けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

幼稚な政治とスマートな談合

2012-05-16 23:47:18 | 政治
昨日のブログで、実現不可能な正論は「机上の空論」と書いた。これは政治の世界ではひとつの重要なポイントかもしれない。これを切り口に、類似の問題についても議論してみたい。

報道によれば、鳩山元総理が沖縄復帰40周年の式典に出席し、「私は今でも普天間飛行場は最低でも県外だと思っている。総理の時代には、一生懸命何処かの自治体が受け入れてくれないかと努力したが、結局何処も手を挙げてくれなかった。鹿児島県の徳之島への移設も考えたが、反対派に押し切られて結局実現できなかった。」と弁解していた。この程度のことは最初から分かっていたはずだ。にもかかわらず、彼は努力すればそれで許されると、総理大臣の仕事とはその程度のものだと理解していたらしい。全く幼稚な総理大臣だ。よくもそれでオバマ大統領にTrust me!と言えたものだ。この点は非常に重要なことだ。ああしたい、こうしたい、理想的なことを話すだけならば、それは誰にでも出来るのである。総理大臣には、発言したことを実際に実行に移せる人になってもらわなければ困るのである。

正論ないしは理想的に言えば、一見、それがベストなアプローチと思えることが、政治の世界ではそれが意外にも実現不可能であったりする。巷では「密室政治はいけない」「談合はいけない」と言う。確かにそれは正論であることは私も認めるが、しかしそれが本当に実現可能なのかという一点について言えば、多くの場合においてそれはかなり疑わしいと言わざるを得ない。

例えば、米軍基地の移設という非常にセンシティブな課題に関しては、一瞬でも報道において「ここに移設するかも知れない」という情報が流れたとたんに、その地域の反対派が一斉にこぞって大声を上げて「絶対にそれは許さない!」と叫ぶはずだ。そして裏のルートを通じて関連する企業や機関、政治家に圧力をかけ、力技で阻止しようとするだろう。やり方が汚かろうが結果が全てと割り切り、決して話し合いの席に着こうとはしない。

しかし、それでは何時まで経っても沖縄の米軍基地の負担を減らすことは出来ない。迷惑施設と割り切るならば必ず何処かにその迷惑を負担してもらわなければならない。その分担先を探す時、全ての人が喜んで受け入れてくれる所を探そうというのは現実的ではない。であるならば、ある程度のところまでは水面下で少数の人数で、「この様な条件をつければ、その迷惑を受け入れても構わない」と言ってくれる自治体を探し、関連する部署に事前の根回しを行ない、大きな障害が取り払われて実行に移せるようになった段階で情報を公開するのが大人のやり方だと言える。こちらもやり方が汚いと言われそうだが、どちらにしろ推進派も反対派もフェアな勝負を望んでいないのでお互い様である。

繰り返すが、全ての人が例外なく満足する政治などというものはあり得ない。必ず何処かで対立するのである。その際、ゴタゴタしたままでその問題を放置するのが大人の政治なのか、一部に反対者が出たとしてもトータルで見たときに社会的な正義・幸福(昨日は「最大多数の最大幸福」と語ったが、少々言葉足らずであった)を少しでも前進させるのが大人の政治なのか、その問題に真面目に向き合わなければならない。

もちろん、多数決の論理で全てが決まるべきだと言っているのではない。例えば、幸福の総和の最大化を追求すれば、大都市に偏った政策に重きを置かざるを得ないが、当然ながら公平性などの観点から、条件付でのバランスの取れた社会的な正義と幸福の総和の最大化の両立を目指すべきである。しかし、大都市の住宅密集地のど真ん中にオスプレイの様な航空機が飛び交う飛行場を移設するのは不幸の最小化の観点からは好ましくない。ある程度の過疎地なのか、海上からのアプローチを前提とする滑走路なのか、色々考えた上で選択肢を絞り込むと、ある程度候補は絞られる。その時、沖縄の負担が今後も続くことと本土の何処かにその分担の一部を担わせるのと、どちらが社会的な正義かと言えば相対的ではあるが本土で負担する方に部がある。その選択肢を実行する際に、一部の人の反対を切り捨てなければならないことはあり得るのである。それを切り捨てるのも政治の勇気である。

しかしその切り捨ての際に、大いに揉めに揉めてからの切り捨てと、何となく手際よくサラっと切り捨てられるのでは、多分、その当人の感情としては大分違うはずである。あれだけ政治を信じて裏切られた沖縄県民の気持ちはもう元には戻らない。そうならないようにするためには、ある程度の密室的な談合を裏で行い、十分に根回ししてから最後の最後に「こう決断しました!」と公表するのは認められるべきだろう。

あまり結論めいたことは言えないが、政治においてはある種の切り捨てが求められることは多々ある。そして、その様な切り捨てをやるためには、十分な根回しにより外堀を十分に埋め尽くし、「ああ、そんなものなのかな?」と相手に勘違いさせるぐらいのスマートさが欲しい。それはもはや、正論からはかけ離れた古典的な政治の技なのかも知れない。好きか嫌いかと問われれば嫌いであるが、好き嫌いよりも優先度が高いことがあれば、それを否定したりはしない。

やはり、民主党政権は幼稚だったという結論になるのかも知れない。

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