羽迫博己の九州通信・・・ひなまつり(佐賀県編~2012・・・・佐賀城下ひなまつり~1 旧三省銀行)
「鍋島絨通で飾るひなまつり」 ~春の宴~
佐賀で340年の歴史を誇る和紙絨毯「鍋島絨通」。上質な木綿のみを使用し、やさしくしっとりとした風合いと、歴史に裏打ちされた重厚な紋様が特徴です。
新鍋島~「花唐草」 絨通
佐賀で340年の歴史を誇る和紙絨毯「鍋島絨通」。上質な木綿のみを使用し、やさしくしっとりとした風合いと、歴史に裏打ちされた重厚な紋様が特徴です。
羽迫博己の九州通信・・・ひなまつり(佐賀県編~2012・・・・佐賀城下ひなまつり~1 旧三省銀行)
「鍋島絨通で飾るひなまつり」 ~春の宴~
佐賀で340年の歴史を誇る和紙絨毯「鍋島絨通」。上質な木綿のみを使用し、やさしくしっとりとした風合いと、歴史に裏打ちされた重厚な紋様が特徴です。
新鍋島~「花唐草」 絨通
佐賀で340年の歴史を誇る和紙絨毯「鍋島絨通」。上質な木綿のみを使用し、やさしくしっとりとした風合いと、歴史に裏打ちされた重厚な紋様が特徴です。
羽迫博己の九州通信・・・ひなまつり(佐賀県編~2012・・・・佐賀城下ひなまつり~1 古賀家、牛島家)
投扇興の遊び方
正座の状態から、木枕の上にある的を狙って扇を水平に投げます。扇はかなめを下にしてくるりと回転し飛んでいき、的にあたつて落ちた時の扇と的の状態により点数が与えられます。
100年以上の歴史を誇る、手作りガラス器の伝統工芸品「肥前びーどろ」の世界をお楽しみください
肥前名尾和紙 三百年以上前から活躍した和紙の技術が脈々と伝承されています。
「防災用品普及ネットワーク高知」(仮称)設立会のご案内
防災用品の普及を通して、住民の防災意識と防災対策の向上を図ることを目的として「防災用品販売ネットワーク高知」(仮称)を設立します。
設立会の日程
日時 2013年1月28日(月)14時~16時
場所 高知市市民活動サポートセンター大会議室
住所:〒780-0862高知市鷹匠町2丁目1-43 高知市たかじょう庁舎2階
TEL:088-820-1540 FAX:088-820-1665
議題 1、「防災用品販売ネットワーク高知」設立の主旨説明
2、会則の提案・承認と役員の選出
3、「防災用品販売ネットワーク高知」の今後の取り組みなどについて意見交換
(参加者からの要望や提案をもとに、ネットワークの効果的な展開を図る)
4、その他
参加対象者 上記の設立目的に賛同される会社・団体・個人など
参加費 無料
主催 設立準備会、高知ファンクラブ(代表:鈴木朝夫・元高知工科大学副学長)
問い合わせ・連絡先: 高知ファンクラブ(高知を元気にするボランティア集団)
「高知ファンクラブ」運営事務局長 坂本耕平 http://kochifc.net
〒781-0312 高知市春野町平和638 携帯 090-2781-7348 TEL(FAX兼) 088-842-7649
E-mail ① tukasa1@ir.alptec.net ② info@kochifc.net
来館者用の駐車場がありません。 県庁前地下駐車場をご利用の場合は駐車券をご持参ください。事務局で30分無料のスタンプを押印します。
情報てんこもり サイトマップ 「高知ファンクラブ1」(新設) 「高知ファンクラブ」 データーベース「高知ファンクラブ2」
松崎武彦高知エコ基金 第四回講演会
環境問題とキクイモ2題
松崎武彦高知エコ基金は、故松崎武彦の遺産を原資として、故人が抱いていた高知県のエコ推進の
市民活動を支援いたします。この度、松崎武彦高知エコ基金の設立4年目を記念し、講演会を開催
いたします。多数のご参加をお待ちしております。
■ 平成24年1月26日(土) 14:00~17:00
■会場:高知大学朝倉キャンパス メディアの森6階 メディアホール
■ 入場無料(定員120名)
14:00~ 開 場
14:00~14:10 主催挨拶 松崎武彦高知エコ基金理事長 森 直樹
14:10~14:20 テーマ選択の趣旨 副理事長 松崎早苗
14:20~15:50 講演1 金子保広氏
<休憩>
16:00~16:45 講演2 柴田萬寿生氏
16:45~17:00 質疑応答
17:00 閉会
----------------------------------事前申込 ----------------------------------------
どなたでもご参加できます。定員(120名)がございますので、
下記宛にご参加者名・職業・住所・電話番号を記入してお早めにお申し込みください。
)直接お越し下さっても結構ですが受付にて氏名、住所を記載ください)
申込先:E-mail:okino123@shirt.ocn.ne.jp
問い合わせ先:沖野和賀子 090-8286-0009
主催:松崎武彦高知エコ基金
共催:(予定)/高知大学国際・地域連携センター
情報てんこもり サイトマップ 「高知ファンクラブ1」(新設) 「高知ファンクラブ」 データーベース「高知ファンクラブ2」
羽迫博己の九州通信・・・ひなまつり(佐賀県編~2012・・・・佐賀城下ひなまつり~1 古賀銀行2,3)
見世物(興行)のからくり~ひなまつりとからくり人形
江戸時代の前期、からくり人形は大阪の興行師竹田近江によって道頓堀の竹田座で演じられ、「竹田からくり」という見世物興行として人々の人気を集めた。この竹田からくりが後に、各地の祭礼のからくりや、座敷からくり、芝居のからくりに大きな影響を与えていく。
十四代今泉今右衛門作 ~殿皿・姫皿~
和紙 人形
羽迫博己の九州通信・・・ひなまつり(佐賀県編~2012・・・・佐賀城下ひなまつり~1古賀銀行1)
古賀銀行1
両替商・古賀善兵が明治18年設立。明治22年に古賀銀行内に佐賀七十二国立銀行を設立。明治31年に両銀行が合併し佐賀銀行と改称、大正2年に古賀銀行と改称するも炭坑経営の不振から、大正15年休業。
羽迫博己の九州通信・・・ひなまつり(佐賀県編~2012・・・佐賀城下ひなまつり~1県庁、徴古館)
佐賀城下
佐賀のまちなかでお雛さま が皆さんをお迎えします。
佐賀の伝統的なお雛さま や生花でつくられた 色とりどりのお雛さま、
皆さんから贈られた お雛さまがひなまつり 会場や通りを彩り、 まちなか全部が ひなまつり一色に
徴古館 ~鍋島家のひなまつり~
木製の台に御所人形や松竹梅などおめでたい作り物が取り付けられた御台人形。皇族の子女だけが天皇・皇后両陛下より賜ることができた。13代鍋島直泰夫人は明治天皇の孫にあたることから、ゆかりの御台人形三基が鍋島家に伝来した。
「食」を中心としたテレビ番組に「ケンミンショウ」があります。
食の代わりに「方言」を中心とした番組があれば、高知県は先頭に立てる可能性
豊かな県です。この「方言豊かな風土」をどのように活かせればいいでしょうか?!
そこで今回。
観光ガイドのみならず「高知県人」ならどうしても身に付けておきたい・
これを知らずしては高知県人ではない、たいへん「重要」なお知らせです。
<高知県人度・チェック表>にも、ご活用ください。
■新土佐風土記:橋詰延寿著・昭和27年発行 126pより
・土佐方言番付
土佐方言の番付ができていますので発表いたします。この番付はもう三年前に
できまして文書や絵葉書で紹介、発表いたしましたが、ラジオを通じての発表は
今度がはじめてであります。
・・・。
土佐方言くらべ番付の行司は「ジ・ヂ」、「ズ・ヅ」で年寄りは坂本龍馬と田中
貢太郎先生でございます。勧進元は坊さん簪(かんざし)宣伝社となっています。
鎌倉・室町時代に出ました本の中にも、渦はウズというぞ、水はミヅというぞと
書いてあります。これから考えますともうすでに平安末期からこのジ・ヂ、
ズ・ヅが崩れはじめています。
徳川期に入ってはその進歩が早くなって、もうジ・ヂ、ズ・ヅの区別はつかなく
なっています。
土佐の歌人今村楽が本居宣長翁に会ったときは、もう翁の晩年で耳が遠くなって
いました。そこで今村楽は、筆談でもって土佐にジ・ヂ、ズ・ヅの区別があること
を話しますと本居翁は”それはまことに奇特のことである”と関心したことが記録に
残っています。
土佐が南海の別天地であったため、これがずっとそのまま残ったことと考えます。
しかし今はこのジ・ヂ、ズ・ヅも区別が次第に崩れてなくなっていることは事実で
あります。
さて、東軍の陣容は、 西軍の方言力士は、
横綱:エンコウ 横綱:シバテン
大関:トイチ 大関:チクト
関脇:イゴッソウ 関脇:ハチキン
小結:アマノン 小結:センバ
前頭:ゴゼムシ 前頭:アブラコ
前頭:オンシ 前頭:オラ
前頭:オンチャン 前頭:ルイ
前頭:ミミキレ 前頭:キリブサ
前頭:タツバイロ など 前頭:ツボ など
★★★根木のコメント〇△×?★★★
全部で9×9=18の方言が並びました。
皆さんは、いくつ「方言のガイド」ができますか?
根木の頭の中では、?・×・△・〇!
初耳のようなもの:ミミキレ・タツバイロ・キリブサ?
聞いたことあるもの:アブラコ
この続きは、次回にでも。
お楽しみに!
根木勢介 携帯:090-2825-2069
第4回 磁器上絵付け 体験教室 (リム<縁>飾りの風景皿) 平和公民館 2012年11月22日
1・ ティッシュにアルコールを付けて、白磁をキレイに拭きます。
2. 型紙を利用して、転写紙を 好みの形に切ったり、パンチで切り抜きましょう。
3. 転写紙を30秒ほど 水に浸して、上のフィルムを 軽く押さえ、下の台紙を 抜き取ります。
一枚ずつ水に入れましょう!
テッシュで軽く押さえて水分を取り、 ゴムべらで軽くなでて、 中の空気を抜きます!!
4. 手描き下絵の裏を鉛筆でなぞり、ペンでカップに写します。
5. 平筆・円筆で絵を描いたり、スポンジで色をつけましょう。 絵の具の色を変える時は、筆を水で洗います。
6. 最後に筆で、サインをしましょう。
正月一日に室戸に行きました。キラメッセで食事をしましたが、海を見ていつも
女房とはなしをするのですが、「鯨」が見られたら面白いね、と。
鯨が目の前で泳いでくれたら最高ですが、現物の鯨が無理ならちょうど真ん前・
50メートル先に「岩礁」があるのでそこに「浮力発電・鯨」を浮かべても
いいと想います。お正月の初夢でした。
さて、高知城でも次のガイドもできると、「ひとくちメモ」的に紹介しました。
●お城の植栽:城には、どのような植物を植えていたのか?
<戦国の堅城‐築城から読み解く戦略と戦術・学研発行・歴史群像シリーズより>
・植栽(131pより)
城造りでは、植栽もおろそかにできない。城の植物は、美観だけでなく、防御面
でも大切な役割を担っているからだ。
城に植える木は、籠城戦に役立つものを選びたい。まず挙げたいのは松竹梅だ。
おめでたい木として知られるこの三種は、実は、戦闘時の利用価値も高い。
中でも、松は悪条件にも強く、城の木の定番となっている。竹も利用価値が
高く、矢の材料となる矢竹は、密生させれば、強力なバリケードにもなる。
梅は不可欠なものではないが、実が兵糧になる。
樹木以外の植物では、薬草類も充実させたい。城の一画にお花畑を設けて管理すると
よいだろう。
木を植える際は、塁の内側に並べると外から見えにくくなり、効果的だ。塁や堀の
外側は、敵の隠れ場所をなくすよう、見通しよく空けておくとよい。
◇松の利用法
松は、柵・乱杭・逆茂木の材料のほか、油分が多く燃えやすいので、薪や夜間の
警備に必要な松明(たいまつ)にも重宝した。松脂(まつやに)も利用範囲が
広く、弓弦や狼煙(のろし)の材料、血止めにもなったとされる。
◇竹の利用法
竹は様々な道具の材料になるが、城ではやはり臨時的な防御用具である虎落
(もがり)や、竹束の材料となることが重要。いざとなれば竹鎗(たけやり)にも
なる。小型の竹である矢竹は、文字通り矢の材料となる。
中世の曲輪の名に見られる「笹曲輪」は、この矢竹を栽培した曲輪だろう。
◇城の植栽
城に植える木は、戦闘時には柵や逆茂木(ぎゃくもぎ)等の臨時的な防御施設に
なる。松が主流だが、他に柵等に使いやすい杉、実が食用になるカヤやイチョウ
等も考えられる。
木は、堀などの内側に沿って植えるのが定型。土塁には芝を張ると、表面の
くずれを防ぐ効果がある。塁や堀の外側は木を植えないが、敵を近づけたくない
搦手側の斜面等には、矢竹を密生させるのもよい。
城によっては梅林を設けることもある。桜もよく植えるが、現在桜の名所と
なっている城跡には、明治以降の植樹も多い。
★婉の母「きさ」の名前:Nさんから次のメールをいただきました。
Nさん、連絡をありがとうございました。
確かにご指摘の通り小説の「あとがき」と小説「文中」と名前が相違していました。
私が紹介したあとがきの「校正ミス」ですね。気がつかなくて、すみません。
このようなメール、大歓迎です。皆さんは、根木よりずっと勉強・研究されて
います。
その知識の「共有」の場であり、共有できたらと願っております。
えんの生母は、やはり、池きさ だとおもいます。
その1 「高知観光ガイドブック3 」 p69、に きさ とでている。
「野中兼山」 横川末吉著 吉川弘文館 p281 えんの母 きさ とでている。
その2 「えんという女・正妻」 大原富枝著 講談社 p53、54 清七,希四郎、
わたくし。貞四郎、そして その母池きさ。 と表記されている。
その3 筆山にある 「野中兼山と一族の墓 」には、左前に えんの母の墓があるが
母池氏之墓と記名されているだけで きさの名はない。
その4 本山町の大原富枝文学館へ調査研究に行ってきた。
そこでも明確に えんの母として きさ が記されている。
(以上は、Nさんからのメールです。)
<合姫(一豊の妹・兼山の祖母)のことについて>
どのような一族だったかも、少し長くなりますが、紹介しました。
■野中兼山・婉女そして土佐山田:野中神社改築委員会・土佐山田町教育委員会発行
・二、兼山の人と治績(依光貴之執筆) 35pより
1.生い立ちと時代
野中氏の家系
濃尾平野の西部を南北に流れる大河揖斐川(いびがわ)を遡ると、大垣市の北方
約十五キロで山麓の町揖斐川町にさしかかります。その町の三輪地区が野中氏
発祥の地といわれます。
系図上の初代は野中道永といい、かなりの土地をもつ地主(名主)であったようです。
(付録の系図を参照してください)
道永の子伯仙は、天正十三(1585)年に七十三歳で没しており、戦国動乱の
なかを生きた人です。
そのため、青年時代に剣術家衣斐丹石(えびたんせき)について学び丹石流の奥義に
達していたようです。丹石流は短い刀を使い相手のすねを蹈(ふ)み折るぐらいに
肉迫する気合を尊ぶなかなか激しいもので、野中家の気風を養ったのはこの剣法
だったともいわれてます。
その奥義書は、長男良平が若死をしたため伯仙の臨終に際し、次男益継に譲られ
ました。
伯仙は剣術だけでなく医術・和歌・書道にも通じた文武両道の人でした。
伯仙の妻は丹石の姪(一説に娘)で二人の間には四人の子供が生まれ、長男が兼山の
祖父良平(よしひら)、次男がのち兼山が養子入りする分家野中家の租・益継
(ますつぐ)、三男が遂繼(かつつぐ)です。
良平は、戦国の風雲に乗じて身を立てようと、はじめ織田信長(あるいは信忠か)に
仕え、秀吉を経て、山内一豊に属し、その妹合姫(ごうひめ)を妻としました。
一豊が近江(滋賀県)の唐国(からくに)で四百石を領した頃のことです。
合姫は良平より四歳年下で、兼山の父良明(よしあき)と通姫(つうひめ・乾和三妻)
を生みましたが、夫良平が天正七(1579)年三十一歳で早死したため、自分より
八歳年下の義弟益継と再婚し、そこでも三男三女をもうけました。
その長男直継(なおつぐ)は宿毛の領主安東氏の娘と結婚、一男二女が生まれましたが
、男子(合姫の孫)が早世して後継ぎがなかったため、末娘の市に兼山をめあわせて
養子としたのです。つまり、合姫からいえば自分の血を分けた孫同志の結婚であり
”同姓娶らず”の儒教の教えにめざめた兼山にとっては、忌むべき結婚となるのです。
合姫は至って健康で、土佐へ入国してのち、兄一豊のあとをうけて甥の忠義が藩主と
なり夫の益継、子の直継、孫の兼山と三代続けて重臣として藩政を掌握した時代に
、酒を友として豪奢(ごうしゃ)に暮らし、正保三(1646)年九十三歳の生涯を
終えました。兼山の全盛時代で、儒教による葬式のうえ、日を改めて法華宗による
盛大な葬儀があり、筆山の北麓に葬られました。
諡(おくりな)を慈仙院妙仁日大大姉といいます。
さて、兼山の父良平は七歳で父に死に別れましたが、後嗣のなかった伯父一豊に
愛せられ、土佐入国時には五千石を受けています。有能な伯父益継が二千三百石
ですから、野中家の本家筋とはいえ、いかに優遇されたかわかります。
それが慶長十三(1608)年ごろ、妻もつれずにわかに国を出奔し、海路
播州姫路へと赴きます。その間の事情はよくわかりませんが、かねて一豊から
山内の姓を許され、幡多郡中村で二万九千石を与えられる約束を得ていたところ
、慶長十年の一豊の死によって反故(ほご)にされたためであろうといわれます。
一豊の弟康豊の辣腕ぶりもさることながら、良明の癇癖(かんぺき)の強い性格も
原因であったようです。
良明の妻が池田侯の重臣の妹であったので姫路へ行き、池田家では一万石をもって
召し抱える話もあったけれども、良明はこれを辞退し、年に二百石の扶持米をもらって
姫路や京都で何とか浪人暮らしを続けたようです。
良明の妻はあとを追って姫路へ来て間もなく死亡しました。その後妻として迎えられた
のが、豪商秋田家に養われていた孤児の萬でした。その時萬は二十四歳で、六年後の
元和元(1615)年に兼山を海、九年後に良明に死別します。兼山の誕生日に
ついては、六月十三日説と一月二十一説と両説あり、お婉堂の位牌には”六月十三日
己亥午刻生”とあります。
上方での良明一家の暮らしは決して楽ではありませんでした。良明は家計を顧みて
限度内で暮らせる人ではなく、やがて、二百石の扶持米も池田家の備前転封とともに
打ち切られたはずです。
萬は良明の死と共に上方での生活をあきらめ、当時四歳の佐八郎(兼山の幼名)の
将来も考え、海山を隔てた土佐へ下り、分家の益継・直継父子を頼むことにしたのです。
(この間の経緯については小倉少助が境から呼び下したとの説もありますが、『野中
遺事略』によりました。)
萬は慶安四(1651)年六十六歳で急死したので、兼山は儒葬をもって野中家の采地
(さいち)の帰全山に厚く葬り、山崎闇斎執筆の「夫人秋田氏墓表」を碑に刻みました。
それには、夫人は針仕事や織物などで家事万端に通じ、夫によく仕えて内助の功あり。
わが身を飾らず、姑の看病を怠らず、下女をも懇(ねんごろ)に教え導いた。
兼山の短所を見ぬいて、友とよく交わり、寛容であるようさとし、また父良明の美点も
伝えた。はじめ姑に従って仏教を尊んでいたが、兼山が儒教に帰したのちはこれに従った。
などと誌され、「けだし夫人のごときは婦女の楷模(かいも・手本)なり」と結ばれて
います。
根木勢介 携帯:090-2825-2069
第4回 磁器上絵付け 体験教室 (リム<縁>飾りの風景皿) 平和公民館 2012年11月22日
1・ ティッシュにアルコールを付けて、白磁をキレイに拭きます。
2. 型紙を利用して、転写紙を 好みの形に切ったり、パンチで切り抜きましょう。
3. 転写紙を30秒ほど 水に浸して、上のフィルムを 軽く押さえ、下の台紙を 抜き取ります。
一枚ずつ水に入れましょう!
テッシュで軽く押さえて水分を取り、 ゴムべらで軽くなでて、 中の空気を抜きます!!
4. 手描き下絵の裏を鉛筆でなぞり、ペンでカップに写します。
5. 平筆・円筆で絵を描いたり、スポンジで色をつけましょう。 絵の具の色を変える時は、筆を水で洗います。
6. 最後に筆で、サインをしましょう。