けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

朝日新聞などの「弱者のすり替え」と胡耀邦総書記の憤死

2014-01-30 00:50:27 | 政治
前回のブログ「都合の良い似非『弱者』のレッテル張りはもう止めよう!」を書いた際に、実は当初はタイトルの中に「裸の王様」という言葉を入れることを考えていた。結局、別のタイトルとしたのだが、頂いたコメントの中で「裸の王様」という言葉を使って「何か変だなと気付きながらも反対すれば悪者にされかねない空気を読んで賛同している善良な人々」の存在を指摘して頂いた。私の書きたかったポイントはここにあり、国民の中の多くの人々はあくまでも善意の感覚として、オピニオンリーダーと言われる人々の作り物の「善意」に共感を示すのだが、しかし、何処となく違和感を感じながら「王様は裸だ!」と言えずにズルズルと引きずられてしまう・・・、多分、現状はそんな感じなのだと思う。ここで、「王様は裸だ!」と言うのが純真無垢な子供であれば「あれっ、やっぱそう?」と思う人もいるのであろうが、オピニオンリーダーたる人々は、事前に「王様を陥れようとする輩がいて、それらの人々は『王様は裸だ』と吹聴しているから気を付けて!」と情報インプットをしているので、人々は中々その洗脳から解き放つことが出来ない。多分、問題がややこしいのはその様な背景があるからだろう。

その様な洗脳は中国や韓国の専売特許だが、その洗脳が解ける瞬間を綴った記事を見つけた。この記事の出典は時折引用するRecord Chinaなのだが、そのRecord Chinaの記事を引用する形で作家の門田隆将氏が自らのブログで記事を書いていた。その両方を引用してみたい。

Record China 2014年1月29日「私が恨むべき日本はいったいどこに? 日本を訪れて“妄想”がなくなった―中国ネットユーザー
門田隆将ブログ「夏炉冬扇の記」2014年1月29日「日本人はそこまで『憎まれる』べきなのか

このRecord Chinaでは、中国のネットユーザなどの書き込みを引用する形で、中国国内のプロパガンダから解き放たれたかなり良識的な中国人の紹介を見ることが出来る。今回の中国人は、留学で日本の仙台に来ていたのだが、中国で洗脳されていた当時には「常軌を逸した憎むべき日本人」が大勢、そこら中にいると信じ込んでいたという。それでも留学先に日本を選ぶぐらいだから、100%の人間がそうだとは思ってなかったのだろうが、しかし、例えば10%とか20%とか、決して無視できない率でその様な人がわんさかいると信じていたのだろう。しかし、実際の日本は我々が知る通りの平和で文化的な国家であり、その証拠に総理大臣をケチョンケチョンに罵倒し、中国などの反日活動をあたかも日本が悪いことをしたがためのペナルティかの様な無茶な論説をしても全くのお咎めがない。極めて礼儀正しく、喜んだり悲しんだり、悩んだり苦しんだり、人を愛したりもする。当たり前のことだが、普通の人間であり、決して憎むべき存在ではなかった・・・ということである。最後の結びは「自分の生活がしっかりしていれば、他人を恨む必要はないのだ。自分が他人を尊重すれば、他人も自分を尊重してくれる。日本に対する“妄想”は日本に行ってなくなった。」であり、中国の本質を代弁している。

一方、門田氏のブログにはそれにコメントが加筆されており、30年にも亘る中国人との交流を思い出しながら、その時代の流れを解説している。少なくとも30年前には「『軍国主義と今の日本人は違う』という小平の教えが徹底されていた」としている。それが朝日新聞が靖国参拝問題を大々的に取り上げ、外交問題化させるまでに反日キャンペーンを日本国内で行い、これが流れの変換点であったとしている。その後、江沢民の時代に徹底的な反日教育を行い、憎むべき日本人像が確立してきたのだという。

もう少し私なりに補足するならば、(Wikipediaにも記載がある有名な話だが)中曽根元総理が1985年に靖国神社を公式参拝した後、その翌年から靖国参拝を取り止めた理由を、「(私の靖国参拝によって)親日派である胡耀邦が中国共産党内の批判にさらされて失脚する可能性があったからだ。それはどうしても困ることだったから」と述べている通り、この当時は日本と中国は友好的であったが、中国国内の権力闘争が激しく、中国国民や共産党指導層の支持を得るために、その駆け引きの道具として「反日外交カード」が利用されてきた。先の胡耀邦総書記は中国国内の民主化を進めると共に、日本に対する理解も深かった。あの中曽根元総理をして、靖国参拝以上の優先度で守るべき人とされるくらいだから、その程度は計り知れない程だろう。しかし、その胡耀邦総書記はその急進性から権力闘争に敗れ、中共中央政治局会議で「一部の同志は私が党風問題を語るのを聞きたくないようだ。しかし私はやはり話さないわけにはいかない。いまわが党が党風を論じなければ、いま腐敗を掴まなければ、わが党はわが国は・・・。(腐敗の)根源はどこにあるのか。根源はわが党内にある! 国家に混乱の局面が現れた責任はわが党、党の中央委員会にある! わが政治局にある!(「胡耀邦の死と中国の民主改革」より抜粋)」と興奮して捲し上げ、その直後に心筋梗塞で卒倒し、その1週間後に死に至る。天安門事件が起きたのはその死をきっかけにしてのことである。つまり、朝日新聞が意図していたか否かは別として、中国国内の権力闘争には熾烈なものがあり、民主化問題や外交問題などの火種が多数ある中で、潜在的な中国共産党指導部の怨念を上手くくみ取る者が権力を握りやすい構図があった訳で、朝日新聞の反日キャンペーンはまさに中国のそういった指導者に悪用されてきたわけである。胡耀邦総書記の死後数年して江沢民が権力の中枢に就く。彼は、反日カードを利用しない手はないだろうと公言してはばからない上に、反日教育を強化してきたのである。

これらの時代の流れの中で、朝日新聞は少なくとも中国のことを「第2次世界大戦で、大日本帝国によって多大な被害を受けた被害者であり、よって同情されるべき『弱者』である」と位置付け、「反権力」を旗印に日本政府を叩くことこそが「弱者」に寄り添った正義であると考えていたはずである。しかし、その朝日新聞が寄り添ったのは数多くの貧しい中国国民ではなく、国民を搾取して裕福な生活を安穏と過ごす「強者」の中国共産党指導部であり、決して「弱者」には寄り添っていなかった。もう少し言えば、貧しい国民に寄り添おうとして「腐敗撲滅」を訴えて憤死した胡耀邦総書記の敵(かたき)とも言うべき人々に寄り添い、結果的に今現在の信じられないほどの格差社会の中国の礎を築くのに加担したと言っても良い。どう考えても「弱者」になど寄り添っていないのである。

しかし、そんな朝日新聞などはマスメディアの利点を最大限に活用し、自ら(自社と言うべきか)の政治信条の正しさを国民の間に洗脳する活動を長らく続けてきた。それは、第2次世界大戦中に朝日新聞や毎日新聞などのメディアが戦争を称賛し、新聞が売れることを優先して国民の心情を戦争に掻き立ててきた行動の歴史と、(方向性こそ違うが)紙一重の行為と言っても過言ではない。

あの時、中曽根元総理と胡耀邦総書記がツーカーだった時代に、もう少し早くに国内で「王様は裸だ!」という声が上がっていたら、日本と中国の歴史も変わっていたかも知れない。胡耀邦総書記が死なずに済んだと言えば言い過ぎかも知れないが、その後の反日教育の徹底はある部分で防げたのかも知れない。中曽根総理の後に靖国参拝したのは1996年の橋本龍太郎総理であり11年ぶりだった。その間、総理の靖国参拝は控えられていたが、江沢民政権が「愛国主義教育実施要綱」を制定したのは1994年で、「抗日戦争勝利50周年」にあたる1995年から徹底した反日教育を推進してきた。結局、11年もの間、日本の総理は靖国神社の参拝を控えたが、それでも江沢民の暴走を食い止めることはできなかった。

この様に「弱者のすり替え」は、意外な方向に波紋を広げたりすることがあることを我々はもっと知るべきである。そして気が付いた時には声高に弱者のすり替えを行おうとするマスメディアに対し「王様は裸だ!」と大きな声で言うべきである。

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