Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

ロシア語版『ほしのこえ』あらすじ

2012-12-27 01:57:48 | 漫画
というわけで、裏表紙のあらすじをざっと訳してみる。

「人類は地球外文明との接触を果たし、中学3年生のミカコ・ナガミネは太陽系外の軍事研究ミッションのメンバーに選ばれた。彼女は地球に残った友人ノボル・テラオにメールを書く。彼女が生まれた星から遠ざかるにつれて、メールが届くまでの時間も長くなってゆく。彼を何年も待たせてしまうことになるのだ、二人を隔てている宇宙の虚空を通して彼女の声が彼に聞こえてくるまで・・・」

こんな感じ?「軍事研究ミッション」というのは、なんと訳してよいのか分からなかったので直訳してみました。ひょっとしたら日本語版に該当する単語があるかもしれません。最後の文は、あえて原文に忠実な順序にしましたが(あと人名も)、それはロシア語っぽい雰囲気を味わってもらうためであって、もしちゃんと訳すのなら、日本語としてこなれた文にします。つまり、「二人を隔てている宇宙の虚空を通して彼女の声が彼に聞こえてくるまで、彼は何年も待たなくてはならなくなってしまう・・・」みたいに。

ちなみに、ロシア語版だと「彼女の声」というのが文章の最後になっていて、これは明らかに「ほしのこえ」と呼応しているので、日本語でもなるべくそれに配慮したいのですが、難しいですね・・・。

お騒がせしましたが

2012-12-24 00:10:28 | Weblog
無事に帰国することができました。

しかしあれですね、一旦帰国してしまうと、再びロシアに戻る気が完全に失せますね。これから何日かかけて意欲を高めねばならないのが辛い(と思っているうちは意欲向上は無理そうだ)。

空港で6時間近く時間をつぶすために、ロシア語版『ほしのこえ』を読んでいたのですが、何度も泣きそうになって危うかった。ロシア語でもこんなに感動できるんだ、という発見。ちなみに、日本語版のコミックの裏表紙にはあらすじ的なものが何も書かれていないことが分かったので、ロシア語版のあらすじはオリジナルっぽい、という発見。暇だったら訳して載せようか。

日本に帰国したらやるべきことが山積しているのですが、明日から徐々に取り組んでいこうか。とりあえず服買わないとな。もちろん他にもありますが・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・

追記

新海誠監督の新作『言の葉の庭』が正式に発表されました!「愛」になる以前の「孤悲(こい)」の物語になるようです。ぼくはこれまでこのブログで幾度となく、新海監督は「恋」以前の感情を描いている、「何ものかになる以前のもの」を描いている、と書いてきましたが、そのような視点からすれば、今回は監督の本領発揮となりそうな予感・・・!楽しみだ。

爆ぜろリアル

2012-12-21 03:50:49 | Weblog
リアルに抗えと言うけれども、自分は全く抗っていないな。
さて、出国できない可能性があるので、その場合は個別に連絡を入れますが、会う予定の方々、どうもすみません・・・。
こうなったのもビザを更新したときに自分がちゃんと確認しなかったからで・・・。もちろん、一応目は通したのですが、そのときは気付きませんでした。
こうして自分は従容としてリアルを受け入れていくわけだが、まあしかし一応言っておこう。「爆ぜろリアル!」

ビザ

2012-12-19 21:57:10 | Weblog
新しいビザのパスポート・ナンバーが違うような気がするんだが、これでいいのか?なぜ「いま」このことに気が付いてしまったのか。まあしかし、大学に行って確認するのは気が重い。面倒だ。帰国できなかったら運がなかったということ。それだけの話。こんなことは、自分を悩ませたりはしない。

世の中の頑張れない人たちへ

2012-12-18 20:32:01 | Weblog
世の中の頑張れない人たちへ。

頑張れない人は、甘えているのだそうです。だから自分は甘えているのだそうです。自分は、生きていく意欲なんて持ち合わせていないから、両親に何かあったら自分も死ぬつもりです。ずっとそうするつもりでしたが、ここで決意表明いたします。

追記
誤解されないために書きます。
上のような文言が既にして「甘え」だという言う人はいるでしょう。だからこそ自分は死ぬつもりだと言うのです。
この世界には、弱い人の考えを理解してくれる人もいます。しかし一方で、強い人間がいて、弱い心を解さない人間がいます。そして往々にして世界はそういう人間によって支配されている。そういう中で生きるのが、自分には苦しいのです。どうも居心地が悪いのです。端的に言えば、同じ空気を吸っていたくないのです。いかなる関係も持ちたくないのです。彼らと同じ空間・同じ時間を「共有」していることが我慢ならないのです。
自分は、世界から締め出されるのではありません。自分から出て行こうというのです。自分の意志で、そうするのです。自分には、この世界はどうも適さないようなのです。もう15年間も同じことを考えていましたが、やはりそうみたいなのです。
繊細すぎるから?弱すぎるから?臆病すぎるから?分かりません。しかし事実として、どうにも生きようがないのです。
15年前は、単に「いま死ぬ」ということばかり考えていました。ただ、数年前からでしょうか、「あとで死ぬ」という発想に切り替えました。自分は眠れないときなど、よく自殺の仕方に考えを巡らせることによって安心を得て、一休みします。「いつか死ねる」「自ら出て行ける」ということが、安心材料なのです。では、「いつ」がいいのか。やはり、両親の後なのです。それまでは、嫌悪を我慢しながら、毛虫の道を踏みしめながら、生きていきます。世界が変わることは期待できません。自分が変わることも期待できません。とすれば、この方法しかないのです。15年間抱えてきた荷物は日々重くなる一方ですが、やがて自らそれを放り捨てられる日が来るはずです。
自分は、「その瞬間」のことをよく考えます。本当に自分に可能なのか?最後の最後で怖気づくのではないか?・・・恐らく、大丈夫です。成功するでしょう。この自信には根拠があります。

追記2
お詫びと感謝も書かなくてはなりませんでした。
約15年もの間、自分が一貫してこのような考えを抱懐し続けていたわけでは決してありません。翻意させようとしてくれた人もいたし、その態度そのものが翻意を迫っているような人もいました。そして実際、自分はそのとき確かに翻意したのです。家族との接触、友人との付き合い、そして読書や映画鑑賞・・・この3点が、自分をして考えを改めるように促しました。だから、自分はその人たちに感謝しなければならないし、そしてお詫びしなければなりません。ありがとう。ごめんなさい。やはり自分は、駄目みたいなのです。これからも、事ある毎に自分は翻意するかもしれない。しかしその度に再び戻ってくるでしょう。自分はそういう生き物です。だからもう、自分に「それでも生きる」ように説かないでください。もう、いいのです。これでいいのです。これがいいのです。
救いがあるとしたら、「お前」だ。15年間探し求めてきた「お前」だ。ここで謎解きをしよう。あの日の答えは、「お前」だよ。「よく知っているが実は全く分かっていない人のこと」。覚えてるか?ストーブの前で話したことを。

幸運は知らないうちに

2012-12-18 00:31:25 | Weblog
思わず呻き声をあげる。

自分の無気力の原因は複数考えられる。しかし、それらについて真剣に考えたことがなかった。無気力だから。でも、これはひょっとして何かの病気なのか?そうだったら、ちゃんと治療を受けなければいけないのだが・・・。これほど無気力になったり、何もかも嫌気がさしたり、胸が重苦しかったり、皆が皆こんな状態に苦しんでいるとはとても思えないんだが。

駄目だ、ブログには書けない。しかし、自分がただ生活しているだけでやっとなのは、この無気力のためだ。上昇志向の欠如。意欲の欠如。生きている死体。意欲を振り絞ろうとする意欲がない。体の中にあるはずの支柱が根元からぽっきり折れてしまっている。立ち上がれない。でもどうして立ち上がらなくてはいけないのだ?もし立ち上がらなくては生きていけないのだとしたら、生きていたくない、というのは甘えだと罵倒されたとしても、それでも自分は立ち上がらないまま生きていてもいい世の中に住んでいたい。それでは生きている意味がないと嘲笑されたとしても、その嘲笑する人間が考えるのとは別の生きる価値を探したい。いや、自分だって本当は立ち上がれるものなら立ち上がりたいのかもしれない。でも、そんな意欲はどこにある?みんな頑張って生きているんだよって言われたって、どこにその頑張る意欲があるのだ?くれよ。せめて貸してくれよ。その探し方を教えてよ。

何もする気がない。本当に、せめて娯楽に享楽を見出せればいいのに。何もする気がなくて机に突っ伏していて、それだけでは廃人になるからって娯楽にうつつを抜かすことができれば、どんなに幸福だろう。じっと耐えている。この無気力にじっと耐えている。でも、ときおり思わず呻き声をあげてしまう。

「幸運は知らないうちに」。そういうタイトルで書きたかったんだっけ。でも、思わず洩れた呻き声で、それも霧散したな。

ドン・ハーツフェルト

2012-12-17 03:18:19 | アニメーション
『メランコリックな宇宙 ドン・ハーツフェルト』のDVDを早速予約。配送の日時指定ができるので、帰国した翌日に届けてもらうことにする。ハーツフェルトはねえ、観た方がいいですよ。

ところで、この半月の間、日本人と会っていないことに昨日気が付きました。まあ、もうすぐ帰国するからいいんだけどね。

他にこれといって書くことがありません。

成田から

2012-12-16 03:33:44 | Weblog
水曜日から急激に冷え込んで、日中でも-12度とかって、ほんと勘弁してほしい。外に出ると鼻水が止まらなくなるんだけど、どうしたらいいのだ。外に出なければいいのだ。

さて、帰国したらとりあえず成田エクスプレスに乗ろうかなと思案中です。今までは普通列車で2~3時間かけて帰っていたので、今回は成田エクスプレスで東京駅まですっ飛ばそうかと。

スカイアクセスの方が乗車時間は短いですが、しかし日暮里って・・・都心じゃないよな。新宿まで直通してくれれば、こっちにするんだけどなあ。

成田エクスプレスって、値段が高いと評判みたいですが、やっぱりね。前からそう思ってました。くっそう、足元を見やがって!

理想プランは、成田エクスプレスで東京駅、そこからタクシーで自宅まで!ですけど、東京駅から自宅までタクシーでいくらかかるんだろう・・・夢のまた夢の話。でも誰か車で迎えに来てくれないかなー。うち車ないんだよなー。これもまた夢のまた夢だ。

それにしても、飛行機では眠れなさそうだから、成田エクスプレスで寝過してしまわないように気を付けねば。だがその前に、成田エクスプレスに当日券でも乗車できるか心配。普段だったら満席になるようなことはないようですけど、年末は危ないかもなあ。まだ大丈夫かなあ。

というか、モスクワの空港手続きの方が心配だなあ。いやその前に、空港までちゃんと辿り着けるか心配だなあ。いやいや、そもそもちゃんと航空チケットを予約できているかどうかが一番不安だったりする。まあ、不安というのは数え出すとキリがないものだ。

ニュースがいっぱい

2012-12-14 04:48:10 | アニメーション
今朝起きたとき、寮内放送(?)がかかっていて、「何と言ってるんだ?」と隣人に尋ねたところ、「分からない」という返事だったので、うやむやにしてしまいましたが、さきほど一時間ほどネットが繋がりませんでしたので、ひょっとしたらこれのことを言っていたのだろうか、と勘繰っています。

それはそうと、今日(12月13日)はアニメーション関連のニュースがいっぱいでしたね。まず、ジブリが新作発表。高畑勲『かぐや姫の物語』と宮崎駿『風立ちぬ』の二本同時公開という、意外なニュース。新作発表があるとは聞いていましたが、まさか二本とは思っていませんでした。しかも、これ同時上映ではなくて、別々のスクリーンで公開すると言うので、驚きは倍増。『火垂る』と『トトロ』のときは、ご存知のように同時上映でしたから、今回の公開の仕方は初ですね。それにしても、両方とも長編なんだろうか?長編を二ついっぺんに作れる体力がジブリにはあるのか・・・。高畑勲が『竹取物語』を題材にずっと制作の準備をしていたことはよく知られていると思いますが、ついに公開ですか。そして宮崎駿は実在の人物を描くようですね。たぶんこれは彼の初めての試みだと思いますが、老境においてなお新しいことにチャレンジし続けるとは、さすが宮崎駿。

もう一つはメディア芸術祭の受賞作発表。アニメーション部門について言うと、「は?」みたいな・・・。毎年ぼくはケチを付けているような気もするのですが、しかし今年のって、なんていうか色んなことに配慮してみました感が滲み出ていて、純粋に作品の価値だけで選んでいるのかなあと首を傾げたくなる。もちろん、変な配慮とかないはずなんですけども、そう疑いたくなるような結果。まあしかし、放言もこのくらいにしておこう。

傷だらけの魅惑

2012-12-13 04:40:24 | 文学
ロシアの作家ハルムスについて、簡単な紹介文を書くとしたらどんなタイトルがいいだろうなとちょっと考えました(内容じゃなくてタイトルであることに注意)。「ハルムス――傷だらけの魅惑――」なんてどうだろうと思いついたのですが、しかし何となく聞き覚えのある語感。「もしかして・・・」と検索してみたら、「傷だらけの魅惑」というのは、沼野充義先生の『永遠の一駅手前』に収録されている論文のタイトルでした。もちろんハルムスを紹介しています。断っておきますが、記憶の片隅にあったのを思い出したというわけではないのです。本当に同じタイトルを思いついたのです。たぶん、二人は(僭越ですが)同じ思考回路を辿ってこのタイトルに行きついたと思われます。

いやしかし、このタイトルはそんなに特別なものではないのです。言ってみればハルムスを巡る一種の言葉遊びのようなものなのです。ハルムスって、harms とも charms とも表記できて、それぞれ「傷」と「魅惑」ですね。ここから、「傷だらけの魅惑」ってタイトルが出来上がるのです。もちろん、逮捕されて監獄病院で亡くなったという悲話、長らくその作品が葬られていたという残酷な歴史も踏まえて「傷」と言っていると思うのですけれども。

でもこういう話はその論文の中で既に紹介されているのかな?いま手元に本がないので確かめようがないのですが、たぶん触れられているのだろうな・・・

初歩的なミス

2012-12-12 03:56:50 | Weblog
今日は朝からかなりだるかった。忌々しいことを思い出して、陰鬱でした。それが日中いっぱい続きましたが、現在は普通。
だいたい、火曜日は洗濯の日なんですが、火曜日ってのは憂鬱な日なのです。とにかく洗濯がめんどい。同じ寮内に洗濯場がないってのは、致命的だと思いますね。3時間くらいしたら受け取りにまた出かけないといけないのもめんどい。
寮のすぐ隣の建物が洗濯サービスをやっているのですが、システムが分からないので行ったことがありません。値段も少し高いような気がするし。気がするだけですが。もしここのサービスがよければ、ここに鞍替えしようかなと、ここを通るたびに考えるのですが、いまだ実行には至らず。

さて、今日の食堂には主食がありませんでした。ご飯類もジャガイモもないのです。こんなことは初めてだったので、戸惑いました。戸惑ったので、肉に肉をトッピングしてしまった。値段も高くなってしまったし、健康にも悪そうだし、ミスりました。

食堂内で売店もやっていたので(ここは開いていたり閉まっていたりする)、久々に果物でも食べようかと思って(夕飯が肉ばかりだったし)、ミカンを買うことにしました。で、陳列棚を見ると、「アピリシン」と「マンダリン」の二つがごちゃごちゃに入っている。ぼくは「アピリシン」を下さいと言って、お金を払いました。自分ではミカンを買ったつもりでいたんですが、しかし見た目がミカンっぽくないんですよね。これはどうやらオレンジではないかと思って、部屋に帰って辞書を引いたら、やはり「アピリシン」はオレンジでした。初歩的なミスです。本当はミカンが欲しかったんだよなあと思いつつ、オレンジを食べましたが、意外といける。というか、ミカンとオレンジの違いがよく分からない・・・。このオレンジ、とても美味しかったです。まあ、皮はちょっと剥きにくいですけれどね。でもミカンもオレンジも同じようなもんだ。

零下の彷徨

2012-12-08 04:06:34 | 本一般
小雪が舞う中(夜には本降りになったけれども)、郵便局を探し歩きました。EMSの届く郵便局は知っているのですが、今日はペテルブルグから普通郵便で届いた小包を受け取りたかったので、まだ場所を知らない郵便局まで行くことになったのです。

そもそも、寮の部屋まで配送してくれないのも不親切な気がしますが、郵便が届いたという知らせが寮の所定の場所にちゃんと投函されていないことも不親切です(たまたま今回は見つけられたけど、そのまま見過ごしてしまっていてもおかしくないところに知らせが放置されていた)。で、そのお知らせにはぼくの名前と管理番号(?)が書いてあるのみで、どこに取りに行けばよいのかすら記されていないのでした。

色々あって目的の郵便局は近所にあることが分かったので、今日の午後に寮を出ました。まず本屋へ寄って(この本屋には初めて入った)、店内を物色。思ったよりも大きくて、色々置いてある。また来ようかな。家族から「よかったらお土産に買ってきてほしい」と頼まれていたロシアのカレンダーを購入。建物の写真と自然の写真とどちらにしようか迷いましたが、個人的な趣味で後者にする。でも前者の方がロシア的な気もしましたけどね。

で、肝心の郵便局ですが、あるはずの場所を歩き回ったのですが、なかなか見つからない。でも30分くらい彷徨った挙句、ようやく見つけました。そこは住宅街の中で、雪に埋もれていました。大通りにはもちろん面していないし、案内板もない。なぜこんな妙な場所に郵便局があるのか甚だ疑問ですが、あるものは仕方ないですね。ただ、辺りは雪がこちこちに凍って危ないので、冬はもう来たくないなあ。

さて、その小包の中身ですが、1冊の本です。ただし、少々値の張る代物で、なんと2万5千円くらいします。貴重な本なのです。だからというわけでもないでしょうが、稀に見る過剰包装で(というか、ここまで過剰なのは初めて)、1冊の本を取り出すまでに15分くらいかかりました。

何はともあれ、懸案だった本が帰国前に無事に届いたので一安心です。
そういえば、ここに書いたかどうか、もう少ししたらぼくは日本へ一時帰国します。ですから、家族へのお土産を買っておいたわけです。日本ではクリスマスに映画『けいおん』がTV放映されますが、見られるかなあ。

いま書かなければ

2012-12-07 02:29:34 | Weblog
様々なものに対する嫌悪感が凄まじい。顔が引きつりそうだ。
何もやる気がしないと言うよりは、その何かに対する嫌悪感がひどい。勉強する気がしないから本を読むとか部屋を片付けるとかゲームするとかよく言うが、本を読んだり部屋を片付けたりゲームをする心の余裕があるのだったら勉強すればいい。本を読んだり部屋を片付けたりゲームをしたりすることへの激しい嫌悪。いま椅子に座っていることへの嫌悪。これから寝ることへの嫌悪、風呂に入ったり歯を磨いたり服を着替えたりすることへの嫌悪。食べることへの嫌悪。つまるところ、生きていることへの嫌悪。

ごく稀に調子のいい日/時期もあるが、そういうときに為すべきことをしなければ、ほとんど廃人になってしまう。ロシア生活は基本的に暇で仕方ないが、だからと言って勉強したり娯楽で遊んだりできるかと言えば、そういうものに対する嫌悪感が先立って、とてもじゃないが自分には無理だ。したがって、顔を歪めながら机に突っ伏しているだけの日々が過ぎる。これは暇を持て余している、というのとは違う。自由な時間に動画を見たり音楽を聴いたりできる者は幸いだ。勉強が辛いと言って娯楽に走れる者は幸いだ。

あらゆることが嫌悪の対象になる。せめて娯楽に享楽を見出せればいいのだが。こんなことを書き散らしても、ほとんど誰もこの苦しみを理解しないだろう。理解してほしいと思っている人にも理解してもらえないだろう。しかし、いま書かなければこの感情は本当に誰からも理解されない。

それにしても、この国では本当に誰からも自分は必要とされていない。必要とされないということが、これほど耐え難く孤独で絶望的なものだとは知らなかった。むしろ自分は邪魔なのだ。その疼痛。迷惑がられ、邪魔者扱いされ、唾を吐きかけられる。そんなに鬱陶しければいっそのこと首を絞めてくれればいい。こうして他者に対する嫌悪感が醸成されてゆく。

ロシアではアニメーションが見放題――誰が言ったのかは忘れてしまったが、とてもそんな気は起きない。もともと好きでもない作品を暇だからといって見るつもりはないが、しかし見たいはずの作品でさえ、この嫌悪がのしかかってきて見ることができない。あらゆるものへの嫌悪と無気力。体が張り裂けそうになる。

ロシア人に勧める日本文化

2012-12-06 06:19:30 | アニメーション
このあいだ知り合ったアニメ好きのロシア人と今日会ってきたのですが、『耳をすませば』と新海誠が好きって・・・ど真ん中じゃないか(ぼくにとって)。
で、日本のアニメなど現代文化をその人に紹介したいわけですが、何がいいかなあ。自分の好きなものを紹介すれば向こうの気に入るんじゃないかと思いつつ(だって『耳すま』と新海誠ですからね)、それでもやはり迷う。とりあえず『AIR』『CLANNAD』は勧めましたけど。後者は、映画版は見たことがあるようでしたが、でもこの作品はTVシリーズを見なくては。

amazarashi(YKBX)の一連のMV
ハンサムケンヤ(椙本晃佑)の『これくらいで歌う』
植草航の『やさしいマーチ』

↑こういうのもあるんだよって紹介したいですね。

ミク『初音ミクの消失』
ミク『メルト』
ルカ『完全性コンプレックス』
GUMI『会いたい』

↑ボカロはやっぱり押さえときたい。最後のGUMIのはボカロでこんな声出せるんだ!?という衝撃が個人的に大きかったので。

あとはマンガかあ。ただこれは、ロシアだと少なくとも紙媒体では簡単に読めませんよね。電子書籍として購入すればいいのかなあ。その辺の事情がよく分からない・・・。それとゲームもあるけど、これはぼくも知らないからなあ。FFとドラクエってのが有名だよ的なことしか言えない・・・

ニコニコ動画も「お気に入り」に入れてほしいですよね。しかしロシア人にとって、日本語のサイトというのはけっこうハードルが高いみたいなんですよね。まあ逆の場合を考えれば得心がいくのですが。でもそこを何とか乗り越えて、ぜひニコ動をお気に入りに。

あと何かこれは教えなきゃ!ってのありますかねえ。ロシア語に訳されている日本の小説とかかな・・・

魔神城のねむり姫

2012-12-04 04:24:12 | アニメーション
もう長いこと毎日欠かさずamazarashiのHPはチェックしているんだけど、今日のニュースには少し驚いた。秋田さんってゲーム好きだったのか・・・!

さて。『ドラゴンボールZ 神と神』が来年公開されるようですが、劇場アニメとしては15年ぶりくらいですよね。そこで今日はドラゴンボールの話。

ぼくはドラゴンボールの劇場版は基本的に全部見ていると思うのですが(GT編は見てない)、中でも好きなのが、劇場版第二作『ドラゴンボール 魔神城のねむり姫』です。まだ「Z」になる前、つまり子供時代の悟空が主人公の物語です。何がいいかというと、いくつか要素はあるのですが、しかし何と言ってもラスボスが強いってことです。と書くと、いやいやドラゴンボールは敵みんな強いだろ、いや強すぎるくらいだろって言われそうですが、そういうレベルじゃないのです。だって、この『魔神城のねむり姫』では、悟空はついにその手でラスボスを倒すことができなかったのですからね。

ラスボスであるルシフェルは、その戦闘力で悟空を圧倒しています。結局彼は、自らの造り出した太陽破壊光線を浴びて消滅してしまうのですが、でも悟空よりも強いのです。このことが、幼い時分のぼくの心に強烈に印象付けられていて、今でもこの作品はちょっと特別です。主人公よりも強い敵。ついに自分の手で倒すことができなかった敵。

・・・実はそういう例は他にもあります。それがガーリックJr。彼は、ドラゴンボールの願いで不死身になったため、倒すことができないのです。「俺は死なんと言ったはずだ!」と甦るわけですね。もっとも、彼の場合は不死身だから倒せないのであって、戦闘力は悟空に劣るはずです。そういう意味で、やはり『魔神城のねむり姫』は特殊な作品ですね(ちなみに両作品とも監督は同じ)。

最後に、悟空の名台詞で締めくくり。
「やらなきゃなんねえし、やってみてえしよ!」(天界で修業するときの台詞)