいい。要するにうまい。思わずコメントを寄せてしまったほど。おれも知っている本とアニメのレビューを大体読んでみたけど、文章が上手なのに加えて洞察も深い。ちょっと素人離れしてると思った。しかも職業はシステム・エンジニアだそうだ。これだけの感想は、そこらへんにいる批評家には書けませんよ。だって読んでいておもしろいんだから。

アブソリュート・エゴ・レビュー
http://blog.goo.ne.jp/ego_dance/

特に押井守『イノセンス』の感想はなるほどと思った。そうか、あれはクライストの引用だったのか…どっかの解説本には書いてあるのかもしれないけど、自分で発見したのはすごい。

★    ★    ★

日曜日に床屋に行って来ました。2ヶ月くらいバイトすることになったので、もしその間に髪を切っていたら、あれ?髪切った?とか言われたり思われたりするのが恥ずかしいから。

いまの床屋に変えたのは2、3年前なんだけど、それには理由がある。というのは、それまで通っていた床屋の兄さんと険悪な関係になってしまったのだ。初めからなんとなく意見が合わなかったんだけど、「そのとき」はある日突然訪れた。短くしてください、とこちらが言ったら、かりあげますか?と向こうが聞いてきたんだ。かりあげるぎりぎりくらいのところまで切ってください、とおれは言った。向こうはそうしてくれたようだったが、まだ余りに長かったので、もっと切ってください、とおれは頼んだ。すると、これ以上切るとかりあげなんですけどねえ、と言いながら向こうは切ってくれたのだが、明らかに気分を害していたようで、店の上司から、「スマイル!」と励まされていた。それで完全に気まずくなってしまったのだった。

「かりあげ」というのがどの程度のものなのか、当時のおれはよく分からなかった(実は今も)ことが、この「事件」の原因なんだけど、でもその日まで数年間そこに通っていて、いつも同じ程度の長さに、大抵いつも同じ人に切ってもらっていたのに、それでもどれだけ切ったらいいのか分からない、というのは、向こうも悪いんじゃないかと思うんだけど、どうなんでしょう。ちなみに、「かりあげ」と聞くと、おれはバリカンでがりがりこめかみを剃られてしまうんだと想像して、いやそうじゃない、と言ったんだけども、はさみで短く切り上げてしまうのをどうやら「かりあげ」と言うみたい。

いま切ってもらっている人は、椅子に座っている間はおれが基本的に無口なのをよく承知してくれていて、頭にはさみを入れている間は一切話し掛けてこない(したがって一切会話がない)から、ありがたい。前のところはおれの全然興味のない話題をだらだらしゃべってきて、閉口していたのだ。おしゃべりな美容師というのは、ときに困りものだよ。