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西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ブルックナー「交響曲第2番」

2007-10-26 09:40:49 | ロマン派
今日は、ブルックナーの「交響曲第2番」が初演された日です(1873年、ウィーン)。
手元に、デルンベルク著の「ブルックナー その生涯と作品」という一書があります。有名なイギリスの音楽学者ロバート・シンプスンがその序に次のような言葉を書いています。
「1930年代のあるとき、まだ学生だったわたしがラジオのつまみを気ままに回していると、ドイツのどこかの放送局から、おどろくばかりに壮大で気品のある音楽が流れてきた。それがブルックナーの『第二交響曲』であった。この曲がもつ幅の広さと雄大さは、それ以来わたしの心に印象強く残っている。それを契機としてわたしはあらゆる種類の音楽書を読みあさったが、大部分の本がブルックナーという名前にはほとんど触れていなかった。名前が出ている場合でも、終始一貫して彼をけなしているのが印象的であった。(略)当時イギリスにおいて、ブルックナーは《未知の土地》ともいえるものであった。なにかの機会に彼の交響曲が演奏されると、最後までもたない曲、オーストリア人だけが聴くに耐える曲、長すぎて形式的統一を欠いた、まさに無能な作品として、いつも片づけられていた。(略)だがしだいに事情は変わってきた。(略)」
今久しぶりに「交響曲第2番」を聴きました。その一部ですが。「この曲がもつ幅の広さと雄大さ」を確認したいと思ったからです。「この曲がもつ」とありますが、このことはブルックナーのすべての交響曲に当てはまるといっていいでしょう。私は、以前にも書きましたが、このようなブルックナーの音楽が大好きです。最初は「最後までもたない曲」どころか最初から聴こうとしなかった曲でしたが。
この「交響曲第2番」は曲の完成の翌年作曲者ブルックナー自身の指揮によって初演されました。そして当時の高名な評論家ハンスリックから悪評を受けた。楽員からも賛否両論ということであったが、強く賛美の念を示す若きバイオリニストがいた。それは後年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第2代終身指揮者となるアルトゥール・ニキシュであった。
「終始一貫して彼をけなしている」というのは、今でもあるだろう。たまたまあるオーケストラのウェッブ・ページを見ていたら、演奏したくない作曲家としてブルックナーを上げている人がいました。私がそのオケを聴きに行くこともないでしょうが、やはり今でも職業音楽家の中にもそういう人がいるんだなと思いました。そうですね、芸術の好みは人様々です。私の見ようと思わない画家などもいます。人がいいと言っても。私にはそれが理解できないからです。そう言いながら、私の書いたのを読み、ブルックナーに関心を持ち、好きになる人が増えるとしたら、それは私の嬉しく思うところです。

メンデルスゾーン・付随音楽「真夏の夜の夢」

2007-10-14 09:05:19 | ロマン派
今日は、メンデルスゾーンの付随音楽「真夏の夜の夢」が初演された日です(1843年、ポツダム)。
「真夏の夜の夢」、これもシェイクスピアの同名の戯曲から来ています。序曲と12曲からなりますが、その第8曲が有名な「結婚行進曲」です。最初、序曲だけが作曲され、作品番号21が付けられました。1826年、メンデルスゾーンがわずか17歳の時に作曲されました。12曲の付随音楽は、その16年後、メンデルスゾーン33歳の時の作品で、作品番号61です。序曲を聴くと、いかに早熟であるかがわかるように思います。メンデルスゾーンという人は、その恵まれた才能ゆえもありますが、富裕な銀行家でまた学者の家系に生まれた、不幸ということを知らずに育ったような気がします。彼の音楽からは、悲壮感というものを探し出すことはできないでしょう。
付随音楽12曲は、プロシア王フリードリヒ・ウィルヘルム4世の依頼で作曲されました。実は、序曲はフリードリヒ・ウィルヘルム3世時代にその皇太子(後の4世)に献呈されたものでした。付随音楽の加わった全体の初演は、王の誕生日祝賀のために、ポツダムの新宮殿で上演されました。ベルリンなどには行ったことのない私には、どのようなところなのかと思って、ネットで検索すると、その画像がずいぶんと出てきました。ポツダムというところは、有名なサン・スーシ宮殿をはじめ大きな宮殿が立ち並んでいて、初演の新宮殿もこれまた大きな宮殿であることが分かります。内部が撮影禁止ということで内部の写真が見られないことが残念です。
私は、この曲の演奏は、プレヴィンの指揮するものが大変気に入っています。ずいぶん以前にレコードとして出たものです。あまり全曲演奏は無いのですが、このプレヴィンの演奏はその幸福感溢れた名演だと思っています。

リヒャルト・シュトラウス交響詩「マクベス」

2007-10-13 10:58:45 | ロマン派
今日は、R・シュトラウスの交響詩「マクベス」が初演された日です(1890年、ワイマール)。
交響詩「マクベス」は、R・シュトラウスの交響詩の「ドン・ファン」に次ぐ第2作目で、一般にはあまり取り上げられない作品かも知れません。この交響詩「マクベス」は、イギリスの劇作家シェイクスピアの戯曲に寄ったものです。以前、ドイツの文豪ゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」や「ファウスト」が多くの音楽家に取り上げられていると書きましたが、音楽史を見ると、同じくらい、いやそれ以上かもしれません、ずいぶんとシェイクスピアの作品に基づいたものがあることに気付きます。
シェイクスピアの「四大悲劇」と言われる「ハムレット」「オセロ」「マクベス」「リア王」を見てみます。
「ハムレット」は、リストに交響詩が、チャイコフスキーに幻想序曲があるほか、フランスの作曲家トマによってオペラになっているということですが、これまでその全曲盤は見たことがありません。
「オセロ」は、ヴェルディの後期の傑作が有名です。これだけあれば、シェイクスピアが語ろうとしたことの音楽表現はすべて書かれているといっていいでしょう。ドボルザークに「自然と人生と愛」という管弦楽曲がありますが、その第3曲が序曲「オセロ」です。これはシェイクスピアの原作にというよりも、ヴェルディのオペラの影響を受けて書かれたとも言われています。
「マクベス」は、このR・シュトラウスの交響詩の他にヴェルディの初期のオペラがあります。辞典を見ましたら、スイスからアメリカに渡ったユダヤ人作曲家ブロッホにもオペラ「マクベス」があるということですが、これもこれまでCD店でその作品を見たことはありませんでした。
「リア王」は、現代作曲家ライマンにオペラ作品があります。ベルリオーズは序曲「リア王」を書いています。あまり知られていないかも知れませんが、ドビュッシーにも付随音楽「リア王」がありますが、これは未完に終わっています。
以上の他にも、まだまだ実はあります。「ハムレット」中の登場人物オフェーリアは、ベルリオーズによって合唱曲「オフェリアの死」で取り上げられている他、ブラームスも「5つのオフェリアの歌」というリートを書いています。他にもたくさん見つけられることでしょう。
シェイクスピアといえば、有名な「ロメオとジュリエット」もあり、これもベルリオーズやチャイコフスキーなど数え切れないくらい多くの作曲家によって取り上げられています。喜劇でも、ヴェルディの最後の作品となった「ファルスタッフ」を上げないわけにはいきません。このように、シェイクスピアは音楽史の上でも大きさ遺産を残したと言っても過言ではないでしょう。改めて、シェイクスピアは文豪と呼ばれることに納得してしまいます。



アントン・ブルックナー

2007-10-11 10:13:45 | ロマン派
今日は、オーストリアの作曲家アントン・ブルックナーが亡くなった日です(1896年)。
ブルックナーの代表作は、何と言っても交響曲を上げるべきだろうが、やはり教会のオルガニストを勤めたこともあり、教会作品も取り上げるべきだろう。ブルックナーを交響曲しか知らないならば、それはブルックナーを十分に知っているとは言えないだろう。交響曲の中にも宗教的要素は注意してみれば多く見られる。交響曲をオルガン用に編曲を試みることが一部行われていて、その可否はどうであるかは今のところ言えないが、そのような誘惑があることも理解できないことではない。私は、交響曲第8番がオルガン用に編曲されているのをCD店で始めて知り驚いたが、この交響曲が一番そのような要素があるのかとも思う。また、晩年の宗教的傑作である「テ・デウム」はその旋律の一部が、交響曲第7番の第2楽章とも重なっている。この「テ・デウム」は全くの傑作である。素晴らしい崇高な曲である。
私は、ベートーベンの音楽に多くのことを学び、負っているが、このブルックナーという作曲家にも同様に非常に多くのものを負っている。ただ感謝するだけである。まだ一度も録音されていない曲をはじめ、十分に知らない作品に接するのはこれからの歳月の中で大きな楽しみである。
私は、常々真の芸術家は、どのような分野であれ、音楽、絵画、彫刻、小説、詩、いかなるものであれ、最後になるほど、優れた作品を残すべきだと思っている。最後の作品を見ればその芸術家が優れた人物かどうか分かると考える。逆に言えば、最後が詰まらない取るに足らない作品しか見られないならば、その芸術家の作品は多くは取るに足りない作品と言っていいだろうと思っている。ブルックナーの第9交響曲は、例えようもなく、優れたものである。第3楽章までしか書かれなかったことは残念ではあるが。人間として究極の所にまで達しているのではないかとさえ思っている。この交響曲の作曲中にブルックナーは72年の生涯を閉じた。私は、心よりブルックナーに感謝したい。

マーラー・交響曲第7番「夜の歌」

2007-09-19 09:54:50 | ロマン派
今日は、マーラーの交響曲第7番「夜の歌」が初演された日です(1908年、プラハ)。
この曲の副題は、全5楽章中、第2と第4の2つの楽章で「夜の歌」と名付けられた楽章が用いられていることにより、命名されました。5楽章は、マーラーの交響曲では珍しくなく、他に第2番と第5番がそうである。通常の4楽章スタイルは、第1番・第4番・第6番・第9番の4つである。そして第3番は6楽章、第8番は2部構成である。ついでに言うと、「大地の歌」は6楽章、未完に終わった第10番は5楽章を予定していた。楽章の多さから言ってもマーラーの交響曲は、長大であることが予想される。時間はどうなのだろう。ショルティ・シカゴ響の全集で、記してみると、以下のようになる。分.秒と表す。
第1番 55.53
第2番 80.51
第3番 92.17
第4番 54.23
第5番 65.53
第6番 76.36
第7番 77.32
第8番 79.28
第9番 85.04
大地の歌 64.23
第1番と第4番が1時間以内に収まるが、それ以外は1時間を優に越えている。ハイドンやモーツァルトのシンフォニーが2つも3つも聴ける時間である。

さて、以前どこかで、9つの交響曲でラインナップ(打順)を組むとどうなるか、などという遊びがあったのを見たことがある。9つの交響曲を書いて亡くなった作曲家がベートーベンをはじめ結構いることに目をつけたものだろう。3・4・5番はクリーンアップトリオといって主力の4番を中心に重量級のバッターが置かれるだろう。遊びであるが、打順を組むことで、その人がどんな風にそれぞれの作品をとらえているか分かるようにも思う。例えば、ベートーベンだと、やはり第9が4番バッターだろう。DH制ではない、ピッチャーを入れた打順で並べると、
8・4・3・9・5・7・6・2・1
となるだろうか。ちょっとあれこれ迷いましたが。時間的長さだけではなく、内容もやはり考えました。もちろん打順に関する考え方もあることでしょう。他にも、シューベルト(実は一曲かけているので、その点困ってしまうが)、ドボルザーク、ブルックナー、ヴォーン・ウィリアムズ、とその楽しみを与えてくれる作曲家はたくさんいます。マーラーはどうなのだろうと考えると、これまた困ってしまいます。4番打者がたくさんいるのですね。セ・リーグのどこかの球団のようです。




エマニュエル・シャブリエ

2007-09-13 09:05:59 | ロマン派
今日は、フランスの作曲家エマニュエル・シャブリエの亡くなった日です(1894年)。
シャブリエと言えば、狂詩曲「スペイン」を思い浮かべます。短い曲ながら、スペインをフランス風にアレンジしたような躍動感溢れるこの曲は、やはり傑作というべきでしょう。シャブリエは、アマチュア出身ということもあってか、曲数は限られていますが、近代フランス音楽史の中で欠かすことのできない作曲家です。ロシアの5人組の1人ボロディンなどと同じと言っていいでしょうか。ピアノ曲に注目が行きますが、そのうちのいくつかを管弦楽に編曲した「田園組曲」もよく取り上げられます。劇作品も残していて、「星」や曲中に「スラブ舞曲」を含む「いやいやながらの王様」などが有名です。晩年の作品に「ブリゼイス」があります。ギリシア神話に題材を取った劇作品ですが、死によって未完に終わりました。精神を病んでいたということです。スメタナなども晩年はその種の病気を患ったようですが、シャブリエにおける狂詩曲「スペイン」、スメタナにおける「我が祖国」などを聴くにつれ、Pourquoi?(=Why?)などと思ってしまいます。デュパルク、ウォルフ、シューマンなども同様の病気を患っていました。かといって、何でも病人にしてしまう評論家の言動には困ったものです。

ベルリオーズ・歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」

2007-09-10 09:16:06 | ロマン派
今日は、ベルリオーズの歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」が初演された日です(1838年、パリ・オペラ座)。
ベルリオーズは、実に特異な作曲家のように思われます。その作品を見回すとそれぞれが個性を持ったもので、2つと同じようなものがないように思うからです。後のセザール・フランクにおいてもそのような印象を受けますが。そしてその様々な分野の作品から影響を受けた音楽家として、交響詩を大成したリスト、楽劇の創始者ワーグナーがいます。彼はまた評論活動、理論書の執筆など多方面の活躍をしています。ベルリオーズをもし「幻想交響曲」しか知らないならば、ベルリオーズの偉大な部分をまだ知らないと言わなければならないでしょう。といっても、私自身その作品があまりに大曲過ぎて、なかなかそのよさを玩味するまでに至っていません。残念です。ずいぶん前にLDで「トロイ人」が出たことがありました。名前だけしか知らなかったのですが、ベルリオーズはこのような大作も書いているのだと始めて知りました。しかしそのレヴァイン指揮のメトの舞台は十分に堪能させてくれるものでした。生誕200年の頃、ほとんどの作品を網羅するCDのセット物が出ましたが、これからしっかり聴いていきたいと思っているところです。
ベンヴェヌート・チェッリーニは、実在した人物で、16世紀イタリアのフィレンツェに生まれた金工家・彫刻家です。私は、始めてのヨーロッパ旅行で、フィレンツェに行った時、ヴェッキオ橋を渡っていたら、チェッリーニの胸像があったので、驚きました。そこで写真を撮ったのを覚えています。

リヒャルト・シュトラウス

2007-09-08 09:39:18 | ロマン派
今日は、ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの亡くなった日です(1949年)。
シュトラウスは、第2次世界大戦が終結した、すなわち第3帝国滅亡の4年後、85歳で亡くなった。シュトラウスほど、波瀾万丈の生涯という言葉が合う音楽家はいないのではないか。そのことは6月11日の項で記しましたが、文字通り「最後の4つの歌」を作曲した後、その第2曲目「9月」にあるように、今日9月8日に亡くなりました。
ナチスの設立した音楽院総裁を務めるなどナチスの時代を内側に身を置いて生きたシュトラウスであったが、亡くなる2年前83歳の時イギリスでのシュトラウス祭に招かれた。最後の栄光の日々であったが、心中はどのようなものであったのだろうかなどと考えてしまう。
カラヤンは、そのようなシュトラウスとは、多くの時代を共有し、戦前シュトラウスの前で、彼の歌劇「エレクトラ」を指揮し、絶大な賛辞の言葉を受けたほどのシュトラウスの良き理解者であったが、多くの作品を複数回録音している中で、どういうわけか「家庭交響曲」と「アルプス交響曲」を1度しか録音していません。私は、このカラヤンの「家庭交響曲」がことのほか好きです。LPレコードゆえ、私の持っているものは、途中で裏返しにしなくてはならないのですが、そのようなことは関係なく、気に入っています。彼の家庭を音楽で描写したこの曲は、評価に賛否両論があるようなことをどこかで読んだような気がしますが、カラヤンの演奏はこの曲が間違いなく素晴らしいものであることを教えてくれます。カラヤンは、録音をパリのワグラムザールで行いました。多くはベルリンで行うのですが。ジャケットの写真はそこでのものと思いますが、何かこの演奏とこのコンサートホールの模様とは切っても切れないような関係で繋がっています。

メンデルスゾーン・序曲「海の静けさと楽しい航海」

2007-09-07 07:51:50 | ロマン派
今日は、メンデルスゾーンの序曲「海の静けさと楽しい航海」が初演された日です(1828年)。
メンデルスゾーンは42年の短い生涯にもかかわらず、交響曲から宗教音楽の大作まで様々な分野の作品を書いていますが、序曲と題する管弦楽曲にもいくつか佳品があります。その一番有名なのは、「真夏の夜の夢」だろうか。「フィンガルの洞窟」もそれと並ぶくらい有名ですね。その他に、「トランペット序曲」「美しいメルジーネの物語」「ルイ・ブラス」それにこの「海の静けさと楽しい航海」があります。以前も書きましたが、ベートーベンもこのタイトルの作品を残しています。カンタータで合唱つきの管弦楽曲です。これはゲーテの詩「海の静けさ」と「楽しい航海」という2つの詩を合わせたものに作曲したものだ。そしてベートーベンはこれを作詞者のゲーテに献呈した。メンデルスゾーンの方は、ゲーテの詩にヒントを得たものだが、詩は採用していない管弦楽だけの作品である。
今手元に、「海の静けさと楽しい航海」がなかったので、代わりに「美しいメルジーネの物語」を聴きました。これは水の精メルジーネが人間と恋を詩、結婚をするという民話に題材を取ったものと言うが、この中のメルジーネの主題はワーグナーにより用いられ「指輪」の「波の動機」になっているということです。今、CDの解説を読んで始めて知りました。

リスト「ファウスト交響曲」

2007-09-05 09:57:29 | ロマン派
今日は、リストの「ファウスト交響曲」が初演された日です(1857年、ワイマール)。
この「ファウスト交響曲」は、ゲーテの「ファウスト」に登場するファウスト、グレートヒェン、メフィストフェレスを音で描写した大曲です。これはベルリオーズに献呈されました。この作品に続きリストは「ダンテ交響曲」を同じく地獄、煉獄、天国の3つの楽章に表現しようとしましたが、ワーグナーの「天国は表現できない」との忠告(?)を入れて、結局2楽章だけの作品となりました。これは、その忠告をしたワーグナーに献呈されました。
音楽史を見ていると、このゲーテの「ファウスト」を取り上げた作曲家がたくさんいることに気付きます。少し前にも、同じゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」にヒントを得た作品が多くあることを書きましたが、こちらはそれ以上のような気がします。何と言っても、グノーの歌劇「ファウスト」(初演1859年)が先ず取り上げられるべきでしょう。これはグノーの最高傑作であるとともに、世界の3大オペラの一つと言われる傑作です。リストから「ファウスト」を献呈されたベルリオーズにも「ファウストの劫罰」(初演1846年)があります。これは自作の「ファウストの8つの情景」(初演1829年)を拡大発展させたものです。ワーグナーにも「ファウスト序曲」(初演1844年)があり、歌劇作家ワーグナーの隠れた傑作となっています。シューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」ももちろんこの作品に由来します。実は、ベートーベンにも「ファウスト」作曲の構想がありました。1825年、亡くなる2年前、第10交響曲、レクイエム、それにファウストに因む音楽の作曲を周囲の人に漏らしている。このうち、第10交響曲のスケッチは残されているが、他の2つについては何も残されてはいないようだ。もしベートーベンが「ファウスト」作曲を実現させていたら、どのような曲になっていたのだろう。それにしても、そのような小説を書いたゲーテも凄いと言わざるを得ない。