西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

リヒャルト・シュトラウス

2007-06-11 10:34:20 | ロマン派
今日は、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの生誕日です(1864年)。
シュトラウスの作品群は大きく、交響詩・歌劇・歌曲の3つに分かれます。10の交響詩は、40歳前までに書き終えていますが、15の歌劇は、交響詩の作曲とほぼ交代するように作られ始めました。そして歌曲は、ほとんど生涯に渡って作曲されています。以上の3本柱以外にはどのような曲を残しているのだろう。先ず目に付くのは、協奏曲で、バイオリン協奏曲をはじめ5曲あります。これは生涯の始めの頃2曲、最晩年に3曲作られています。ピアノ作品を含む室内楽曲も書いていますが、そのほとんどは初期の頃の作品です。

シュトラウスが生きた時代、ドイツは大きなうねりの中にいたように思います。
シュトラウス6歳の1871年、プロシア王ウィルヘルム1世がドイツ皇帝に就任します。いわゆるドイツ第2帝国の誕生です。(第1帝国は、いわゆる神聖ローマ帝国のことで、その開始は962年で、終わりはナポレオンによるライン同盟建設の1806年です。)在位100日ほどのフリードリヒ3世をはさんで、3代目のウィルヘルム2世の時、第1次世界大戦があり、その敗北により、第2帝国も1918年に姿を消した。シュトラウス54歳の時である。とても払えないような賠償金をベルサイユ条約で押し付けられたドイツは、疲弊にあえぐ。そこに登場したのがヒトラーであった。ナチスによるドイツ第3帝国の誕生である。1933年のことであった。この時シュトラウス68歳であった。その翌年シュトラウスはドイツ政府から作曲を頼まれる。36年に行われるベルリン・オリンピックのための「オリンピック讃歌」である。その詩は、次のようなものだ。(辞書を使い、訳を試みたいと思っていますが。)

Völker! Seid des Volkes Gäste, kommt durch's offne Tor herein!
Friede sei dem Völkerfeste! Ehre soll der Kampfspruch sein.
Junge Kraft will Mut beweisen, heißes Spiel Olympia!
deinen Glanz in Taten preisen, reines Ziel: Olympia.
Vieler Länder Stolz und Blüte kam zum Kampfesfest herbei;
alles Feuer das da glühte, schlägt zusammen hoch und frei.
Kraft und Geist naht sich mit Zagen. Opfergang Olympia!
Wer darf deinen Lorbeer tragen, Ruhmesklang: Olympia?

Wie nun alle Herzenschlagen in erhobenem Verein,
soll in Taten und in Sagen Eidestreu das Höchste sein.
Freudvoll sollen Meistersiegen, Siegesfest Olympia!
Freude sei noch im Erliegen, Friedensfest: Olympia.
Freudvoll sollen Meistersiegen, Siegesfest Olympia!
Olympia! Olympia! Olympia!

第3帝国も、1945年終わりを告げる。シュトラウスは80歳だった。シュトラウスほど大きな時代の波を受けて生涯を送った音楽家はいないのでは。戦後に作られた「オーボエ協奏曲」、それと歌曲集「4つの最後の歌」はシュトラウスの諦観の境地を語っているように思う。その歌曲集の第2曲「9月」にあるように、シュトラウスは、49年の9月に85歳で亡くなった。

シュトラウスの作品は、やはり私はカラヤンの演奏で聴いてみたい。多くの時代を共有し生きてきたカラヤンこそ、シュトラウスの解釈者として、欠くことのできないものを持っていると思うからである。

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