けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

世間の常識を無視した開き直りはやめてくれないか!

2012-05-22 23:43:08 | 政治
最近、にわかに注目を集めている問題のひとつに、お笑いコンビ「次長課長」の河本準一氏の母親の生活保護受給問題がある。

自民党の片山さつき議員や世耕弘成議員がこの問題を取り上げ、吉本興業に対して事情聴取を行なったりしている。当の本人である母親は、報道に驚き受給を辞退したそうだが、辞退しても生活できるとなれば、それこそ不正受給を自らが証明したことになる。河本氏の推定年収が3000万程度、さらに母親をネタにして出版した「一人二役」なる本の印税も4000万程度であるから、河本氏が母親と絶縁関係にあり、扶養義務を放棄していない限りは不正受給であるのは間違いない。自民党は河本氏にこれまでの10年程度の期間の受給額の返金を促し、返金に応じれば特に彼をターゲットにした追求をする必然性はないとして、少なくとも彼に対してはこれ以上の追求をしない方針も明らかにしている。ちなみに河本家側の言い分として、彼の姉がテレビの取材で「市役所が認めたのだから不正受給ではない、何が悪い!」と答えたらしい。河本本人も、twitterの中で「twitterの意味自体を把握してない人は今後一切見なくていいなぁ。」「その生き生きとしたパワーをもっと他の事で使えばいいのになぁ。」とつぶやき、プロフィール欄にもご丁寧に「人の嫌な事を生きがいにしてる人達がどうか無くなりますようになぁ。」と書かれているという。つまり、自分は嫌がらせを受けている被害者であり、反省することなど微塵もないという立場を表明していることになる。

今回の問題は、生活保護不正受給問題の本質を突いているような気がする。つまり、本当に生活保護の受給が妥当か否かを適切に判断することは(これほど典型的な状況であっても受給を阻止できないほど)極めて困難であること、一旦受給が認められてしまうと既得権益的になり判断の見直しが図りにくいこと、受給する本人側のモラルが非情に低い故に性善説に立った議論など出来ないこと、生活保護の対象となる人の親族の扶養の義務をどの様に考えるべきか、などなどである。これまでも、本当に生活保護が必要な人に生活保護を支給できず、結果として死に至った事件があった。その様な事件が明るみになる前は、各自治体は「不正受給撲滅のために、生活保護申請者に対して安易に申請を受け付けてはならない」という態度を貫いてきたが、報道でその事件の責任を追及されると逆に手綱を緩めだしてしまう。制度自体が不完全なものであり、財産があるうちはその財産を食い潰すまでは自助努力での対応を求める反面、本当に財産を食い潰ししまってからのレスポンスは悪い。結局、タイムラグの間を食い繋ぐだけのマージンを見込んで申請をせざるを得ないが、そのマージンはその人の良心次第で幾らでも変る。結局、不正に生活保護を貰った方が得なのである。

生活保護の対象となる人の親族の扶養の義務については、これを法的に強制することは不可能だろう。また、当人が本当に扶養を放棄しているか否かを正確に判断することも困難だから、行政側が「きっと、面倒を見てくれるだろう」という楽観的な見通しから給付を打ち切ると、(生活が困難な側が生活が豊かな側に援助を積極的に求めなければ)誰にも気づかれずに死んでいく事態を生みかねない。だから、今回の河本氏の様な事例が生まれるのである。河本氏は、「芸人の収入は不安定であり、いつか売れなくなった時のためには、現在の収入を母親のために使うのではなく、それを貯蓄させてもらって(国民の血税の財源から)母親の生活費を出してもらうのは問題ない」という様な言い訳をしているそうだが、その様なことを平然と語り、自分がつるし上げられることへの被害者意識を感じる辺りからは、もはや生活保護のあり方を根本から変える以外は手がないのではないかと思ってしまう。

私の主張はこれまでのブログでも書いた通り、国民年金受給者の年金額をはるかに越える10万円以上の大金を現金で渡して「どうぞ、ご自由に!」というのではなく、衣食住を確実に提供する代わりに現金支給を最小限にするというものである。公営の施設の小さな部屋と食事や風呂などを生活保護対象者に国が提供する一方、例えば現金支給は1万円以下に抑える。そこで生活する範囲においては、職業訓練などの再就職支援なども行い、自分で自律できる状況を促すのである。つまり、生活保護受給生活の居心地を過剰に良くしてはいけないのである。少なくとも国民年金受給者よりは遥かに不自由な不便さを強いらなければ、誰もがそこから這い上がろうというモチベーションは湧かない。そして、這い上がるための支援を合わせて行うのである。

一方、例えば身体障害者、知的障害者などの自助努力では解決できない類の人に関しては、もう少し違った対応をしても構わないと思う。例えば、知的障害者で収入が見込めない場合、多分、親が子供の成人以降も継続的に面倒を見ることになる。しかし、その親の年金だけでは成人した子供の面倒を十分に見ることが出来ない。その場合は、その知的障害者の子供だけを先ほどの施設に入れることは不可能だから、現金支給は致し方ないところだろう。もちろん、医師と組んで年金の不正受給を行なう話も良く聞かれるから、その様な悪意のある人に対する最低限のペナルティは必要だが、医師が認定を躊躇しなくて良いような制度にすることは必要だろう。一例として、例えば5年以内に2人以上の不正受給が発覚したら、その医師は(通常の医療業務に関しては一切のペナルティを設けない代わりに)生活保護の認定権限?を取り消すといったものでも良い。理想的には、国が障害者の能力に見合った就労条件を提示し、適切な労働で生活に必要な対価を得るのが好ましいが、障害者でも職業選択の自由はあるから、少ない選択肢しか国が示せないならば、望まれない労働を強いることもできない。

中々完璧な答えは見いだせないが、少なくとも障害者とそれ以外を明確に線引きし、障害者以外の一般の生活保護受給者にはそれなりの不便を強いる制度への改革が求められている。

あまり話題にはなり難いが、最近の自民党の取り組みの中には的を得たものが少なくない。地道な作業をコツコツと続け、国民の信頼回復を目指して欲しい。

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