高知ファンクラブ

“高知をもっと元気にする”ボランティア集団、「高知ファンクラブ」の仲間が発信するブログです。

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅶ)、故郷

2017-01-30 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

土佐の高知にありがとう(Ⅶ)、故郷             

                                                       No.177,高知ファンクラブ,1(2017)

ふるさとは何処    (記:2001/3/21)

  娘が小学生の頃、「〇〇チャンはいいな。おじいちゃん、おばあちゃんの居る沖縄に行くんだって。旅行が出来ていいな。葉子のおじいちゃん、おばあちゃんの家はどうして青山(東京)や我孫子(千葉)なの」、「〇〇君のおじいちゃんは山形だって」と、自分は頻繁に両方のおじいちゃんの家に行けるのを棚に上げて、嘆いていました。東京ほど住み良いところはないと思って40年、首都圏以外に住むことなぞ考えても見ませんでした。

 高知に工科系大学を創るので、審議に参加して欲しいと末松安晴さんに頼まれたのが始まりです。末松さんとは東京工業大学の同級生です。また東工大での最後の2年間、彼は学長、私は工学部評議員として大学院重点化を推進してきた間柄です。いくら大学進学率が高くなっても、少子化に向かうこの時代に、しかも地方の高知で、今更何を考えているのだろうと思いました。足摺岬と室戸岬の区別も付かないほど、四国についての知識は持ち合わせていませんでした。しかし、私の東京中心の考え方を改めるには何も要らず、橋本大二郎知事にお会いするだけで十分でした。産業の誘致やリゾート開発ではなく、人材の輩出が必要であり、情報の発信源となって活性化を計るべきが、彼の持論でした。

 定年後の北海道大学の話に、ちえ子は札幌ならと言って自分の仕事を辞めてしまいました。その時はその延長上で高知に住むことになるとは考えもしませんでした。工科系大学設立策定委員会の度に、新千歳空港から羽田で乗り換えて、高知空港へと飛びました。

 この北海道で、地方の置かれた厳しさを始めて知ったのです。活性化を試みても上手く進まない現実を見てきました。企業誘致にも、リゾート開発にも、特産品作りにも、逆風が吹き始めていました。内地の人々が北海道に憧れる理由を、北海道の人は理解していないのです。吹雪に遭遇しても、流氷に閉じ込められても、観光客は大喜びなのです。クラーク博士の大志を探しましたが、当時の北大には見つかりません。権威主義、保守主義の塊に見えます。伝統は死守するものであり、創り続けるものとは思っていないようです。

 これらの経験は、新しいものを創り出す上での、大きな参考になりました。固定観念を捨て去ることから始めなければならないことを教えてくれました。固定観念はかなりの強敵で、ゲリラのように何時、何処に現れるか分かりません。それを見分けるのもまた大変です。背広を着て普通の顔をしています。

 高知工科大学に関わってからは、神経をすり減らす毎日になりました。ちえ子は私の愚痴と憤りの聞き役に徹してくれました。「王様の耳はロバの耳」と言っても心配のない大木の洞穴になってくれたのでした。そんなことがあり、あんなことがあったと色々と思い出します。しかし、結論はただ一つ。「素晴らしい一期生を送り出すことができた」です。

 孫の樹ちゃんは「おじいちゃん、夏休みには高知に行くからね。また、アンパンマン・ミュージアムに行こうね」と言ってくれます。「樹ちゃんはいいな。おじいちゃんは高知にいるの」と友達を羨ましがらせているのかも知れません。「ふるさと」を持たなかった私が、憧れの「ふるさと」を持てるようになったのは、高知の方々のお陰であると思っています。

 

註:メールアドレスが変更になっています。s-tomoo@gol.comです。御感想、ご意見、耳よりな情報をお聞かせください。鈴木朝夫 

〒718-0054 高知県香美市土佐山田町植718     Tel 0887-52-5154、

携帯 090-3461-6571   

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・物部川流域から新春のお慶びを申し上げます

2017-01-30 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

物部川流域から新春のお慶びを申し上げます     

                                                      No.176,高知ファンクラブ,1(2017)

  高知では年の瀬から年頭に掛けて快晴が続いていました。北の山々が見事に輝いていました。西寄りの工石山・三辻山から右に目を移せば、北山スカイラインの奥に笹ヶ峰、国見山が続いています。国道32号とJR土讃線、そして穴内川の沢筋が通る山の切れ目を過ぎると、風車のある甫喜ヶ峰の後方に聳える梶が森、鉢が森の山塊が、東寄りに特徴的な山容の御在所山を従えて見えてきます。物部川流域の谷筋を越えて、秋葉山から三宝山までの山々が、普段よりもくっきりと見えています。

 元旦の高知新聞では、「高知の川 よみがえる」、「水質40年で劇的改善」の見出しが一面を飾っています。20年前、高知に住み始めた頃は、「日本最後の清流」として四万十川の水質だけが高知の自慢だったように思われます。上流から下流に向けて、20を超える欄干のない沈下橋を注意しながら渡ったことがあります。源流とされる不入山や鶴松森にも行きました。今の四万十町窪川や大正では枝打ち作業を体験し、間伐作業を見学しました。

最近、「奇跡の清流 仁淀ブルー」として仁淀川が有名になっています。仁淀川との関わりは桜でした。仁淀川町桜地区の「ひょうたん桜」と、限界集落の名称のきっかけを作った佐川町尾川地区の「稚木の桜」の種が2008年11月に8ヶ月にわたる宇宙旅行から帰ってきました。今年も春には、高知の宇宙桜は、県内外で咲き誇ってくれるはずです。鏡川では山内神社境内に、物部川ではアンパンマン・ミュージアムの上にある香北自然公園に、遠くでは東京都多摩市の多摩川近くの桜が丘公園などに移植されています。

 宇宙桜の種を拾い集めたのはそれぞれの地域の小学生たちです。子供たちが元気に育って欲しいと河川を中心に、山・森・里に触れる機会を増やしながら、家族との触れ合いも密にと願って、「鏡川こども祭」、「潮江こども祭」、「仁淀川こども祭」、「物部川こども祭」を年ごとに順次増やしてきました。その流域で様々な活動をされている方々のご協力を仰ぎました。テーマの一つとして必ず加えたのは自主防災の意識の高揚でした。

申年の昨年は多くの区切りを迎えた年でした。まず12×7=84歳を迎え、始めての四国(高知)に住んで20年目を迎えました。そして、県産業振興センターの月刊誌、情報プラットフォーム(No.176、5(2002))に、エッセイ「ぷらっとウオーク」の第1回を投稿してから14年目になりました。昨年末の最終号(No.351、12(2016))に掲載のエッセイで175回(351-176=175)になります。長い間、ご愛読を頂いたことに厚く御礼申し上げます。第176回からはブログとして続けることにします。「土佐の高知にありがとう」シリーズもその中に含まれます。ブログは「高知ファンクラブ、鈴木朝夫」のキーワードで出てきます。御感想、ご意見、耳寄りな情報をお送りください。私のアドレスはs-tomoo@gol.comです。

  酉年の今年、高知の鳥の種類は沢山あります。県鳥のヤイロチョウ、オナガドリ、そして軍鶏(しゃも)、ハチキン地鶏、土佐ジロウ、プチコッコなど多彩で、賑やかです。干支で言えば「丁酉」(ひのと・とり)ですが、この組み合わせは「相剋」、すなわち片方が片方を弱める意味があると出ています。「結果の見えた確定値」と「期待値のある将来性」の何れかのようです。世界の情勢を眺めていると、このように揺れ動いているように思われます。 

 

註:メールアドレスが変更になっています。s-tomoo@gol.comです。御感想、ご意見、耳よりな情報をお聞かせください。鈴木朝夫 

〒718-0054 高知県香美市土佐山田町植718     Tel 0887-52-5154、

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )