明日の採決を前に、今日もテレビ番組では消費税増税の票読みに必死だが、その辺はなるように任せて放っておくしかない。どの道、沈みゆく船である民主党の僅かな延命のために、自らの政治生命を断つことになる日和った逃げの政治を野田総理は選ばないだろう。民主党執行部も小沢元代表の証人喚問カードをチラつかせているから、明日以降の動きは激しくなるだろう。消費税増税の話題はいろいろ言い出せば切りがないが、今日もここから話題を変えさせて頂く。
今日は「決められる政治を実現するための初めの一歩」について考えてみたい。
順番に議論をしていこう。例えば、様々な議題に対して、同じ党でもそれぞれ意見が分かれている状況をよく目にする。先にも触れたが、消費税増税に賛成/反対と意見が分かれる。細かく言えば、反対派の中にもその理由が全く異なり、タイミングを見て可及的速やかに増税は実施せざるを得ないが流石に今はまずいという意見と、国民生活の為なの合言葉を掲げてポピュリズム的な選挙目当ての反対意見もある。原発についても、急進的な即座の脱原発派(永久に再稼働停止派)もいれば、長期的な脱原発には賛成だが短期的には原発を容認すべきとの考えもある。さらに言えば、この後者の中にも、継続的な再稼働賛成派もいれば、原発の再稼働には賛成だが、今回のプロセスはあまりにもお粗末であり、少なくともある程度客観的に多くの国民が安全を実感できる十分な体制(例えば、免震重要棟などの整備と安全基準の確立)が整うまでは、再稼働は夏季限定などの期間限定で最小限の範囲にとどめるべきとの条件付きの再稼働容認派もいる。TPPについても同様であり、無条件で反対であり議論するのもけしからんという人もあれば、似たような反対派の中でも、まずは参加交渉の席に着かなければ何も情報がなくて判断すらできないという人もある。当然賛成派も多いが、手放しで賛成という人は少数で、それなりに地雷が多数存在するのを知った上で、参加/反対で議論してエネルギーを浪費するのではなく、その交渉で如何にして日本にとって有利な条件を引き出すかの交渉にエネルギーを割くべきとの考えもある。最後の立場に立てば、現在のズルズルと参加交渉できずにいる現状は最悪のシナリオかも知れない。
とまあ、いろいろ書いてみたが、この様な対立の案件は非常に多く存在する。仮に総選挙が行われて新たな連立政権が樹立されたとしても、その中でも原発、TPP、社会保障・年金問題などの案件について、今後も与党内を二分する対立は引き続き発生することは避けられない。ではこの様な問題について、我々はどの様に考えれば良いのだろうか?
ひとつの仮説として、その様な案件を全て国民投票で決めるという選択肢はあるかも知れない。しかし、本当にそんなことは出来るのだろうか?例えば原発問題を例にとれば、既に脱原発と原発推進などという単純な対立の構図にはない。上述したように、選択肢を「A」と「B」と二つに限定することは不可能である。では、「A」〜「Z」の選択肢を多数揃え、それで選択をさせれば良いのだろうか?しかし、答えは「否」である。例えば、殆ど一緒だが微妙に違う選択肢を多数用意すると、概ね、その様な考え方の人の票がその選択肢の数だけ分散してしまう。とすれば、複数の選択肢を用意するのもダメ、2者択一もダメ、となる。この様な状況である程度民意を反映するためには、オリンピックの開催地を決定する際に用いる、「ひとつずつ選択肢を除外していく方式」を採用する必要がある。しかしこの方式では、選択肢の数がN通りであれば、ひとつの政策を選ぶのにN-1回の投票が必要である。投票には人と金と時間が必要であり、ひとつのネタでそれだけの投票を行うことは許されない。では、どうすれば良いのだろうか?誰もが納得する方法は存在するのであろうか?
ここで少し話は逸れるが、少しばかり我慢して次の点について冷静に考えてみて欲しい。
「決められる政治」の代名詞とも言うべき橋下大阪市長は、選挙での民意を前面に出して、「議論を尽くしても合意に至らない場合には、最後には決断をしなければならず、その決断は民意で選ばれた権力者が判断すべき」と主張する。これに対し反橋下派の人々は、「選挙では確かに貴方が勝ったが、(個別の案件を最終決定する)そんな権限まで貴方に委ねた覚えはない!」と言う。この主張は少し冷静に考えてみるべき内容を含んでいる。と言うのは、選挙では郵政選挙のようなシングル・イシューの特殊な状況を除けば、通常は多数の論点が存在する。仮に前回の衆院選を例にとれば、民主党は「子ども手当創設、最低保証年金実現、高速道路無料化、郵政民営化反対、後期高齢者医療制度廃止・・・」等々、幾つかの項目について党としての方針を示して来た。しかし、全ての民主党への投票者がその全ての項目に賛成していた訳ではない。場合によっては、政策のバラマキには問題があるが、政権交代を優先しようという視点だけで票を入れた人もいるだろう。所詮、選挙では複雑に各政策が入り交じっていて、その中で判断が迫られる訳である。だから、誰でも選挙が終わった後で「そんなことまで同意していない」と言いたくなるのは自然である。しかし、候補者の選択肢は限られているわけで、全てにおいて自分と意見の合った政党を選択することはできない。となると、ある部分では自分の意見とは対立するかも知れない(Bestな選択ではない)が、それでもどの政党がBetterであるかを判断せざるを得ない。その結果、その選択した政党が推進する政策を我々は受け入れる・・・という暗黙の了解が、選挙では求められるのである。だから、「そんなことまで同意していない」という発言は、極めて無責任で我侭な発言なのである。ましてや、選挙で負けた立場で(選挙で勝った側の)誰かの言葉を代弁する形で「そんなことまで同意していない」というのは論外である。
そもそも、選挙の時点では想定されていない議論の争点が選挙後に生じるかも知れない。その時の判断まで選挙の時点で把握することは不可能だから、ある意味、「この人、この政党の良識を私は信じるし、少なくとも次の選挙まではその政党の判断を尊重する」という前提で投票行為を行うのである。信頼して騙されれば、次の選挙でその人を落選させれば良いだけである。さらに、次の選挙まで待てなければ、世論の力で選挙を前倒し(解散総選挙や首長のリコール)するように努力しても良い。
ここまで来ると、ひとつの方向性に気がつくかも知れない。民主党を見ていれば、総理大臣(党代表)が変わった途端に党の方向性が180度近く大幅に修正されることがあることを我々は経験した。この経験と照らし合わせると、先程、「この人、この政党の良識を私は信じるし、少なくとも次の選挙まではその政党の判断を尊重する」という前提を述べたが、この前提が有効なのは選挙後の首班指名で選ばれた総理がその職に留まる間と考えるべきである。言い換えれば、総理大臣の首をすげ替える時には、(少なくとも3ヶ月程度の猶予期間を除けば)同時に選挙を行うべきである。そして、この前提の下で、総理大臣には「決断の最終権限」を認めるべきではないかと考える。もちろん、内閣不信任案や政権与党内の党内手続きなどを通じて、総理大臣の暴走を食い止めることは可能である。しかし、その際には必ず選挙が付いて廻るとなれば、自らの失職のリスクと引き換えでなければ総理の首はすげ替えられない。それなりの覚悟が最低限、政権与党には求められるのである。さらには、後出しジャンケンは許されないから、選挙の時のマニュフェストについても真剣に議論することが求められる。そこで納得できなければ、納得できる党代表を真面目に選べば良いのである。
これがBestな方法かどうかは怪しいが、各党の代表が党執行部を中心に党内手続きを経て選挙前に示した各議題に対する方針を、少なくとも政権を取った際に与党内からクーデターを起こされずに強力に推進するためには、それなりのメカニズムを考えなければならない。党内の派閥抗争で勝てば、後から何でもひっくり返せるという現在の方式は、見直されるべきだと私は考える。
私は素人だから細かな法律はわからないが、仮にこの制度の実現には憲法も含めた法的な整備が必要だというのであれば、選挙前に各党の党首が「この方針を尊重する」という紳士協定をマスコミの前で宣言するという形で、実効的な足枷をはめても構わない。何らかの工夫を、今、すべきではないかと私は考える。
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今日は「決められる政治を実現するための初めの一歩」について考えてみたい。
順番に議論をしていこう。例えば、様々な議題に対して、同じ党でもそれぞれ意見が分かれている状況をよく目にする。先にも触れたが、消費税増税に賛成/反対と意見が分かれる。細かく言えば、反対派の中にもその理由が全く異なり、タイミングを見て可及的速やかに増税は実施せざるを得ないが流石に今はまずいという意見と、国民生活の為なの合言葉を掲げてポピュリズム的な選挙目当ての反対意見もある。原発についても、急進的な即座の脱原発派(永久に再稼働停止派)もいれば、長期的な脱原発には賛成だが短期的には原発を容認すべきとの考えもある。さらに言えば、この後者の中にも、継続的な再稼働賛成派もいれば、原発の再稼働には賛成だが、今回のプロセスはあまりにもお粗末であり、少なくともある程度客観的に多くの国民が安全を実感できる十分な体制(例えば、免震重要棟などの整備と安全基準の確立)が整うまでは、再稼働は夏季限定などの期間限定で最小限の範囲にとどめるべきとの条件付きの再稼働容認派もいる。TPPについても同様であり、無条件で反対であり議論するのもけしからんという人もあれば、似たような反対派の中でも、まずは参加交渉の席に着かなければ何も情報がなくて判断すらできないという人もある。当然賛成派も多いが、手放しで賛成という人は少数で、それなりに地雷が多数存在するのを知った上で、参加/反対で議論してエネルギーを浪費するのではなく、その交渉で如何にして日本にとって有利な条件を引き出すかの交渉にエネルギーを割くべきとの考えもある。最後の立場に立てば、現在のズルズルと参加交渉できずにいる現状は最悪のシナリオかも知れない。
とまあ、いろいろ書いてみたが、この様な対立の案件は非常に多く存在する。仮に総選挙が行われて新たな連立政権が樹立されたとしても、その中でも原発、TPP、社会保障・年金問題などの案件について、今後も与党内を二分する対立は引き続き発生することは避けられない。ではこの様な問題について、我々はどの様に考えれば良いのだろうか?
ひとつの仮説として、その様な案件を全て国民投票で決めるという選択肢はあるかも知れない。しかし、本当にそんなことは出来るのだろうか?例えば原発問題を例にとれば、既に脱原発と原発推進などという単純な対立の構図にはない。上述したように、選択肢を「A」と「B」と二つに限定することは不可能である。では、「A」〜「Z」の選択肢を多数揃え、それで選択をさせれば良いのだろうか?しかし、答えは「否」である。例えば、殆ど一緒だが微妙に違う選択肢を多数用意すると、概ね、その様な考え方の人の票がその選択肢の数だけ分散してしまう。とすれば、複数の選択肢を用意するのもダメ、2者択一もダメ、となる。この様な状況である程度民意を反映するためには、オリンピックの開催地を決定する際に用いる、「ひとつずつ選択肢を除外していく方式」を採用する必要がある。しかしこの方式では、選択肢の数がN通りであれば、ひとつの政策を選ぶのにN-1回の投票が必要である。投票には人と金と時間が必要であり、ひとつのネタでそれだけの投票を行うことは許されない。では、どうすれば良いのだろうか?誰もが納得する方法は存在するのであろうか?
ここで少し話は逸れるが、少しばかり我慢して次の点について冷静に考えてみて欲しい。
「決められる政治」の代名詞とも言うべき橋下大阪市長は、選挙での民意を前面に出して、「議論を尽くしても合意に至らない場合には、最後には決断をしなければならず、その決断は民意で選ばれた権力者が判断すべき」と主張する。これに対し反橋下派の人々は、「選挙では確かに貴方が勝ったが、(個別の案件を最終決定する)そんな権限まで貴方に委ねた覚えはない!」と言う。この主張は少し冷静に考えてみるべき内容を含んでいる。と言うのは、選挙では郵政選挙のようなシングル・イシューの特殊な状況を除けば、通常は多数の論点が存在する。仮に前回の衆院選を例にとれば、民主党は「子ども手当創設、最低保証年金実現、高速道路無料化、郵政民営化反対、後期高齢者医療制度廃止・・・」等々、幾つかの項目について党としての方針を示して来た。しかし、全ての民主党への投票者がその全ての項目に賛成していた訳ではない。場合によっては、政策のバラマキには問題があるが、政権交代を優先しようという視点だけで票を入れた人もいるだろう。所詮、選挙では複雑に各政策が入り交じっていて、その中で判断が迫られる訳である。だから、誰でも選挙が終わった後で「そんなことまで同意していない」と言いたくなるのは自然である。しかし、候補者の選択肢は限られているわけで、全てにおいて自分と意見の合った政党を選択することはできない。となると、ある部分では自分の意見とは対立するかも知れない(Bestな選択ではない)が、それでもどの政党がBetterであるかを判断せざるを得ない。その結果、その選択した政党が推進する政策を我々は受け入れる・・・という暗黙の了解が、選挙では求められるのである。だから、「そんなことまで同意していない」という発言は、極めて無責任で我侭な発言なのである。ましてや、選挙で負けた立場で(選挙で勝った側の)誰かの言葉を代弁する形で「そんなことまで同意していない」というのは論外である。
そもそも、選挙の時点では想定されていない議論の争点が選挙後に生じるかも知れない。その時の判断まで選挙の時点で把握することは不可能だから、ある意味、「この人、この政党の良識を私は信じるし、少なくとも次の選挙まではその政党の判断を尊重する」という前提で投票行為を行うのである。信頼して騙されれば、次の選挙でその人を落選させれば良いだけである。さらに、次の選挙まで待てなければ、世論の力で選挙を前倒し(解散総選挙や首長のリコール)するように努力しても良い。
ここまで来ると、ひとつの方向性に気がつくかも知れない。民主党を見ていれば、総理大臣(党代表)が変わった途端に党の方向性が180度近く大幅に修正されることがあることを我々は経験した。この経験と照らし合わせると、先程、「この人、この政党の良識を私は信じるし、少なくとも次の選挙まではその政党の判断を尊重する」という前提を述べたが、この前提が有効なのは選挙後の首班指名で選ばれた総理がその職に留まる間と考えるべきである。言い換えれば、総理大臣の首をすげ替える時には、(少なくとも3ヶ月程度の猶予期間を除けば)同時に選挙を行うべきである。そして、この前提の下で、総理大臣には「決断の最終権限」を認めるべきではないかと考える。もちろん、内閣不信任案や政権与党内の党内手続きなどを通じて、総理大臣の暴走を食い止めることは可能である。しかし、その際には必ず選挙が付いて廻るとなれば、自らの失職のリスクと引き換えでなければ総理の首はすげ替えられない。それなりの覚悟が最低限、政権与党には求められるのである。さらには、後出しジャンケンは許されないから、選挙の時のマニュフェストについても真剣に議論することが求められる。そこで納得できなければ、納得できる党代表を真面目に選べば良いのである。
これがBestな方法かどうかは怪しいが、各党の代表が党執行部を中心に党内手続きを経て選挙前に示した各議題に対する方針を、少なくとも政権を取った際に与党内からクーデターを起こされずに強力に推進するためには、それなりのメカニズムを考えなければならない。党内の派閥抗争で勝てば、後から何でもひっくり返せるという現在の方式は、見直されるべきだと私は考える。
私は素人だから細かな法律はわからないが、仮にこの制度の実現には憲法も含めた法的な整備が必要だというのであれば、選挙前に各党の党首が「この方針を尊重する」という紳士協定をマスコミの前で宣言するという形で、実効的な足枷をはめても構わない。何らかの工夫を、今、すべきではないかと私は考える。
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