高知ファンクラブ

“高知をもっと元気にする”ボランティア集団、「高知ファンクラブ」の仲間が発信するブログです。

営業日のご案内(美味だし家)

2018-05-02 | 美味だし家からの情報

 営業日のご案内(美味びみだし家) 

 昼は 月~土曜日まで毎日やってます  営業時間 11時~14時です。

  (定休日は 日曜日 

夜の営業日 

☆ 毎週金・土夜も営業(18時~22時)しています。 予約してなくても気軽にお越しください。 

☆ これ以外は、夜の予約をいただいた日のみ営業いたします。 お気軽に連絡ください。 

   連絡先:080-3212-9735   (営業する夜は、どなたでも気軽にどうぞ!)

2018年 8 夜も営業する日 (18時~22時

    8月  3日(金)、  4日(土)

    8月  10日(金)、  11日(土)

    8月  17日(金)、  18日(土)

    8月  24日(金)、  25日(土)

    8月  31日(金)、9月  1日(土)  

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・我が家のスキーと登山の思い出 ④

2018-04-15 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

我が家のスキーと登山の思い出 ④     

                                                                          高知ファンクラブ、No.191,4 (2018)

バードウオッチング

 最初は、国土地理院の五万分の一の地図上に、自分の歩いた経路に、赤い線を引くことを、最大の目的とし、楽しみとする登山だった。高山植物など有名なものは別として、そこに普通にある樹木や山野草や菌類、その山に生息する動物などに、特別の興味や関心を持つことはなかった。

 札幌に住んでからすぐに、ちえ子が「バードウオッチングの会」に入会した。8倍の双眼鏡を首から下げて、仲間と頻繁に出掛けるようになっていた。これだけ多くの登山経験にも関らず、全く知らないことも多い。知らなくても、良く聞けば沢山の心当たりがある。ちえ子の話を補強する話題はたくさん持っていた。誘われて私も双眼鏡を求め、会のイベントに参加するようになっていた。その時はリーダーにぴったりと付いて歩くのが常だった。鳥だけではなく、生き物の兆候を直ぐに知ることができるし、質問や疑問のチャンスも増えるからである。そして、足跡、糞、ペリットなどから、動物を想定できるようになっていた。

 木の先端に止まり、ツーピーと縄張り宣言をしている鳥を、人に示すことは容易である。しかし、小枝の一つに止まっている鳥を探すのは大変である。鳥の居る場所を人に教えることも、居る場所を教わることも大変である。自分で探すしか方法はないのである。漠然と眺めている視野の中に、黒い動きを感じて、その先を見れば鳥が止まっているのである。流れ星の観察と似ている。焦点を定めずに、視野を全体に広げて待つ態度である。

 「結婚して以来、あなたの趣味に全て引き込まれて来たのよ。登山も、スキーも、テニスも。今度は私の開拓した趣味に引き込んだつもりだったのに、もう横取りしてしまって」とちえ子が嘆くようになるのに、多くの時間は不要だった。短時間で鳥や、獣の気配を感じる名人になっていた。

 高知に住んだことで、「森ときのこを愛する会」に入会し、様々なきのこで山盛りのきのこ鍋を楽しんでいる。これだけ沢山の登山をしたのに、何も見ていなかったことを悔やんでいる。

2001年のゴールデンウイークは

元日には、猪野沢温泉の今戸さんが、大勢集まる正月の渓鬼荘の席に呼んでくださった。6日の夕方には、車庫の梁に七草粥が依光美代子のお名前付きで吊るしてあった。きのこの会で親しくさせて頂いている。2月の休日には、山田の駅前通りの美容院の尾立さんご夫妻の誘いで、剣山の手前の次郎笈まで登った。その夕方には駅前で反省会が開かれた。とても楽しい一日であった。樹木診断の講習会で知り合った南国市八京の湯浅さんが、近くの梅林を案内して下さり、そして奥様の手作りの昼食を頂いた。

 「森ときのこを愛する会」のイベントには、きのこ鍋が美味しいので、積極的に参加している。「森の音楽会」での企画も順調に進んでいるおり、この一年間のスケジュールを決めることができた。高知工科大学の新設に際して、林業関連の県の公設研究機関が物部川の対岸に移転した。それに併設されたのが、県民の地域活動を支援する役割を持たせたのが「森の情報交流館」である。これの有効活用の一事例として「森の音楽会」を企画したのである。                                  

昨年暮れに(2001年12月16日)家内のちえ子を失った私を、皆さんが、地域の方々が心配して下さっていることが良く判る。でも、集まりが楽しければ楽しいほど、電気の付いていない暗い我が家に、誰も居ない部屋に帰り着いても、寂しさが倍増してくる。

 連休後半の明日(5月3日)は、きのこを愛する会の仲間たちと伊予富士に登り、木の香温泉で汗を流し、一泊してコツ酒を飲む予定である。朝6時20分に近くに住む斉藤さんが我が家にピックアップに来てくれる。先ほどまで降っていた土砂降りは終わっている。明日は良い天気に。

 山は霧雨、登山は中止。林道をドライブ。早めに木の香温泉へ。駐車場の隅にコンロを設営して、イワナ・アメゴ焼き。夕食後に、これを浸したコツ酒を試飲。翌日は稲叢山に登山、満開のあけぼのツツジを胆嚢できた。

 5日(土)は11;00にお迎えがあり、猪野沢温泉へ。渓鬼荘で織物作家の山田裕司さんを励ます会に出席。夕方には門馬義雄先生のお宅へ。奥様の手料理をご馳走になった。

 6日(日)が残っているのが大助かりであった。のんびりと過ごせた連休最後の日だった。

クロスカントリー・スキー

 我々が札幌に住むようになって、クロスカントリーの仲間達がやって来た。裏磐梯・国民休暇村、日光高徳牧場などを選び、皆でクロスカントリーを楽しむグループである。今年は札幌を選んだ。大倉山シャンツェで開かれるシーズン最後のジャンプ大会の観戦から始まる。全員、ジャンプの実際を見るのは初めてである。

 皆で昼食を済ましてから、ビルの谷間にある中島公園へ向かう。無料の貸し出しスキーがあるからである。次の日は、我が家近くの真駒内公園でスキーの後、我が家でちえ子の手料理で歓談、三日目はすずらん公園でクロスカントリー・スキーを楽しんだ。ジャンプとクロカン・スキーの複合競技を楽しんだのである。

註:この部分は「クロカン・スキー」として(情報プラットフォーム、No.225、6 (2006))に掲載したものの要約である。

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・我が家のスキーと登山の思い出 ③

2018-04-15 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

我が家のスキーと登山の思い出 ③     

                                                                                 高知ファンクラブ、No.190,3 (2018)

槍ヶ岳、初めての登山

本格的な登山にちえ子を誘ったのは、夏山シーズンも終わりに近い9月初頭の北アルプ

スである。裏銀座である。上高地から大滝山へ。大滝小屋はその季節にしては混み合っていた上に、夜半からはトイレに行くのも怖い大荒れの天気になっていた。翌朝は風雨も収まったが、蝶が岳から常念岳への縦走中は、視界が全く利かなかった。彼女のペースに合わせてゆっくりと歩く。槍ヶ岳の頂上がこの辺に見える筈と、見上げるような位置を指さすと「そんなに高いの。嘘だ」と半信半疑のちえ子である。

 突然、霧に動きが出て来る。指さした先に、槍ヶ岳の黒い山肌がチョット見え、また隠れる。やがて全貌が見えて来た。感動的だった。「あなたが自慢することではないでしょ」と言われながらも、あれが穂高、槍の隣は南岳と、興奮気味に説明をする。

大天井岳の山小屋が今日の目的地である。翌朝は快晴であるが、夜半に降った雪がうっすらと山全体を覆っている。昨日の山なってと今日の山は全くの別物である。慎重に雪の上に足跡を残しながら、縦走を続け燕岳から下山。その日は中房温泉でゆっくりと体を休めた。これ以来、ちえ子は山の魅力の虜になってしまったようである。最初の山行で、辛い目に遭うこともなく、山の気象の大部分を経験できたと言っても良い山行だった。

何度でも富士山、何度でも

「一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」の諺があるが、富士山には、ほぼ3年に1度の割で

4回も登っている。富士登山を経験した留学生が卒業してしまうと、また、新しく入学して来た留学生達を中心として、鈴木研究室の学生を富士登山に誘っていた。韓国や中国を始めとする20人に近い留学生を、一度は登る「利口」にした勘定になっている。帰国した留学生達は日本の最高峰・富士山に登ったことを自慢にしている。国外でも、大いに羨ましがられ、尊敬されていると聞く。ちえ子と子供達は、異なるルートで、2度も富士登山に付き合って呉れた。

尾瀬ヶ原の山小屋

 「夕食の時にはスカートが要るでしょう。着替えはどうなるのかな」と準備に一生懸命である。「日数分だけの下着を持って行き、毎日着替える気なの。濡れた下着を持ち歩くことになるよ。登山のときに着替えは予備の下着の一組だけで十分。それに何故、登山にスカートが要るの」と反対する。家族4人で尾瀬に行く前日である。

 我々山仲間では、「荷物は可能な限り軽く、しかし必要なものはすべて持っている」を原則としている。複数の機能を持つ道具や衣服を工夫し、その出来映えをテントの中で自慢するのが、そしてそれを称賛する、賛美するのがしきたりであった。安全な登山のあるべき姿を創り出す原動力となればと思っている。

 至仏山に登り,尾瀬ヶ原を横切り、山小屋に着いた。「今晩、4人、お願いします」に対して、小屋の主は我々を上から下まで眺めて「あんた達、至仏山に登ってきただろう。靴の泥を落として入って」と言われて吃驚した。ここは山小屋なのに。

 夕食時間になり、食堂に出て見入ると、雰囲気はホテルのレストランである。女性の大部分がロングスカートで、登山のままのスタイルは、我々だけである。「貴方の登山はもう時代遅れになっているのが判らなの」と責められた。立派な浴室があり、トイレは水洗に変わっていた。今から20年も前の話である。現時点ではどうなっているだろうか。

最上階からの眺め、札幌と高知

高知に来る前に、3年間住んだ札幌での住まいは、地下鉄の自衛隊前駅の道路を隔てた駅前だった。次は終点の真駒内である。我が家の真下は、雪まつりの時の第2会場になる自衛隊真駒内基地である。駅から坂道の多い賃貸住宅は避けることにした。最上階の10階だったので、360度の展望が可能である。ここから見える山を全て登ろうと決心した。

 藻岩山はルートを変えて何回も登った。その時、山続きの硬石山にも登って来た、札幌岳、空沼岳、恵庭岳、樽前山とその横に並ぶ風不死岳にも登った。さらに北側の窓から遠くに見える暑寒別の山々にも行った。また、家からは見えないが大雪山系の旭岳や十勝岳にも、そして利尻富士にも登った。ちえ子も2、3の山を除いて一緒だった。

余談になるが、九州、屋久島の宮之浦岳の登山は、数回も試みたが何れも豪雨に遭遇し、引き返している。「一年に400日、雨が降る」と言われる原則を体験したのである。

 高知でも、最初は市内のマンションの最上階の11階に住んだ。南に竹林寺のある五台山と浦戸湾を挿んでの筆山、北には北山スカイラインが見える。もちろん北山は縦走した。登るべきは、四国の背中の山々である。千本山、剣山、次郎笈、三嶺、御在所山、矢筈山、梶が森、奥工石山、大座礼山、寒風山、伊予富士、稲叢山、横倉山、鶴松森、天狗高原などに登った。私にとって、剣山は深田久弥の選んだ日本百名山の中の60番目の山となった。

 新旧の地層が混ざり合い、植物の種類の豊富な横倉山は牧野富太郎の研究フィールドだった。横倉山も、その登山口にある「自然の森博物館」にも、何度も行った。大座礼山の尾根筋にある巨木のブナ林には感激した。登るにつれて照葉樹林から落葉樹林帯に変わるのが西日本の山の特徴と言える。稲叢山のあけぼのつつじが見事だった。

 鶴松森は四万十川の源流であるが、もう一つの源流、自然林の不入山にも行く必要がある。

吉野川の源流の瓶ケ森、そして四国最高峰の石鎚山にはぜひとも行く必要がある。

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・我が家のスキーと登山の思い出

2018-03-25 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

我が家のスキーと登山の思い出

                                                                            高知ファンクラブ、No.188,1(2018)

 スキーと登山に熱中していた若き時代の物語である。新妻を始めとして、息子と娘、研究室の学生達を、夏は登山、冬はスキーツアーに誘い込んだ。

雪の裏磐梯

 スキーリフトを降りると、ちえ子は上で私を待っている。ここでもそれなりの景色が楽しめるが、長靴やスノーブーツで来ている大勢の観光客はここ止まりである。リフトを降りた場所から山の向こう側は見ることはできない。ストックを押しながら目の前の小高い丘を登る。5分程で丘の頂上に出れば、志賀高原の360度の展望が開けている。「あの人達、この景色が見られないのね。スキーができて良かったな」と感激している。「あなたの趣味に強引に引き込まれた」と常々言っているちえ子だが、スキーに引き込んだことを感謝しているのだと思える瞬間だった。

 結婚式を挙げたのは3月21日である。ちえ子は3年間クラス担任として面倒を見た生徒達の卒業式を終えて、名古屋から東京に戻って来たのである。新婚旅行は誰も行かないところを条件にして、会津・裏磐梯を選んだ。当時は、この季節ならば宮崎や鹿児島と相場が決まっていた。「特急ばんだい」のグリーン車は私たちの専用車両だった。新しくモダンな裏磐梯高原ホテルでは特別室に泊まることができたのである。

 五色沼巡りを深い雪に長靴を取られながら楽しんだ。ゲレンデでは、最初はソリ遊びだったが、新妻にとっては、初めてのスキーに誘ってしまったのである。シーズンも終わりに近く、人影も疎らなゲレンデではあるが、ずいぶん無茶なことをしたと思っている。

ヘリコプターでの積丹岳

4月半ばから一か月間、土曜と日曜ごとに、積丹岳のヘリコプター・スキーがある。定員は30人である。申込のメンバーは、朝夫・ちえ子、娘(葉子)と婿、それに北大の寺田君の5人である。娘夫婦はスキー・インストラクターのプロ(SIA)である。

国道脇のドライブインが集合場所で、ヘリの出発点でもある。快晴の空に10人程を乗せ

て山腹を這うように飛び、山頂から一段下がった平らな場所に着陸する。山頂までは雪上車が何回でも運んでくれる。先に滑り降りて、戻って来る雪上車を待つ。下に一段滑り降りれば、もう一台の雪上車が上段に戻して呉れる。標高が高いのでターンする度にスキーのテールから雪煙が上がる最高の雪質である。参加者の皆はさすがに上手である。昼食はコンロを埋め込んだ雪のテーブルに、段ボールを敷いた雪のベンチでのジンギスカン料理である。ビールがないのが残念である。

 パウダースノーを満喫した午後3時、「自信のない人から順次下山を始めて下さい」と告げられる。心配性のちえ子に促されて下山を始めた。追い越していく人が沢山いる。標高が下がるに従って、重たい雪に変わっていく。ゲレンデのようには滑れない雪質である。ちえ子はボーゲンが得意で、スキーツアーの経験も豊富である。転んでいる人々を尻目に優雅にゆっくりと滑っている。雪の消えたところにマイクロバスが待っている。「奥さん、お上手ですね」と一旦は追い越されたが、結局は後で追い越してきた人に言われている。

家族スキーは池の平

 中野和和夫先生のご家族4人と我が家の4人で池の平へスキーに行くのが恒例になっていた。国家公務員共済が定宿である。国道18号線を北へ、2台の車が連れ立って走っていた。このスキー旅行は10年以上に亘って続いたのである。先生の弟さんご一家の3人とお会いするのは、この時、年1回だけである。

 妙高山の西面にある杉の沢ゲレンデから、南面の池の平スキー場までのツアーを計画した。全員が2台に分乗してツアーの出発点に。全員を降ろして2台で戻り、1台を池の平の宿に置き、1台で杉の沢に再度向かう。合流した後、リフトで頂上に向かい、全員でツアーの開始である。池の平に戻って来たら、2人で車を取りに向かう段取りである。沢山ある懐かしい思い出の一つである。

 中野先生は東工大山岳部の、私がワンダーフォーゲル部の顧問をしている。それぞれが学生時代からの山男である。中野さんの奥様がどの様に考えていたか不明であるが、「私はあなたの趣味に強引に引き込まれた」とちえ子は良く言っていた。

 帰りは決まって大渋滞に引っ掛かった。上田、軽井沢を過ぎ、安中あたりから最悪になる。娘たちは車の窓からの走り書きのビラでの意思の疎通を楽しんでいた。

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・我が家のスキーと登山の思い出(続)

2018-03-25 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

我が家のスキーと登山の思い出(続)

                                                                               高知ファンクラブ、No.189、2(2018)

鳥海山と「お見合い」

 ようやくギブスが取れた5月中旬に、「お見合い」の話が持ち上がった。まだまだ結婚する気はなかったのだが、怪我の所為で少し気が弱くなっていたらしい。お見合いの場所は青山通り、でもかき氷の旗が出ている団子屋さんである。この時、ちえ子さんは東京女子大学を卒業し、すぐに名古屋の金城学院中学に就職し、英語を教えていた。両親の居る東京を離れて、縁もゆかりもない名古屋に赴任するとは、勇気のある、変わった女の子だなと思った。

 鳥海山に向かったのは3月上旬である。いつもの山仲間の2人と一緒である。羽越本線の吹浦駅で降りて山と反対側の海に向かった。登山靴を海水で濡らすためである。海抜ゼロから2236mまでの登山である。無人の営林署の小屋に一泊する。快晴の翌朝、スキーを横に乗せたザックを肩に、快調に頂上を目指す。この山域に居るのは我々3人だけである。頂上では何時ものように、握手をして「ありがとう」を交換する。山が許してくれたから、この仲間と巡り合えて一緒に協力したから、頂上に立てたのだの思いがこの握手には込められている。「山を征服した」は我々の感覚ではない。

 雪質の変化するところで、足を取られ不覚にも転倒した。捻挫したと思った。これからの降りが思いやられるな、片足加重の斜滑降だけで降りられるだろうかなどと、咄嗟に考えた。雪の消えるところまで来て、先に降りた仲間が呼んでくれたタクシーで駅に向かう。夜行列車で上野に戻り、母に電話を掛けて、病院に直行。くるぶしの骨折だった。仲間は返す刀でもう一山と言って途中下車して行った。

 「あの時、足を折らなかったら、まだ結婚する気になっていなかっただろうね。あなたとの出会いもなかったと思うよ」と言うような話をすると、ちえ子は「そんなこと言う必要のないことでしょう」と不機嫌になっていた。

ツエルマットからのマッターホルン

 金属間化合物の国際会議がスイスのヌシャテルで開かれた。会議に出席する前にツエルマットで3泊した。快晴の中、ゆったりとスキーを楽しむことができた。マッターホルンを背にしての滑りは最高である。尾根の向こうのイタリア側へ滑り込みたい衝動に駆られる。ゲレンデからも、街角の家々の間からも、ホテルの窓からも、見上げるような位置にマッターホルンが見える。ちえ子は「何処に行っても付いてくる。私達を見張っているようで、気に入らないね」と贅沢なことを言っている。私は10年ほど前にここに来ているが、見ることが出来なかったのである。

 料金を乗った回数で割って、1日券の元を取ったかを確かめる。スイスのスキー場、ツエルマットで3日券を購入した。スイス・フランをドルへ、ドルを円に換算、それを乗った回数で割るような暗算は、すぐにはできない。

 100人が定員のロープウェイに乗る。乗客が首から下げている搭乗券のほとんどが、写真付きで週単位が多い。有効期間3日以上にでは顔写真が必要になる。豪華な3日間のリフト券の筈であったのだが。ゲレンデの中のプチホテル前を滑り過ぎると、「あの年配のご夫婦はさっきからデッキチェアに座ったままだよ」とちえ子が気にしている。「あの夫婦は割り算などしないだろう」と答える。

 国際会議の受付を済ますと、旧知のアメリカ人研究者が声を掛けてきた。「スイスに何時来ましたか」、「ツエルマットやグリンデルワルトのスキー場はどうでしたか」と矢継ぎ早の質問攻めである。「スキーヤーのほとんどは1週間、2週間など、週単位の搭乗券が多いので吃驚しました」に対して、「その連中の違いに気が付きましたか」とジョークを思いついた顔つきで攻めてくる。「1週間はドイツ人、2週間はアメリカ人、3週間はフランス人だよ」と来る。「日本人は3日だね」とお返しをする。でも、ゲレンデで出会った日本人スキーヤーは「3日も滑るのですか。羨ましいな」と言っていたのである。

スキー学科卒の葉子

 採用試験の解禁日が近づく頃、「大手町や丸の内のオフィス街のと非yか敷いていたOLになりたいのだったら、どこが良いか言ってご覧。恥を忍んで大手の企業に頼みに行っても良いよ」と娘に尋ねた。「ありがとう。でも、スキーのインストラクターなりたいの」が彼女の答えだった。

葉子は甲子園に応援に行けるような高校が良いといって、桜美林高校を選んだ。入学した年の夏に西東京代表になったのである。桜美林大学に進学したが、専門はスキー学部スキー学科であり、クラブ活動が英米文学科だったと言った方が適切に思われる。「パパの教えてくれたスキーは全部インチキだよ」が初めてのスキー合宿から帰って来た時の報告であった。おむつが取れる前には肩車で滑り、その後は股の間に挟んで滑ったのである。

志賀高原や裏磐梯猫魔でのSIA(日本スキー教師連盟)のスキースクールでの冬の生活が始まった。「全くの季節労働者だね」と冷やかしていた。ちえ子と2人でスキーを担いで仕事ぶりを見に行ったものである。

偶然ではあるが、ちえ子の母の従兄弟の天野誠一さんがSIAの会長だった。「そんな偉い人が親戚に居るなど信じられない」が葉子の口癖であった。

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

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美味だし家の こだわりの仁井田米とほうじ茶

2018-02-19 | 美味だし家からの情報

美味だし家の こだわりの仁井田米とほうじ茶

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今日は立春、牧野植物園のラン展を見に行きました

2018-02-04 | 美味だし家からの情報

今日は立春、日曜日は美味だし家の定休日

今日は立春ですが、風もあり寒い一日でした。

日曜日は美味だし家の定休日、家族6人で高知市立自由民権記念館の1階ホールで営業しているエムズプレイス(m`s place)で遅めのモーニング。

間隙をぬって同館2階の特別展示室で開催されている「子どもたちに伝えたい板垣退助」展(2017.10/7~2018.4/7)を見学。岐阜での演説会の帰り、男に襲われ、短刀で刺されたときの「板垣死すとも自由は死せず」は有名なセリフですが、この時使われた短刀が展示されており、6歳の孫が興味を示して、私を引っ張ってその場へ連れて行き、説明をすることに・・・

牧野植物園で開催中の ラン展(2018.2/3~25)へ

食事を済ませてから娘と孫は別行動で、私達 老夫婦は牧野植物園で開催中のラン展へ出かけました。

北風が吹くなかでしたが、本館からラン展会場の南館までゆっくり歩きながら、植物観察を楽しみました。今日は立春、春にまず咲く花のマンサクや、花びらが半透明で蠟(ろう)の様な色をしたロウバイの花を見つけ、当植物園のシンボル花でもあるバイカオウレンが花盛りでした。花の終わりを告げているクリスマスローズなど、四季折々の沢山の植物が楽しめる遊歩道です。

        春にまず咲く花のマンサク

期間限定ランカフェの前で、音楽演奏を楽しみました

温室の南館では恒例のラン展が開催中。2500株の国内外のランが展示されており、県内外の多くの観覧者でにぎわっていました。

二人が展示を観ながら進んでいると、期間限定ランカフェの前で音楽演奏の準備がされておりました。「楽器と花の醸す優雅な空間をお楽しみください」とのネライ通りに、ハーブ茶を飲みながらバイオリン奏者とギター奏者、様々な打楽器を奏でる3人の音楽演奏を楽しみました。フェアリーピッタ(Fairy Pitta)・斗賀野トリオのみなさんでした。

「花と香りの会場に彩を添える音楽演奏」と言うことで、

ラン展(2018.2/3~25会期中の土・日・祝日の①11時~ ②13時~、

フェアリーピッタ(Fairy Pitta)などの音楽演奏を楽しむことが出来ます。予約不要です。

あまりに楽しかったので、ラン展と、帰りに寄った企画展示室で開催(2017.12/7~2018.5/6)されている「ミヤンマー大紀行―碧き回廊をゆく」のポスターを、美味だし家の店内に貼って、皆様にも紹介させていただこうと、もらって帰りました。また、これもお店に置いて紹介できたら・・・と、バイカオウレンの可憐な花をコケ玉で植えている鉢を買って帰りました。

 

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美味だし家の主なメニューです

2018-01-30 | 美味だし家からの情報

美味だし家の主なメニュー 

 

 

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美味だし家の新メニュー ご紹介

2018-01-30 | 美味だし家からの情報

美味だし家の新メニュー ご紹介

 

 

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高知の 美味(bimi)だし家 で~す

2018-01-24 | 美味だし家からの情報

高知の 美味(bimi)だし家 ご案内

 

場所   高知市北川添2-28  2017年11月11日に 美味だし家 オープン

営業時間  月~木  11時~14時 (予約が入ったときのみ 夜も営業) 

          金・土 (夜も営業)  11時~14時、18時~21時

定休日  日曜日

連絡・予約先  080-3212-9735

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☆ 「だし」は料理の基本だからこそ、本物にこだわりたい! と 無添加 天然素材を使用 

毎日だし作りをしています! (だしは生きている)

 

 

 ☆ お客様から ”ご飯が美味しい!” の声が!!

   山あいの水田で作られた、こだわりの”仁井田米” を使用中です。

 四万十町(旧窪川町)でも、開かれた広い水田に比べ、山あいの水田は水が冷たくて収穫量は減るけれども、一段と美味しい仁井田米が出来るそうです。上流には人家もなく、清流と朝霧の立ち込める山あいで、丹精込めて作られたお米です。(生産農家さん撮影の画像です)

お米をお世話してくれた地元窪川の親戚(写真家)の撮影です。予約したお米は親戚の生産農家さんが、良い環境で保管してくれており、当面使う分だけ持ち帰り近くのコイン精米機で白米にしています。

 

☆ お茶が美味しい! いい香り!! の声を戴きます

 自園で、自家製。佐川町・「岡林製茶」さんの ”ほうじ茶” をお出ししています。

 佐川町・「岡林製茶」さんの茶園を訪問して

第一・第三日曜日、高知大丸東館・土佐藩前で店頭販売しています。

あたり一面いい香り!  店頭で、お茶を焙じながら販売しています。
高知の名物になっている風景の一つです。



高知県に5人の日本茶インストラクター。その二人が、奥さんとご主人の岡林さん。

TEL・FAX: 0889-22-9103 (高岡郡佐川町黒原1535) 岡林光冶

 

 ☆3年~5年漬けの自家製 ”梅干し” 

我家には、ばあばが天塩にかけ漬け込んだ大きな瓶が並んでいます。

瓶には漬込んだ年が貼り付けられています。

 

美味だし家の主なメニューです  営業日のご案内(美味だし家)  高知の 美味(bimi)だし家 で~す

美味だし家の新メニュー  四万十うなぎ   新メニュー&おつまみ  季節限定メニュー    

美味(bimi)だし家 facebook こちら→ http://www.facebook.com/bimidasi8/ 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・(ふわっと”92)25周年記念、酒と桜(3/3)

2017-12-10 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

(ふわっと”92)25周年記念、酒と桜(3/3)   

                                                                                 高知ファンクラブ、No.187,12(2017)

 今回、高知龍馬空港で、そして羽田空港で便を待つのは久しぶりである。月に平均3回ほどは空港に来ていたが、神経変性疾患(パーキンソン症候群)を発症してからは多くの公的な仕事を辞退させて頂き、この3年間、ほとんど県外に出ることがなくなっていた。高知空港では必ずと言っても良いほど知り合いの方にお会いしていたが、今回は搭乗者の中に知り合いは一人も現れなかった。リタイアした人も多くなったのではと想像した。帰りの羽田空港では有り余るほどの時間を、マイレージクラブのラウンジで一枝と二人でゆっくりと過ごしていた。離発着する航空機をガラス越しにぼんやりと眺めていた。車椅子での大旅行が無事に終ろうとしていた。

ラウンジの入口近くのボックスに日和崎三郎さんを見付けて吃驚した。彼は日和崎ホールディングス株式会社の社長さんである。しかも座席が5Kで、私たちの5H、5Jの隣の窓側である。二度目の吃驚である。不思議な因縁を感じる出来事である。今回の宇宙旅にも似た旅を、一大決心の旅を、締めくくるに最も相応しい出会いであると感じながら、日和崎さんとの最初の出会いを思い出していたのである。

高知工科大学を退職し、高知県産業振興センターでプロジェクト・マネージャーとして地域振興に関わろうとしていたときである。「地方の中小企業でも、宇宙のこと、そして国際宇宙ステーション利用を考えても良いらしい。何か我々でできるものはないだろうか」と日和崎さんが「地域宇宙利用推進」の要綱を携えて、産業振興センターを訪ねてきたのが出会いの発端である。私の机の後ろの壁には毛利衛宇宙飛行士と並んでいる私達の写真が飾ってあったのである。(註6)

「直ぐに役に立つことを前提にしては、アイデアは出ないこと、遊びごころで、楽しみながら、夢を追うことでなければ」と私の持論を述べたのである。(註3) そして、2002年10月10月に高知県宇宙利用推進研究会(会長;鈴木朝夫、幹事;日和崎三郎)が発足し、ニックネームを「てんくろうの会(天喰郎の会)」としたのである。多岐にわたる活動に対応するために幾つかの分科会を設けた。

先行したのは「ノアの箱舟構想(微生物宇宙旅行計画)」であった。先ずは、高知の代表として土佐酒の酵母菌が主役に抜擢された。技術的な検討はそれとして、県内の18の蔵元の一体化、「土佐宇宙酒」の商標登録の先取り、ロシアとの交渉・契約、風評被害の予防・克服のような付随的な問題解決が急務であり、これらが「転苦労」の始まりである。(註6)

宇宙から帰還した酒造好適米の種籾は輸入と見なされ、植物検疫上から持ち込みが不可能であるとの指摘を受けたのである。助命の努力も空しく密封のガラス管を煮沸しなければならなかった。査読のクレームは「文章中に出て来る人名が多すぎる」であった。全6頁に記した人数は40名を越えていたのである。我々の回答は「この研究の重点は『ビジネスモデルの構築』であり、更に1名を追加したい」としたのである。酵母菌などを含む高知の方舟を搭載したソユーズは、2005年10月1日にバイコヌール基地から打ち上げられ、10月11日に地球に帰還した。2回目の実験は2006年3月に行われた。2006年4月、各蔵元から一斉に土佐宇宙酒が売り出された。(註6),(註7)

 有人宇宙システムの長谷川洋一さんが、桜の話を持って高知に現れたのは2008年4月である。北海道から沖縄までの巨樹・古木の桜を探していた。高知からの候補は樹齢600年とされる仁淀川町桜地区のひょうたん桜であった。高知の桜ならば、植物学の牧野富太郎にゆかりの桜が欲しいと感じていた。それが佐川町尾川地区の稚木の桜である。花が咲くまでに実生から始まって普通は4~5年は掛かるところ、この桜は1年目から花を咲かせるとのことである。宇宙桜で一番先に開花することを売りとしたのである。打ち上げは、2008年11月15日であるが、若田光一さんを迎えに行くエンデバーの打ち上げが遅れに遅れ、帰還は2009年3月となり、桜の種の宇宙滞在期間は8ヶ月半にもなった。(註8),(註9)  

 牧野富太郎の俳句 ”櫻花 朝日に匂い 咲きにけり”(五七五)に、付け句 (七七)を加えて短歌にする企画に応募した。一例を披露する。(註10)

    櫻花 朝日に匂い 咲きにけり/土佐の宇宙酒 ただよい香る   富太郎/朝夫、  

ついでに、高知と宇宙に関わる名句を一つ。

  好きなもの イチゴコーヒー 花美人 ふところ手して 宇宙見物  寺田寅彦

牧野富太郎も寺田寅彦もともに、理系・文系の区別なく、凡てに好奇心一杯である。(註10)  

 本当に不思議な二日間の旅である。25年前の「ふわっと”92」に始まり、12年前の土佐の宇宙酒や9年前の高知の宇宙桜を創り出した二日間の旅である。高知行の機内の入口付近の座席で、搭乗して来る人々をぼんやりと眺めていた。その中に、黒岩世履さんがいた。彼は物部川こども祭実行委員会事務局長であり、物部川流域のアンパンマン・ミュージアムの丘に高知からの2種類の宇宙桜の記念植樹に立ち会ってくれたのである。(註11)

 宇宙桜の種を拾った小学生たちの顔写真とサインの縮小コピーが種と一緒に宇宙に行ったが、今では大学生の年齢である。100年後、300年後にこれらの桜がここにある物語を創り出すことを約束していたが、まだ出来ていない。(香山)リカちゃんと初音ミクちゃんが協力したと言ったようなお話はどうかと、一枝が押して呉れる車椅子の上で考えていた。

註6 ;{土佐宇宙酒と『てんくろう学』~ビジネスモデルの構築~}、上東治彦、竹村彰夫、広田豊一、松井隆、日和崎三郎、受田浩之、鈴木朝夫、日本航空宇宙学会誌、Vol.55,No.646,11(2007)、p296-301.

註7;{土佐の宇宙酒}、情報プラットフォーム、No.218、11(2005);{夢}、同、No.232、1(2007)

註8;{花伝説・宙へ!}、同、No.265,10(2009)

註9;{花伝説・宙へ!(宇宙を旅した桜たち)}、長谷川洋一著、ランダムハウス講談社、12(2009)、p48 、p100、p162

註10 ;{付け句に、宙(そら)、酒、桜}、情報プラットフォーム、No.334,7(2015)

註11;{森のこども祭、いつ、どこで}、同、No.331,4(2015);{森のこども祭、どのように}、同、No.332,5(2015)

 

{後から来るもの突き落せ}

この句の前に来るものは、「お山の大将おれ一人」である。西城八十作詞の童謡の出だしであるが、「お山の大将」は子供の遊びでもある。アメリカ合衆国の歴史はまさにこの歌詞のようであると言っても過言ではない。この様な「遊び?」は今も続いている。

 15世紀末の1492年、コロンブスがアメリカ大陸にたどり着いたのである。今のドミニカ共和国と推定されている。地球を想定できても、アメリカ大陸を知らなければ、西回りで黄金の国ジパングに、あるいはインドに到着と考えても無理はない。アメリカ先住民をインディアンと名付けたのである。

 16世紀に入ると、北米、中南米の探検の時代が始まる。そして、1565年にスペインがフロリダに植民地を建設した。

17世紀は植民地建設の世紀となる。例を挙げてみる。1607年にイギリスがヴァージニアに、1610年にスペインがサンタフェに植民地を建設した。1682年

 

 アフリカ大陸から黒人が労働力として連れてこられたのは1619年であり、開拓の初期から黒人の身分は奴隷だったのである。

移住人、アジア系)、黒人(アフリカン)  白人至上主義

 

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・ふわっと’92)25周年記念、パーティー(2/3)

2017-12-10 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

(ふわっと’92)25周年記念、パーティー(2/3)     

                                                                          高知ファンクラブ、No.186,11(2017)

  羽田からタクシーでホテルに着いたのが16時前、程なくして娘の葉子、少し遅れて孫の樹ちゃんがやって来た。車椅子での25年周年記念パーティーの出席を決断できたのは妻 一枝のお陰であり、車椅子の担当を樹(たつき)ちゃんに任せる決断もしてくれたのである。                          

 早めに会場に向かい、受付で手続き済ませ、懐かしい方々にご挨拶を済ませたが、50人ほどの参加予定者名簿には、既に「鈴木朝夫先生のお孫さん」と樹ちゃんが記入されていた。次々に出席する方々にお会いするにつれて、25年前の記憶が蘇って来る。会場のあちこちで思い出話に花が咲き、次第に賑やかになってくる。話題の中心は水漏れ事件である。 

-- -- -- -- {代表研究者が居ない材料実験M23}からの抜粋(註4)-- -- -- --         

 ・・・材料実験はM01からM22まで全部で22テーマである。第2・第3材料グループ実験の大半はラック8だ。冷却水を使わない実験が1つできるだけである。これらの実験の責任者である東京大学の西永先生と金属材料研究所の中谷先生に、いつもの笑顔はない。第1材料グループは、ラック10でのタイムラインの最初の実験がM11である。「私の実験だけが出来てしまっては大変具合が悪い」・・・「ここは無重力の空間である。水漏れで大騒ぎすることはない。なぜならば、ビール券を持って謝りに行くような階下の実験室は何処にもないではないか」・・・回復作業が成功したとき、忘れることが出来ないのは、顔中笑顔の西永先生の大きな笑い声である。・・・運命の女神はちょっといたずらをし、そして微笑んだのだ。そして我々は思わぬ実験をしたことになる。この実験を提案したPI(実験提案者)はどこにもいない。私はこれを材料実験M23と名付けたい。無重力下で水漏れしたとき、どのようになるかを、映像を通じて世界中の人々が見ることができたのである。・・・

-- -- -- --- -- -- --

私達の提案した複合材料の無重力下での製造実験、M11{高剛性超低密度 炭素繊維/アルミニウム合金 複合材料の製造}(註5)にたどり着くまでの苦労を、会話の中で、車椅子の上で思い出していた。まず、アイデアを模型で示すことが必要であった。グリコのポッキーを使った模型である。プリッツ部分を炭素繊維、表面に被せたチョコレートをアルミニュウム合金と見立てた。短くしたポッキーを、2リッターのペット・ボトルの上を切り取った円筒形の筒に、ランダムに詰み上げる。チョコレートが柔らかくなる程度にゆっくりと温める。チョコレートが接着剤となり、空隙の多い立体ポッキーが出来上がる。短い炭素繊維から出来た柱は、人工衛星のアンテナやソーラー・パネルの支柱として使える。

無重力下で使う構造物は、自重を支える強度の必要性よりも、剛性が高いこと、軽量であること、そしてマテリアル・マイレージが小さいことが重要である。この場合、原材料の体積を最小にしての運搬、その場での製造・製作が必須となる。実際に人工衛星のアンテナなどの場合には、折り紙や昆虫の羽化のように畳み込んだものを、必要とする場所で拡げることが行われている。炭素繊維間の接着には濡れ性を良くする合金元素の知見が重要と考えていた。M23の水漏れを目撃できたことは、濡れ性の重要性の再確認だったと感じたのである。孫の樹ちゃんが動かしてくれる車椅子の上での思いは、地域の、高知の活性化である。副産物として作り出した「無重力ポッキー」の商品化はできないだろか、さらに愉快なこと、楽しいことはないか、と考えていた。

 ノアの箱舟、打ち下ろし花火、新々古今和集などは1987年に提案済みである。(註3) 車椅子に座っているから思い付いたことが沢山ある。宇宙での食生活を念頭に置くとき、液体状態が関わるゾル・ゲルの状態に注目すべきであろう。ゾル(コロイド溶液)とは、豆乳、牛乳、コーヒー、ペンキなど、ゲル(半固体状態)とは、豆腐、ヨーグルト、ゼリー、煮こごり、などである。また、無重力下での発泡体の挙動を知りたい。フィルターなどに使える連続発泡体と断熱材に使われる独立発泡体がある。

高齢化社会・人生百歳時代にとって、ホスピスや宇宙葬の必要性も増してくる。長期滞在での体力維持や娯楽も重要である。ネットやゴールの球技、格闘技などの各種のスポーツのルール作りも必須である。壁を相手のスカッシュや立体ビリヤードなどを考えていた。

このパーティーの主役はアラバマ州ハンツビルの指令センターで運用に関わった面々が、主役である。最初は誰?と思っても、話を続ける内にお互いを思い出してくる。毛利衛さん始めとする宇宙飛行士、向井千秋さん、そして土井隆雄さんの3人に樹ちゃんを引き合わせることができた。記念写真も撮らせて頂いた。

 註4、{代表研究者の居ない材料実験M23}、NASDA NEWS、No.133,12(1992) p8

註5、{高剛性超低密度 炭素繊維/アルミニウム合金 複合材料の製造}、鈴木朝夫、三島良直、三浦誠司;ふわっと’92宇宙実験成果報告(2/2分冊);宇宙開発事業団、5(1994)   p648~p684.

 

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・(ふわっと’92) 25周年記念、羽田行?(1/3)

2017-11-03 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

(ふわっと’92) 25周年記念、羽田行?(1/3)

                                                                                   高知ファンクラブ、No.185,10(2017)

 第1次(微小重力)材料実験 ふわっと’92(FMPT) の 25周年記念パーティーを9月8日(金)に開催する旨の案内を、宇宙開発事業団(NASDA)の藤森義典様より頂いたとき、即座に残念だけど東京行きは無理だとの判断が先行した。転倒し易くなったのは2014年の夏頃であり、高知大学医学部付属病院で進行性核上性麻痺(パーキンソン症候群の一種)と診断されたのが2015年2月のことである。(註1)  要支援2の判定を2015年5月に、次いで2016年11月には要介護1の認定を受けた。病名の接頭語が示すように「進行性」であり、現在では長距離の移動には車椅子と介護支援が必要となっている。

毛利衛宇宙飛行士の搭乗する日本初の無重力宇宙実験が行われたのは、「ふわっと’92」の愛称が示すように1992年(9月12日~9月20日)である。この第1次材料実験は1988年の予定であったが、チャレンジャー号の事故(1986年) で4年以上も遅れた。定年60才の東工大に在職の最後の年度であり、1993年3月の退職前に辛うじて間に合ったのである。

妻 一枝は「私が付いて行くから、出席することにしては?」、「車椅子を押す一枝さんの体力負担だけではなく、人との精神的ストレスも相当なものだよ」、「もう一度、宇宙材料実験の感激を味わいたくないの。二度とない25周年の記念でしょう」の様な対話が、7月末にご案内を頂いてから繰り返された。一ヶ月前の8月上旬を過ぎようとする頃、「このパーティーに出席するだけで、それ以外のことは一切考えないことにしよう。そして、パーティー会場となるホテル メルパルク東京(芝公園) に宿泊の“東京1泊、2日間”のパックが取れれば行くことを決心しょう」、「往復のタクシー代もそれほどではない」との結論となった。

早速、“ANA楽パック(航空券+宿泊)”を申し込んだのだが、そのホテルに空き部屋がなかった。数分後に再挑戦してみると、キャンセルが1室でていた。これで東京行きを決心した。ANA566 (9/8(金)、高知発13:30)⇒ メルパルク(1泊)⇒ ANA565 (9/9(土)、羽田発13:35)とゆとり持たせた予約を確定できた。この日以降、気がかりな体調はとくに問題なく推移していた。今年は一枝の運転する車の助手席に座って、桑田山の雪割り桜に始まり、横波半島のオンツツジまで、花見三昧の春だった。歩くことが多くなければの思いがある。(註2)

我々の東京行を伝えるのは、娘の葉子と孫の樹ちゃんだけにしていた。樹ちゃんは、所沢にある国際航空専門学校の航空整備科に在学中であり、来年3月に卒業の予定である。彼が嬉しいニュースを持って、高知にやって来たのが夏休み始めの7月末である。第一志望のANAの整備関連企業への就職が確定したとの報告である。

出発当日の朝、突然、一枝が「良いことを思いついたわ。パーティで車椅子を押す役を樹ちゃんに頼むことにしようよ。樹ちゃんは、宇宙飛行士の毛利衛さん・向井千秋さん・土井隆雄さんに会えるでしょう。素晴らしい思い出ができるよ。航空機整備の仕事は宇宙開発と無関係ではない、やがて役に立つことがあるかもしれません」、「それは困る。あなたが高知から出てきた意味がなくなります。あなたに申し訳ないですよ」、「私は葉子ちゃんとディナーをするから大丈夫よ」のようなやり取りがあった。早速、幹事役の藤森さんにメールした。  

高知からの旅が始まった。介助・介護を必要とする乗客への対応が素晴らしい。チェックインで車椅子を「預け荷物」にすると、直ちにエアラインの車椅子が用意される。最優先の搭乗であり、座席はスーパー・シートのすぐ後方の通路側5H、中央5Jである。トイレに近い席でもある。なお、機種はB737であり、通路の右にABC、左にHJKがある。全ての乗客が降りてからで、最後になる。帰りの羽田空港でも同じように優先搭乗である。余裕を持って羽田に着いたので、SFCラウンジで休息した。搭乗時間前になると、車椅子を押すスタッフが来てくれる。羽田での高知行の搭乗口は非常に遠いところ、西寄りの60番台の搭乗口が普通である。今回の搭乗口も67Aであるが、車椅子でシートベルトを締めることが必須であり、また動く歩道を使うことはない。

押して貰う車椅子の上で「無重力下で脳ミソは何を考えるだろうか」との命題が頭を過ぎって来る。(註3)身体機能が低下しても、無重力下では、車椅子も手すりも杖も不要であろう。我々、人類がすでに蓄積している微小重力下での生活体験を活用して、終末期ケアとしての、天空に近づけるホスピス、自立できるホスピスはどうだろうと考えたりした。

 註1:{ディープラーニングの破綻、脳の機能}、情報プラットフォーム、No.349,10(2016)

 註2:{ちびっこ島木彫館のオープンまで(1/2)}、高知ファンクラブ、No.182,8(2017);(ちびっこ島木彫館のオープンまで(2/2)}、同、No.183,9(2017)

註3:{無重力下で脳ミソは何を考えるだろうか}、BOUNDARY、8(1987);情報プラットフォーム、No.290,11(2011)、No.291,12(2011)、No.292(2012)

 

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・ちびっこ島木彫館のオープンまで(2/2)

2017-09-26 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

ちびっこ島木彫館のオープンまで(2/2)  

                                           No.184、高知ファンクラブ、9(2017)

  高知新聞の7月10日付けの朝刊で「ちびっこ島木彫館」のことが、カメラレポートの欄に大きく報じられている。「圧倒!木彫り像1700体」、「77歳男性 目指せ ギネス 須崎市」の大見出しの上には、奥行き約40mの展示棟の内部に、木彫り像がぎっしりと詰まっている写真が、ひと際目立っている。もう一つの写真には、浦戸の工房でチェンソーを操る山本さんとその作業を見守る横矢年夫さんが映っている。

 その木彫館は、横波半島への橋を渡り、黒潮ラインから明徳義塾中高校のグランドまで降りて、その手前で右に曲がれば見えてくる。少し登れば、一列に並んだカラフルな木彫り像、日本各地のユルキャラが、出迎えてくれる。展示棟には木彫り像が通勤電車のようにひしめいている。山本さんの木彫りは、ここで研磨し、ニスを塗っている。横矢さんの作品もあると聞く。展示棟は尾根の背にあり、島に居るようなイメージ、それこそ「わんぱく島」である。ここからは、眼下に海辺が、目を上げれば湾の対岸が見える。木彫の像達を背に、景色を眺めながら食事ができるカウンター・テーブルがある。さらに、昔、鏡川などで使っていたUFO型の船を設置して、円形のパーティー・テーブルにしている。横矢さんのミュージアムの島には、他にも幾つかの小屋があり、カラオケ・ルームや釣を楽しめる場所もある。

山本さんの木彫りを展示している施設が高知にはもう一つある。四万十町打井川の「海洋堂ホビー館四万十」に付属する「海洋堂かっぱ館」である。様々な種類・材質・サイズのカッパ像は見事であるが、山本さんの木彫カッパ像は「かっぱ館」の目玉になっている。

土佐山田町植の我が家は、山本裕市さんの木彫作品のささやかな展示場である。チェンソーそのままに、赤褐色(ピニー)の木材保護塗料を塗っただけである。そして、古い民具・農機具と併せ、四季の草花と組んで、特別な雰囲気を醸し出している。

「木彫館での横矢年夫さんとの出会い」       (記:鈴木一枝)

山本さんの案内で浦の内へ行ったが、連絡の不十分で横矢さん達は全員留守、外廻りだけを見て帰って来た。後日、再び主人と共に浦の内に向かった。敷地の入口付近を整備中の横矢さんにお会いすることができた。完成間近い館内を丁寧に案内して貰った。母も、主人も、私も、ただその種類の多さ、数の多さ、表情の豊かさなどに圧倒されっぱなしだった。

横矢さんを表現すれば、物好きというか、大物と言うか、何時までも子供の心を忘れない少年というか、そんな人柄である。男らしい風貌でありながら、笑顔の中に幼な顔が覗いており、年齢からは考えつかない子供心・遊び心を宿している。ここを訪れ、楽しんでミュージアムを後にしたときは、心が和んでくる。このミュージアムの名称に、「笑楽香(小学校)では」と意見を求められた。本当っぽい、嘘っぽい,有得ない木彫りの生き物を見て、笑いながら、楽しみながら、雰囲気を感じて、見学できることが、とってもステキなことである。

4月中旬には、鳥いっぱい、自生している背の高いオンツツジが満開になり、尾根の先端の展望台のベンチ・テーブルから、三方に海を望むことができると勧めてくれた。今年は朱色のオンツツジを主役に据えて、花見三昧で春を迎えようと考えた。

 花見の始まりは、須崎桑田山の雪割り桜(別名;椿寒桜)である(2/28)。桃色の模様が点在する幡蛇森の斜面は趣がある。オーベルジュ土佐山を過ぎて更に奥へ、土佐山嫁石の紅梅・白梅は美しい(3/4)。ピンクの花桃と黄色の菜の花のコントラストは香我美町中西川で楽しめる(4/4)。毎年かならず見に行く桜は、鏡野公園とそれに隣接する高知工科大学のキャンパスである。山芍薬は道の山側に白一輪が散見されることが多いが、 笹温泉の先の矢筈峠(アリラン峠)付近では群落も見られる(5/18)。香我美町山北の「くだもの畑」では、藤の滝が落ちる藤棚の下を車で流した。アジサイは野市父養寺のあじさい街道で楽しんだ。

オンツツジの見頃には(4/15)、「ちびっこ島木彫館」でその朱色を存分に堪能できた。

 

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・ちびっこ島木彫館のオープンまで(1/2)

2017-08-07 | なんでも情報ボックス

ちびっこ島木彫館のオープンまで(1/2)

                                                No.183、高知ファンクラブ、8(2017)

 大根の鎖切りの様に、木材の丸太から連続した鎖を切り出す匠の技の作品を始めて見たのは、高知県総合森林センター付設の「森の情報交流館」であり、玄関外の右側を飾っている。杉丸太から削り出しただけなので、すでに暗く色褪せており、目立たなくなっている。小型のチェンソーを巧みに操っている山本裕市さんとの出会いは、森の情報交流館での山の日のイベントのときである。妻の一枝が始めて山本さんにお会いしたのは、布師田の高知県地場産センターで開催された「第4回高知もくもくランド2009」(3/14~15)の時である。

「始めて山本ご夫妻にお会いしてから」     (記;鈴木一枝)

 展示してある「閉じた傘」が欲しくて、そのコーナーの担当者を探していたら、奥様が現れて、山本さんを呼んで来てくれた。さっそくチェンソーでの丸太の鎖の製作作業を披露して下さった。ホーッと感心・感激したのである。そして、お名前と浦戸の住所をお聞きした。

 後日、浦戸のお宅に押しかけて、居間に飾ってある作品、納屋の棚に置いてある作品、工房にある制作中の作品などを見せて頂き、木彫り像を預かって帰るようになった。素朴な、ユーモアのある作風に惹かれ、私が御免で喫茶店を開業していた頃は、値札を付けて展示させて頂いたのである。珍しさもあり、注文が殺到した。時には、失敗作だから安くすると言われて買い取ったもの、気に入らないからとタダで貰ったもの、注文で作成したがイメージが出ていないと返品されたものもある。我が家のウッドデッキに置いている大きなテーブルがその一例である。楕円形状の厚い天板ガラスの原価だけで譲って貰ったものである。

 居間・寝室のインテリアは。亀、オコゼ、フクロウの室内ランプは夜の寝室や客間を明るくしてくれる。菓子折り袋の文房具・鉛筆立てはパソコン机の上にあり、切り株の中で切り離した球状ボールが動くようにした丸太の椅子がある。

 庭を飾るエクステリアは。既に、「歴史民俗博物館のような我が家」でも述べたように(註)、唐箕やこまざらえ・除草機を置いてある。加えて、門番のように立つコロポックル2体と1匹の猿、段々の北斜面には角が見事な牡鹿が4頭、車庫を守るように座っているカッパが4体、大きく口を開けた鯨1匹、枝にぶら下がる小鳥のエサ台が1つ、そして鉢を置く為の大きな木製の靴が2足と、それのモデルとした陶磁器製の靴1足が花壇を飾っている。余談になるが、この木製靴は好評で50足を超える注文があったと聞いている。

中にはどうにも飾りたくない木彫もある。例えば、大きなカツオが出て来る水道蛇口、猫が食べ残した魚の骨、よれよれになったハンガーの背広、股覗きのお坊さんなどである。

 ご夫妻の人柄は、その作品の木彫りさながらに素朴で、気さくで、漁師が本業と言いながら御畳瀬のチリメンジャコをパック一杯に持たせて下さることも多かった。賀状のやり取りもしていたが、しばらくお会いしていなくても、何時も会っている感じで、何の遠慮も要らない間柄になっていたと言っても過言ではない。

 回覧板を持って来た近所の奥様が、玄関先に座っているコロポックルの笑顔を見て、「可愛らしいね。家にも欲しいわ。どこで手に入れたの」とのこと、そして電話で注文を取り次ぐと、元の図面も写真も見付からないので作品を見せて欲しいとのことで、我が家のコロポックルを車に乗せて、山本氏宅に向かっていた。その途上で、そのコロポックルを見た知人も「私にも。是非とも欲しいわ」と次々と注文が集まってきたのである。母も乗せて山本さんを訪れると、「横矢さんと云う人が、こじゃんと、いっぱい木彫を集めちゅうき、いっぺん見に行って来いや。なんやったら、わしが連れて行っちゃらえ」とのことである。須崎の浦の内へ連れて行ってもらう相談がまとまった。行く先は、この時はまだ呼び名は検討中とのことだったが、整備中の「ちびっこ島木彫館」だったのである。 

 註)情報プラットフォーム、No.262,7(2007)

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

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