けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

国会事故調の活動を評価したい!

2012-06-12 21:18:18 | 政治
報道によれば、「原子力規制委員会」の設置関連法案について民自公の3党間で、首相の指示権による介入を認めない方向で合意したという。与野党間の主張の最大のハードルを越えたので、今国会中の成立の可能性も高まった。この首相の指示権による介入は、そもそも福島第一原発事故の迷走の最大の人災の原因となったものである。菅前総理の「自分が介入したから福島第一原発事故は収束に向かった」という主張に対し、国会事故調はそれを全面否定している。今回の合意は、多分それを受けての民主党の譲歩なのだろう。まずはこの合意を評価すると共に、その決断を促した国会事故調の活動を最大限に評価したい。

もちろん、昨日の報道ステーションではノーリターンルールに関する骨抜きを環境省が目論んでいると報道もされていたが、そもそものノーリターンルール自体は既に民自公の3党間で合意されていることであり、経過措置についての官僚の作文を(霞ヶ関文学を熟知した)官僚出身者に添削させ、実効的な骨抜きにならないように見守れば、十分に機能する内容にまとめ上げることが出来るのではないかと期待している。だから、「原子力規制委員会」の設置関連法案の行方については暫くの様子見である。今日は、この国会事故調について個人的なコメントをしておく。

これまでに幾つかの調査機関による報告書が出てきたが、国会事故調はその中で最も権威がある調査委員会であり、その動向が注目されていた。人によっては、色々と不満意見もない訳ではないが、それなりの効果を挙げつつある状況である。先の民間事故調の報告書では、菅前総理が東電に3月15日に乗り込んだことが「潮目」となったという評価をしていたが、実はこの調査報告書には、東京電力に対する事情聴取を行っていないという致命的な欠陥が含まれている。当初は東電としても政府に助け舟を出してもらいたいとの思惑から、あまり政府を刺激しないように発言(事情聴取)を控えていた部分もあったと思うが、国の対応の落しどころが見えてきたこともあり、最近は認識の違いも平気で主張することが出来るようになった。その様な背景もあるのかも知れないが、国会事故調では黒川委員長自らが、吉田前所長に対して1時間以上もの事情聴取を行っている。多分、病院に出向いてのことなのだろう。その中で、黒川委員長は論理的な整合性が非常に明瞭な吉田前所長の聴取内容を重要視し、当時の政府の対応を非難している。

この国会事故調の判断で注目されることのひとつに、先ほども触れたが東電が全面撤退を決断したか否かについての評価がある。首相官邸側の発言は、全て一貫して「全員撤退の申し入れ」となっているが、一方で明確に「全員撤退」との明示的な発言を聞いたという証言はない。新聞報道などでも、その様なタイミングで東電社長からあの様な報告を受けたら「当然、全員撤退と思っても仕方がない」という趣旨の首相官邸側を擁護するコメントもあった。しかし、問題は「勘違いされても仕方がない状況であったのか否か?」ではなく、「東電が全員撤退しようとしていたのに、官邸の力で思いとどまらせることが出来た」という内容が事実か否かが重要なのである。この点に関しては、国会事故調は「東電側は終始一貫して『退避』という言葉を使っている」と認めている。この「撤退」と「退避」には大きな意味の違いがあり、「退避」とは一時的にその場を離れること、すなわち、やがてその場に戻ることを前提としている。様々な人が自分の身を取り繕うために勝手なことを言っていると、その中の整合性に綻びが出てくるのであるが、この件に関しては概ね東電側に綻びがなかったと認定している。この結果、「東電が全員撤退しようとしていたのに、官邸の力で思いとどまらせることが出来た」という内容は事実に反する間違いであることを結論付けている。

ただ、誤解をした首相官邸側に問題があったかというと、完全に頭の中にバイアスがかかった状態で何らかの情報を入れたときに、その情報がバイアスによりミスリードされてしまうことを認めたうえで、本来はその誤解を解かなければならない立場の東電の清水社長には、官邸と東電の間の微妙な意識の違いを感じ取り、それを修正する能力が極端に欠けていたことも指摘している。ある意味、一歩踏み込んだ解析を行っていることになる。

先日の野田総理の大飯原発再稼動の記者会見の時、実はその裏で国会事故調も記者会見を行っていた(当日の東電清水前社長の事情聴取を受けての総括)。黒川委員長は野田総理の記者会見の内容を知る前の段階で、大飯原発再稼動に関する政府の行動について、「日本政府の対応は世界の先進国の原子力行政へのあり方とは違うこと、どういうプロセスでどの様な判断をするのかという国家の信頼が揺らいでいること」を指摘し、政府の対応に「メルトダウンが起きている」と結んでいた。もし野田総理の記者会見を聞いた後の発言であれば、更に厳しい内容になっていたかも知れない。

この国会事故調の会合の内容を幾つか読んでみると、発言者の支離滅裂な回答が目立つ。多分、緊張が極限状態に達し、これがもとで自分が吊るし上げられないように、ないしは自分が守らなければならない組織に不利な発言をしないように、自分でも何を言っているのか分からない有耶無耶した言葉の羅列が目に余る。しかし、それらの心象から、国会事故調の委員たちは様々なことを読み取っているのだろう。黒川委員長は、あまり推測に基づく発言や、記者会見でも個々の証言者に対する個人的な感想を述べることで、報告書の客観性をおとしめないように気を使っている様に見える。だから、委員会に与えられた権限の範囲内で行動する一方、「調理するための材料は提供しているのだから、これをどう料理するかはマスコミや国民、国会にかかっている」というスタンスを明確にし、我々が何らかのアクションを起こすことを促している。

ついつい我々は、菅前総理に対する証人喚問までを国会事故調に期待してしまうのであるが、物事には役割分担というものがあることを忘れがちなのかも知れない。国会事故調は十分な仕事をしつつある。ボールはまもなく国会に預けられる。その時に、国会議員が馴れ合いを演じるのは許されない。

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