西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

西洋音楽史 3

2021-08-20 14:58:20 | 音楽一般
中世の第1期(450頃-1150頃)では、そのごく最初期に(中世以前の古代との考えもある)東方教会聖歌(シリア聖歌、アルメニア聖歌、コプト(エジプト)聖歌、アビシニア(エチオピア)聖歌、ビザンツ聖歌)が生み出された。これらの影響を一部受けて西方教会聖歌(グレゴリオ聖歌、アンブロジオ聖歌、モサラベ聖歌、ガリア聖歌)が成立した。そのうちの特筆すべきものが教皇グレゴリウス1世(在位590-604)に大成が帰せられるグレゴリオ聖歌である。以上の教会聖歌は「ルネッサンスとバロックの音楽」(筑摩書房)第1巻『中世の宗教音楽と世俗音楽』にすべて取り上げられていて、その片鱗を伺うことができる。また、私は
1.決定盤! グレゴリオ聖歌集大成(20LP)(キング・レコード)
を購入した。大部なので迷ったが、これに匹敵するものは後に出ることはないだろうと。(CDで再発されたように思う)皆川氏の監修で、解説者の1人にも名を連ねている。皆川氏の「発刊に寄せて」から少し長くなるが引用したい。
 グレゴリオ聖歌は、ヨーロッパ音楽の源泉である。それは、現存するヨーロッパ音楽のなかでもっとも古く、しかも今日なお演奏され人びとにふかい感動をあたえつつある、生命力にみちた音楽である。同時に、グレゴリオ聖歌は、祈りの音楽である。それは、ローマ・カトリック教会の典礼とふかく結びついて神への祈りとして歌いだされた音楽である。キリスト教が今日なおヨーロッパ精神のひとつの中核であるという意味でグレゴリオ聖歌はヨーロッパ音楽の精神の中核といえる。中世以来、それぞれの時代の作曲家たちはグレゴリオ聖歌から新しい霊感をうけとめ、それを作曲のひとつの規範としまたそれを楽曲構成のための素材として利用してきたのであった。あの古典派やロマン派の音楽家たちでさえグレゴリオ聖歌にたいする敬意と愛着とを隠そうとはせずその旋律を自己の作品の中に借用しさえしている。
レコードに付いた解説書ゆえ、解説が大部で詳しい。CDのだとこれほどまでのものは付かないだろう。「グレゴリオ聖歌を自分の作品に使った作曲家とその作品」と題する小石忠男氏の小論もあり、その中に、「ベートーヴェンは1818年、<ほんとうの教会音楽を書くために、修道院その他のあらゆる教会合唱を全部くわしく調べ、選び出すこと、最もよく出来た翻訳で、最も正確な韻律と歌の節を>と書き記した。彼の「第9」については、すでに述べたが、晩年の弦楽四重奏曲も、こうした彼の姿勢を反映しているものと思われる。」と述べている。
第2期(1150頃ー1300頃)では、南フランスおよびプロバンス地方に興ったトルバドゥール、それに少し遅れ北フランスに現れたトルベールの中世騎士世俗歌の時代を迎える。これはドイツでもその影響が見られ、ミンネゼンガーの芸術が生れる。
第1期に起こった多声音楽もこの時代に発展を迎え、ノートル・ダム楽派が誕生する。レオニヌスの2声オルガヌムは、1182年のノートル・ダム寺院の献堂式に鳴り響いた、との推測も出されている。ペロティヌスの3声、4声オルガヌムも寺院の拡大とともに生まれた?とも考えられている。これらは後に、アルス・アンティクヮ(旧芸術)と呼ばれることになる。
第3期(1300頃ー1450頃)はアルス・ノバ(新芸術)の時代を迎え、その代表的作曲家にギョーム・ド・マショー(1300頃-1377)がいる。マショーはボヘミア王ルクセンブルク公ヨハンに仕え、王に従い各地を旅し、戦役にも従軍したという。1337年から始まった英仏間の百年戦争はマショーの活動にも影響を与えた。百年戦争の第1期にあたるクレシ―の戦い(1346年)でヨハンを失った後、後にバロア朝を開始したフランス王フィリップ6世(在位1328-1350)の息ジャン2世に嫁いだルクセンブルク公ヨハンの娘ボンヌ、さらにナバール王シャルル2世の宮廷で仕えることになった。ボヘミア王ヨハンは、神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の息子で、息子のカール4世も同皇帝である人物である。ボンヌは、ジャン2世(在位1350-1364)が王位に就く前年に当時流行の黒死病で亡くなってしまった。マショーは、ジャン2世とボンヌの間に生まれたシャルル5世(在位1364-1380)に仕えて、ランス大聖堂で就任時の戴冠式で作曲した4声の『ノートルダム・ミサ曲』(一人の作曲家によって通作された最初の多声ミサ曲)が演奏されたとも言われるが、疑問視されている。
まず、この時代を知るために、
2.ゴシック期の音楽 デヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(アルヒーフ)(3LP)

を購入した。この「ゴシック期の音楽」で、マンロウは、
Ⅰ.ノートル・ダム楽派(1160頃-1250)
Ⅱ.アルス・アンティクヮ(1250頃-1320)
Ⅲ.アルス・ノヴァ(1320頃-1400)
と区分している。年代区分が多少異なるが、中世の音楽の第2・3期を扱っていることになる。アルス・アンティクヮ(旧芸術)にノートル・ダム楽派は含まれない? いくつか参考書に当ったが含んでいるように思われるが。
マンロウはこの時代の作品を多く我々に提供してくれている。少し先の時代のものも含むが、「マンロウ1800」のシリーズ(全10枚)をすべて挙げてみる。
3.宮廷の愛 Vol.1 (ギョ-ム・ド・マショーとその時代) デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)

4.宮廷の愛 Vol.2 (14世紀後半の様相) デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
5.宮廷の愛 Vol.3 (ブルゴーニュ宮廷の音楽) デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
6.デュファイ デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
7.ネーデルランド学派の音楽 VOL.1 世俗歌曲集 デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
8.ネーデルランド学派の音楽 VOL.2 器楽合奏曲及びミサ曲から デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
9.ネーデルランド学派の音楽 VOL.3 モテット集 デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
10.ルネッサンス・スペインの宮廷音楽 デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
11.モンテヴェルディの周辺 デイヴィッド・マンロウ指揮・ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
12.プレトリウス/‟テルプシコーレ”とモテット集 マンロウ指揮 ロンドン古楽コンソート(EMI)(LP)
中世の最後に書くことになる音楽家はイギリスのジョン・ダンスタブル(1380頃―1453)である。ダンスタブルは音楽家であると同時に外交官でもあった。百年戦争の休戦時(1413年頃までのことか)にフランスに滞在し、イギリス独自の六の和弦(ミーソードのような)の連続使用を大陸に伝え、また大陸の音楽をイギリスに伝えたということだ。この交流からルネサンス音楽が開始されることになった。ダンスタブルが亡くなったのは、1453年のクリスマス・イブの日で、この年に百年戦争は終わるとともに、東ローマ帝国の崩壊、歴史上中世が幕を閉じる年で、そういう意味で、ダンスタブルは音楽の歴史上中世の終焉に相応しい音楽家であるとともにまたルネサンスの扉を開いた人物と言えよう。CD時代になり、ルネサンス以前の作曲家の作品集は買うことはなかったのだが、コレクションを見ると、次の1枚があった。ヒリヤード・アンサンブルの名声を聞き、買ったものだったか。
2.ダンスタブル モテット集 ザ・ヒリヤード・アンサンブル(CD)(東芝EMI)