goo blog サービス終了のお知らせ 

that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

自由とコントロール

2010年02月05日 | 仕事とか堅苦しい話
これは良いことなんですが、最近、仕事がものすごく忙しいです。
ものすごく。

そういうわけでヴェネツィア旅行記を書くことが出来ていないわけなんですが、何だかそういうことを言うと言い訳がましくなるのでやめておきます。もう言っちゃったけど。



ただ、そういう状況でふと気付いたことが。
多分、人っていうのは放っておいた方がコントロールをしやすいんだろうなと。

今の仕事、かなりの裁量権を与えられていて、変な話、上司の確認を取らずに物事を進めることも多くてですね。で、そうやってガンガン物事を進めていると、今度は逆に自然と上司に報告をしたり相談をするようになる。どういうことかと言うと「自由にやらせてくれる = 信用されている = 責任感が芽生える = 報告や相談をしっかりする」という公式が成立して、故にコントロールしやすくなっているんだろうなと。まぁ、環境や状況や人に依存する部分もあるから一概には何とも言えないけれども。

ただ、昔、ものすごい Micro Manager(細かいところまでガチャガチャ言ってくる上司)の元で仕事しているときは、完全に自由が奪われているが故に「自由が全く無い = 信用されてない = じゃあどうでもいいや = 言われたことだけを適当にやる、あとはどうなろうと知ったこっちゃねえ」という、ものすごいマイナススパイラルに落ち込んだことがあったので。



で、「自由を与えるという名のコントロール」ってのは、もしかすると恋愛にも通ずるところがあるのかもなと一瞬思ったんですが、そうやって仕事と恋愛を同列に並べると、神戸時代にちょっとだけ付き合ってた子に「けんたさんと一緒にいると会社の先輩といるみたいで疲れる」と言われて振られた過去を思い出してしまうのでやめておきます。もう思い出しちゃったけど。

・・・寝よ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Random Talk

2010年02月03日 | 仕事とか堅苦しい話
(その1)
会社の食堂に行ったときの話。

お釣りをもらう際に、レジの人がカウンターの上に小銭を落としてしまった。
レジの人、そのコインを取ろうとしているのだが、爪を切ったばかりなのか、うまくとれないでいる。
「お前、どんだけ深爪したんだ」なんて思っていると、その店員、突然カウンターの下を「ガン!」と叩き、その衝撃で浮いたコインをキャッチしてお釣りを渡してくれた。

なるほど。
その発想はまるで無かった。
まさにout of the box thinking (既成概念に捉われない考え方)。



(その2)
それで思い出したのだけれども、まだ入社2年目ぐらいのときの話。
たまたま出張に来ていた某イギリス人が、とある業務プロセスに目を付けた。

「何でこんな効率の悪いやり方をしているんだ」

「いや、どうやら昔からそういうやり方をしていたらしいので・・・」

「なるほど。確かにこの進め方は、当時は正しかったかもしれない。でも、当時と比べて環境も状況も担当者たちも変わってしまった今、そのプロセスが昔と同じように正しく機能するとは限らないだろう?」

目から鱗だった。

他にも「昔からあるやり方で進めれば、昔と同じ結果しか出ない」だとか「間違ったことを正しくやるのはやめよう。正しいことを正しくやろう」など、幾つか心に響くアドバイスを頂いた。

ちなみに、その某イギリス人、今はロンドンの某有名大学で教鞭を執っている。



(その3)
人は「変化」に対して多かれ少なかれ抵抗を示す。
例に違わず、私も「変化」は嫌いだ。イギリスに来たときも、新しい環境やら仕事やらに慣れなくちゃいけないという、その一連の行為が苦痛以外の何者でもなかった。「新しい環境、良いじゃない、楽しいじゃない!」なんて言う人もいるのだが、まぁ・・・無理。先輩の奥さんが作ってくれた弁当ばりに無理。

ただ、「変化」と「前に進むこと」というのは全くの別物だ。
「変化」を起こすことが目的になってしまうと、多くの場合は、ただ状況が混乱するだけで終わってしまう。
一方で、「何かを達成しなければならないから頑張る、だから前に進む」という目的がある場合、「変化」というのは副産物的に発生する「過程」でしかなく、変化が起きる・起きないは然したる問題ではないし、恐らく意識すらしない事象なのだとは思う。

そういう意味で言うと、イギリス赴任は、確かに「変化」という大きな苦痛を伴ったけれども意義のあるものだったのだろう。

ただ、それはあくまでも結果論。
「○○を達成する」という明確なゴールが最初からあれば、もっと早い段階で「変化」を前向きに捉えることが出来たのだろうし、1年強、腐ることも無かったのだとは思う。

そして、ついでだけれども、先輩の奥さんの弁当という「変化」も、何かしらのゴールがあれば前向きに食えたのだろう。ただ、そもそもそんなところにゴールがあるわけは無いし、それを目的として設定するつもりもハナクソ程も無いので、やはりアレは「目的の無い変化」であり、混乱を招いただけであり、故に無意味であったと結論付ける。

ちなみに、先日、たまたまその奥様とお会いする機会があって「またお弁当作ってあげるよ!」みたいなことを言われたのですが、「あのー、いや・・・大丈夫ッス。むしろ、こう・・・大丈夫ッス」としどろもどろになりながらお断り申し上げておきました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多分、こういうのが「グローバル」ってやつなんだと思う

2010年01月22日 | 仕事とか堅苦しい話
海外で働いていると「グローバルって何なのよ?」ということを日々考えさせられる。
もちろんウィキを始めとする巷の雑多な情報を掻き集めればそれなりの「何か」は出てくる。

でも、何かが違う。
渋谷の人込みの中を歩いている時に襲われる虚無感や空白感。
そういうものが今の「グローバル」という言葉には含まれている気がする。



なんてことを考えていたら、こんなものを見つけた。

"The Internet Symphony" Global Mash Up


もしかすると、これが「グローバル」なんじゃないかと。



これは面白そうだ。
やってみたい。
ワクワクする、ドキドキする。

この動画からは、そういう人間が本来持つべき健康的な感情が滲み出てくる。

もう一つ言うと、魂が揺さぶられるような目的の前では、方法や手法なんていうものはどうでもよくなるのかもしれない。
クラシックを奏でるのにバイオリンや木琴は必ずしも必要ではない。
ノコギリや鍋だからこそ奏でられる音もある。



そういうことを踏まえると、「グローバル」っていうのは、「ワクワクやドキドキ」を起点として、世界中の様々な感情が有機的に結合していく現象とも言えるのではないかと。で、その「ワクワクやドキドキ」を、市場や顧客、さらには自社の社員含めた、ありとあらゆる関係者と共有出来る企業が「グローバル企業」なんじゃないかと。

まぁ、そういう考え方も出来るんじゃないかとふと思ったわけです。

それにしてもこの動画すごいですよね。
久々に感動しました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

試しに死んだふり

2010年01月20日 | 仕事とか堅苦しい話
「けんた、この間頼んだ翻訳作業、進んでる?」

ついに例の先輩に捕まってしまった。
昨日の話の続き。

「え?そんなのありましたっけ?」

「メールで送ったよ」

「いや・・・すいません、見落としてるかもしれないです」

「ちゃんと見ておいて」

「えーと、とりあえず見ておきます」

という状況です。



今までであれば「もう逃げられないな」と諦めて、渋々作業をやっていたのだろうけれども、昨日の話を踏まえて今回は敢えて;

「死んだふり作戦」

「サボタージュ作戦」

「柳のようにいなす作戦」

「完流し(全部スルー)作戦」

「マザーテレサは言いました、『好きの反対は嫌いではなく無関心です』と。作戦」

「司馬遼太郎は『風神の門』で言いました、『才蔵は、不敵にも、かれらからほんの二十歩ばかりはなれた道わきのガケに体を寄せ、気配を絶っていた。気配を絶つ術は、伊賀者のふるい伝統技術のひとつで、まず、隠形呪(おんぎょうのじゅ)を念ずることによってしだいに思いをほそめてゆき、同時に息をひそめて、ついには、たとえ鼻の前に真綿屑をたらしても動かないまでになる』と。作戦」

まぁ、作戦名ともかくとして、とりあえず今回は存在感を消しながらしらばっくれ続けてみたいと思います。こういうのは今まで意識的にやったことがないので、試しにやってみようかと。

さて、どうなることやら。
実はちょっと楽しみだったりします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これぞ大人の対応

2010年01月19日 | 仕事とか堅苦しい話
X さん(某お偉いさん)からの指示で、Y 商品(かなりどうでも良い商品)の資料の翻訳を A さん、B さん、けんた、私の4人で行うことになりました。けんただけ、下知の場にいなかったので申し訳ないのですが、ご理解のほど宜しくお願いします。

というメールが何の前触れもなく会社の先輩から来た。

はぁ?ふざけんなよ?

というのが至極当たり前なリアクションだと思うのですがいかがでしょうか。

っていうか「下知」って。
群雄割拠の戦国時代か。
雑兵か、俺は。



それにしても、ミーティングにも出ていないのに作業依頼するってどういう神経してるんだ。

実はこのメール、他にも腹立たしい要素が多分に含まれている。

詳細は割愛するけれども、X というお偉いさんが頭は良いけれども仕事が出来ないから振り回されることが多いだとか、このメールを送ってきた人がいつも偉そうでイラッとする場面が多々あるだとか、あとは、この仕事、自分が担当している仕事でも何でも無くて、そもそも筋違いな仕事を頼まれていることだとか。

・・・詳細、全然割愛してないけれども。



で、まぁ、どうしようかと色々と考えていた。

本音としては断りたい。自分に全く関係無い仕事をするほど暇じゃないし、しかも一回やってしまうと「次もお願い」的な流れが出来てしまう。だから「やりたくない」。あくまでも自分都合の話で言えば。

ところが、「やらない」の場合、恐らく目をつけられるだろうなと。いや、この X さんには過去何度か(軽く)楯突いているので既に目はつけられているのだと思う。実は X の取り巻きの人たちにも腫れ物を触るような扱いを何度かされたことがあるので、「あぁ、俺って面倒くさいって思われてるんだろうな」というのは雰囲気というか匂いみたいなもので察知はしていた。単なる被害妄想かもしれないけど。そして被害妄想であることを願うけど。

いずれにしても、そういう諸々を総合的に考えると、「嫌われてるんだから、別にどうなってもいいや」とするのか、「嫌われてるから、そろそろ尻尾振っておくか」とするのか、という話になってくる。

あー、どうしよう。



そういえば、うちの父親が昔こんなことを言っていた。

「俺は会社に敵がたくさんいたから、出世するのがすごく大変だった」

どうでも良いのだけれども、うちの父親っていうのは頑固なまでに筋を通したがる人で、筋が通っていなければ誰とでもケンカをしていた。昔、オーストラリアに住んでいるときに、そういうのが理由で(殴り合いまではいかなかったけれども)オーストラリア人とケンカをしてヒヤッとしたことが何度かあった。普通にあり得ない。あとは、父親の会社のパーティーに同行した際に(海外は会社のパーティーに家族を呼ぶことがあるので)、うちの母親が会社の同僚の人たちに「いつもご迷惑おかけしてます」と謝っていたのも子供心ながらに印象に残っている。

いずれにしても、そういう自分の信念を曲げない父親の姿を子供の頃から見て育って、それが若干嫌だったというのもあるのだけれども、やっぱり何だかんだでそれに憧れていたんだろうなと。カッコイイなと。そういうこともあって、社会人になってからは、そういう「筋を通す」というか、まぁ、傍から見ればただの強がりだったんだろうけれども、そういうアレをやろうとしていた節はあって、で、アレヤコレヤと色々とやったのだけれども、詰まるところ思ったのは、「俺は父親みたいにはなれないな」と。何だかんだで臆病なので。父親みたいな腹の括り方はできんわー。実際に働いてみてよく分かった。



で、話は戻って、例のお偉いさんと先輩のアホな依頼をどうするか。
腹据えて断るか、尻尾振るか。
6:4で「やる」かな・・・。

というのを 5分ほど考えて、迷った挙句、会社の同期のナナミー(塩野七生愛読者)に相談してみた。

ちなみにナナミーの特技は「面倒くさい仕事から逃げること」。
名言は「完流し(全てスルー)」。

で、試しに状況を説明してみると、やつは即座にこう返してきた。

かわせ。柳のようにいなせ。

なるほど。
・・・でも、どうやって?

次に何か言われるまでは何もしないで、もし何か言われたも「え?そんなのあったんですか?忙しいからメール見落としてました。今も忙しいんで、それやるの来月でも良いですか?あははー」で逃げ切れ。とことんしらばっくれろ。

なるほど、そう言われてみれば「作業を断る」も「折れて作業をする」も共に「前に進む」ことを前提としていた。そこでの「前に進まない」という選択肢。その発想はなかったわー。人としてはかなりダメだけど、今回の件に限っては素晴らしい。模範解答だ。

と、思いました。

そう考えると「いかにマジメに仕事をやらないかをマジメに考える」というのも、処世術の一つとしては検討する余地はあるんだなとマジメに痛感した次第です。

世の中、色々とアレはあるもんですねー。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする