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that blog-ish thingy

ブログ的なアレです。

絶対に怒られるようなことはありますん

2010年08月04日 | 仕事とか堅苦しい話
ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん
(アドロック・サーストン)


イギリスに居た頃は、何にも束縛されることなく、やりたいことを自由にやっていた実感があった。

が、日本に帰国してからは、何もしていない。
何もしていないから何も起きない、何も感じない。
自分という存在が、泡沫のごとく消えてなくなりそうな心持ちを覚える。

そろそろ動かなくちゃな・・・。


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I am the Master of my own fate

2010年07月15日 | 仕事とか堅苦しい話
先日読み終わった山崎将志の「残念な人の思考法」という本にこう書いてあった。

友人がマカオに行ってカジノに勝ったという話を聞いた。いくら勝ったのかと聞いたら、五〇万だという。勝ちすぎて怖くなりそこで止めたそうだ。本人は勝って帰れたからよかったという。確かにそうなのだが、私はもっとやればいいのにと思った。
ギャンブルの勝ち方の話をしているのではない。壁は自分で作ってしまうという話である。


これは、先日、ワインバーのマスターに言われた「仕事はキッチリしたとしても、予想外のことは出来なさそう」にも通ずるのかもしれない。



先日、とある外資系の同業他社の方と飲む機会があった。
ざっくばらんに話をする中で、ホントに目から鱗な話を聞くことが出来た。

自分は今の職種や立場でやれることは大体網羅していたと考えていた。
しかし、そこが限界だった。

「人は常に自由を求めているが、いざ自由を与えると何をして良いのか分からなくなる」

と、どこかの偉い人が言っていた気がする。
もし本当に自由を求めているのであれば、自由が欲しいと文句を言う前に動いているのだろう。



知り合いで、一人すごいやつがいる。
その男は、元々スポーツが苦手だったそうだ。
ところがある日「自分はスポーツが苦手だと思い込んでいるだけなのではないか」と思い立ち、ロンドンマラソンに出場することを決める。

というわけで、ロンドンマラソンに向けて、日々トレーニングを行い、ある日「これならいけるかも」という感触を掴んだ。
そこでロンドンマラソンに応募をしようと思ったらしいのだが、実は次回参加の受付は数ヶ月前に終了していた。
(事前に調べておけよ・・・)

が、ここからがすごい。
まずは発想を切り替えて、家から出発し、ロンドン市内を3週して42.195kmを完走した。

さらに、その勢いそのままに、今度はサハラ砂漠縦断マラソンに参加した。
これは一日40kmの距離を歩くなり走るなりして、キャンピングポイントで宿泊。これを7日間繰り返し、合計280kmを踏破するというものだ。
毎日脱落者が出る中で、彼はこれを完走した。

そのときに、こう思ったそうだ。

"I am the Master of my own fate"

さて、自分はどうするのか。
そんなことを最近よく考える。


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Out of the box

2010年07月07日 | 仕事とか堅苦しい話
先日、とある女優の方に連れられて、芦屋のワインバーへと行ってきた。

ワインは、飲めるのだけれども、どうも相性が良くない。
次の日は必ずと言っていいぐらい二日酔いになる。

が、ワインバーでワインを飲まないわけにもいかないのでチビチビとやる。



ここのワインバー、内装がスゴイらしいのだけれども、どこがどうスゴイのかは忘れた。

が、確実に覚えているのはマスターが面白かったということ。
一見、理路整然を装いながら実はイケイケドンドンだった。



そのマスターにハッ!と目の覚めるようなことを言われた。

「きみ、マジメそうだねー。でも『想像出来ないぐらいスゴイ結果』は出せないタイプだね」

そう言われてみると確かにそうかもしれない。仕事の度に、過去に培ってきた経験や知識を総動員しているけれども、いずれも「想像通り・期待通り」のアウトプットしか出せていない。その予想や期待を超える「うわーっ!マジでスゴイな!」なナニかをしようなんて、考えたことすらない。

言うなれば、今までは100ピースのパズルを建設的に少しずつ組み上げるような仕事しか出来ていなかった。1000ピースのパズルを作り上げよう!という姿勢で仕事に取り組んだことは、あまりない。

だからと言って、今すぐ何が出来るわけじゃないのだけれども、でも、何が出来るんだろう?とは考え始めた。



という出来事を経て、発想の切替えをしながら日々を過ごそうとしているわけなんですが、意外と仕事での「目線」や「視座」変わったりだとかして、なかなか刺激的です。ここからどうなるのかは分かりませんが、ただ、何か新しいことが起きそうな予感がしています。

どうなることやら。

ああ、そういえば翌日は二日酔いでした。
やはりワインと日本酒は体に合わないみたいです。


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やきとりをつまみながら

2010年06月07日 | 仕事とか堅苦しい話
イギリス時代にお世話になった某商社の方とご飯を食べることになり、渋谷で落ち合った。
久々に、とは言っても10カ月ぶり程度の話だが、再会し、簡単にお互いの近況なんかを報告したりする。

さて、どこで飯を食うか。
かれこれ4年ほど東京から遠ざかっていたこともあり、どこで飯を食べれば良いのか検討がつかない。
全ての店が同じように見えるし、男二人で飯を食うとなると入れる店も限られてくる。

渋谷の人の波を泳ぎながら、最終的には、こういう店に入ることになった。



さて、この某商社の男、イギリス時代はえらくモテることで有名だった。
見た目がかっこいいだとか、背が高いだとか、そういう要素はあまりない。
そこらへんは極めて平均的。

じゃあ、何がそんなにモテるのか。
それは、バランス感覚の良さ、話し方・考え方の切り口の鋭さ・柔軟さ、周りへの気遣いや面倒見の良さあたりなんだろう。



イギリスに滞在している時分、この男は誰とも付き合うことが無かった。
彼にアプローチをかけてくる女性は多数いたのだが、彼の方から積極的に動くことはなかった。
そこらへんは彼の「理想の高さ」であったり「真面目で奥手」から来るものだと理解していた。

日本に帰国してからの彼の直近の状況を聞いてみると、仕掛かり案件のみならず、Exitingを開始しているものまであるという。イギリスでの大人しさはどこへやら、一転して活発な動きを見せていた。

何でそんなに変わったのか?と聞くと、答えはシンプルで、日本の方が女性の母数が大きいからとのこと。
このブログでも、以前、そこらへんの倍率を計算したことがあった。
イギリスで日本人女性のパートナーを見つける場合の倍率は4000倍。
そう考えると、彼の行動パターンの変わりっぷりにも得心がいく。



今回盛り上がったもう一つの話が、「グローバル」について。
ここについてはかなり盛り上がった。

結論だけ言ってしまうと、彼は、海外で何が起きているのかを肌で感じたのだと言う。その上で、日系企業さらには日本という国そのものが、どう強くて、何が足りないのかが感覚的にだけれども理解出来た。それに対して、企業として、日本人としてどう攻めていくのか、どう合わせていくのかを考る必要あり、さらにはそれを実行に移していかないと、日本という国そのものが世界に置いていかれてしまうだろう、そして、今の企業なり日本という国なりが、今後、必要となってくるのは「多様性」ならびにその結果として生まれるであろう「選択肢」なんだろうと。

そういう小難しい話を二人でしていた。



しばらくすると、某商社の男、おもむろにこう言い始めた。

「さっきの彼女作りたい話に戻るけどさ、俺、海外に住んでたことあるか、海外に興味ある人じゃないと付き合えない気がするんだよね」

この感覚は分からないでもない。
一度違う世界を知ってしまうと、その価値観や視座を共有出来ない相手と自然体で接することは難しい。
必ずどこかで気を遣ってしまうだろうし、その些細な歪みは確実に蓄積されていく。

この男、どんどん魅力的になっていく一方で、選択肢はどんどん狭まっていくようだ。
こんなにもモテるにも関わらず、彼女が出来るのは、どうもまだ先のようだ。


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トゲ

2010年04月12日 | 仕事とか堅苦しい話
イタリアの話ばかりなので、ちょっと違う話でも。
何だか辛気臭い話になりますが、仕事に関してここ数週間悩んで・・・るわけじゃないな、考えていることがありまして。

何というか、最近、自分が何でも無くなってきているような気がするのです。
ああ、何だかつまらない人間になってきたな、と。

抽象的な話ですが、自分が球体だったとして、昔は何だかトゲトゲの付いたボールみたいだったような気がするのです。
ハイパーハンマーのように。
(最近、ガンダムネタが多いな・・・)

そのトゲというのは、例えば、色々なことに疑問を持つことであったり、反発して体ごとぶつかっていくことであったり。
何だか、そういう若々しくて荒々しい、自分本来の気質の表れのようなものだったと思うのです。
こういう粗っぽさというのは当然、知識や経験の欠乏により生じるものであったり、もしくは、溢れんばかりの情熱により生じるものであったり。
今になって思うと、あれは自身の未熟さそのものであった一方で・・・何と表現すれば良いのか分からないのだけれども、個性というか、自分らしかったな、なんて思うのです。

ところが、最近はそういうトゲトゲしさみたいなのが磨耗して、ドンドン丸くなっているような気がするのです。

業務にも慣れて、そこそこ上手く捌けるようになって、仕事の全体像もそれなりに見えるようになってきて。
その結果として、効率的に動けるようになったというのはあるのですが、一方で、動きが省エネになったというか、緩慢になったというか、妥協しやすくなったというか。
トゲもバーニアも無くなってしまい、ただの量産機用の兵器に成り下がっているような気がするのです。

そこで漠然と思うわけです。
多分このままじゃダメだな、発想と環境を根本的に変えていかなきゃな、と。



今までは小さい意味での環境の変化はあったわけなんです。
職場が神戸やイギリスに移ったりだとか、お客の業種が変わっただとか。
ただ、大枠で言えば同じような職種で同じような仕事をしているんですね。
言ってみれば、色々なサッカーチームは転々としているけれども、依然としてサッカーをやり続けているという状況。

で、思うわけです。
自分はこのままサッカーだけをやり続けてて良いんだろうか、と。

ボンヤリとサッカーをしながら、そこそこ活躍出来ているから良しとしている自分は、多分、いる。
そして、脚技だけで色々なことをどうにかしようとしている。
もし「組織のために点を取る」ということが大事なのであれば、手を使ったって良いんじゃないか。
サッカーに拘らずにラグビーをやったって良いんじゃないか。

なーんて思うのです。

ついでに言うと、こういう視点って30歳になったのを期になってから芽生え始めたんですよね。
30歳というのが何かの決定的な要因なのかどうかは分からないのですが、ただ、こういう感覚は20代の頃にはあまりなかったような気がします。



今までのキャリアを振り返ってみると、こういった類の心の変化というのは2年というスパンでやってきているような気がします。

入社早々に現場に配属されてボコボコにされた期間が2年。
そこから立ち直るのに要した期間も2年。
その後、2年の神戸勤務を経て、2年のイギリス駐在。

そう考えると、その転機が今、再び訪れているんでしょうね。
日本に帰国する or しないの話もそろそろ決着が着きそうですし。

ちなみに、ネガティブになっているわけじゃないんです。
今まで見えなかったことが見えるようになって、考えてもみなかったことを考えられるようになって。
何だか、そういう新しい世界に行けそうな自分に、気持ちの昂ぶりを感じているのです。
不安とエエカッコシイみたいな部分も多少はありますけどね。

以上です。
久々に仕事の話をしてみました。
やっぱ辛気臭くなってしまったなー。

まぁ、そういうわけなんですが、気分を改めて明日からは再びイタリアの話をすると思います・・・気が向いたら。
という感じで、アレを色々とよろしくお願いします。



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