高知ファンクラブ

“高知をもっと元気にする”ボランティア集団、「高知ファンクラブ」の仲間が発信するブログです。

今日5月31日の物部川こども祭 予定通り開催します。

2015-05-31 | 高知のイベント情報

今日5月31日の物部川こども祭 予定通り開催します。

第4回物部川こども祭 5月31日(日)のご案内

香美市香北町のアンパンマンミュージアム前広場で、10時から15時まで開催されます。ご家族そろってお越しください。


沢村さんの沖縄通信・・・琉球と土佐―その深い縁(エニシ)その歴史を紐解く

2015-05-24 | 交流ひろば「ワイワイ談義」

沢村さんの沖縄通信・・・

琉球と土佐―その深い縁(エニシ)その歴史を紐解く

                    竹内經氏が講演

 

沖縄ジョン万次郎会の定期総会が5月23日、豊見城市の市社会福祉協議会で開かれた。

総会では、9月12日に第4回ジョン万次郎サミットin沖縄&沖縄ジョン万次郎講演会を開くなど今年度の事業計画案など議案を採択した。 

総会後には「美ら島沖縄大使」をつとめる竹内經氏(静岡県出身)が「琉球と土佐、その深い縁その歴史を紐解く」と題して講演した。

 竹内氏は、1851年に琉球の小渡浜(現糸満市)に上陸した万次郎らが、那覇への護送が中止され、豊見城・翁長(オナガ)村に留め置かれたのはなぜか、その背景について次のようにのべた。

 富山藩が北前船で運んできた昆布を大坂堺の海産物問屋には卸さず、極秘に薩摩藩へ横流し、見返りに高価な「唐薬種」(中国渡来の薬)を薩摩藩から手に入れようとした。薩摩藩は当時、長崎しか許されていなかった「唐薬種」を秘密裏に琉球を介して昆布と引き換え富山にさばくことを企んだ。「唐薬種」は富山藩で和薬と調合され和漢薬として全国に広まった。抜け荷として運ばれてきた昆布は、中国へ輸出された。

 秘密裏に取り引きされていた<昆布と唐薬種>の交易の現場を万次郎らに知られたくなかったのが翁長村留め置きの理由の一つであろう。

また、イギリスの宣教師・ベッテルハイムと万次郎らとの接触を懸念していたこともある。

 万次郎らが7か月もの長期に留め置かれたのはなぜか。

 万次郎が上陸する前年の1850年、琉球から江戸に向かう「江戸上り」(99人)の一行が、江戸を発ったのは12月22日。琉球への帰還は翌年4月13日と見られる。万次郎たちの薩摩への護送は当初6月14日出立だったのが、急きょ1か月延期された。薩摩から帰った船を修理して護送船にしたのではないか。

万次郎たちは7月11日、翁長村を出立し、同月18日、ようやく大聖丸で薩摩へ向かった。護送が遅れたのも、船の調達そのものの裏事情がからんでいたとも推理できる。

 護送船の手配を含めて、王府側が多忙を極めていたことも、護送日程がずれ込んだ要因の可能性が高い。

 琉球王府が万次郎ら土佐漂着民に配慮した思惑について、次のようにのべた。

 琉球人が乗った船が時化に遭い、黒潮にのって土佐沖に漂着した記録が18世紀に少なくても3回ある。1705年に80人(滞在5か月間)、1762年に50人(2か月間)、1795年に31人(逗留日数不明)が保護され滞在した。

 滞在期間の諸経費は現在の貨幣に換算して合計3億円に近いと考えられる。

 琉球人が土佐に漂着して保護されたことへの恩義を詠んだ琉歌がある。1762年 長嶺筑登之(チクドゥン)の琉歌である。

「白浜の真砂 よみやつくすとも 土佐の御恩せや さんやしらん」(白浜の真砂は数えることは出来ても、土佐の御恩義は数えることは出来ません)。

 土佐の万次郎たち3人を7か月間保護した琉球王府の支出した経費はどのくらいだったのか。資料がない。

琉球王府と土佐藩の“貸し借り”、恩、絆、縁(エニシ)の所以がここに見出すことができる。琉球王府は、万次郎たちの漂着の報を受けて、昔、受けた土佐藩への恩義、丁重なる持て成し、気遣いを優先させたことはいうまでもない。

 9月のジョン万サミットin沖縄と併せて開かれる「第10回沖縄ジョン万次郎講演会」では、高知で発行されている「土佐史談 中濱万次郎特集号」に沖縄から執筆した神谷良昌、當眞嗣吉両氏が講演することになっている。

 

ジョン万次郎に関する記事・・・沢村さんの沖縄通信より

沢村さんの沖縄通信 目次

カテゴリーから連続画像で見ることができます)

沢村さんのブログレキオ・島唄アッチャー 奥さんのブログレキオいくぼー日記 


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・森のこども祭、どのように

2015-05-15 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

森のこども祭、どのように     

                                         情報プラットフォーム、No.332、5月号、2015、掲載

 

  地域の名前を冠した「こども祭」は、今のところ、鏡川、潮江、仁淀川、物部川の4つがある。5番目は、高知城東側の丸の内緑地での「森のこど も祭」であり、さらに同所での「木のこども祭」(2015/5/10(日))を予定している。びっくりするほどに少ない経費で、どれも数千人のこ どもや父母・祖父母が参加する数少ない参加型・体験型のイベントとして定着してきたと言える。ここでは最低限の経費でも運営して行ける仕組みを説 明する。

  こども祭の特徴の第一は、ステージでこども文化を発信し、ものづくり・昔遊びなどの経験を積んで貰うことである。いの町波川公園での「仁淀川 こども祭」では、「川と河川敷でのこども遊び」、「水切り大会」と魅力的なイベントを盛り沢山にした。

 

  こども祭の第二の特徴は、地域ごとに開催の特徴を持ち、流域の交流促進を図ることである。多様性のある仁淀川流域だからこそ、流域市町村の” 元気”を持ち寄る「お国自慢大会」として、「うまいもの自慢大会」、「流域内の伝統文化・郷土芸能の発表」を加えた。潮江地区では防災は避けて通 れない課題である。「防災フェスティバル」の副題を付けた。

  こども祭の特徴の第三は、何れの「こども祭」も毎年開催するが、年一回と言わず、出来れば年二回も、そして何よりも続けることが前提である。 中枢となる実行委員会はその地域活動に詳しいグループ・個人で構成している。来年に引き継がれることが期待できるようにPTA、町内会、老人クラ ブ、趣味グループ、地域消防団などの地域活動の延長上で構成することを必須としている。「こども祭」を切っ掛けに、流域の(地域の)交流促進と活 性化を実現するための日常的な取り組みへと広がることを期待しているからである。

  こども祭の特徴の第四は、どちらかと言えば企画先行であり、資金調達が後である。例え公的資金の支給がなくても、実施できる自己完結方式であ る。テントは出店(展)者が決められた場所に自分で設置し、熱源、ごみ処理も自分持ちとなる。売上の10%を原則として出展料とし、物づくり体験 などは無料である。なお、出展料は利益が計上できた時に納めて頂く仕組みである。ステージの準備、音響、出展(店)の配置、駐車場、トイレ、届出 業務などが企画者側の役目である。繰り返しになるが、公的基金などの獲得に最大限の努力はするが、例え基金が得られなくても遂行できる仕組みと なっている。

  「こども祭」を、何時、何処で開催するかを周知させることが成功の秘訣である。A4裏表のチラシを要所へ配布することから始まる。関連地域に 関わる情報を掲載したA4 or A3三つ折りの広報誌を年4回程度の発行している。「鏡川の情報誌<いろいろかいろ>」、「クリーングリーン物部川<どんぶらこ>」、「森のネットワー ク」などである。これらには広告欄を設け、広報の発行・配布経費に充当している。

  情報交流館(香美市)や月見山こどもの森(香南市)では、毎日が「森のこども祭」、「木のこども祭」と名付けても良い活動をしている。要請があれば小学校等へ「一日派遣先生」で職員が出向いている。また、情報交流館ネットワークの役員が音頭を取り、その地域の多くの団体と連携して進める「各地のこ ども祭」は、箱物ではない「森や木の体験館」と位置づけることが出来る。各地域の「こども祭実行委員会」は順次、指定管理の委託を受けた情報交流 館ネットワークの加盟団体の一つとして運営の一角を担っている。

  本年は「森の検定こうち」に活動範囲を広げる予定で、その中の一つが「夏休みの自由研究~森の仲間が応援します」である。熱心な先生からの、 関心の高い両親からの、宿題を考える子供からの、要望に応えられるように、子供達への多面的な接近を心掛けている

 

ご感想、ご意見、耳寄りな情報をお聞かせ下さい。

鈴木朝夫  s-tomoo@diary.ocn.ne.jp 

〒718-0054 高知県香美市土佐山田町植718     Tel 0887-52-5154、

携帯 090-3461-6571 

 こども祭

 鈴木朝夫のブログ「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~現在に至る

 鈴木朝夫の講演・出版の記録 目次

こんな祝う会も・・・鈴木朝夫先生の叙勲を祝う会