少し前の話題になるが、政府は5月19日に関西7府県などによる関西広域連合の会合に細野豪志原発相を派遣し、大飯原発の再稼働へ理解を求めた。確か月曜日の報道ステーションでこの際の映像を見たのだと思うが、議論のかみ合わなさが何とも情けなかった。
ポイントはこうである。
関西広域連合の各自治体の首長は、それほどヒステリックな反原発派の方々ではなく、多分、論理的に納得できる内容であれば原発の再稼動を容認できる人たちなのだと思われる。それらの人々が納得するためには、世界的な常識に照らし合わせて妥当な原発の安全基準をまず定め、その基準に対して公平な見地から評価を行ない、その結果として安全であると確認できる必要がある。だから、政府が最初にやるべきことは、常識に照らし合わせて妥当な原発の「安全基準」を定めることである。この「安全基準」はあくまでも客観的な技術的見地からの基準でなければならず、背景的なその他の事情(即ち電力不足や燃料の高騰など)などは全く排除されて行なわれるべきである。現時点では、国家としてこの「安全基準」をオーソライズできる機関は原子力安全委員会である。だから、出席者の多くはこの点を政府に対して追求した。
例えば橋下市長は「政府の示す基準は『判断基準』であり、『福島の事故を参考にした対策』でしかない。我々が求めているのは『安全基準』である」と指摘し、山田啓二京都府知事も「新しい基準をつくるのに、なぜ原子力安全委員会に決定させなかったのか」と指摘した。これに対する細野原発相の回答は「法律に従えば、原子力安全委員会にはそのような基準を決める決定権がない」というものであった。これを受けて山田京都府知事は法令を読み上げて、「この法令に明確に『決定する』と書いてあるじゃないですか。決定する権限が法律で規定されているんですよ!」と指摘した。また、元経産省官僚の経歴を持つ仁坂吉伸和歌山県知事なども、官僚時代の記憶を呼び起こしながら、原子力安全委員会には決定の権限があることを解説していた。ニュースの映像ではそれを受けての細野原発相の回答はなかったが、映像では細野原発相の「鳩が豆鉄砲をくらったような顔」が流れ、どうも心の中で「えーっ、聞いてないよ!」とでも言わんとするかのような光景であった。
細野原発相を弁護させて頂けば、彼は福島原発事故とも関連のある放射線に関するIAEAの勧告書なども読み漁り、(元々は素人だったのだろうが)その分野の専門知識を貪欲に吸収しようとする誠実な政治家だと私は理解している。しかし、多分、今回の件は官僚などから「原子力安全委員会にはそんな権限はないですよ!」と洗脳されていたのだろう。
以前、ストレステストが話題になった時、マスコミの人々が原子力安全委員会の斑目委員長に対して「この様なストレステストで、本当に安全だと言い切れるのか?」と追求した際に、斑目委員長は「(政府が決めたストレステストに関する規定では)原子力安全委員会の役割は、保安院が審査したストレステストの内容に対して不備がないか、つまり評価の妥当性を判断することであって、ストレステストの項目自体の妥当性を評価することではない」と言っていたのを記憶している。しかし、それは政府が導入を決めたストレステストという制度に関するルールであって、政府から「安全基準を定めよ!」と指示があれば、国家としての原子力の安全運用のための安全基準を定める権限はあるということなのだと思う。この辺に詳しい方がいればフォローをお願いしたいが、やはり、少なくとも現時点では責任の所在を明確にするためにも、「原子力安全委員会」が責任を持って安全基準を定めることが求められている。
ここ最近の動きでは、「電力不足が心配だから」、「燃料の高騰が心配だから」、「国内の産業を守るために」とかいう理由から、原発の再稼動を決断すべきかどうか・・・という議論が先行している。もちろん、緊急避難的に橋下市長が指摘するような夏季限定の短期の再稼動という選択肢は当然あって良い。しかし、それを例外として認めるためには「そもそも論ではどうあるべきか?」の基準を明確にし、現状がそれからどれ程乖離した状況であるかを熟知した上で、その定量的に評価されたリスクに対して内閣総理大臣が責任を負う決断をしなければならない。そこまですれば、「緊急避難措置」があっても国民は許してくれるだろう。大体、刑法においても「緊急避難」と「正当防衛」は例外的に人を殺しても罪に問われないものと規定されているのだから。しかし、この刑法の令を引き合いに出しても、勝手に人を殺して「緊急避難」と言い張られても困るわけで、だからそれを認めるか認めないかの基準は定められている。現時点では、原発再稼働の「緊急避難措置」についての法律は存在しない。しかし、「緊急避難措置」なのだから、誰もが納得できる基準は必要なのである。野田政権は、まさにその権限と責任を有耶無耶にしたまま「緊急避難措置」を実行しようとしていることに等しい。これでは関西広域連合の首長は納得できない。
関西電力によれば、原発の再稼動(100%の状態での稼動)には6週間ほどの時間を要するとのことだから、未だ形のない「安全基準」の取りまとめはこの夏には間に合わない。であればあるほど、政府は遅ればせながらでも、「そもそも論」を実現するためのマイルストーンを示し、今回は例外的に間に合わなかったその責任とリスクを一心に総理大臣が背負うということを宣言し、今後のあるべき姿での運用を確約しなければならない。これなしに「周辺地域のご理解」を求めようなど、チャンチャラおかしな話である。
段々、関西広域連合の人たちには今何をすべきかが見えてきたのではないかと思う。ならば、政府にも「自分達には何が見えているのか」を態度で示して欲しいと願う。
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ポイントはこうである。
関西広域連合の各自治体の首長は、それほどヒステリックな反原発派の方々ではなく、多分、論理的に納得できる内容であれば原発の再稼動を容認できる人たちなのだと思われる。それらの人々が納得するためには、世界的な常識に照らし合わせて妥当な原発の安全基準をまず定め、その基準に対して公平な見地から評価を行ない、その結果として安全であると確認できる必要がある。だから、政府が最初にやるべきことは、常識に照らし合わせて妥当な原発の「安全基準」を定めることである。この「安全基準」はあくまでも客観的な技術的見地からの基準でなければならず、背景的なその他の事情(即ち電力不足や燃料の高騰など)などは全く排除されて行なわれるべきである。現時点では、国家としてこの「安全基準」をオーソライズできる機関は原子力安全委員会である。だから、出席者の多くはこの点を政府に対して追求した。
例えば橋下市長は「政府の示す基準は『判断基準』であり、『福島の事故を参考にした対策』でしかない。我々が求めているのは『安全基準』である」と指摘し、山田啓二京都府知事も「新しい基準をつくるのに、なぜ原子力安全委員会に決定させなかったのか」と指摘した。これに対する細野原発相の回答は「法律に従えば、原子力安全委員会にはそのような基準を決める決定権がない」というものであった。これを受けて山田京都府知事は法令を読み上げて、「この法令に明確に『決定する』と書いてあるじゃないですか。決定する権限が法律で規定されているんですよ!」と指摘した。また、元経産省官僚の経歴を持つ仁坂吉伸和歌山県知事なども、官僚時代の記憶を呼び起こしながら、原子力安全委員会には決定の権限があることを解説していた。ニュースの映像ではそれを受けての細野原発相の回答はなかったが、映像では細野原発相の「鳩が豆鉄砲をくらったような顔」が流れ、どうも心の中で「えーっ、聞いてないよ!」とでも言わんとするかのような光景であった。
細野原発相を弁護させて頂けば、彼は福島原発事故とも関連のある放射線に関するIAEAの勧告書なども読み漁り、(元々は素人だったのだろうが)その分野の専門知識を貪欲に吸収しようとする誠実な政治家だと私は理解している。しかし、多分、今回の件は官僚などから「原子力安全委員会にはそんな権限はないですよ!」と洗脳されていたのだろう。
以前、ストレステストが話題になった時、マスコミの人々が原子力安全委員会の斑目委員長に対して「この様なストレステストで、本当に安全だと言い切れるのか?」と追求した際に、斑目委員長は「(政府が決めたストレステストに関する規定では)原子力安全委員会の役割は、保安院が審査したストレステストの内容に対して不備がないか、つまり評価の妥当性を判断することであって、ストレステストの項目自体の妥当性を評価することではない」と言っていたのを記憶している。しかし、それは政府が導入を決めたストレステストという制度に関するルールであって、政府から「安全基準を定めよ!」と指示があれば、国家としての原子力の安全運用のための安全基準を定める権限はあるということなのだと思う。この辺に詳しい方がいればフォローをお願いしたいが、やはり、少なくとも現時点では責任の所在を明確にするためにも、「原子力安全委員会」が責任を持って安全基準を定めることが求められている。
ここ最近の動きでは、「電力不足が心配だから」、「燃料の高騰が心配だから」、「国内の産業を守るために」とかいう理由から、原発の再稼動を決断すべきかどうか・・・という議論が先行している。もちろん、緊急避難的に橋下市長が指摘するような夏季限定の短期の再稼動という選択肢は当然あって良い。しかし、それを例外として認めるためには「そもそも論ではどうあるべきか?」の基準を明確にし、現状がそれからどれ程乖離した状況であるかを熟知した上で、その定量的に評価されたリスクに対して内閣総理大臣が責任を負う決断をしなければならない。そこまですれば、「緊急避難措置」があっても国民は許してくれるだろう。大体、刑法においても「緊急避難」と「正当防衛」は例外的に人を殺しても罪に問われないものと規定されているのだから。しかし、この刑法の令を引き合いに出しても、勝手に人を殺して「緊急避難」と言い張られても困るわけで、だからそれを認めるか認めないかの基準は定められている。現時点では、原発再稼働の「緊急避難措置」についての法律は存在しない。しかし、「緊急避難措置」なのだから、誰もが納得できる基準は必要なのである。野田政権は、まさにその権限と責任を有耶無耶にしたまま「緊急避難措置」を実行しようとしていることに等しい。これでは関西広域連合の首長は納得できない。
関西電力によれば、原発の再稼動(100%の状態での稼動)には6週間ほどの時間を要するとのことだから、未だ形のない「安全基準」の取りまとめはこの夏には間に合わない。であればあるほど、政府は遅ればせながらでも、「そもそも論」を実現するためのマイルストーンを示し、今回は例外的に間に合わなかったその責任とリスクを一心に総理大臣が背負うということを宣言し、今後のあるべき姿での運用を確約しなければならない。これなしに「周辺地域のご理解」を求めようなど、チャンチャラおかしな話である。
段々、関西広域連合の人たちには今何をすべきかが見えてきたのではないかと思う。ならば、政府にも「自分達には何が見えているのか」を態度で示して欲しいと願う。
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