西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ドイツ旅行 ライプツィヒ

2020-02-11 21:50:48 | 音楽一般
ポツダムからライプツィヒに入り、Thueringer Hofというトーマス教会すぐ近くのレストランで昼食を取る。食事を終え、ライプツィヒ市内散策が始まった。
ライプツィヒは、大バッハが、室内楽曲、管弦楽曲における多くの傑作を生みだしたケーテン時代(1717ー23年)に続き、住むことになった地である。結局バッハは、この地で生涯を終えることになる。このライプツィヒ時代(1723-50年)は、聖トーマス教会付属学校カントル(合唱長)として生活を送ることになった。それゆえここではカンタータ、受難曲などの今も光彩を放つ宗教音楽の傑作群を生み出すことになる。とうとう目の前にこの像を見ることができた!


バッハに関する書を見ると必ずこのトーマス教会前に立つバッハ像が出てくる。いつかこの像を直に見ることができるだろうか、などと思っていた。そこに私は立っていた! 最初は私は、やはりモーツァルトやベートーベンの音楽を好んで聴き、バッハは周囲の人が良いと言っても、なかなか実感できないでいた。20代半ばくらいからだろうか、ちょうど大部のレコード全集が出て、買い求め、自然多く聴くようになり、今ではCDの全集でほとんどすべて聴くようになった。今ちょうどレッスンで、鈴木のバイオリン指導曲集の8巻の中のバッハのラルゴを勉強している。これは「無伴奏バイオリン・ソナタ 第3番 ハ長調」の中に含まれる曲である。

このトーマス教会にはバッハのお墓もある。


画像には、奥のステンドグラスが見られるが、その前に洗礼台があるのも見えるだろう。実は、ここで総合芸術とも言うべき楽劇の大作曲家リヒャルト・ワーグナーが洗礼を受けたのだった。1813年のことである。
ここトーマス教会で偶然にもカンタータ?のリハーサル風景に出くわすという幸運を持った。


ライプツィヒには、トーマス教会ともう一つニコライ教会がある。ニコライ教会は、知ってのごとく、毎週月曜に行われていた祈祷集会が民主化要求のデモへと発展し、1989年のベルリンの壁崩壊へと繋がった。


ライプツィヒで生れたワーグナーはこれら2つの教会に付属する学校で学んだ。
(続く)