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西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

テ・デウム(1) 

2017-01-16 21:51:02 | 音楽一般
Te Deum(テ・デウム)というと、真っ先にやはりブルックナーの作品を思い起こします。他に、ドボルザークのそれもスメターチェクの演奏で愛聴しています。他にも、ベルリオーズ、ビゼー、古いところではフランスのヴェルサイユ楽派のマルカントワーヌ・シャルパンティエなども作品を残しています。この曲はカトリックの祭典曲ということですが、キリスト教の歴史を知れば、私などはとても賛美する気持ちなど持てないですが、純粋に神の栄光をたたえる人の気持ちの現われという考えで捉えたいと思います。

テ・デウムはラテン語の歌詞でいつか一字一句知りたいと思っていました。力強いブルックナーのその作品を聴けば聴くほど、その気持ちは強くなります。
読みは、ラテン語の古典時代の読み方をとっています。実際に合唱団が歌うのは、ドイツ式あるいはイタリア式で、ここに記したのとは異なるでしょう。

Te Deum laudamus:
テー デウム ラウダームス
Te Dominum confitemur.
テー ドミヌム コーンフィテームル
Te aeternum Patrem omnis terra veneratur.
テー アエテルヌム パトレム オムニス テッラ ウェネラートゥル
Tibi omnes angeli; Tibi caeli et universae potestates;
ティビ(-) オムネース アンゲリー ティビ(-) カエリー エト ウーニウェルサエ ポテスターテース
Tibi Cherubim et Seraphim incessabili voce proclamant:
ティビ(-) ケルービム エト セラピーム インケッサービリー ウォーケ プロークラーマント

te 人称代名詞2人称単数対格
deum deus(2)神、の単数対格
dominum dominus(2)主人、の単数対格
confitemur confiteor(2)認める・白状する、の直説法現在複数1人称
laudamus laudo(1)賞める、の直説法現在複数1人称
aeterunum aeternus,a,um(形)永遠の、の男性単数対格
patrem pater,patris(男)父、の単数対格
omnis omnis,omne(形)全ての、の単数主格(男女性共通)
terra (1)大地
veneratur veneror(1)崇拝する、の直説法現在単数3人称
tibi 人称代名詞2人称単数与格
omnes omnis,omne(先述)の男性複数主格
angeli angelus(2)天使、の複数主格 *所持する辞書にない.
caeli caelum(2)天、空、の単数属格
universae universus,a,um(形)全体の・すべての、の女性複数主格
potestates potestas,atis(女)能力、の複数主格
Cherubim とSeraphimの2つは所持する辞書になし.英和辞典の訳、説明を記すと、
Cherubim (ラテン読みはケルービム)ケルビム(天使九階級の第二階級に属する天使、知識にひいでる) 古代ヘブライ語に由来
Seraphim (ラテン読みはセラピーム)seraph((諸天使中)最高位の天使)の複数 古代ヘブライ語に由来
et (接)と、そして
incessabili この語所持する辞書になし.英和辞典でこれに関連する語ということで調べると、incessant(形)絶え間のない・ひっきりなしの、がある。語源欄にはラテン語のincessans,-antisに由来とあり、この語はnotの意のin-とto cease(「やめる、終わる」)の意のcessareが結合したものとある。cessoはもちろん辞書にある(英 cease(やめる))。incessansのinをとったcessansはcessoの現在分詞形で、incessabili中のcessはcessoから来ている。
laudo (先述)に由来するlaudabilis,e (形)たたえるべき、という語があり、結局incessabiliは形容詞incessabilis,eの単数奪格(3性共通)と考えられる.
voce vox,vocis(女)声、の単数奪格
proclamant pro-clamo(1)(他)大声で叫ぶ、の直説法現在複数3人称

天主にまします御身(おんみ)をわれらたたえ、
主にまします御身を讃美し奉る。
永遠(えいえん)の御父(おんちち)よ、全地は御身を拝みまつる。
すべての御使い(みつかい)ら、天(あま)つ御国(みくに)の民、よろずの力ある者、
ケルビムも、セラフィムも、絶間(たえま)なく声高らかに御身がほぎ歌をうたいまつる。
(公教会祈祷文)


ブルックナーのテ・デウムは、1881年に作曲され、1883-84年に改訂されました。丁度同じころ、第7交響曲が作曲され(1881-83年)、その第2楽章にはこのテ・デウムからの旋律が引用され出てきます。最後の交響曲となった第9番は結局、作曲者の死により、第4楽章が完成されず、未完のまま残されましたが、生前ブルックナーは第9交響曲の第3楽章の後に、このテ・デウムを演奏して欲しいと言ったのは有名な話です。実際そのように演奏されることもあるようです。調性の関係で、結び付けることに難を唱える人もいるようですが、内容的には繋がるものがあると思っていますが、どうでしょうか。

「涙の日」-ヴェルディ「レクイエム」

2016-09-30 21:24:04 | 音楽一般
レクイエムはなにもヴェルディだけではなく、モーツァルトもブルックナーもその他にも数多くの作曲家が作品を残していますが(ベートーベンは作曲していませんが)、私にとってはヴェルディの作品が、聞いた回数が多いからか印象に残っています。その中でもこの「涙の日」はとても印象的で、いつも頭の中で鳴り響いています。(まあ、年がら年中ではないですが)それでいつかは言葉の分析をしたいと思っていました。

Lacrimosa dies illa,
ラクリモーサ ディエース イッラ,
qua resurget ex favilla
クワー レスルゲト エクス ファウィッラー
judicandus homo reus:
ユーディカンドゥス ホモー レウス:
Huic ergo parce Deus.
フイーク エルゴー パルケ デウス.
pie Jesu Domine,
ピエ イエースー ドミネ,
Dona eis requiem. Amen.
ドーナー エイース レクイエム. アーメン.

lacrimosa lacrimosus(形)涙ぐんだ・涙にかきくれた、の女性単数主格
dies 日、の意で単数主格だが、普通男性名詞だがここでは女性名詞として用いられている
illa (指示代名詞)illeの女性単数主格、この1行は女性名詞diesに合わせてある
qua (関係代名詞)quiの女性単数奪格、女性は先行詞diesに合わせてあり、奪格はqua以下の関係文の中での働きによる、「時の奪格」の用法である。
resurget resurgo(3)再び起き上がる・再び現れる、の能動相直説法未来単数3人称
ex (前)~から、奪格支配
favilla (1)辞書に’glowing ashes(白熱する灰)’とある。死体を焼いたあとの灰、ということである。
judicandus judico(1)判断をする・裁く、の動形容詞(未来受動分詞ということもあるが正しくは動形容詞)。「~されるべき」の意味で、「裁かれるべき」となる。
homo (c(通性))人、単数主格
reus (2)辞書にdefendant,prisoner,criminal,culpritとある。「被告・囚人・犯人・罪人」
huic (指示代名詞)hicこれ・この、の単数与格で男女中性同形
ergo (副)それ故に
parce parco(3)赦す、の能動相命令法現在単数2人称
Deus deus(2)神、第二変化名詞だが、不規則形を持ち、Deusは呼格で「神よ」の意
pie pius,a,um(形)敬虔な・誠実な、の男性単数呼格
Jesu Iesuと表記されることもある。Iesus(主格)(イエスス)は特殊な変化をする。対格Iesum(イエスム)、であとは全てIesu(イエースー)。ここは呼格。
Domine dominus(2)主、の単数呼格
dona dono(1)贈る・与える、の能動相命令法現在単数2人称
eis (指示代名詞)isそれ・その、の複数与格、男女中性同形
requiem requies(女)休息、の単数対格
Amen 「アーメン」(ヘブライ語で、まことに・確かに、の意)

(筆者訳)
その日は涙あふるる日、
その日には罪を犯した人間が
裁かれる者として灰から再び起き上がることだろう:
神よ それ故 この人をお赦しください。
慈悲深き主イエススよ、
彼らに安息をお与えください。アーメン。


「レクイエム」全曲分析してみたいところですが、ゆっくり少しずつチャレンジしてみようと思います。

「テ デウム」もやはりしてみたいですね。ブルックナーの名曲が頭に鳴り響いてきました。

ガウデアームス(されば楽しまん)―ブラームス「大学祝典序曲」(続)

2016-08-08 22:14:16 | 音楽一般
3.
Ubi sunt, qui ante nos, In mundo fuere?
ウビ スント, クウィー アンテ ノース, イン ムンドー フエーレ?
Vadite ad superos, Transite ad inferos,
ワーディテ アド スペロース, トラーンスィーテ アド イーンフェロース,
Ubi jam fuere.
ウビ ヤム フエーレ.

ubi (疑問副詞)どこに
sunt sum(前掲)ここでは「存在する・いる」の意、の直説法現在複数3人称
qui (関係代名詞)男性複数主格
ante (前)~の前に
in (前)~の中で(奪格支配)
mundo mundus(2)世界、の単数奪格
fuere sumの直説法現在完了複数3人称
vadite vado(3)「進む・歩む」の能動相命令法現在複数2人称
ad (前)~の方へ・~に
superos superus(形)上の、の男性複数対格形。しかしここでは、辞典にof heavenとあることなどから、「天国」の意の名詞ととっていいだろう。
transite transeo(不規則動詞)「渡る」の命令法現在複数2人称
inferos inferus(形)下の、の男中性複数対格形。中性複数名詞inferiとして「地獄・下界」とあるので、ここではこの意。形容詞の名詞化はラテン語によくある。(近代語でも同様)
ubi ここでは(関係副詞)で「~のところに」
jam (副)すでに

(筆者訳)
我々の前にこの世界にいた者たちはいまどこにいるのか?
天国に行きたまえ、地獄に渡ってみたまえ、
そこがその者たちが前からいたところなのだ。

4.
Vivat academia, Vivant professores;
ウィーワト アカデーミア, ウィーワント プロフェッソーレース;
Vivat mebrum quodlibet, vivant membra quaelibet,
ウィーワト メムブルム クウォドリベット, ウィーワント メムブラ クワエリベット,
Semper sint in flore!
セムペル スィント イン フローレ!

vivat vivo(3)「生きる」の能動相接続法現在単数3人称、ここでの接続法は、「願望」を表わしている。後にある2つの接続法も同じである。
academia (1)大学
vivant vivo(前掲)の能動相接続法現在複数3人称
professores professor,soris (男)教授、の複数主格
membrum membrum(2)仲間・構成員、の単数主格
quodlibet quilibet(不定代名詞)誰でも・何でも、の中性単数主格
membra (前掲)の複数主格
quaelibet quilibet(不定代名詞)誰でも・何でも、の中性複数主格
semper (副)いつも・常に
sint sum(前掲)の接続法現在複数3人称
flore flos (男)花、の単数奪格

(筆者訳)
大学万歳、先生方万歳
仲間の誰であれ万歳、仲間のみんな万歳
彼らがこれからも常に花の盛りにありますように!

読み方を見て気づかれた方も多いと思いますが、vは[w]の音で、英語のveryなどにある音にはならない。またsも常に[s]音で、英語のisにあるような音ではない。また母音についても、a,e,i,o,u,yの6文字で、これらには長短2つの読み方が生じる。学習書では、長音のとき記号を付けるが、ここでは付けていない。読み方に「-」を付けそれを示した。(-)としたのは、長短いずれでもよいということです。
ラテン語は近代語に比べ、語形変化が厄介だと書きましたが、作成した動詞の変化表で数えたら、1つの動詞がざっと140くらいの語形変化をしている。数え方を変えるともっと多いかもしれません。バッハやベートーベンは当然ラテン語に対する理解もあったことでしょう。

そういえば、ベートーベンの臨終の2日前でしたか、彼はこのようなこと(ラテン語)を医者たちに向かって言った。

Plaudite amici, 
プラウディテ アミーキー、
Finita est comoedia!
フィーニータ エスト コーモエディア! 

plaudite plaudo (3)拍手する、の命令法現在複数2人称
amici amicus (2)友、の複数呼格
finita finio (4)(受動)終る、の完了分詞で、ここではestと受動相直説法の現在完了単数3人称を作っている。
comoedia I1)喜劇、単数主格

友よ 喝采したまえ、
喜劇は終わった! (筆者訳)

いろいろなところでラテン語は出てきます。もっと勉強しなくては。

(完)

ガウデアームス(されば楽しまん)―ブラームス「大学祝典序曲」

2016-08-07 13:55:10 | 音楽一般
ヨハネス・ブラームスに作品80「大学祝典序曲」があるが、これには4曲の学生歌より構成されている。そのうちの一つが「ガウデアームス」である。この曲は13世紀に、ボローニャの司教が作曲したものということだ。
中世の大学ということで、使われている言葉は、ラテン語である。ラテン語は、ミサ曲をはじめ、音楽の理解にも必要で、バッハやベートーベンのミサ曲、ブルックナーのモテットなどを深く知るにはどうしてもその知識が必要になる。現代語と異なり、かなり語形変化が厄介である。大学時代に学んだが、十分理解したなどとは言えない。自分でその変化を理解したいとこの何か月か取り組み、自分なりにわかりやすい変化表を作ったりした。まだその入り口のところで、統語論には入っていけてないが、とりあえず、目にしたこの「ガウデアームス」の分析を試みた。
やはり声に出さないと理解も十分にはならないので、カタカナ読みを付けてみた。ラテン語は極めて日本語に近い音を持ち、その点は我々日本人に向いた言語だ。

Gaudeamus igitur

1.
Gaudeamus igitur, juvenes dum sumus;
ガウデアームス イギトゥル, ユウェネース ドゥム スムス;
Post jucundam juventutem, post molestam senectutem,
ポスト ユークンダム ユウェントゥーテム, ポスト モレスタム セネクトゥーテム,
nos habebit humus.
ノース ハベービト フムス.

gaudeamus gaudeo(2)「喜ぶ・楽しむ」の接続法現在複数1人称。「意志の接続法」の働きをし、「~しようではないか」(勧奨)の意。
igitur (接)それ故に・されば
dum (接)~の間に
sumus sum「~である」の能動相直説法現在複数1人称
juvenes juvenis,e(形)若い、の男・女性複数主格
post (前)~の後で
jucundam jucundus,a,um(形)快い・楽しい、の女性単数対格
juventutem yuventus,tutis(女)青年・青春、の単数対格
molestam molestus,a,um(形)煩わしい・不快な・苦痛な、の女性単数対格
senectutem  senectus,tutis(女)老年、の単数対格
nos nos(人称代名詞)我々は、のここでは同形の対格「我々を」
habebit habeo(2)「持つ」の能動相直説法未来単数3人称
humus humus(女)大地、の単数主格

(筆者訳)
されば楽しまん、若さのあるうちに;
楽しさあふれる青春の後には、煩い多い老年の後には、
大地がわれらの帰るところとなることだろう。

(男)(女)(中)は、(ここでは女だけだが)は名詞の性を表わす(ドイツ語などと同じ)
(形)(前)(接)などは、英語と同じく品詞を表わす。
(対)は、格変化の一つで、ラテン語は、主格(~は)、属格(~の)、与格(~に)、対格(~を)、奪格(または従格)(~とともに・~によって・~から・~において)、呼格(~よ)の6つの格がある。ドイツ語より2つ多い。

2.
Vita nostra brevis est, Brevi finietur.
ウィータ ノストラ ブレウィス エスト, ブレウィー フィーニエートゥル.
Venit mors velociter, Rapit nos atrociter,
ウェニト モルス ウェーローキテル, ラピト ノース ア(-)トローキテル,
Nemini parcetur.
ネーミニー パルケートゥル.

vita(1)生命・人生・生涯、の単数主格(女性名詞)
nostra noster(所有形容詞)「我々の」の女性単数主格、vitaが女性名詞であることに合わせている
brevis brevis,e(形)短い、のここでは女性単数主格
est sum(前掲)の能動相直説法現在単数3人称
brevi (副)「簡単に・すみやかに」
finietur finio(4)「終える・(受動)終る」の受動相直説法未来単数3人称。
venit venio(4)「来る」の能動相直説法現在単数3人称
mors mors,mortis(女)死、の単数主格
velociter (副)swiftly,speedilyとラテン語・英語辞典にある。「すばやく・速く」
rapit rapio(3b)「奪う・ひったくる」の能動相直説法現在単数3人称
nos (前掲)
atrociter (副)violently,fiercely,cruelly,harshly、と辞典にある。「乱暴に・激しく・猛烈に・残酷に」
nemini nemo(3)何人も~ない、の単数与格(男女性)
parcetur parco(3)「容赦する」の受動相直説法未来単数3人称、与格を支配する。

(筆者訳)
我々の人生は短い、あっという間に終わってしまうだろう。
死はすばやくやって来て、われらを残酷に奪い取ってしまう、
死は誰をも容赦しないのだ。

名詞は、5つの変化に分かれる。そのうち、-aで終わる(1)は女性名詞を、-us,-umで終わり(2)とあるのは、それぞれ男性名詞、中性名詞を表わす。その他については、男女中で示される。
動詞は、(1)(2)(3)(3b)(4)の5つに分類される。動詞には、不規則動詞以外はこの分類が示される。

(続く)

全集―ストラビンスキー

2016-05-11 17:40:58 | 音楽一般


全集の好きな私はストラビンスキーを買ってしまっていた。しかも2つ。なぜ全集か?音楽史の上で名を成す作曲家のことを知りたいと思うからである。有名曲だけでもいいのでは、と思うが、何か有名曲以外でも気に入る作品が見つかるかも知れない、と思うから。もちろん演奏家、その他CDの構成なども見るが、この2つは買ってよかったと思う。

左の全集(1と呼ぶ)は数年前だろうか、購入したのは。でもすべて聴いてなかった。あと値段も問題だが、2つともびっくりするほど廉価。1は22枚組で、作曲者自身の演奏がかなりある。そして右の全集(2と呼ぶ)は30枚組で、グラモフォン・レーベルが多く、オケの作品を中心に今年亡くなったブーレーズの指揮が多い。そのような意味でも、2を買うのに躊躇しなかった。この2を今、30枚目を聴き終わったところ。1は、これからまだ聴いていないのを順に聴いて行く。

作曲家の作品表を作り、作品がこの2つの全集のどこにあるかすぐわかるようにしたいと思うので、表はすでに作っていた。そしてCD8枚の差がどのようになっているか見た。当然2だけにあるものが多いが、4つだけ1のみにあるものがある。編曲作品などである。1・2共に収録されてないものもある。紛失作品、未出版のもの(これは当然!)、ほかに編曲ものなど。そしてストラビンスキーは自作品をいろいろと改訂やら、別の楽器での演奏に編曲するなどしていて、そのような場合、元のと改訂したもののいずれかしかないものがある。例えば、室内楽作品の「イタリア組曲」。最初に4曲からなるチェロとピアノの作品を書いたが(これもバレエ音楽「プルチネルラ」よりの編曲)、後に6曲からなるバイオリンとピアノ版を書いた。このバイオリン版はいずれの全集にも収録されていず、2にチェロ版があるだけ。1には、その代わりと言うのか、8曲からなる「プルチネルラ」組曲が入っている(これは2にはない)。全集だけあり、主だったものは収録されていると言っていいだろう。

ストラビンスキーの作品表を見て気づくのは、作品番号(Op.)が付いていない!ということだ。いや、正確に言うと、Op.9まである。(しかし8はどういうわけか、欠落!)そして後世の人が分野別?、年代順?に並べて番号を付けたりするが、それもストラビンスキーの場合はなし。ネットで探せばある?ないでしょう、今の時点では。だから有名な「春の祭典」その他にも一切番号なしである。

昨日また、通販で全集を注文してしまった。これからも少しずつ聴いて行きたい。

「麗しく美しい五月に」

2016-05-08 12:19:29 | 音楽一般
歳時記でもかつて取り上げた、ドイツ・ロマン派の作曲家ローベルト・シューマンの1840年作曲のハイネによる歌曲集「詩人の恋」(Op. 48)の第1曲である。
いつかこの詩もしっかりとドイツ語の意味を知りたいと思っていました。シューベルトの「セレナーデ」に続いて見てみたいと思います。

Im wunderschönen Monat Mai,
als alle Knospen sprangen,
da ist in meinem Herzen
die Liebe aufgegangen.

wunderschönは、schön(「美しい」)にWunder(英wonderと同語源で、「不思議・驚異」の意)が前に付いた複合語で、「非常に(なんとも言えぬほど)美しい」と辞書にあります。Monatは英語のmonthと同語源で、「(暦の)月」です。ついでに言うと、天体の「月」はMondで英語のmoonと同語源。これらはとても似ていますが、暦の月の語は、天体の月からできたからです。Maiはもちろん英語のMayと同語源、「5月」です。
alsは英語のasと同語源で、接続詞「~したときに」です。Knospenは女性名詞Knospe(「芽・つぼみ」)の複数形で、sprangenは元の形(英語では、原形と言いますが、ドイツ語の文法書ではこの語は使われていないようで(説明上、出してる書もありますが)不定詞と言います)はspringenで形を見ればわかるように、英語のspringと同語源で、「跳ぶ」です。ここはつぼみが「開く」ですね。sprangenはspringenの過去基本形sprangに3人称複数の語尾-enが付いたものです。meinem Herzenはmein Herz(語源上、英語のmy heartに相当)の単数3格形です。
daは英語のthereと同語源で、「そのときに・すると」の意の副詞です。次に動詞istがありますが、主語は次行のdie Liebe(「愛・恋心」)です。aufgegangenはaufgehen(「上がる・現われる」の意)の過去分詞です。以前も一度書きましたが、分離動詞です。ist … aufgegangenで形は現在完了形ですが、英訳でaroseとなっているように、ドイツ語の現在完了形は英語の過去形になると言っても間違えではないでしょう。

Im wunderschönen Monat Mai,
als alle Vögel sangen,
da hab' ich ihr gestanden
mein Sehnen und Verlangen.

VögelはVogel(「鳥」の意)の複数形です。sangenは、形や鳥の後に来ていることからもわかるように英語のsingと語源を同じくするsingenの過去基本形sangに3人称複数の語尾-enが付いたものです。
3行目gestandenはgestehenの過去分詞です。gestehenは他動詞「告白する」で、ihrはsie(「彼女は」)の3格形で「彼女に」、mein Sehnen und Verlangenは4格になり、「私のあこがれと熱望を」となります。hab' は元はhabeで、ドイツ語のeは置かれた場所によってはよく略され、代わりに'が打たれます。韻律の関係でこのようなことが頻繁に起こるものと思います。そしてこのhabeとgestandenでやはり現在完了形を作っています。ドイツ語の現在完了はseinを取るものとhabenを取るものがあるのです。後者が多いですが。


5月に入り一週間が経ちましたが、やはり5月と言うと、このシューマンの「詩人の恋」の第一曲がすぐに思い付きます。ユーチューブで先ほど聞いてみましたが、1分半ほどの曲ですが、やはり詩の意味を知った上で聞いてみたいものと思いました。

LFJ・オ・ジャポン2016

2016-05-07 22:12:48 | 音楽一般


今年のLFJオ・ジャポンは、la nature(自然)がテーマ。自然と音楽と言う。昨年はパッションだった。今年の方が我々にはわかり易いか。

ゴールデン・ウィークの5月3・4・5日に開催されたが、3日のみ行けた。しかしどんな風なんだろうという気持ちで行き、余裕を持って楽しむという感じにはなれなかった。どうしてかと思うが、まあ自然に任せるのがいいだろう。丸の内で通りがかったトロンボーンの演奏を聴いたり、ちょっと変わった楽器(「蛇」とかいう)を聴いたり、またレコードの演奏を聴いたりしただけだった。来年のテーマは何なのだろう。来年は事前によく調べ行ってみたいと思う。画像にあるソフトクリームを売ってる店で買って食べたソフトアイスクリームはやはりおいしかった。

4日はずいぶんと風が強かった。外での演奏は大変だったのでは。

シューベルト 「セレナーデ」(続々)

2016-03-04 22:23:53 | 音楽一般
今日の箇所はこれまでと曲調が変わるところです。

Laß auch dir die Brust bewegen,
Liebchen, höre mich!
Bebend harr’ ich dir entgegen!
Komm, beglücke mich!

Laß auch dir die Brust bewegen,
Liebchen, höre mich!

laßは新正書法ではlassとなります。元はlassenで「第9」にも出ました。英語のletと同語源で「~させる」の意の話法の助動詞です。命令法の単数2人称で語尾のeが付くこともありますが、ここは省略されています。Brustは英語のbreastと同語源で「胸」の意です。bewegenは他動詞で「動かす・心を揺り動かす」の意です。höreは前に出たhörenの命令法2人称単数形です。ここは語尾のeが付いています。

Bebend harr’ ich dir entgegen!
Komm, beglücke mich!

Bebendはbeben(「震える」)に-dが付いて現在分詞です。harr’はharren(「待つ」)の1人称単数形harreのeが略されアポストロフが置かれています。entgegenは英語のagainstと同語源です。3格支配の前置詞で「~を出迎えて」の意で英語と異なりその目的語は前に置かれているdirです。beglückeは他動詞beglücken(「幸福にする・喜ばせる」)の命令法2人称単数形です。


この詩を書いたのはドイツの詩人ルートヴィヒ・レルシュタープ(1799-1860)です。この崇高なシューベルトの「セレナーデ」は、この詩があって生まれたわけで、私はいつもそのようなことを思うと、詩人にも同様に感謝しないわけにはいきません。詩と旋律とを結びつけたものは何なのだろうといつも思ってしまいます。

(完)

シューベルト 「セレナーデ」(続)

2016-03-03 17:41:23 | 音楽一般
Hörst die Nachtigallen schlagen?
Ach! sie flehen dich,
Mit der Töne süßen Klagen
Flehen sie für mich.

Hörst die Nachtigallen schlagen?
Ach! sie flehen dich,

Hörstはhören(英 hear、意味は「聞く・聞こえる」)の単数2人称現在形です。その後に主語のduが省略されています。疑問符があり疑問文です。Nachtigallは英語のnightingaleと同語源で意味は「サヨナキドリ」、ここはその複数4格です。schlagenは、ここでは自動詞で「さえずる・鳴く」の意で、不定詞です。sieは複数3人称の代名詞でここはもちろんdie Nachtigallenを指しています。flehenはここでは他動詞で使われていて「~に懇願(嘆願)する」です。dichはdu(「君」)の4格です。

Mit der Töne süßen Klagen
Flehen sie für mich.

der Töneは「第9」で出てきました。Ton(「調子・音調・メロディー」)の複数2格形です。süßen Klagenはsüß(「甘い」)、Klage(「悲嘆・・悲しみ・悲しみ(苦しみ)のうめき[声]」)の複数3格形です。mitは「~と・~で・~を持って」の意の3格支配の前置詞です。次のflehenは自動詞(「懇願(嘆願)する」)で使われています。fürは英語のforと同語源の4格支配の前置詞です。意味は「~のために・~の味方で[代理で]」です。

Sie verstehn des Busens Sehnen,
Kennen Liebesschmerz,
Rühren mit den Silbertönen
Jedes weiche Herz.

ここは主語Sie(=die Nachtigallen)の動詞が3つ続きます。
verstehnは辞書にある形はverstehen(「理解する」の意)です。弱音節のeは頻繁に略されるようです。アポストロフが置かれるかと思いますが、これも略されるようです。Busenは英語のbosomと同語源で、「胸(とくに女の)・心・心の中」と辞書に意味が出ています。Sehnenは元は動詞sehnen(「あこがれる・慕う」の意)で、そのまま名詞化され使われています。この動詞の名詞はSehnsuchtで「あこがれ・憧憬」の意となり、ベートーベンはこのタイトルの2人の詩人(ゲーテとライシッヒ)の詩にそれぞれ1810年と15年に作曲しています。
2つ目の動詞は、kennenで「知っている」です。Liebesschmerzは辞書にありません。Liebeは英語のloveと同語源で「愛」です。Schmerzは「苦痛・苦悩」です。
3つ目の他動詞rührenは英語のtouchに訳され、「動かす・感動させる」の意です。Silbertöneはもちろん辞書にありません。Silber(英 silber)は「銀」です。動詞の目的語はJedes(元はjeder(「おのおのの・すべての」)で不定代名詞) weich(「柔和な・思いやりのある」)Herz(「心」)です。

(続く)

シューベルト 「セレナーデ」

2016-03-02 13:47:05 | 音楽一般
シューベルトのセレナーデもつい口に出して歌いたくなる曲の一つです。本当に素晴らしい曲だと思います。単語を辞書で引いて行くと、ドイツ語の勉強にもなります。今回は、「第9」に引き続き、この曲を取り上げます。

「セレナーデ」ですが、ドイツ語は、英語のserenade(フランス語、イタリア語が元になっています)とは関連のない語を使っています。Ständchenです。これはStand(英 stand)の縮小名詞です。Standは「立っていること」の意の名詞です。-chenを付けると(幹母音が変音します)元の語の「小・親愛」などの意を持つ縮小名詞を作ります。代表例が、Mädchen(「少女・女の子」)です。何と-chenが付いた名詞は中性名詞です。元に戻ります。なぜ「立っていること」がセレナーデなのかと思っていましたが、辞書(木村・相良)を見ると「セレナーデ(愛人又は敬愛する人の窓下に立って歌う)」と出ています。ここから来たようですね。

Ständchen

Leise flehen meine Lieder
Durch die Nacht zu dir;
In den stillen Hain hernieder,
Liebchen, komm zu mir!


Leise flehen meine Lieder
Durch die Nacht zu dir;

leiseは「小声で・かすかに・おだやかに」の意の副詞です。flehenは「懇願(切願・嘆願)する」です。 LiederはLied(「歌・リート」)の複数形1格。Nachtは「夜」で、英語のnightと同語源。Nachtmusik(「小夜曲」)はモーツァルトの曲名でよく聞きます。

In den stillen Hain hernieder,
Liebchen, komm zu mir!

stillは「静かな」の意で英語のstillと同語源。(綴りが全く同じ。でも発音はシュティルです。)Hainは「森」で、詩語です。herniederは副詞で「[こちらの]下へ、下方へ」とあります。Liebchenは「いとしい人・恋人」で、Liebe(「いとしい人」)の縮小名詞です。kommはkommen(英 come、「来る」の意)の命令法単数2人称形です。
 *すぐ前にdir、ここにmirが出てきましたが、人称代名詞の単数3格形で、それぞれ2人称、1人称で、「君(あなた)に」「私に」です。なぜ3格かというと、zu(英 to、「~の方へ」の意))は3格支配の前置詞だからです。

Flüsternd schlanke Wipfel rauschen
In des Mondes Licht;
Des Verräters feindlich Lauschen
Fürchte, Holde, nicht.

Flüsternd schlanke Wipfel rauschen
In des Mondes Licht;

Flüsterndはflüstern「ささやく・(風が)ささやくようにそよぐ」に-dが付いて現在分詞になっています。schlankは「細い・ほっそりした・しなやかな」の意の形容詞です。Wipfelは「こずえ(梢)」の意の名詞で語尾は付いていません(同尾型です)がここは複数1格です。rauschenは英語のrushと同語源で「ざわざわと音をたてる・さやぐ・ざわめく」の意です。Mondは英語のmoonと同語源で「月」です。ここはその属格(2格)で「月の」Licht(英 light,「光」の意)です。

Des Verräters feindlich Lauschen
Fürchte, Holde, nicht.

Verräterは「裏切者・反逆人・スパイ」の意でここは-sの語尾が付いて上と同じく属格です。feindlichは元は、名詞Feind(英語のfiend(「悪魔・鬼のようなやつ」)と同語源で「敵・憎悪する人」の意)に形容詞語尾の-lichが付いて「敵の・敵意のある」の意になります。Lauschenは動詞lauschen「(人の)ことばに聞き耳をたてる」がそのまま名詞化したものと見ていいでしょう。Fürchteはfürchten(英 frighten)は他動詞で「恐れる・こわがる・気づかう」の意で、ここは語幹に語尾-eが付いて命令法2人称単数形です。行の最後のnicht(「~しない」)と共に「恐れるな」の意になります。Holdeは元はholdで「やさしい・かわいらしい」の意の形容詞でここは名詞化され、語尾の-eが付いていることから相手の女性に呼びかけで使われていて、英訳だとmy darling(私の最愛の人)となっています。

(続く)