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西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ブラームス「第3交響曲」

2007-12-02 09:00:47 | ロマン派
今日は、ブラームスの「第3交響曲」が初演された日です(1883年、ウィーン)。
ブラームスは、第1交響曲を約20年かけて43歳の時に書き上げ、その後結局64年の生涯で交響曲を4曲書いただけでした。その数を見ると、どうしても少ないと感じざるを得ないですが、ベートーベンの交響曲を知り、そしてブラームスは第1しか知らなかった後、交響曲の全集を買い求め聴いた時、この4曲はその数以上の価値内容を持っていると何度も頷いたものでした。その一つ一つが、それぞれ4つの楽章すべて、その長さのみならず内容も素晴らしいと思いました。
この第3交響曲は、演奏が難しく、アマチュア・オケではなかなか手を出せないのではないかと想像しています。この第3楽章は素晴らしく印象的な旋律です。もし私がホルンをするのであれば、まず吹いてみたい楽章です。映画音楽にも使われています。
交響曲は4曲だけといいましたが、実は第4を書いた後、第5を書くつもりであったらしい。しかしそれは結局「二重協奏曲」(作品102)になったということだ。協奏曲も結局は、ピアノが2つ、バイオリンが1つ、それにこの「バイオリンとチェロのための二重協奏曲」の4つだけで重厚な管弦楽を特徴とするブラームスが、それを発揮する場は数が限られているが、協奏曲もやはり一つ一つの楽章が素晴らしく、印象的な旋律で満ちている。
ブラームスは、あと室内楽と歌曲に力を向けるのであった。

R.シュトラウス・交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

2007-11-27 10:14:40 | ロマン派
今日は、R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」が初演された日です(1896年、フランクフルト)。
この作品は、交響詩「英雄の生涯」とともに、R.シュトラウスの交響詩を代表する傑作と思います。冒頭部分が、映画にも使われ、有名になりました。ツァラトゥストラは、有名なペルシアの拝火教の教組ゾロアスターのドイツ語読みです。この名前を用いて、内容的には拝火教とは全く関係なく、自身の世界観・人生観を描いたのが19世紀ドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」です。ニーチェ特有のアフォリズムも鏤められ、好きな人には引き込まれるものであるでしょうが、そりの合わない人には見向きもされない、そのような哲学書でしょう。
作曲家R.シュトラウスは、勿論このニーチェの著作に興味を持ったのでしょう。そして、彼なりの解釈を音で表したのが、この作品ということになります。(しかし、ニーチェ哲学を音で表現したというのとは違います。)しかし、このような曲を書くR.シュトラウスは、全く凄い作曲家と思います。ドイツ・ロマン主義の残照のように言われたりして、20世紀音楽の中ではあまり評価が高くないことを聞くこともありますが、先端を突っ走ることがどれほど意義があるのかと考えることもあります。文学においても同じでしょう。最先端の芸術に目を向ける気持ちを失わずに同時にそれに背を向けた「時代遅れ」の芸術にも常に心を開いていたいと思います。現在ある「最先端の芸術」には、多く感動を与えられることがないので。

マーラー・交響曲第4番

2007-11-25 08:52:13 | ロマン派
今日は、マーラーの交響曲第4番が初演された日です(1901年、ミュンヘン)。
交響曲第4番は、マーラーの全11曲の交響曲の中でも、第1番と共に規模が小さい方に属し、聴きやすく親しみやすい交響曲と思われます。第2・3・4の3つの交響曲は、「子供の魔法の角笛」からの歌詞を伴っている点で共通し、第5番からは3曲歌詞を伴わないということもあり、この第4が1つの締めくくりの時期の作品と受け取ることができると思います。第1楽章の最初にある鈴の音が特にこの曲への親近感を持たせます。第2楽章では、独奏バイオリンが1音高く調弦され独特の雰囲気を醸し出します。そして静かなアダージョの第3楽章の後、ソプラノが天国での生活を語り始めます。これはまさにおとぎ話の世界で、その後の、世界の苦悩を一身に背負ったようなマーラーの作風を用意するための前段階であるのかも知れません。
カラヤンは、エディット・マティスを採用してこの曲を録音しました。マティスの歌詞に合った清楚な歌い方とシュバルベの独奏バイオリンは間違いなくこのカラヤンの演奏を名演奏にしていると思います。



ベルリオーズ・交響曲「イタリアのハロルド」

2007-11-23 11:00:06 | ロマン派
今日は、ベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」が初演された日です(1834年、パリ)。
交響曲「イタリアのハロルド」は、交響曲と名が付いていますが、ご承知のようにビオラの独奏を伴います。ですから、形の上ではビオラ協奏曲と言うべきでしょう。ラロに「スペイン交響曲」という作品がありますが、これが純然たるバイオリン協奏曲であるのと同じです。
ビオラ協奏曲は、バイオリン協奏曲に比べはるかにその数は少ない。そのうち、一番有名なのはバルトークのものだろうか。これは彼の文字通り最後の作品で、第3楽章の最後の個所は、未完のまま残され、弟子によって補作された傑作である。他には、と思うのだが、思い浮かばず、ネットで見ると、ウォルトン、シュニトケなどが書いているようだ。チェロのための協奏曲よりも少ないだろう。それはバイオリンとチェロの間のあまり目立たない地味な存在だからだろうか。
モーツァルトは、ビオラ協奏曲は書いていませんが、これにバイオリンを加えた素晴らしい作品を書いています。「バイオリンとビオラのための協奏曲」(K.364)がそれです。私はこの第二楽章にこよなく惹かれます。

マーラー・交響曲「大地の歌」

2007-11-20 09:45:25 | ロマン派
今日は、マーラーの交響曲「大地の歌」が初演された日です(1911年、ミュンヘン)。
1908年夏には完成されていたこの交響曲はその3年後、作曲者の死後弟子のブルーノ・ワルターにより初演されたということです。6楽章からなるこの曲にはそれぞれ歌詞が付いていて、しかもすべて中国の詩、それも唐代の詩人たちの詩によるものである。中国と同じ漢字文化にある日本人にしてみれば(最近の中国の書記文化は、崩し字が大量に行われて、我々の方が中国の詩を読むのが読みやすいだろう)、それらドイツ語の訳詩がどの詩人のどのような詩によるものかというのは常に興味をそそられることである。そのことの考察は、70年代、マーラー・ブームはこのころからか、に緒に就き、今そのすべてが解き明かされたと言っていいだろう。当然のことながら、中国詩の専門家の仕事による所が極めて大きかったようだ。
この「大地の歌」のテーマは何だろう。その旋律で感じ取るべきかもしれないが、その詩の中から見つけることもできるだろう。
第1楽章は、李白の詩によるものだが、
「天空は無限に蒼く、大地は永遠に揺るぎない、
春になれば花々が咲き乱れる。
だが、人間よ、お前はどれだけ長く生きられるか。
百年も許されていないのだ
大地の朽ちゆくものを楽しむことを。」
という言葉が目に付きました。李白の原詩「悲歌行」を探すと、
「悲來乎
悲來乎
天雖長地雖久
金玉滿堂應不守
富貴百年能幾何
死生一度人皆有
孤猿坐啼墳上月
且須一盡杯中酒」のあたりでしょうか。
第6楽章の最後の部分を見ると、
「春には愛する大地はいたるところ花が咲き緑になる
新しく! いたるところ永遠に 遠き果てなるものの青い光が!
 永遠に...永遠に...」とあるのは
王維の「送別」という詩の
「春草明年緑」あたりでしょうか。
「大地の歌」の歌詞にたどり着くまでに多くの訳詩者の手を経たようで、またマーラー自身も手を加えている、ずいぶんと原詩からかけ離れたものもあるようです。
それはともかく、東洋の詩がこのように西洋の当時最高の音楽家を刺激して、やはり最高の作品を生み出したことにとても興味を持ちます。

フランツ・シューベルト

2007-11-19 08:24:21 | ロマン派
今日は、オーストリアの作曲家フランツ・シューベルトが亡くなった日です(1828年)。
私は、これまで数多くの西洋音楽に接し、その中から多大の影響を受けてきたが、(影響を受けたと言うのは、やはり人間と言うものはいかなる存在なのか、と言う根本的なもので、またどうあるべきか、ということの考察である)、その中で一番多くのものを与えてくれたのは、ベートーベンを措いてはいなかった、次にはブルックナーである、その次はと考えると、今の私はやはりシューベルトと答えるだろう。バッハ、モーツァルト、ワーグナー、チャイコフスキー、マーラー、いずれもその影響は小さいものではないが、やはりシューベルトということになる。
シューベルトについてはこれまで何回か書き、特にD番号900番台の作品の素晴らしさなども述べた。今シューベルトについて考えることは、まだ一度も聴いていない作品を聴けないものかということである。CD店に行き、最近も見るのであるが、まだ手に入らない作品がいくつかある。私は、アルフレート・アインシュタイン(物理学者アルバート・アインシュタインの従弟)の優れた著作「シューベルト」を年来手元に置き、その内容の充実さに目を見張り、その付録にある「楽曲索引」を常に参照し、所有しているものにはチェックを入れているが、どうしても見つからない楽曲があります。
交響曲は、ずいぶん前になりますが、マリナーがスケッチ、フラグメントも含んだ全集を出してくれた時にこれ以上はもう無理、ということだろうか。実は、D997のフラグメントは入っていなかった。またシューベルトの交響曲というと、D849「グムンデン・ガシュタイン」交響曲は、紛失とあるが、世に出ることはないのだろうか。
序曲などでは、D4・11・12・26・556・590・996などの「序曲」はまだ所持していません。このうち、一部は出ているのを見たことはありますが。幸い、「八重奏曲」から「二重奏曲」までの室内楽曲はすべて聴くことができました。カメラータで3巻からなる室内楽曲全集を出してくれたからです。(この企画には大変感謝しています)ただ、998のフラグメント(弦楽四重奏曲)は収録されていませんでした。「四手用ピアノ曲」は8巻8枚からなるCD全集でほぼ揃いました。D668・814798・993はなかったですが。21曲からなるピアノ・ソナタは、ミシェル・ダルベルトの全集ですべて揃ったと言うべきですが、12番が入っていません。フラグメントでやむを得ないか?D613は入っているのですが。ピアノ・ソナタに分類されないピアノ独奏曲にもフラグメントは数多くあり、ダルベルトの全集に収録されているものもあれば、D347・348・349など収められていないものもあります。ピアノ舞曲も数多く書いていて、魅力的でないものなどないと言っていいくらいですが、これも5枚組みのCDがほぼ網羅してくれているのですが、D135・334・336など録音されていないものもあります。ミサ曲では、D621「ドイツ語哀悼ミサ曲」がどうしても見つかりません。以前この作品をジャケットに見つけ喜んで帰ったのですが、中身は別物でした(!)。一緒に収められているのが優れたものでしたので、値段も安価でしたし、いいでしょうとなりました。ミサ以外の教会用小楽曲では、以前も書きましたが、サヴァリッシュが3巻にわたる曲集を出してくれて、大変有難く思ったものでしたが、15歳の時の作品D27「サルヴェ・レジーナ」だけが収録されていないのを今でも不思議に思い、探しています。劇音楽については、ある程度やむを得ないかと思っています。D84・326・137・701などはお目にかかったことがありません。合唱曲については、いくつかの完全といってよい全集のために「すべて」ありますが、D987・65・249・387はチェックが付いていません。リートは、少し前に出たハイペリオンの全集、これによりすっきりした形で聞けるようになったことは素晴らしいことだと思っています。40枚のCD(うち3枚はシューベルトの同時代の作曲家によるもの)は実に壮観です。しかしこの中にも、紛失以外のもの(フラグメントということ)で収められていないのがあるのは少し残念です。D311・543a・81582・833a・868・577のうちの一つ・990・292・437512・535・212・83などです。この中には、フラグメントでないものもあるようですが。
今の時代ですから、ネットなどで調べれば分かることもあるでしょう。見つけられれば、すぐにでも購入したいと思っています。ベート-ベンなどは「全集」が何回か出てますが、シューベルトについては完璧に近い全集が出ることはないでしょう。それで個々に集めているというわけです。それにしても31歳の短い生涯にこれだけの芸術作品を残してくれたシューベルトには、感謝せざるを得ません。その命日には、何か曲を聴いていますが、今日は何にしようか。短いが大好きな崇高な作品「セレナーデ」(「白鳥の歌」第4曲)にしようか。今既に頭の中で鳴ってきたようです。



セザール・フランク

2007-11-08 10:05:56 | ロマン派
今日は、フランスの作曲家セザール・フランクが亡くなった日です(1890年)。
フランスの、と書きましたが、正確にはベルギーの作曲家です。フランクは、若死にしたわけではないですが、その割りには作品数は極めて少ないと言っていいでしょう。交響曲1曲、弦楽四重奏曲1曲、ピアノ五重奏曲1曲、バイオリン・ソナタ1曲、などと普通の作曲家が、得意分野であるならば何曲も書くところをわずか1曲ずつです。ではどんな所にフランクの特徴があるのかと作品目録を見ますと、交響詩が5曲、若干のピアノ曲(しかしピアノ・ソナタなどはありません)、オルガニストだけありオルガン曲は重要ですが、数は多くありません。他に、珍しいハーモニウムのための曲やそれに教会音楽、歌曲などがありますが、やはり作品は多くはありません。
私は、フランクのオルガン曲全集(わずかLP3枚、12曲入っています)を所持していますが、やはりフランクの真髄はオルガン作品にあるのではないかと思います。ある演奏会の時、開演前に音慣らしのためにか、オルガニストが出てきて、「前奏曲、フーガと変奏曲」の冒頭部分を弾き出しました。穏やかに始まるその旋律に私はフランクの深い祈りを感じました。いつもレコードで聴いていて、実際のオルガンで聴くのは初めてでした(その時は、少しざわついていましたが)。その時の余韻は今も残っています。

リスト「ダンテ交響曲」

2007-11-07 09:45:53 | ロマン派
今日は、リストの「ダンテ交響曲」が初演された日です(1857年、ドレスデン)。
「ダンテ交響曲」は、リスト46歳の時の作品です。ダンテの「神曲」により作曲したものですが、以前にも述べましたが、ワーグナーから「いかなる人声を用いても天国の歓喜を表現できない」と批判されて、合唱付きの第3楽章「天国」を書くことを断念し、「地獄」と「煉獄」の2楽章だけからなっています。この作品は、その忠告をしたワーグナーに献呈されました。
リストには、ピアノ曲「巡礼の年」第二年「イタリア」にも「ダンテを読んで」という作品があります。今、ホルヘ・ボレットの演奏で聴いてみました。
ショスタコービチの晩年の歌曲集「ミケランジェロの詩による組曲」の第6曲は「ダンテ」という作品です。
「死すべき肉体をもって、彼は天より降り」で始まり、
「私が語っているのはダンテのこと、
怒れる俗衆に彼の創作は不明、
彼らにとっては最高の天才すら、くだらぬ。
私をして、彼たらしめよ! 私に与えよ、
彼の仕事、流刑の悲哀を!
この世でそれに優る定めを私は望むまい!」
と終わるこの詩はミケランジェロの声であり、同時に疑いなくも作曲者ショスタコービチのものでもあろう。彼の風貌を見ると、自分は何も語れない恐怖の時代に生まれたと語っているようである。最近書店で立ち読みした文庫本には、彼がすんでのところで処刑される恐怖を味わったことが書かれていた。いわゆる四大粛清裁判が行われた時代、特にトハチェフスキー裁判の頃である。その後も含め彼の生涯はすべてそのような時代だった。ボルコフによる「証言」の本は創作には思えないところが数多くあるのだが。

R.シュトラウス・交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」

2007-11-05 09:51:56 | ロマン派
今日はR.シュトラウスも交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」が初演された日です(1895年、ケルン)。
この交響詩は、R.シュトラウスの交響詩の中でも規模もそれほど大きくなく、内容的にも捉えやすく、R.シュトラウスの作風を知る入門的な作品に思われます。30歳頃の作品で、85歳まで生きたR.シュトラウスには初期の作品と言っていいでしょう。それだけに才気煥発な作曲者の才能が溢れ出ているように思います。この曲はアマチュアのオケにはなかなか演奏会で取り上げるのは難しいのでは。ある本に、15分恥をかくつもりで、などと出てましたが、楽譜をみてもその通りに思われます。
ティルは、14世紀ドイツに実在した職人(農民?)で、各地を放浪し悪戯を重ねるが、知恵により勝つというお話で、ヨーロッパで広く流布したそうです。私も大学のドイツ語講座で学び、その時のコピーされたテキストはまだ持っています。またいつか勉強してみたいと思います。
この悪戯者のティルを音で表現した、この作品ですが、この曲が文学の中でも非常に効果的に使われていました。それは三島由紀夫の遺作「豊饒の海」の第二巻「奔馬」の中でです。初めて読んでこの個所に当たった時、その文章の艶やかさと共に、心理をも掴んだ使われ方に感嘆の念を持ちました。
《宮は「神風連史話」の、・・・。若者たちの熱血が四十五歳の連隊長の胸奥をゆるがした。
 宮は何とかしてわが手で彼らを救ってやる手だてはないものかと、真剣にお考えになりはじめた。考えあぐねて、まとまりにくいときには、お若いころからの御習慣で、洋楽のレコードをおききになるのである。
 ・・・、レコードはおん手づから選んでおかけになった。
 何か愉しいものをききたいと思し召したので、ポリドール・レコードの、リヒアルト・シュトラウス作曲「ティル・オイレンシュピーゲル」、ベルリン・フィルハーモニック交響管絃団をフルトヴェングラーが指揮したのを、従兵を退らせて、孤りでお聴きになった。
 「ティル・オイレンシュピーゲル」は十六世紀独乙に生まれた民衆的風刺的な物語である。ハウプトマンの書いた芝居と、R・シュトラウスの作った交響詩が名高い。
 ・・・
 このレコードは久しく聴かれなかった。そこで愉しい音楽を聴こうと思われた宮は、冒頭に弱音のホルンで吹かれるティルの主題を耳にされるや否や、自分はレコードの選び方をまちがえた、今自分が聴きたいと思った音楽はこれではない、といふ感じを即座に持たれた。それは陽気な悪戯気たっぷりなティルではなくて、フルトヴェングラーが拵へた、淋しい、孤独な、意識の底まで水晶のように透いて見えるティルだったからである。
 しかし宮はそのままお聴きになり、神経の銀の束をはたきにして、座敷内をはたいて廻るやうなティルの狂躁の行末に、ついに死刑の宣告を受けて最期を遂げるところまで聴き終られると、突然立って、ベルを鳴らして、従兵をお呼びになった。》(全集第18巻、713-714頁)
 文章力に脱帽である。(今の高校教科書にある拙劣な雑文とは大違いである。)
 私は、「ベルリン・フィルハーモニック交響管絃団をフルトヴェングラーが指揮したのを」とあるのを確認したく思いました。いわゆるSPレコード時代の1930年にフルトヴェングラーはベルリン・フィルハーモニック交響管絃団を指揮してこの曲を録音に残していました。小説の時代設定が昭和8年(1933年)過ぎだから、聴いたのはこの演奏だったということになります。序でに言うと、フルトヴェングラーは大戦中の1943年にライブでこの曲を録音しています。
 三島由紀夫は、いつからこの曲を作品の中で使おうと思ったのだろうか。「ついに死刑の宣告を受けて最期を遂げるところまで聴き終られると、突然立って」のところです、一番見事だと思ったのは。
 これから、この演奏を久しぶりに聴いてみたいと思います。

ブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」

2007-11-02 08:24:05 | ロマン派
今日は、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」(オーケストラ版)が初演された日です(1873年)。
ブラームスの、独奏楽器を伴わない管弦楽曲は、思いのほか数が少ない。4曲の交響曲、2曲のセレナーデ、この「ハイドン変奏曲」、それに「笑う序曲」とも言われる「大学祝典序曲」と「悲劇的序曲」、あと有名な「ハンガリー舞曲」の第1・3・10番である(この3曲だけが、作曲者自身のピアノ曲からの編曲である)。これですべてである。大作曲家ブラームスとしてはずいぶん少なく感じられます。私はこの曲を、カラヤンの「ドイツ・レクイエム」の2枚組みLPのフィルアップとして収められていたレコードで初めて耳にしました。その時のジャケットのグレー一色のイメージもどうもこの曲を聴くと付いてまわります。それはともかく、このハイドンの主題は、1870年ハイドン研究家として有名なポールという音楽学者のところで知り、3年後にその変奏曲を完成させたということです。これには2台のピアノ版と管弦楽版の両方があるので、その管弦楽版の初演の日ということになります。この原曲はどれなんだろうと、ハイドンの作品を探していました。そしてようやく見つけた覚えがあります。短い作品で管楽器が使われていたように思います(今手元にないので)。