けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

韓国と中国の共同で「新疆ウイグル」の歴史教科書を書いてもらおう!

2013-11-15 23:55:39 | 政治
韓国の朴槿恵大統領が面白い提案を行った。今日はこの提案の活用方法について提言してみたい。

朝鮮日報2013年11月14日「朴大統領 韓・日・中の共同歴史教科書発刊を提案

朴大統領曰く、「ドイツとフランス、ドイツとポーランドのように北東アジア共同で歴史教科書を発刊することで欧州のような協力と対話の慣行を積み重ねることができる」とのことで、歴史教科書を日本、韓国、中国でまとめ上げることができれば、現在の歴史問題に対してプラスの効果をもたらすと期待しているらしい。

ただ、我々日本人であればこの手の議論が如何に不毛かは経験的に痛感している。何度も同様の努力をしながらも、歴史教科書の作成過程の基本姿勢が日本と韓国の間では180度異なる。日本の場合には当然ながら、全ての記述は証拠に基づいて真偽を判断する。例えば邪馬台国論争などのように、諸説があれば諸説を併記しながらその根拠を明確に示したりもする。あくまでも、客観性を重視した記述を尊重している。しかし言うまでもなく、韓国では証拠などは意味はなく、現在の自らの立場に沿った記述が「正しい教科書」なのである。その辺の事情を上手く記述した記事がある。

Zakzak 2013年9月26日「【突破する日本】日中韓で異なり過ぎる歴史観 韓国はファンタジー 中国はプロパガンダ

最近は良く聞かれる表現だが、「歴史は日本では『ヒストリー』だが、中国では『プロパガンダ』、韓国では『ファンタジー』である」といわれている。つまり、証拠を拠り所にしないのであれば、何処まで行っても着地点を見出すことは出来ない。また、事実を事実として記述するのではなく、「ファンタジー」であるためにはひとつの事実を自分に都合の良いストーリーに書き換えなければならないから、その意味合いは本来の姿と180度違ったものになるかも知れない。分かり易いところでは、日本の総理大臣を暗殺した犯人は、世界標準に基づく客観的な評価では「テロリスト」であるはずだが、韓国においては「日帝の悪魔を成敗した英雄」となる。これを両論併記すればまだ許容できるが、「ファンタジー」に「読者を夢から覚めさせるダサい記述」が書ける訳もなく、一方的にファンタジーを強要せざるを得ない状況がある。日本の歴史研究家や言論人は、この点で長い間煮え湯を飲まされてきた。だから、この様な提案が如何に不毛であるかを熟知している。

しかし、韓国人の理解は全く異なっている。「我々が正しい歴史を日本人に諭しているのに、日本人は頑なだからこれを受け入れなくて困っている」という考え方なのである。だから、この現実をまずは韓国人に自覚してもらうしかない。しかし、日本人が何を言っても聞く耳を持たない。ただ、例えばアメリカやヨーロッパ諸国がそれを指摘しても、「あなたたちは韓国のことをFar Eastの小国だと思って何も知らないだけ」と反論して議論にもならない。であれば、その現実をどの様にすれば痛感させることができるだろうか?

応えは簡単である。中国と韓国が共同で歴史教科書を書いてみれば良いのである。この場合、もし記述に大きな隔たりが生じても、お互いは当事者だから「あなたは何も理解していない!」という言い訳などできない。中国は長い歴史に中で朝鮮半島の国々を属国として扱い、長い間搾取をし続けてきた。朴大統領は「1000年忘れない!」と言い切ったが、もしそれが正しくてしっかりと過去のことを覚えていれば、それは屈辱の歴史である。中国がその屈辱の歴史を、支配者としての立場からありのままに記述しようとすれば、それは決して韓国国民にとってはファンタジーにはならない。支配されていた時期もあったが、長きに亘り独立を勝ち取っていた(はず)と韓国は主張するだろうが、それは今の中国の歴史とは違うストーリーであるはずである。だから、歴史研究を共同で進めれば進めるほど、両者の亀裂は深まるばかりである。それを痛感するには丁度良い提案である。だから、「日本はペンディングとして暫くは様子見で参加しないから、取りあえず中国と韓国で中世以前の歴史を進めて下さい。有益な進展があるようであれば、途中から参加させて頂きます」と答え、両者の対立を模様眺めすれば良いのである。

ただ、そこで仮に中国と韓国が歴史教科書の共同研究を始めたら、そこで面白いボールを日本側から投げ込むことを提案してみたい。それは、「新疆ウイグル」の歴史の記述を韓国、中国の両者ですり合わせを行わせるのである。「新疆ウイグル」は大陸故の悲しい征服の歴史を繰り返し、18世紀に清に征服されて「新しい領土」という意味の「新疆」という枕詞を付けて呼ばれるようになった。清の崩壊以後も中華民国に支配され、それでも1933年と1944年の2回に渡り、独立を試みた。一旦は独立に成功するものの、しかし1949年に現在の中国に征服され、「新疆ウイグル自治区」という名称の今現在に至っている。この歴史の流れは、言ってみれば日韓併合の歴史に相通じるところがある。日韓併合との違いは、日本の場合は(国民レベルではある程度の蔑視のような冷ややかな目はあっただろうが)政府的には韓国の教育レベル、経済レベルを引き上げ、本当に日本と同化させる政策を取っていた。だから、朴正煕は日本軍において中尉にまで上り詰めることが出来たのである。しかし中国の場合は、ウイグルを完全に征服して民族を弾圧し、その資源や財産を略取している状況である。過去にも何度か書いたが、中国の核実験では19万人ものウイグル人が急死し、129万人もの人が健康被害をこうむっていると言われている。最近の民族の弾圧の比ではない。

まあ、韓国としては日本と中国の併合・征服の差分を認めることは出来なくても仕方がないが、少なくとも「新疆ウイグル」の歴史は戦前の韓国の姿を映す鏡の様なものであることには容易に気が付くはずである。その「新疆ウイグル」の歴史を韓国の歴史学者がどの様に総括を行うかを私は見てみたい。それを「正当な行為」と評価しても、「不当な民族弾圧」と評価しても、いずれにしても韓国は何らかのものを失わざるを得ない。だとすれば、乗りかけた舟でありながら、途中でさじを投げだして撤退せざるを得ない状況に追い込まれるはずである。

その時に我々は冷静に語りかけるのである。「歴史とは、そういうものなのだ。歴史の評価を複数の国ですり合わせるためには、証拠に基づく事実の収拾しか手はない。証拠を抜きに議論すれば、永久に着地などできないのだ。歴史の中では、征服者が一方的に都合の良い筋書きを描いてきたが、現在では一方の主張に基づく都合の良いストーリーを『歴史』とは呼ばないのである・・・」と。それでも韓国は納得しないだろうが、「中国も韓国も悪いのは全部、相手の方!」という主張に説得力が無くなるのは目に見えている。

だからこそ、朴槿恵大統領の提案を私は歓迎したいと思っているのである。

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