けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

次のステージに入ったチキンレース(関西電力の行方)

2012-05-19 23:29:47 | 政治
一体何が起きているのかが良く分からない。関西電力の電力需給予測の話である。

これまでずっと15%以上の電力不足と主張していた関西電力が、急に5%の不足で済むと言い出した。ニュース番組でも色々とカラクリの解説をしているが、その値がどこまでが責任ある立場から見て妥当と評価できるのかは、私の理解では相当怪しいと感じている。順番に説明していくが、結論として、関西電力はこれまでの速やかなる原発再稼働の戦略を切り替え、今夏に限っては原発を再稼働させずに臨み、そして電力不足に陥らせることで「やっぱり原発を再稼働させなければダメだったじゃないか!」という世論を作り上げ、夏以降の再稼働につなげる戦略を選択したのではないかと感じている。

それでは、まず、今回の電力需給予測について振り返る。ここでの電力受給予測はあくまでもある種のモデルを前提とした予測であり、猛暑となるか冷夏となるかで結果は大きく変ることになる。更に言えば、全体的には冷夏でありながらも、ピンポイントで特定のある日だけが特異的に広域に亘り記録的な猛暑になれば、その日限定で需要が供給量を上回る可能性もある。予測に用いる前提条件が崩れれば予測が外れるのは当然であり、現時点では需要予測の議論の精度はあまり議論になっていないように思える。つまり、仮に予想に反した事態に陥っても、あまりその責任の所在を追求できる状況ではない。これがある意味では今回の迷走の原因となっているように思えてならない。

大体、一昨年並みの猛暑の場合の電力需給の予測というのは何を意味しているのか、分かっているようで分かっていない。察するに、一昨年の消費電力が最大だった瞬間をスナップショットで捉えた場合、その瞬間最大風速的な総電気使用量に対して、今年の節電効果を見込んで減算したものを需要予測値とし、一方で原発を再稼働しない場合に利用可能な発電設備の発電量、揚水発電による発電量、各企業などの自家発電設備の発電量の総和をとった値を供給可能予測値としている様に思える。だから、夏の間の一瞬を切り抜いた極めて限定的な状況の議論になっている。しかし、例えば台風を例にとれば、広域に被害をもたらす非常に大型の台風の瞬間最大風速と、小規模ながらもエネルギーが一点に集中した小規模な台風や竜巻のピンポイントでの瞬間最大風速とでは、必ずしも大型の台風の最大瞬間風速が大きいとは限らない。つまり、ピンポイントの議論をする時に、仮に一昨年が猛暑であったとしてもそれを引き合いに出すのが適切なのかどうかをまず吟味する必要があると思う。例えば、局地的には最高気温を塗り替える猛暑ではあったが、地域により気温にムラがある場合には、比較的気温が低かった地域での電力使用量が抑えられ、結果的に総使用電力量がそれ程上がらなかったということもあるかも知れない。また、その日の気温が朝から晩まで継続的に高かった場合、揚水発電では前の晩までに汲み上げた水による水力発電を長時間に渡り継続しなければならないから、瞬間的な発電量はその分だけ低めに設定されることになる。一方、午前中は温度が低く、午後になって一気に気温が上がった場合には、揚水発電は午後に集中的に利用できるから瞬間的な発電量は高めに設定出来ることになる。この様な評価においても、一昨年が評価モデルとして適切であるのかは不明である。

だから、常識的に責任ある立場の人が責任をもって評価するならば、無条件で一昨年の特定の日の瞬間最大風速的な最大使用電力を基準にして単純な評価を行うことはできない。もう少し過去数年のデータを解析し、10年に一度程度の最悪条件を見つけ出し、その場合の需給条件を評価するのが妥当である。更に言えば、今回の需給量の不足が5%というのは、あくまでも現在想定している対策が上手く機能した場合の見込み値であり、それがどの程度の確度で実現可能かも議論されていない。「やるしかない!」というのは分かるが、全ての責任を関西電力に押しつけ、あれもできるこれもできるというのは少々アンフェアとも言える。

多分、関西電力側の主張では、電力供給料の過去と現在の予定値の差は揚水発電の評価量の違い程度であり、その意味では切り札を隠し続けていた訳ではない。5月7日発売のAERA(5月14日号)では、関西電力では休止中の火力発電設備を幾つか隠し持っており、それを再稼動させれば不足分のかなりを補うことが可能であるとしていた。実際、最近のニュースでもその点を指摘していた。しかし、先日みたテレビでは、比較的公平な立場と思える専門家の発言として、「その火力発電所は既に老朽化しており、再稼働のためには部品の取替などの措置を講じる必要がる。しかし、稼働を休止してから数年経つために、既に部品の在庫すらなくなっている。それらの部品を新規に製造し直すとなると、この夏には間に合わない」という話があった。関西電力の言い分の裏が取れた訳である。もちろん、半年前に行動を起こしていれば間に合った話かも知れないが、火力発電所再稼働の為に部品材料の再製造のための金型起しなどの投資は、原発裁可動が認められれば無駄になる費用だから、その時点での決断を求めるのはフェアじゃない。ここまで切羽詰るまで関西電力を追い詰めて来なかった側の責任でもある。しかし、原発再稼働反対派の需要予測には、この様な楽観的な予測値もいっぱい盛り込まれているので、果たして何処まで責任を取れる値なのだろうと心配になってしまう。

また、最近出てきた話題のネガワット取引市場についても、実際の導入には色々なハードルが予想される。温室効果ガスの排出量取引を参考にする制度なのだろうが、例えば温室効果ガスにしてもどの年の排出量を基準とするのかという問題ひとつとっても意見の集約が困難だったはずである。それでも、ある程度、プレーヤー(取引の主体になる国家数)が少なく、日本や欧州などの国々が大幅な譲歩をしたために、現在ではその市場が成立している。しかし、今回のネガワット取引市場は関連する企業の数が非常に多くなることが予測される。例えば、数年前から環境への貢献を歌い文句に節電努力をしてきた企業と、節電努力など一切してこなかった企業があるとする。一昨年の電力使用量を基準として電力の権利を売り買いするならば、節電努力をしてこなかった会社は、今年の節電のためのノリシロを多く持っている分だけ有利である。しかし、それは節電努力を行ってきた企業としては納得できない。この様なゴタゴタをまとめ上げ、7月前にネガワット取引市場を立ち上げられるのかと考えると、結構、疑わしいような気がする。

この様に考えると、言葉は悪いかも知れないが無責任に「足りる、足りる!」という人と、「足りない、足りない!」という人のギャップが大きすぎて、あまり精度の高い議論ができているような気がしない。一方で、(その責任の多くは関西電力にあるのは明らかだが)マスコミを始め多くの一般市民は関西電力を信じていないので、一方的に「足りる、足りる!」派に分があるような報道がなされる。関西電力も、「これに反論しても勝ち目はない」と悟りを開き、夏前の大飯原発の再稼働を諦めた雰囲気が漂っている。そして、「(再稼働反対派の)あなたの主張を丸呑みするから、その結果の責任も共同で背負ってください!」という立場に切り替えた感がある。もちろん、「あなたも責任を背負って下さい!」とは心の中で呟くだけで、声を大にして叫ぶのは何か事が起きてからなのだろうが・・・。つまり、電力不足による緊急事態の発生があれば、多分、「誰がこんな甘い需給見通しを主導したのだ!」という世論の批判を巻き起こる。「だから原発を再稼動しろと言ったじゃないか!」という追求が激しくなる。それを狙っているのだろう。

もちろん政府の方でも、その緊急事態が起きた時のための対応は議論している。最後の最後の手段として計画停電があるのだが、その一歩手前でも、緊急時において工場の稼働停止などの対応を企業に求める方法や、一斉放送で各家庭に節電を求めるという方法などである。しかし、その効果がどの程度なのかデータが揃っていない現状では、かなりマージンを見込んで早め早めの緊急事態宣言が必要となる。当然、需給がマイナスになる直前ではなく、余裕が2~3%を切った時点などに緊急事態宣言の発出条件が設定され、意外に頻繁に緊急事態宣言を多く聞くことになりそうな気がする。場合によっては、医療機関などに迷惑をかけない体制を敷くことを前提に、試験的に計画停電が行われるかも知れない。この様な対応を見据えたうえで、「だったら、バンバン、緊急事態宣言を出させてしまえばよい!」と関西電力が開き直ったとしても不思議ではない。大阪府市統合本部のエネルギー戦略会議の会合で関西電力側が「我々も、このくらいやらなければいけないだろうとして出した数字」と言って不足量の5%を提示したそうだが、これまでの彼らの言い分からすると、にわかには良心的な発言が急に聞かれるようになるとは思えない。

言ってみれば、これまでのチキンレースは古典的なチキンレースで、「電力不足が嫌なら再稼働しろ!」というものだったが、現在は次のステージのチキンレースになっているような気がする。それは単にハンドルをどちらが先に切って逃げるかの勝負ではなく、お互いの車をぶつけて大怪我をした後での「どちらが、その治療費を払うか」という責任の押し付け合いというレースなのかも知れない。

ちなみに、ついつい喜びがちだが、電力不足が5%と言えど、他の電力会社からの供給を見込んだ上でもまだまだマイナスである。この点を決して忘れてはいけない。やはり、何とも雲行きは怪しい。

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