土佐の高知にありがとう(Ⅶ)、故郷
No.177,高知ファンクラブ,1(2017)
ふるさとは何処 (記:2001/3/21)
娘が小学生の頃、「〇〇チャンはいいな。おじいちゃん、おばあちゃんの居る沖縄に行くんだって。旅行が出来ていいな。葉子のおじいちゃん、おばあちゃんの家はどうして青山(東京)や我孫子(千葉)なの」、「〇〇君のおじいちゃんは山形だって」と、自分は頻繁に両方のおじいちゃんの家に行けるのを棚に上げて、嘆いていました。東京ほど住み良いところはないと思って40年、首都圏以外に住むことなぞ考えても見ませんでした。
高知に工科系大学を創るので、審議に参加して欲しいと末松安晴さんに頼まれたのが始まりです。末松さんとは東京工業大学の同級生です。また東工大での最後の2年間、彼は学長、私は工学部評議員として大学院重点化を推進してきた間柄です。いくら大学進学率が高くなっても、少子化に向かうこの時代に、しかも地方の高知で、今更何を考えているのだろうと思いました。足摺岬と室戸岬の区別も付かないほど、四国についての知識は持ち合わせていませんでした。しかし、私の東京中心の考え方を改めるには何も要らず、橋本大二郎知事にお会いするだけで十分でした。産業の誘致やリゾート開発ではなく、人材の輩出が必要であり、情報の発信源となって活性化を計るべきが、彼の持論でした。
定年後の北海道大学の話に、ちえ子は札幌ならと言って自分の仕事を辞めてしまいました。その時はその延長上で高知に住むことになるとは考えもしませんでした。工科系大学設立策定委員会の度に、新千歳空港から羽田で乗り換えて、高知空港へと飛びました。
この北海道で、地方の置かれた厳しさを始めて知ったのです。活性化を試みても上手く進まない現実を見てきました。企業誘致にも、リゾート開発にも、特産品作りにも、逆風が吹き始めていました。内地の人々が北海道に憧れる理由を、北海道の人は理解していないのです。吹雪に遭遇しても、流氷に閉じ込められても、観光客は大喜びなのです。クラーク博士の大志を探しましたが、当時の北大には見つかりません。権威主義、保守主義の塊に見えます。伝統は死守するものであり、創り続けるものとは思っていないようです。
これらの経験は、新しいものを創り出す上での、大きな参考になりました。固定観念を捨て去ることから始めなければならないことを教えてくれました。固定観念はかなりの強敵で、ゲリラのように何時、何処に現れるか分かりません。それを見分けるのもまた大変です。背広を着て普通の顔をしています。
高知工科大学に関わってからは、神経をすり減らす毎日になりました。ちえ子は私の愚痴と憤りの聞き役に徹してくれました。「王様の耳はロバの耳」と言っても心配のない大木の洞穴になってくれたのでした。そんなことがあり、あんなことがあったと色々と思い出します。しかし、結論はただ一つ。「素晴らしい一期生を送り出すことができた」です。
孫の樹ちゃんは「おじいちゃん、夏休みには高知に行くからね。また、アンパンマン・ミュージアムに行こうね」と言ってくれます。「樹ちゃんはいいな。おじいちゃんは高知にいるの」と友達を羨ましがらせているのかも知れません。「ふるさと」を持たなかった私が、憧れの「ふるさと」を持てるようになったのは、高知の方々のお陰であると思っています。
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