けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

世界は日本をどの様に見ているのか?(荻上チキSession22より)

2014-02-25 00:00:14 | 政治
実は先週の木曜日であるが、時々聞くTBSラジオの番組、「荻上チキSession22」を興味深く聞かせて頂いた。Podcastで今でも聞くことが出来るので、興味がある方は聞いて頂くと良い。今日はこの話題を肴にして議論を深めてみたい。

荻上チキSession22 Podcast 2014年02月20日「日韓ナショナリズム 世界はどう見てる?」(ワールドワイドモード)をポッドキャスティングを聴く

この番組では最近の日韓の争いについて、世界がどう見ているかをアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、台湾という様々な国に在住の有識者の方と電話をつなぎ、その国での扱われ方などについて議論を深めていた。スタジオでのゲストは国際ジャーナリストの小西克哉氏、アメリカからは作家の冷泉彰彦氏、イギリスからはTBSロンドン支局の貞包史明支局長、ドイツから ジャーナリストの松田雅央氏、台湾からはジャーナリストの本田善彦氏が参加した。フランスからは文書でコメントが報告されていた。

さて、この内容を書き起こすととてつもない労力になるのでそれは省略するが、その中で私がポイントと感じたことを列挙してみたい。まず、全体を通しての感想であるが、今回のラジオでの報告は、全ての人に共通して非常にニュートラルな立場で現地の報道の状況をそのまま伝えることに徹していたように思う。従来の大手新聞社の論評などのケースでは、引用する海外の新聞がメジャーな新聞か超マイナーな地方紙かの区別もなく、そして引用した新聞のスタンスがメジャーな認識かごく一部の人の論調かも区別なく、あくまでも事実としてこんな話が合ったという引用をしていることが多い。となると、記事の存在は事実ではあるが、引用する新聞を選べば如何様にも印象を操作することができてしまう。例えばアメリカで日本の紹介として「赤旗」の記事を引用されても、それは日本の総意とは大きく異なることは明らかであるが、その様な偏ったことをするのは大手新聞社であれば日常茶飯事である。先日もウォール・ストリート・ジャーナルの記事を私のブログで紹介させて頂いたが、ここでは記事によって右や左にぶれていることがあったが、日本の新聞では偏り方が一定の場合が多いように感じる。だから、今回のSession22の放送もその様な偏った報告であるとすると聞いてもあまり意味がないところであるが、今回の番組内ではその様な偏りはあまり感じられなかった。

その様に公平な目で見た各国からの報告の中で注意すべきことが4点ほどあった。

まずひとつ目は、全体的に共通していることであるが、世界各国は我々が思う程、日本のことにはあまり興味がないということである。もう少し厳密に言えば、アメリカの場合にはヨーロッパ諸国に比べてもう少し興味があるようで、靖国問題なども全国紙でそれなりに大きく取り扱いがあるのだが、(中国、韓国に加えて)アメリカを除く国々では我々が思うようには日本に対する興味は薄いようである。ましてや韓国などは日本以上に興味がないから、日本と韓国がいがみ合っていても、それ自体は全く記事にはならない。アメリカの西海岸のグレンデール市での慰安婦像に関する騒動や、バージニア州の東海問題などは、そのローカルな地方紙では話題になっているのかも知れないが、アメリカにおける州の位置づけは日本における都道府県とは全く異なり、様々な問題に対する権限が州ごとに分権化されており、アメリカ政府関係者の立場で見れば、取るに足らない地方の些細な出来事でしかなく、やはり国政レベルでは、あまり興味の対象となっていない様だ。この傾向はアメリカよりも欧州の方が顕著で、日本に対して興味があるのは経済と原発の問題で、それ以外では殆どがスルーしており、韓国の話題などはなおさらどうでも良いというニュアンスが強いようである。だから仮に日韓関係の報道がなされても、ストレートニュースとして事案の紹介をすることはあっても、あまりそり以上踏み込んだ論評にまでは至らないようだ。

次にふたつ目であるが、上記の様に日本への関心は比較的薄くても、相手が中国がらみの話になると、それは大問題として突如として興味の対象となるようだ。これは話は単純で、自国の経済に大きな影響があるか否かが興味の対象となるか否かを左右するものであり、現在では貿易相手国としての中国の位置づけは日本などの比較にならない規模になっており、中国の動向を左右する事案に対しては興味が大きくなると言うのである。だから、軍事的な脅威事態は東アジアの諸国(とアメリカ)のように大した危惧とはならないものの、軍事衝突などで東アジアが不安定化するのであればそれはリーマンショックの比ではない影響を被りかねないので、その点には敏感になるようだ。ある程度、中国に対して神経質になっているので仕方がないのかも知れないが、特にヨーロッパにおいては情報不足と中国の反日キャンペーンの影響で、日本が中国を挑発しているとの見られ方が結構浸透しているらしい。

三つ目の注目すべき点は、これはヨーロッパ諸国、特にドイツ、フランスについて言えることなのだろうが、ドイツでは法律としてナチスを肯定的に捉えることを犯罪とすることにしているので、その様な思考として「ナチス以外でも、第2次世界大戦における過ちに対して疑問を投げかける行為に対し、条件反射的に身構えてしまう」という癖がついてしまっているようである。これまでの永きに渡り、中国や韓国が日本の戦争責任を追及しまくる報道がなされてきたので、それに少しでも疑問を投げかける行為については、その行動の妥当性には関係なく、門前払い的に入り口で拒否する傾向がありそうだ。この様な背景が、「日本が中国を挑発している」という誤解を後押ししている感は否めない。

ちなみに、この三つ目の癖と言うのは、我々日本人の感覚からすると少々振り子を大きく振り戻しすぎている感じを否めない。例えて言えば、オウム事件の残忍さに懲りてオウムを忌み嫌い、麻原彰晃(松本智津夫)を崇拝する行為自体を犯罪と認定するようなものである。あの当時の裁判では、現行法を極限まで拡大解釈して些細な違法行為でも懲役刑などになった例も多い。それを、全く犯罪を犯していない信者に対しても、信者であると言うだけで罪に問うという行為は、民主主義国家としてはあまりに稚拙な行為である。しかし、当時のドイツからすればナチス・ドイツと戦後のドイツを切り分けるために、少々オーバーなキャンペーンを繰り広げる必要があったのだろう。しかし、それはナチスの特殊性故に必要であった訳であり、それが本質的であるならば第1次世界大戦に対しても、ドイツは同様の総括をしていなければおかしいはずである。しかし、その様な動きが存在しないことを考えれば、振り子の振り戻しが大きかったのだと客観的に理解できる。であれば、日本に対しても第1次世界大戦に対する総括と同様に対応して頂きたいところであるが、既に癖として身についてしまっているのでどうしようもないようだ。だから、この様な癖があることを我々は前提に作戦を考えなければならない。

最後に、これはアメリカからの報告であるが、これまでは首相の靖国参拝はA級戦犯合祀があるから問題だという認識が一般的だったが、神風特攻隊などでお国のために死んだ若き兵士の魂の追悼という行為を、追悼自体がその行為を肯定的に捉えていると捉える向きが現れ始め、今後は靖国神社自体を「戦争行為の肯定の象徴」とされてしまう可能性が出始めているということらしい。こうなってしまっては、もはや日本政府としては打つ手はない。この様にならないようなロビー活動が必要なのだと思う。

若干本質を離れた蛇足であるが、番組の中では、先日のブログでも触れたダボス会議での安倍首相へのフィナンシャル・タイムズのインタビュー記事なども取り上げ、やはり第1次世界大戦を話題に取り上げることの無神経さを非難していたが、これは私としては懐疑的に見ていて、インタビュアーの主張するように「日中関係は戦争などには絶対に至らない」と間髪いれずに回答すればそれで済んだかと言えば、そんなことはないと感じている。それは、「敵か味方か」で最初に答えがあるのだから、その後の回答に依存せず結論は同じであるわけで、仮に戦争を否定する回答を即答すれば、「これだけ緊迫した両国関係を適切に認識できていない。この緊張感の高まりを実感していないようでは、問題の正しい対処を期待することすらできない」と言いがかりを付けられたかも知れない。だから、そう短絡的に安倍総理を非難するのは妥当ではなく、ボヤいてもしょうがないのだが、適切にフィナンシャル・タイムズの対応を非難する報道の方が正しい対応ではないかと個人的には思っている。

さて、本題に戻って上述のポイントから、日韓関係(及び日中関係)に対する処方箋をどの様に導き出すかについて考えてみる。答えらしきものは番組の中でも言及があったのだが、私の答えは「早い話が、アメリカ国内において日本の立場に理解を示してもらえるような行動を取る」ということである。少なくともヨーロッパにおいては細かなルール作りに興味はないのだから、別のところで別途ルールが出来上がってしまい、少なくともアメリカがそれを「適切」だと評価するのであれば、無駄なエネルギーを使ってまでヨーロッパ諸国は異を唱えることはないということである。三つ目のポイントの癖の話を思い出してみれば、この様な人達の誤解を解くのは至難の業である。であれば、これらの人の誤解を解くことにエネルギーを使うより、それでもまだ相対的には少しばかりは説得のし易そうなアメリカ人にターゲットを絞り、そこを基点にその常識を世界に輸出した方が分が良いはずである。であれば、これまでにも何度か触れてきた「手続き論」を尊重し、アメリカの認識を日本側に引き寄せる努力を最大限に行うのである。あまりアメリカの地方の州で起きていることは本丸のアメリカ政府の立場とは異なるから、その様な枝葉のところで過剰に反応するよりも、アメリカ政府側に「それは地方で起きている枝葉のこと」と認識させ、本丸の方はそれとは異なることを確認し続ければよいのである。

安倍総理からすれば既に1回は靖国参拝をしたのだから、後はその本丸の攻略に全精力を集中し、枝葉の問題を外交問題化させないように振舞うのが好ましい。だから、側近の連中には要らぬ揚げ足取りに引っかからないように歴史認識に絡む問題には「ノーコメント」を徹底させ、表立たないところで着実なロビー活動をしていけば良い。個人の思想信条の自由などと言わずに、その様な側近のコントロールにもう少し安倍総理はエネルギーを割くべきかも知れない。なお、中国の各国大使による反日キャンペーンには的確に反論するのは当然であるが、それは「泣き寝入りはしない」という視点から行うべきであり、過剰に深追いするまでもない。フランスのアングレーム国際漫画祭などについては、手続き論にしたがって、「漫画際を韓国政府は政治利用しようとしている」ことを主催者側にアピールし、出展を取り止めさせる動きに注力すべきであったかも知れない。勝ち越しを狙うところと、失点を広げないところを見定めるのは必要である。

少々、鬱憤の溜まる対応ではあるが、見えないところで勝敗は決まることを肝に命じるべきであろう。

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