今日は、ブルックナーの「交響曲第2番」が初演された日です(1873年、ウィーン)。
手元に、デルンベルク著の「ブルックナー その生涯と作品」という一書があります。有名なイギリスの音楽学者ロバート・シンプスンがその序に次のような言葉を書いています。
「1930年代のあるとき、まだ学生だったわたしがラジオのつまみを気ままに回していると、ドイツのどこかの放送局から、おどろくばかりに壮大で気品のある音楽が流れてきた。それがブルックナーの『第二交響曲』であった。この曲がもつ幅の広さと雄大さは、それ以来わたしの心に印象強く残っている。それを契機としてわたしはあらゆる種類の音楽書を読みあさったが、大部分の本がブルックナーという名前にはほとんど触れていなかった。名前が出ている場合でも、終始一貫して彼をけなしているのが印象的であった。(略)当時イギリスにおいて、ブルックナーは《未知の土地》ともいえるものであった。なにかの機会に彼の交響曲が演奏されると、最後までもたない曲、オーストリア人だけが聴くに耐える曲、長すぎて形式的統一を欠いた、まさに無能な作品として、いつも片づけられていた。(略)だがしだいに事情は変わってきた。(略)」
今久しぶりに「交響曲第2番」を聴きました。その一部ですが。「この曲がもつ幅の広さと雄大さ」を確認したいと思ったからです。「この曲がもつ」とありますが、このことはブルックナーのすべての交響曲に当てはまるといっていいでしょう。私は、以前にも書きましたが、このようなブルックナーの音楽が大好きです。最初は「最後までもたない曲」どころか最初から聴こうとしなかった曲でしたが。
この「交響曲第2番」は曲の完成の翌年作曲者ブルックナー自身の指揮によって初演されました。そして当時の高名な評論家ハンスリックから悪評を受けた。楽員からも賛否両論ということであったが、強く賛美の念を示す若きバイオリニストがいた。それは後年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第2代終身指揮者となるアルトゥール・ニキシュであった。
「終始一貫して彼をけなしている」というのは、今でもあるだろう。たまたまあるオーケストラのウェッブ・ページを見ていたら、演奏したくない作曲家としてブルックナーを上げている人がいました。私がそのオケを聴きに行くこともないでしょうが、やはり今でも職業音楽家の中にもそういう人がいるんだなと思いました。そうですね、芸術の好みは人様々です。私の見ようと思わない画家などもいます。人がいいと言っても。私にはそれが理解できないからです。そう言いながら、私の書いたのを読み、ブルックナーに関心を持ち、好きになる人が増えるとしたら、それは私の嬉しく思うところです。
手元に、デルンベルク著の「ブルックナー その生涯と作品」という一書があります。有名なイギリスの音楽学者ロバート・シンプスンがその序に次のような言葉を書いています。
「1930年代のあるとき、まだ学生だったわたしがラジオのつまみを気ままに回していると、ドイツのどこかの放送局から、おどろくばかりに壮大で気品のある音楽が流れてきた。それがブルックナーの『第二交響曲』であった。この曲がもつ幅の広さと雄大さは、それ以来わたしの心に印象強く残っている。それを契機としてわたしはあらゆる種類の音楽書を読みあさったが、大部分の本がブルックナーという名前にはほとんど触れていなかった。名前が出ている場合でも、終始一貫して彼をけなしているのが印象的であった。(略)当時イギリスにおいて、ブルックナーは《未知の土地》ともいえるものであった。なにかの機会に彼の交響曲が演奏されると、最後までもたない曲、オーストリア人だけが聴くに耐える曲、長すぎて形式的統一を欠いた、まさに無能な作品として、いつも片づけられていた。(略)だがしだいに事情は変わってきた。(略)」
今久しぶりに「交響曲第2番」を聴きました。その一部ですが。「この曲がもつ幅の広さと雄大さ」を確認したいと思ったからです。「この曲がもつ」とありますが、このことはブルックナーのすべての交響曲に当てはまるといっていいでしょう。私は、以前にも書きましたが、このようなブルックナーの音楽が大好きです。最初は「最後までもたない曲」どころか最初から聴こうとしなかった曲でしたが。
この「交響曲第2番」は曲の完成の翌年作曲者ブルックナー自身の指揮によって初演されました。そして当時の高名な評論家ハンスリックから悪評を受けた。楽員からも賛否両論ということであったが、強く賛美の念を示す若きバイオリニストがいた。それは後年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第2代終身指揮者となるアルトゥール・ニキシュであった。
「終始一貫して彼をけなしている」というのは、今でもあるだろう。たまたまあるオーケストラのウェッブ・ページを見ていたら、演奏したくない作曲家としてブルックナーを上げている人がいました。私がそのオケを聴きに行くこともないでしょうが、やはり今でも職業音楽家の中にもそういう人がいるんだなと思いました。そうですね、芸術の好みは人様々です。私の見ようと思わない画家などもいます。人がいいと言っても。私にはそれが理解できないからです。そう言いながら、私の書いたのを読み、ブルックナーに関心を持ち、好きになる人が増えるとしたら、それは私の嬉しく思うところです。