ボーナスは再来週でした。
何をトチ狂ったんでしょうね。
けんたです。
ししょうさんとマンガ版風の谷のナウシカの終わり方が不完全燃焼気味という話しをしています。
なのでちょっとこのBLOGで広げてみることにします。
(前半はナウシカの解説を延々と書いていますが、後半はお決まりの「ぐだぐだな内容」なので、興味がない人は後半だけ読む事をお勧めします)
<以下ネタバレあり>
風の谷のナウシカの骨子だけ説明すると(といっても、相当長くなりますが):
・「火の7日間」という戦争が行われ、大半の人間が死亡(この戦争で登場した巨神兵は核兵器の象徴です)。
・「火の7日間」の後、植物が「瘴気」という毒性物質を吐き出すようになり、その植物の集合体が「腐海」と呼ばれるようになる。瘴気を吸い込んだ人間はわずか数秒で死に至る。
・主人公のナウシカは腐海大好き、王蟲大好きの博愛主義者。冷静に考えてみると、ちょっとマニアック。ちょっと変人。
・トルメキア王国が「腐海から人間を守ろう」と各国に呼びかけを行い、従わない勢力は制圧。つまり、「腐海対抗政策」という名目の「世界征服」。腐海を抹消するためならば巨神兵の使用すら厭わない・・・今書いてて思ったんですけど、これって思いっきり自称「世界の警察」ことアメリカの事ですよね。核兵器も使用したがるし。
・他勢力も、腐海を食べる生物などなど、色々と対抗策を練ったりはするのですが、どれも不発。
・そんなごたごたの中で、ナウシカは瘴気及び腐海が地球を浄化している事に気がつく。
補足:
ナウシカの実験室で、キレイな水と土の元では植物が瘴気を発しない事が発覚する。つまり、火の7日間によって(核)汚染された大地を腐海が浄化している事が分かる。
実は後の展開で、ナウシカとアステルが「腐海の底」という、空気・水・土が正常(汚染されていない)場所に辿り着く。ここで、腐海が汚染物質を結晶化し、浄化されたものが腐海の底に蓄積され、有毒物質は瘴気として大気に発散されている事が明らかになる。さらには「大地の浄化」を、王蟲、腐海を始めとする地球の生命体が無意識レベルにて行っている事も明確になる。
ちなみに、「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし。失われた大地との絆を結びついに人々を清浄の地にみちびかん」というフレーズも、要は「腐海が地球を浄化しているにも関わらず、人間はそれに気がつかない。これを気づかせるためにナウシカが登場するんだよ」ということ描写している。
・で、各国がごたごたしている間に巨神兵が復活。巨神兵はナウシカのみの命令に従う。大事なポイントは巨神兵が兵器ではなく自らを「裁定者」と呼んでいること。つまり核や兵器そのものが「悪」なのではなく、使う人によって影響が大きく変わるということ。
・(面倒くさくなってきたのではしょると)その後も色々とナウシカが自分自身への葛藤を続けながら、墓標というところに辿り着く。ここでは、大地の浄化が終わった後に活動を開始する次世代の人間が保管されている。しかしナウシカは「自然と共存しながら瘴気の時代を乗り切る事が重要であって、瘴気が納まった後に人間が誕生するのは本末転倒だ、また同じ過ちを繰り返すに決まっている」という信念の元、次世代の人間もろとも墓標を巨神兵に破壊させる。墓標を破壊したナウシカは放浪の旅に出る。
ってところで終わります。以上が骨子です。
さらに補足しておくと、このマンガで重要なもう一つのポイントは「ナウシカが『大人ではない』」ということ。「少年・少女=か弱い」つまり人間一人一人が弱い存在であるという比喩なのではないかと思われます。か弱い存在でありながらも必死に生きて、世の中の何かを変えようという姿勢が全体を通して貫かれている。これはつまり「環境破壊が留まる事を知らずに進んでいるが、みんなで力を合わせればきっとこの流れを変える事が出来る」というメッセージを発しているような気がしますさらに言えば「少年・少女=これからの世代」という意味にもとれますよね。
実は、「もののけ姫」や「天空の城ラピュタ」でも「自然との共存」「少年・少女=か弱い、これからの世代」というテーマが貫かれているのではないかと密かに考えています。
参考:教えて!goo
大分長くなりましたが、まとめると「自然を大切にねっ☆」ってことです。
(まとめすぎ)
以上が「骨子」でこれからが本題なのですが
「『風の谷のナウシカ』に続編があったらどうなっているか」
について考えてみたいと思います。
現実的な続編
個人的には、宮崎駿のメッセージが「自然との調和」であると同時に、あの不完全燃焼気味の終わり方が「さあ、後は読者の皆さんで考えてください」という禅問答的な形で敢えて終了させたのではないかと考えています。よって、その考えにのっとると、そもそも「その先」を考えてはいけないような気もするのですが、現実的にこの先があると想定した場合
「ナウシカがクシャナ姫及び関係者各位と共に、トルメキア王国及びその他を長年かけて説得して、戦争や種々の紛争をおさめ、人類が自然との調和の道を歩み始める。ナウシカの死後も、自然との調和が継続され、ゆくゆくは浄化された世界の中で、人類が瘴気に悩まされる時代が終焉する」
といったところじゃないでしょうか。
うーん。なんかなぁ。
こんな無難な事を書いていると、このBLOGの趣旨に反するので、もうちょっとクリエイティブな「続編」も考えてみます。
出版社側の一方的な理由により・・・的な続編
「続きは月刊ジャンプで!」とか「続きは増刊号で!」など、出版社の一方的な事情により、事実上の打ち切り。
もしくは、魁!男塾みたいに無理やり打ち切り。
そして読者はこう思うだろう。
「えー!宇宙から自力で脱出は出来ないだろ・・・」
(ちなみに、この前本屋に行ったら民明書房大全が売ってました。買いませんでしたけど)
ドラゴンボール的な続編
ひょんなことからブルマが登場し、ドラゴンレーダーを元にドラゴンボール探しが始まる。1年目はウーロンの余計な機転から「ギャルのパンティー」を入手することになり「地球浄化」はひとまずおあずけ。
その後も
・悟空を生き返らせる
・誰々にやられた悪人以外の人間を生き返らせる
・神様がどうのこうのマジュニアがどうのこうの
・ナメック星がどうのこうの
と、ドラゴンボールが延々と無駄に使われ「自然を浄化する」という本来の目的はどんどん後回しになる。
さらには「伝説のスーパーナウシカを越えたスーパーナウシカ」やら「フュージョン」やらなんやらで、どんどんナウシカ一味が強くなり「かめはめ波」やら「なんとか砲」やらで、むしろ環境破壊がどんどん促進されていくことになる。一回はセルの自爆により、地球そのものがなくなりそうになったが、悟空の瞬間移動のおかげで危機を免れる事になる。
その後も本筋から大分それた「風の谷のナウシカGT」などが開始するものの、自然との調和というテーマはどこぞに行ったのか、そのままぐだぐだといきなり終わりを迎える。
そして読者はこう思うだろう。
「一話一話が長すぎ!」
東京大学物語的な続編
・・・という考えをナウシカが1.00秒で思いついただけでしたとさ、ちゃんちゃん。
そして読者はこう思うだろう。
「えー、夢オチ・・・」
スラムダンク的な続編
紆余曲折を経て、終盤の最後の最後でクシャナの視界にナウシカが入る。とっさにクシャナからナウシカへのパスが通る。
左手は添えるだけ・・・。
ナウシカのシュートがネットを揺らし、ナウシカとクシャナが始めてハイタッチをする・・・。
(読者は「涙で文字が読めません」状態)
その後、ナウシカは腰の怪我を癒すためにリハビリに入り、地球浄化はひとまずおあずけ。
しばらくしてから、整髪料のCMなどでナウシカを頻繁に目にする事になる。
そして読者はこう思うだろう。
「感動の青春バスケ漫画でした!」
ドカベン的な続編
地球浄化の前に、とりあえず鷹丘中学に入って柔道やって、明訓高校で野球をやって、甲子園で優勝しまくってプロ入り。しかも「なんとかスーパースターズ」とかいう「明訓メンバー」を揃えた独立チームが出来て、結局それなのね・・・的な感じになる。その後「そろそろ自然との調和とかやっとく?」的なノリになる。
そして読者はこう思うだろう。
「なんで岩鬼がストライクの球を打てるようになったのか、全く解説がないよ!」
グラップラー刃牙的な続編
とりあえず「宇宙最強の生物」となるべくナウシカが体を鍛えまくって、一人でトルメキア軍を壊滅させて、自然との調和を達成。
そして読者はこう思うだろう。
「鬼が・・・鬼が泣いている・・・」
サザエさん的な続編
とりあえずずっとほのぼの。タラちゃんが「自然と調和するですぅ」とひたすら言っている。
オープニングの曲は
♪お魚くわえた王蟲
♪おーおっかけーてっ
そして視聴者はこう思うだろう。
「やべー、明日月曜日かぁ・・・仕事じゃん!」
「それはダメだろ」的な続編
腐海の広がりを止められずにナウシカ含め人類全滅。
以上、過去に類をみない長いBLOGでしたが、そんなところでよろしくお願いします。
何をトチ狂ったんでしょうね。
けんたです。
ししょうさんとマンガ版風の谷のナウシカの終わり方が不完全燃焼気味という話しをしています。
なのでちょっとこのBLOGで広げてみることにします。
(前半はナウシカの解説を延々と書いていますが、後半はお決まりの「ぐだぐだな内容」なので、興味がない人は後半だけ読む事をお勧めします)
<以下ネタバレあり>
風の谷のナウシカの骨子だけ説明すると(といっても、相当長くなりますが):
・「火の7日間」という戦争が行われ、大半の人間が死亡(この戦争で登場した巨神兵は核兵器の象徴です)。
・「火の7日間」の後、植物が「瘴気」という毒性物質を吐き出すようになり、その植物の集合体が「腐海」と呼ばれるようになる。瘴気を吸い込んだ人間はわずか数秒で死に至る。
・主人公のナウシカは腐海大好き、王蟲大好きの博愛主義者。冷静に考えてみると、ちょっとマニアック。ちょっと変人。
・トルメキア王国が「腐海から人間を守ろう」と各国に呼びかけを行い、従わない勢力は制圧。つまり、「腐海対抗政策」という名目の「世界征服」。腐海を抹消するためならば巨神兵の使用すら厭わない・・・今書いてて思ったんですけど、これって思いっきり自称「世界の警察」ことアメリカの事ですよね。核兵器も使用したがるし。
・他勢力も、腐海を食べる生物などなど、色々と対抗策を練ったりはするのですが、どれも不発。
・そんなごたごたの中で、ナウシカは瘴気及び腐海が地球を浄化している事に気がつく。
補足:
ナウシカの実験室で、キレイな水と土の元では植物が瘴気を発しない事が発覚する。つまり、火の7日間によって(核)汚染された大地を腐海が浄化している事が分かる。
実は後の展開で、ナウシカとアステルが「腐海の底」という、空気・水・土が正常(汚染されていない)場所に辿り着く。ここで、腐海が汚染物質を結晶化し、浄化されたものが腐海の底に蓄積され、有毒物質は瘴気として大気に発散されている事が明らかになる。さらには「大地の浄化」を、王蟲、腐海を始めとする地球の生命体が無意識レベルにて行っている事も明確になる。
ちなみに、「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし。失われた大地との絆を結びついに人々を清浄の地にみちびかん」というフレーズも、要は「腐海が地球を浄化しているにも関わらず、人間はそれに気がつかない。これを気づかせるためにナウシカが登場するんだよ」ということ描写している。
・で、各国がごたごたしている間に巨神兵が復活。巨神兵はナウシカのみの命令に従う。大事なポイントは巨神兵が兵器ではなく自らを「裁定者」と呼んでいること。つまり核や兵器そのものが「悪」なのではなく、使う人によって影響が大きく変わるということ。
・(面倒くさくなってきたのではしょると)その後も色々とナウシカが自分自身への葛藤を続けながら、墓標というところに辿り着く。ここでは、大地の浄化が終わった後に活動を開始する次世代の人間が保管されている。しかしナウシカは「自然と共存しながら瘴気の時代を乗り切る事が重要であって、瘴気が納まった後に人間が誕生するのは本末転倒だ、また同じ過ちを繰り返すに決まっている」という信念の元、次世代の人間もろとも墓標を巨神兵に破壊させる。墓標を破壊したナウシカは放浪の旅に出る。
ってところで終わります。以上が骨子です。
さらに補足しておくと、このマンガで重要なもう一つのポイントは「ナウシカが『大人ではない』」ということ。「少年・少女=か弱い」つまり人間一人一人が弱い存在であるという比喩なのではないかと思われます。か弱い存在でありながらも必死に生きて、世の中の何かを変えようという姿勢が全体を通して貫かれている。これはつまり「環境破壊が留まる事を知らずに進んでいるが、みんなで力を合わせればきっとこの流れを変える事が出来る」というメッセージを発しているような気がしますさらに言えば「少年・少女=これからの世代」という意味にもとれますよね。
実は、「もののけ姫」や「天空の城ラピュタ」でも「自然との共存」「少年・少女=か弱い、これからの世代」というテーマが貫かれているのではないかと密かに考えています。
参考:教えて!goo
大分長くなりましたが、まとめると「自然を大切にねっ☆」ってことです。
(まとめすぎ)
以上が「骨子」でこれからが本題なのですが
「『風の谷のナウシカ』に続編があったらどうなっているか」
について考えてみたいと思います。
現実的な続編
個人的には、宮崎駿のメッセージが「自然との調和」であると同時に、あの不完全燃焼気味の終わり方が「さあ、後は読者の皆さんで考えてください」という禅問答的な形で敢えて終了させたのではないかと考えています。よって、その考えにのっとると、そもそも「その先」を考えてはいけないような気もするのですが、現実的にこの先があると想定した場合
「ナウシカがクシャナ姫及び関係者各位と共に、トルメキア王国及びその他を長年かけて説得して、戦争や種々の紛争をおさめ、人類が自然との調和の道を歩み始める。ナウシカの死後も、自然との調和が継続され、ゆくゆくは浄化された世界の中で、人類が瘴気に悩まされる時代が終焉する」
といったところじゃないでしょうか。
うーん。なんかなぁ。
こんな無難な事を書いていると、このBLOGの趣旨に反するので、もうちょっとクリエイティブな「続編」も考えてみます。
出版社側の一方的な理由により・・・的な続編
「続きは月刊ジャンプで!」とか「続きは増刊号で!」など、出版社の一方的な事情により、事実上の打ち切り。
もしくは、魁!男塾みたいに無理やり打ち切り。
そして読者はこう思うだろう。
「えー!宇宙から自力で脱出は出来ないだろ・・・」
(ちなみに、この前本屋に行ったら民明書房大全が売ってました。買いませんでしたけど)
ドラゴンボール的な続編
ひょんなことからブルマが登場し、ドラゴンレーダーを元にドラゴンボール探しが始まる。1年目はウーロンの余計な機転から「ギャルのパンティー」を入手することになり「地球浄化」はひとまずおあずけ。
その後も
・悟空を生き返らせる
・誰々にやられた悪人以外の人間を生き返らせる
・神様がどうのこうのマジュニアがどうのこうの
・ナメック星がどうのこうの
と、ドラゴンボールが延々と無駄に使われ「自然を浄化する」という本来の目的はどんどん後回しになる。
さらには「伝説のスーパーナウシカを越えたスーパーナウシカ」やら「フュージョン」やらなんやらで、どんどんナウシカ一味が強くなり「かめはめ波」やら「なんとか砲」やらで、むしろ環境破壊がどんどん促進されていくことになる。一回はセルの自爆により、地球そのものがなくなりそうになったが、悟空の瞬間移動のおかげで危機を免れる事になる。
その後も本筋から大分それた「風の谷のナウシカGT」などが開始するものの、自然との調和というテーマはどこぞに行ったのか、そのままぐだぐだといきなり終わりを迎える。
そして読者はこう思うだろう。
「一話一話が長すぎ!」
東京大学物語的な続編
・・・という考えをナウシカが1.00秒で思いついただけでしたとさ、ちゃんちゃん。
そして読者はこう思うだろう。
「えー、夢オチ・・・」
スラムダンク的な続編
紆余曲折を経て、終盤の最後の最後でクシャナの視界にナウシカが入る。とっさにクシャナからナウシカへのパスが通る。
左手は添えるだけ・・・。
ナウシカのシュートがネットを揺らし、ナウシカとクシャナが始めてハイタッチをする・・・。
(読者は「涙で文字が読めません」状態)
その後、ナウシカは腰の怪我を癒すためにリハビリに入り、地球浄化はひとまずおあずけ。
しばらくしてから、整髪料のCMなどでナウシカを頻繁に目にする事になる。
そして読者はこう思うだろう。
「感動の青春バスケ漫画でした!」
ドカベン的な続編
地球浄化の前に、とりあえず鷹丘中学に入って柔道やって、明訓高校で野球をやって、甲子園で優勝しまくってプロ入り。しかも「なんとかスーパースターズ」とかいう「明訓メンバー」を揃えた独立チームが出来て、結局それなのね・・・的な感じになる。その後「そろそろ自然との調和とかやっとく?」的なノリになる。
そして読者はこう思うだろう。
「なんで岩鬼がストライクの球を打てるようになったのか、全く解説がないよ!」
グラップラー刃牙的な続編
とりあえず「宇宙最強の生物」となるべくナウシカが体を鍛えまくって、一人でトルメキア軍を壊滅させて、自然との調和を達成。
そして読者はこう思うだろう。
「鬼が・・・鬼が泣いている・・・」
サザエさん的な続編
とりあえずずっとほのぼの。タラちゃんが「自然と調和するですぅ」とひたすら言っている。
オープニングの曲は
♪お魚くわえた王蟲
♪おーおっかけーてっ
そして視聴者はこう思うだろう。
「やべー、明日月曜日かぁ・・・仕事じゃん!」
「それはダメだろ」的な続編
腐海の広がりを止められずにナウシカ含め人類全滅。
以上、過去に類をみない長いBLOGでしたが、そんなところでよろしくお願いします。
う~む、いろいろな終わり方が考えられますね。
これだけの終わり方を検証できるけんたさんすごい!
なんとなく「ドラゴンボール的」を読んで
「このまま続けていたらこうなるな」という感じがしました。
そういう意味では、各人がそれぞれの「続編」を作ることで
作品に深みを与えた。と言うことなのでしょうね、きっと。
(一応作者の弁護をしてみたつもり…)
わたしも久しく読んでいない漫画版をもう一度読み直してみよう
と思いました。
また遊びに来ますね。
>もう一度読み直してみようと思いました。
あの漫画は読めば読むほどその奥深さに驚かされますよね。
面倒くさかったので書かなかったのですが、人種差別・宗教・資本主義(さらには資本主義という名目の裏に隠された軍拡主義)などにも焦点を当てているので、そこに注目するのもおもしろいかと思います。
一応、訪問したということで、足跡を残してみましたぁ。
ではでは^^
えぇ。暇ですよ。悪い?
早く「超面食い」の妹を紹介しろっ!