10月29日のブログ「みずほ銀行と阪急阪神ホテルズとオバマ大統領の共通点」の翌日の10月30日、ロイターで下記の記事が掲載されていた。
ロイター 2013年10月30日「コラム:同盟国へのスパイ行為は『本当に悪い』のか」
記事の出だしはこうである。
「いまのところ一般的に合意された意見ではないとしても、米国の同盟国に対する諜報活動は長い目で見れば大した問題にはならないということを、インターネットユーザーのほとんど(ただし国家首脳でなければ)は早晩認めることだろう。」
この背景には「同盟国をスパイする理由のひとつは、その国が本当に同盟国であるのか確かめるため」という考えがあり、これは何処の国も全く同じである。実際に、アメリカ以外でも同様のことを行ったことが過去にも発覚しているし、面白いのはイギリスのサッチャー首相は在任中、カナダの諜報機関に依頼して自らの政権内の閣僚に対する電話の盗聴を行ったという。「何故、カナダの諜報機関なの?」と思われると思うが、イギリスでは国内法で政府が国民に対する盗聴を禁止しているがために、国外の諜報機関に頼んだということである。そして、同様のことは他国でも良く行われていることなのだという。つまり、誰でも同様のことをやっていることは知っているから、この問題自体はたいしたことではなく、あくまでも朴槿惠大統領が国内向けのアピールとしての演技(反日キャンペーン)を重視しているように、メルケル首相や一部の首脳の中にもパフォーマンスとして「オバマ、けしからん!」と言うことはあっても、誰かと違って常識ある人々だから適当なところで矛を収めるのは自然なことだろう。それを、ロイターほどのメディアで正面から発信することには少々の驚きを感じるが、この様なところにその新聞社の良識を感じる次第である。
一方、レストランの偽装の話は次から次へと後を絶たない。後から発覚する後発組は、既にガス抜きが終わっていることを意識して、(全てが返金の対象だとは私も思ってはいないが)「返金は行いません!」と宣言していた。言うまでもなく、「誰もがやっている」ことの証明であり、この程度は最初から皆が知っていたはずである。それなのに、当初はそれを阪急阪神ホテルズだけに押し付けようとした報道姿勢はいささか疑問だし、逆に現在の様にそこら中から問題が発覚すると、今度はニュース・バリューがないとしてあまり報じなくなってしまった。まかりなりにも、阪急阪神ホテルズは自ら進んで過ちを認めて公開したのである。つまり自白したのである。その阪急阪神ホテルズが一番強くバッシングを受けて、後から出てきた方は無罪放免で「本当に、それでいいんですか?」と聞いてみたいところである。銀行についても多分同様で、(あくまでも予想であるが)みずほ銀行以外のメガバンクにも金融庁から立ち入り検査が行われることが明らかになったので、今後、銀行でも同様のことが次から次へと出てくるのかも知れない。その時も白々しく対応するのだろうか?
さて、以下が今日の本題である。
私は先のブログで阪急阪神ホテルズの社長は「我々は、この事態を『偽装』であると認識している。『偽装』は言うまでもなく許されない行為であり、いわばお客様に対する裏切り行為を私たちは行ってしまった。だから、二度とこの様な事態を起こさない宣言の意味を込めて、皆様にこの『偽装』事件を公表し、謝罪する次第です。」と言うべきだったと書いたのだが、小田嶋隆さんのア・ピース・オブ・警句の今日の記事「説明するより醜態を晒そう」を読んで唸ってしまった。何とも的を得た説明だからである。この記事はいつもの如く、会員登録をしないと読めない記事なので簡単に紹介すると、何らかの謝罪をしなければならない時、謝罪相手は自分に何を求めるかといえば、「心のこもった謝罪」でもなければ失策の「正直な理由の説明」でもない。ただひたすら、こちらの「醜態」を見続けることで満足したいのだという。そこでは決して論理的な対応を求めてはいないので、真面目に論理的な正直ベースの対応をすると裏目に出てしまうということだ。本文には様々なシミュレーション的な会話の事例が面白おかしく説明されているが、それを引用する代わりに、阪急阪神ホテルズの例に当てはめてみながら紹介してみたい。Qは報道陣からの質問。Aは社長からの回答だと思って欲しい。あくまでも、私の頭の中だけの仮想的な記者会見である。
Q「どうしてバナメイエビのことを芝エビなどと書いたんだ?」
A「(正直に)バナメイエビの方が安くて入手し易かったからです」
Q「それでお客様が許してくれると思ったのか?」
A「許してくれないと思います」
Q「許してもらえないようなことを何故するんだ?」
A「(正直に)誰もがやっていることだから、大問題にはならないと思いました」
Q「ばれなければ良いのか?」
A「いけないことだと思います」
Q「いけないと思ってて、どうしてそういうことをするのか?」
A「誰もがやっていると思ったので」
Q「他の人がやれば許されるのか?」
A「許されないと思います」
Q「許されないと分かっていてどうしてしたんだ?」
A「(頭を下げながら)申し訳ございません」
Q「謝れば許されると思っているのか?」
A「(さらに頭を下げながら)申し訳ございません」
Q「もう一度聞くが、謝れば許されると思っているのか?」
A「(さらにさらに頭を下げながら)申し訳ございません」
Q「お前、俺をおちょくっているのか!」
A「・・・」
つまり、正直に答えてもひたすら謝っても許してはくれないのである。これに対して、小田嶋隆さんの模範解答に近いのはこんな感じである。とにかくひたすら醜態をさらすのである。
Q「どうしてバナメイエビのことを芝エビなどと書いたんだ?」
A「あぁぁのぉぉ・・・、た、た、大変、も、も、申し訳ございません。な、なにも、言い返すことなど、で、で、できません。も、も、申し訳、ご、ございませんでしたぁぁぁーーー。うっ、うっ、・・・、うぉっ・・・(泣きながら)」
Q「な、何を泣いてるんですか?質問してるんですよ。どうしてバナメイエビのことを芝エビなどと書いたんですか?」
A「そ、そ、それは・・・、うぉっ、うぉっ・・・、弁解の余地がないです。うわぁーーーーっ。(頭を深々と下げて)」
Q「バナメイエビのことを芝エビと標記したことは、『誤表示』ではなく『偽装』と解釈して良いのですね?」
A「うっ、おぉっ・・・、も、も、申し訳ございませんんんっ・・・!(鼻水も垂らしながら・・・)」
Q「反省しているのか聞いてるんですよ?」
A「すっ、すっ、すっ、全て、私の指導が足りなかったんですぅーーー(泣きじゃくる顔をおもむろに上げて、テレビカメラに鼻水ダラダラのシーンを写しながら)」
そして、謝る際には頭の剥げた責任者が出てきてテカテカの剥げ頭が取材陣の真正面から丸見えになるように頭を下げ続け、フラッシュが焚かれるごとに剥げ頭がきらびやかにテカテカと光るのが好ましい。泣きながら鼻水を垂らして、机の上が鼻水だらけになるとなお良いのかも知れない。
つまり、醜態をさらすことを期待しているのだから、素直に謝ろうが偽装に至った経緯を正確に公開しようが、社長の毅然とした態度は取材陣の求めるものではないということらしい。山一證券の破たん会見などは、意図的ではないのは理解しているが、この模範解答にかなり近いイメージだろう。
一方で、この模範解答の対極を行く解答例の典型は、2007年の関西テレビの「発掘!あるある大事典」の納豆をとりまくヤラセ事件だと指摘している。「データの捏造」を認めて謝罪し、検証番組まで作って心の底から謝罪を繰り返し、二度とこのような過ちを犯さないという宣言をしたのである。しかし、結果は期待とは真逆になったのだという。関西テレビは、民放連からも「自分がそこまで罪を認めるのなら、我々としてもペナルティを与えざるを得ない」という判断で民放連から除名されたのだという。幸い、翌年に北京オリンピックがあり、フジテレビが放送権を獲得した種目を関西で放映することができないと問題だということで、1年ほどで除名処分は解除されたというが、はっきりと罪を認めなければ除名には至らなかったかも知れない。まさに「正直者が馬鹿を見る」状況である。
だから人々は、「正直者は馬鹿を見る」ことを知っているから、「正直者にはならない」と決意して、微妙なバランスの「不正直者」を目指すのだが、往々にしてその「不正直者」は得をするのである。私もその様な現実を目の当たりにしたことがある。私は研究開発関係の仕事をしているが、かって、ある論文の査読に関連して、その論文と文字・単語レベルで文章の95%程度が一致する論文(例えば、概要、1章、2章、3章、結論は1字一句、図表の詳細まで完全に一致しており、第4章の4.1節~4.4節までが同じで、4.5節だけが別の内容になっているイメージ)を、その著者が別の学会に投稿しているケースに立ち会うことになった。論文の2重投稿は完全な禁止事項で、特に博士課程のものは論文の採用件数が博士号の取得条件になったりするので、1粒で2度美味しいなどということを許さないようにしている。それが発覚したので当然ながら学会のブラックリストに掲載され、それ以降の論文の受付拒否(実質的には除名に近い)となるところだった。しかし、その著者は、「残りの5%がこの論文の本質だ!」と嘯いた。中身を読んでみれば、この5%が枝葉末梢であることは誰が見ても分かるのだが、相手が2重投稿を認めるまで論破しないと裁判チックな面倒な手続きをしなければならない。「客観的」を証明するのは難しいので、結局は役員クラスの判断で「厳重注意」の要注意人物としてマークするに留め、除名などにはならずに継続的に学会で活動できるようになってしまった。多分、この著者に少しでも良心があれば、彼はブラックリストに載っていたはずである。ちなみにこの様な事件を起こすのは、決まって中国ないしは韓国からの投稿である(逆に日本人はほとんど聞かない)。
話を戻せば、だから記者会見をやるのであれば弁護士と社長が会見に臨み、社長はひたすら醜態をさらす役目、弁護士は答えられる質問に淡々と答える役目、と役割分担をして、報道陣の期待するものに可能な範囲で応えるというのが正解なのだろう。しかし、この様に考えてみると、不祥事に対して本当にその様な役者を演じることを求める報道というのがそれで良いのか?と私は思ってしまう。もし報道が、「正直に罪を認め、心からの謝罪を行い、責任を取るべき人には責任を取らせ、正直者が馬鹿を見ない世界を実現する宣言をする」ことを真っ当に評価するようになれば、事態は変わるのかも知れない。しかし、それでは多分新聞や週刊誌は売れず、テレビも視聴率を取れないだろう。結局のところは、報道機関のご都合で、歪んだ役者の演技を我々は見続けることになりそうだと感じる。
我々はもう少し現実を見抜き、善悪の絶対軸上で定量的に評価できる様な学習をコツコツとしていかなければならないのだろう。せめて、自白したものには情状酌量の余地を残すなど・・・。今回の3つのケースは丁度良い「練習問題」なのかも知れない。
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ロイター 2013年10月30日「コラム:同盟国へのスパイ行為は『本当に悪い』のか」
記事の出だしはこうである。
「いまのところ一般的に合意された意見ではないとしても、米国の同盟国に対する諜報活動は長い目で見れば大した問題にはならないということを、インターネットユーザーのほとんど(ただし国家首脳でなければ)は早晩認めることだろう。」
この背景には「同盟国をスパイする理由のひとつは、その国が本当に同盟国であるのか確かめるため」という考えがあり、これは何処の国も全く同じである。実際に、アメリカ以外でも同様のことを行ったことが過去にも発覚しているし、面白いのはイギリスのサッチャー首相は在任中、カナダの諜報機関に依頼して自らの政権内の閣僚に対する電話の盗聴を行ったという。「何故、カナダの諜報機関なの?」と思われると思うが、イギリスでは国内法で政府が国民に対する盗聴を禁止しているがために、国外の諜報機関に頼んだということである。そして、同様のことは他国でも良く行われていることなのだという。つまり、誰でも同様のことをやっていることは知っているから、この問題自体はたいしたことではなく、あくまでも朴槿惠大統領が国内向けのアピールとしての演技(反日キャンペーン)を重視しているように、メルケル首相や一部の首脳の中にもパフォーマンスとして「オバマ、けしからん!」と言うことはあっても、誰かと違って常識ある人々だから適当なところで矛を収めるのは自然なことだろう。それを、ロイターほどのメディアで正面から発信することには少々の驚きを感じるが、この様なところにその新聞社の良識を感じる次第である。
一方、レストランの偽装の話は次から次へと後を絶たない。後から発覚する後発組は、既にガス抜きが終わっていることを意識して、(全てが返金の対象だとは私も思ってはいないが)「返金は行いません!」と宣言していた。言うまでもなく、「誰もがやっている」ことの証明であり、この程度は最初から皆が知っていたはずである。それなのに、当初はそれを阪急阪神ホテルズだけに押し付けようとした報道姿勢はいささか疑問だし、逆に現在の様にそこら中から問題が発覚すると、今度はニュース・バリューがないとしてあまり報じなくなってしまった。まかりなりにも、阪急阪神ホテルズは自ら進んで過ちを認めて公開したのである。つまり自白したのである。その阪急阪神ホテルズが一番強くバッシングを受けて、後から出てきた方は無罪放免で「本当に、それでいいんですか?」と聞いてみたいところである。銀行についても多分同様で、(あくまでも予想であるが)みずほ銀行以外のメガバンクにも金融庁から立ち入り検査が行われることが明らかになったので、今後、銀行でも同様のことが次から次へと出てくるのかも知れない。その時も白々しく対応するのだろうか?
さて、以下が今日の本題である。
私は先のブログで阪急阪神ホテルズの社長は「我々は、この事態を『偽装』であると認識している。『偽装』は言うまでもなく許されない行為であり、いわばお客様に対する裏切り行為を私たちは行ってしまった。だから、二度とこの様な事態を起こさない宣言の意味を込めて、皆様にこの『偽装』事件を公表し、謝罪する次第です。」と言うべきだったと書いたのだが、小田嶋隆さんのア・ピース・オブ・警句の今日の記事「説明するより醜態を晒そう」を読んで唸ってしまった。何とも的を得た説明だからである。この記事はいつもの如く、会員登録をしないと読めない記事なので簡単に紹介すると、何らかの謝罪をしなければならない時、謝罪相手は自分に何を求めるかといえば、「心のこもった謝罪」でもなければ失策の「正直な理由の説明」でもない。ただひたすら、こちらの「醜態」を見続けることで満足したいのだという。そこでは決して論理的な対応を求めてはいないので、真面目に論理的な正直ベースの対応をすると裏目に出てしまうということだ。本文には様々なシミュレーション的な会話の事例が面白おかしく説明されているが、それを引用する代わりに、阪急阪神ホテルズの例に当てはめてみながら紹介してみたい。Qは報道陣からの質問。Aは社長からの回答だと思って欲しい。あくまでも、私の頭の中だけの仮想的な記者会見である。
Q「どうしてバナメイエビのことを芝エビなどと書いたんだ?」
A「(正直に)バナメイエビの方が安くて入手し易かったからです」
Q「それでお客様が許してくれると思ったのか?」
A「許してくれないと思います」
Q「許してもらえないようなことを何故するんだ?」
A「(正直に)誰もがやっていることだから、大問題にはならないと思いました」
Q「ばれなければ良いのか?」
A「いけないことだと思います」
Q「いけないと思ってて、どうしてそういうことをするのか?」
A「誰もがやっていると思ったので」
Q「他の人がやれば許されるのか?」
A「許されないと思います」
Q「許されないと分かっていてどうしてしたんだ?」
A「(頭を下げながら)申し訳ございません」
Q「謝れば許されると思っているのか?」
A「(さらに頭を下げながら)申し訳ございません」
Q「もう一度聞くが、謝れば許されると思っているのか?」
A「(さらにさらに頭を下げながら)申し訳ございません」
Q「お前、俺をおちょくっているのか!」
A「・・・」
つまり、正直に答えてもひたすら謝っても許してはくれないのである。これに対して、小田嶋隆さんの模範解答に近いのはこんな感じである。とにかくひたすら醜態をさらすのである。
Q「どうしてバナメイエビのことを芝エビなどと書いたんだ?」
A「あぁぁのぉぉ・・・、た、た、大変、も、も、申し訳ございません。な、なにも、言い返すことなど、で、で、できません。も、も、申し訳、ご、ございませんでしたぁぁぁーーー。うっ、うっ、・・・、うぉっ・・・(泣きながら)」
Q「な、何を泣いてるんですか?質問してるんですよ。どうしてバナメイエビのことを芝エビなどと書いたんですか?」
A「そ、そ、それは・・・、うぉっ、うぉっ・・・、弁解の余地がないです。うわぁーーーーっ。(頭を深々と下げて)」
Q「バナメイエビのことを芝エビと標記したことは、『誤表示』ではなく『偽装』と解釈して良いのですね?」
A「うっ、おぉっ・・・、も、も、申し訳ございませんんんっ・・・!(鼻水も垂らしながら・・・)」
Q「反省しているのか聞いてるんですよ?」
A「すっ、すっ、すっ、全て、私の指導が足りなかったんですぅーーー(泣きじゃくる顔をおもむろに上げて、テレビカメラに鼻水ダラダラのシーンを写しながら)」
そして、謝る際には頭の剥げた責任者が出てきてテカテカの剥げ頭が取材陣の真正面から丸見えになるように頭を下げ続け、フラッシュが焚かれるごとに剥げ頭がきらびやかにテカテカと光るのが好ましい。泣きながら鼻水を垂らして、机の上が鼻水だらけになるとなお良いのかも知れない。
つまり、醜態をさらすことを期待しているのだから、素直に謝ろうが偽装に至った経緯を正確に公開しようが、社長の毅然とした態度は取材陣の求めるものではないということらしい。山一證券の破たん会見などは、意図的ではないのは理解しているが、この模範解答にかなり近いイメージだろう。
一方で、この模範解答の対極を行く解答例の典型は、2007年の関西テレビの「発掘!あるある大事典」の納豆をとりまくヤラセ事件だと指摘している。「データの捏造」を認めて謝罪し、検証番組まで作って心の底から謝罪を繰り返し、二度とこのような過ちを犯さないという宣言をしたのである。しかし、結果は期待とは真逆になったのだという。関西テレビは、民放連からも「自分がそこまで罪を認めるのなら、我々としてもペナルティを与えざるを得ない」という判断で民放連から除名されたのだという。幸い、翌年に北京オリンピックがあり、フジテレビが放送権を獲得した種目を関西で放映することができないと問題だということで、1年ほどで除名処分は解除されたというが、はっきりと罪を認めなければ除名には至らなかったかも知れない。まさに「正直者が馬鹿を見る」状況である。
だから人々は、「正直者は馬鹿を見る」ことを知っているから、「正直者にはならない」と決意して、微妙なバランスの「不正直者」を目指すのだが、往々にしてその「不正直者」は得をするのである。私もその様な現実を目の当たりにしたことがある。私は研究開発関係の仕事をしているが、かって、ある論文の査読に関連して、その論文と文字・単語レベルで文章の95%程度が一致する論文(例えば、概要、1章、2章、3章、結論は1字一句、図表の詳細まで完全に一致しており、第4章の4.1節~4.4節までが同じで、4.5節だけが別の内容になっているイメージ)を、その著者が別の学会に投稿しているケースに立ち会うことになった。論文の2重投稿は完全な禁止事項で、特に博士課程のものは論文の採用件数が博士号の取得条件になったりするので、1粒で2度美味しいなどということを許さないようにしている。それが発覚したので当然ながら学会のブラックリストに掲載され、それ以降の論文の受付拒否(実質的には除名に近い)となるところだった。しかし、その著者は、「残りの5%がこの論文の本質だ!」と嘯いた。中身を読んでみれば、この5%が枝葉末梢であることは誰が見ても分かるのだが、相手が2重投稿を認めるまで論破しないと裁判チックな面倒な手続きをしなければならない。「客観的」を証明するのは難しいので、結局は役員クラスの判断で「厳重注意」の要注意人物としてマークするに留め、除名などにはならずに継続的に学会で活動できるようになってしまった。多分、この著者に少しでも良心があれば、彼はブラックリストに載っていたはずである。ちなみにこの様な事件を起こすのは、決まって中国ないしは韓国からの投稿である(逆に日本人はほとんど聞かない)。
話を戻せば、だから記者会見をやるのであれば弁護士と社長が会見に臨み、社長はひたすら醜態をさらす役目、弁護士は答えられる質問に淡々と答える役目、と役割分担をして、報道陣の期待するものに可能な範囲で応えるというのが正解なのだろう。しかし、この様に考えてみると、不祥事に対して本当にその様な役者を演じることを求める報道というのがそれで良いのか?と私は思ってしまう。もし報道が、「正直に罪を認め、心からの謝罪を行い、責任を取るべき人には責任を取らせ、正直者が馬鹿を見ない世界を実現する宣言をする」ことを真っ当に評価するようになれば、事態は変わるのかも知れない。しかし、それでは多分新聞や週刊誌は売れず、テレビも視聴率を取れないだろう。結局のところは、報道機関のご都合で、歪んだ役者の演技を我々は見続けることになりそうだと感じる。
我々はもう少し現実を見抜き、善悪の絶対軸上で定量的に評価できる様な学習をコツコツとしていかなければならないのだろう。せめて、自白したものには情状酌量の余地を残すなど・・・。今回の3つのケースは丁度良い「練習問題」なのかも知れない。
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