西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ボロディン「イーゴリ公」

2007-11-04 09:51:13 | オペラ
今日は、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」が初演された日です(1890年、ペテルブルク)。
ボロディンは、いわゆる「日曜日の作曲家」であり、本職は医学博士でもありまた化学者でもあった。そのような作曲家であるから、作品数は多くはない。「ロシア五人組」の一人で国民楽派と言われている。私はこのような人たちが残した自然な祖国に対する愛着を示す作品が好きであり、この種のオペラに描かれる民謡風な旋律を好んで聴きます。
歌劇「イーゴリ公」の中に「韃靼(タタール)人の踊り」と呼ばれる有名な部分があります。このオペラを見、また聴く人にとってはこの旋律を聴くのが待ち遠しいのではと思います。そしてロシア史を紐解くと、ロシアの暗黒時代とも言うべき「タタールのくびき」と呼ばれる金帳汗(キプチャク・ハン)国の支配(1240-1480)の時代が目に付きます。それで、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」はこの時代を扱ったオペラなのだとつい考えてしまいがちですが、これは違います。このオペラの題材となったのは、ロシアの古代叙事詩「イーゴリ軍記」です。この叙事詩が扱うイーゴリ公は、南ロシアの小都市ノブゴロト・セーベルスキーのイーゴリ公(1151-1202)です。ロシア北方の都市ノブゴロトを中心に栄えたノブゴロト公国とは異なります。序でに言うと、ペチェネーグ人の討伐を試みた、キエフ大公のイーゴリ(在位912-45)とも違います。
ノブゴロト・セーベルスキーのイーゴリ公は、危険な遊牧人ポロベツ人を攻撃するために遠征を試みますが、失敗に終わります。ポロベツ人はトルコ系の遊牧民で、クマン人とも言います。先に述べたように、この後ロシアの大半は、モンゴル人の来襲を受け、その後長い期間に渡り支配を受けます。モンゴル人の一派にタタール(韃靼)があり、これが後にモンゴル人全体の呼び名になった。ポロベツ人に続き、モンゴル人が南ロシアを支配したことから、ロシアや同じくモンゴルの支配を受けた東部ヨーロッパではアジア系遊牧民をひっくるめてタタールと言っているようです。歌劇「イーゴリ公」に出てくる有名な踊りは、「ポロベツ人の踊り」が正しく「韃靼(タタール)人の踊り」は正しくないのですが、なかなか改まらないようです。

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