高知ファンクラブ

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沢村さんの沖縄通信・・・沖縄ジョン万次郎会が講演会 

2014-09-30 | 交流ひろば「ワイワイ談義」

沖縄ジョン万次郎会が講演会 「たった一人の日本遠征」

 沖縄ジョン万次郎会第9回講演会が9月27日、豊見城市の市社会福祉センターで開かれた。万次郎の研究者で川澄哲夫元慶大教授が「たった一人の日本遠征」と題して講演した。土佐ジョン万会から内田泰史会長も出席した。

川澄先生は、愛知県生まれで、84歳。アメリカで英語を学ぶため行った先が、偶然、ケンダル捕鯨博物館(マサチューセッツ州)だった。万次郎を知る人と出会った。その後、捕鯨船にも乗り、捕鯨博物館学術顧問も務めた経歴をもつ。 アメリカ、ハワイから万次郎に関する資料がたくさん送られてきて『中浜万次郎集成』を出版した。その他著書多数。

 講演のキーワードは「二人の万次郎がいる」ということ。それは、万次郎が琉球上陸以降、幕府などの取り調べで、外国の事情など聞いた記録は、本当の万次郎が出てこない。万次郎は、日本の開国を統領(将軍)に直訴するために日本に帰国したことを強調した。

 万次郎を救った捕鯨船の『ライマン・ホームズの航海日誌』や万次郎の英文書簡、クジラ捕りの労働条件改善を目的とした新聞「フレンド」紙、江戸幕府取調記録など資料を駆使して話した。

 講演と同氏が執筆した「ジョン・マンの夢」(土佐清水市発行のパンフレット)からエキスを紹介する。

 捕鯨船に救われた万次郎は、アメリカで教育を受け、捕鯨船に乗り、世界の海を旅して国際的な視野でものを考えるようになった。なんとか帰国して、琉球あたりにアメリカの捕鯨船が自由に入港できる港を開くよう、統領に直訴することが自分の使命だと考えるようになった。

 帰国を決意すると、ハワイで知己を得たデーマン牧師に対し、その覚悟をしていると話す。デーマン牧師は、これを「日本遠泳」と名付け、「フレンド」紙に「無事に故国へ帰り着き、日本の開国に貢献し、ひいては通訳として成功する」ことを祈った。万次郎の帰国は、ペリーの日本遠征に先立つ2年前だった。

 1951年、琉球に上陸し、取り調べを受けた際、「アメリカは大国ゆへ、他国を取るに及ばずとの了見」であると、領土的野心がないことを繰り返し強調した。琉球を離れ、薩摩、長崎、土佐で取り調べを受け、ようやく放免されたが、『外国の様子を猥(ミダ)りに物語りなど致さざるよう」仰せ渡され、日本を開国する力になりたいという夢は消え去った…

 ペリーが来航すると、万次郎は幕府に呼び出された。1853年10月、老中筆頭・阿部正弘、林大学頭ら幕府高官が列座する中で、アメリカの国情、ペリー来航の事情など聞かれる。万次郎にとっては、「統領に直訴」する絶好の機会であった。

 アメリカの政治について、上下の差別がなく、大統領は人民の入れ札で選ばれ、任期は4年である、アメリカが日本と「親睦いたし度とのこと」は「彼国積年の宿願」である、日本近海で遭難した米捕鯨船乗組員が日本で「咎人(罪人)同様の扱いを受けた」が、アメリカは日本人漂流民を保護してくれる、米人は「両国の和睦を取り結びたい」と申している、米捕鯨船が薪水食料を補給できる港を「薩州南島の内又は琉球」あたりを望んでいることなどを堂々と話した。

 1854年3月、結ばれた神奈川条約は、下田、函館の開港、合衆国漂民扶助の規定が盛り込まれている。ここに、万次郎の「捕鯨ボートによる日本遠征」は終わりをとげた。

 このあと万次郎は、咸臨丸の通弁官として渡米する。咸臨丸に同乗してアメリカに帰ったブルック大尉は、「咸臨丸日記」の中で、「万次郎が、日本の開国にあたって、誰よりも大きな貢献をしていることは、大変嬉しい」と記している。デーモン牧師も「ジョン・マンが日本の開国に大きな役割を果たしたことは間違いありません」と書簡で述べている。

 講演を聞くと、この演題に込めた意味がよくわかる。万次郎が果たした先駆的な役割を明らかにした講演だった。

 

 

ジョン万次郎に関する記事・・・沢村さんの沖縄通信より

沢村さんの沖縄通信 目次

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今日9月23日、 仁淀川こども祭&めだかフェスティバル 予定通り開催します

2014-09-23 | 仁淀川流域

今日9月23日、 仁淀川こども祭&めだかフェスティバル 予定通り開催します。

流域市町村のおいしいものスタンプラリーで、おいしいものの提供を沢山いただきました。おたのしみ番号券の抽選発表は午後2時です。

 

第3回  仁淀川こども祭&めだかフェスティバル

2014 年  9月23日(火・祝)10時~15時

日高村総合運動公園 野外劇場とメダカ池

  詳細はこちらをご覧ください


9月23日、第3回 仁淀川こども祭&めだかフェスティバル 開催します。

2014-09-04 | 仁淀川流域

第3回  仁淀川こども祭&めだかフェスティバル

2014 年  9月23日(火・祝)10時~15時

日高村総合運動公園 野外劇場とメダカ池

  詳細はこちらをご覧ください

 

参加団体・個人のHP等リンクを作成しました。

◆ステージ
10:00 オープニングセレモニー
    土佐日高環頭太鼓(日高村)
10;30 ダンスサークル・リトルマドンナ(日高村)
11:00 モンゴルの馬頭琴&ホーミー(いの町・岡林立哉氏)
11:30 佐川チンドン(佐川町)
12:00 スチールパン演奏(いの町)
12:30 シバテン踊り(土佐市)
13:00 仁淀和太鼓「一圓想」(仁淀川町)
13:30 おかもとあつしの自作紙芝居(物部川こども祭交流)
14:00 草笛合唱(昔遊び研究会・渡辺幸雄氏ほか)
14:30 横畠盆踊り(越知町)
15:00 閉会(みんなで片づけタイムだよ!)
(時間及び内容は変更になることがあります)

◆シダ飛行機飛ばし大会
会場内の展望台から飛ばします!
◆カヌー体験
◆作ってみようコーナー
竹とんぼづくり(土佐竹とんぼの会)
間伐材で森の動物作り(高芝工房)
木の実や木のブロックのストラップつくり(火風水埜)
竹のプランターつくり(わがまま家)
石けん作り(石けんのオリーブ)
◆手づくりゲーム・昔遊びコーナー
手づくりゲーム(金ちゃん工房)
竹とんぼや竹馬乗り、草笛・竹笛を鳴らしてみよう(昔遊び研究会)
けん玉遊び(宮川武夫)
あそびのひろば(日高村民生児童委員協議会)
◆展示・監察コーナー
グランドワークの取り組みやメダカ池の四季の展示、メダカ池の生き物観察会
◆太陽熱・ソーラークッキングでポップコーンづくり(調整中)
環境活動支援センターえこらぼ
    川虫の観察をメインに水槽や標本を展示出展予定
  ソーラークッカーは当日使用できるかどうか現在調整中です。どうぞご了承ください。
◆環境を考える子ども達のコーナー
環境クイズほか (四国カーボン・オフセット市場)
薪割り体験(NPO法人 土佐の森・救援隊)
◆ストラックアウトゲーム
的あてピッチングゲームや、飲み物、グッズの販売(高知ファイティングドッグス)

おいしいもの 家族で、食べに来ませんか?
日高村オムライス街道参加店舗お得クーポンの配布や、ジビエ料理など仁淀川流域のおいしいもの、地場産品が多数出店予定

日高村 日高わのわ会(とまとソースパスタの販売の他、オムライスレシピ・工作の展示投票あり)
          あきちゃんから揚げ
仁淀川町 猪チャンポンうどん、いりもち、田楽ほか
越知町  越知平家会の出品
佐川町 野っぱら工房 (プリン・パン・饅頭・牛乳)
          横畠冷菓 (アイスクリン・シャーベット)
いの町 NPO 法人ら・ら・ら会 (たこ焼き)
春野町 ちりんちりん (アイスクリン)
大豊町 猪鹿工房おおとよ (ジビエ料理)

物部川こども祭から交流出店
(ゆずジュース、3市の特産品の販売、パンフレットの配布、2月の宇宙桜植樹祭・仁淀川との流域交流会の写真展示)

リンクの間違い等ありましたら高野までご連絡ください。

 

こども祭

仁淀川流域の情報


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・私は言わないぞ、妙な物言い

2014-09-02 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

私は言わないぞ、妙な物言い          

                                                              情報プラットフォーム、No.323、8月号、2014

  先に、{嫌いな言い方、「生き様」(イキザマ)}(本誌、No.321、6(2014))と題した文章を書いた。それ以前の{「特殊な交渉術」は極秘事 項}(本誌、No.299、8(2012))では、テレビのキャスターなどが「特殊な○○により・・・」と表現することは、自分の不勉強を棚に上 げ、視聴者も分かる筈がないと決めて付けているのと同じであると指摘した。次に予定に入れていたのが、{嫌いな物言い、「と思います」(仮題)} であった。その頃、今年の始め、高知新聞の「閑人調」(2/4)に「思うだけ?」(秦さん)が、それを受けて投書欄「声ひろば」(2/11)に 「近ごろ妙な物言い」(村田朗美さん)が掲載された。

   続いて「おじさん図鑑」(3/17)には、「嫌いな言葉」(飛鳥圭介さん)が掲載された。「我が意を得たりと思うのは私だけだろうか」、「こ れを早速、利用したのは言うまでもあるまい」。指摘している嫌いな定型文を早速活用したのだが。飛鳥さんは書いた人の<したり顔>が目に浮かび、 「言うまでもないなら黙っていろ」と述べている。同感である。

   まずは「と思います」に戻る。「思います」のすべてが駄目というわけではないが、指摘された例を並べると、「心からお喜び申し上げたいと思い ます」、「幾重にもお詫び申し上げたいと思います」、「ご祝辞を頂きたいと思います」、「乾杯したいと思います」などである。聞き手に「準備は宜 しいですか」の配慮や、また「僭越ながら」、「未熟者ですが」のような謙遜の意味が込められていると思われる。インタビューを受けたスポーツ選手 は「来年も頑張りたいと思います」である。なぜ「頑張ります」と言えないのだろうか。

   さらに嫌いな表現は、「・・と云う風に思っています(考えています)」、「・・ではないかなと思います」であり、「・・した所であります」で ある。断定しない表現、後で突っ込まれた時の予防線としての表現である。僭越ながらの意識が強くなり、さらに3歩も下がる意識で「乾杯の音頭を取らさせて頂きます」との念の入った表現になるのだろうと思われる。「取らせる」ので、すでに使役の意味があり、(取る+させる+させる=取らせる+させる=取らさせる)と2重の使役になっている。余分の「サ」が入るので「サタ ス言葉」と呼ばれている。

内舘牧子の「カネを積まれても使いたくない日本語」(朝日選書413、(2013/7/30))によれば、「過剰なへり下り」と「断定回避」がエスカレー トしていると指摘している。言葉は、多くの人が使い始め、そして使い古されると、下意の概念に格下げされる傾向がある。今では、庶民の家でも「奥 さま」である。皆で代弁者として選んだ議員を「先生」と呼ぶのも不思議である。先生と言っておけば無難と考えるからである。そして「先生さま」と なったり、「サタス言葉」となったっりするのではないかなと思う所である。

   折り込み広告の案内地図では、目印になる店舗や事業所に「○○さん」、「△△様」を付けていることがある。「さんづくし」にして例を挙げれ ば、サンクスさん、さんさんテレビさん、サンシャインさん、三翠園様などである。企業や団体、それに公的機関に「さん」を付けるのはどう見ても可 笑しい。でも、お医者さん、お菓子屋さん、床屋さん、のように主人の顔を思い浮かべながらの表現ならば、会話に暖かみが感じられる。

 インタビューを受けたときの決まり文句は「えーと」、「そうですね」、「○○はですね。・・・」である。これも嫌いな表現である。「そうです ね。私は使わないぞと断言したいと思います」と言っておけば、万が一間違って使っても、問題は残らないだろう。

 

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鈴木朝夫  s-tomoo@diary.ocn.ne.jp 〒718-0054 高知県香美市土佐山田町植718

Tel 0887-52-5154、携帯 090-3461-6571 

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