けんけんブログ -guide diary-

国際山岳ガイド近藤謙司の冒険案内記!
“ハイキングからチョモランマまで”

AGエベレスト&ローツェ隊、ルクラよりカトマンズに戻りました。

2015-05-07 20:44:25 | エベレスト&ローツェ&ロブチェ登山隊2015
けんけん@カトマンズです。


ご心配をおかけいたしましたが、
AG隊の全隊員とスタッフの一部がフライトにて
カトマンズの空港へ到着しました。

 

なすびちゃんは飛行機に載るのが気がすすまなぃ…とがっくりでしたが、
今回だけはしたの状況が分からず、何かあってもレスキューにも行けないので。
トリブバン空港は外国の軍用機でいっぱいでした。


空港はルクラでもカトマンズでも、
それほど人が殺到していたりすることは無く、
とても穏やかで、混乱している様子も全くありませんでした。

殺気立ってるという噂があったりしたのは、
ネパール人じゃなくて、外国人がそうだったんじゃないの?


カトマンズに戻ってから、大津ふみ子さんも言ってました。

「この国も日本と同じで、地震後には暴動とか略奪は起こらなかったの!」…と。

国柄、人柄、民族や宗教が混沌としている国ですが、
みんな穏やかな人たちが多いんですよね。


そんな事をあらためて感じながら、
カトマンズの空港からラジンパッド地区のホテルまでの道のりから、
外の景色を食い入るようにみていた隊員たち。

「それほど、このへんの街も普段と変わらないなぁ…。」
「今回の地震で崩れたのか、前から崩れてたのかわかんねぇなぁ…。」

なんて苦笑いしてました。


旧市街に対して、空港から新王宮、北のラジンパッド方面は、
目だった崩壊も無く、王宮の壁が一部壊れているくらいか。

人の往来は、いつもよりは少ないが、
商店や飲食店は通常営業をしているし、
やはり荷物を運んでるポーターなんかも歩いているね。

コスモトレックのオフィスに到着すると、
ニコニコの笑顔で大津さんやスタッフが出迎えてくれた。

そうそう、ダテンリは身奇麗になって空港に出迎えてくれていた!

昼食は出前をすぐに用意してくれて、
日本料理屋「小鉄」のお弁当!

お店はビルにひびが入ってしまい、営業できないので、
お弁当業を昨日からはじめたそうなのでお願いした。
幕の内弁当的な感じで、美味しかったなぁ。

その後に隊員はホテルに移動して数日間のアカを落とす作業に。
僕は、そのまま観光省の登山局に出向き、
登山終了後のブリーフィングに!

登山は終了してないけどね!
まぁ、そんなだからブリーフィングは短かった。

言いたいことだけは、言って来ましたが…
今後に生かされるかどうかは???かな。






さて、昨日にナムチェよりパグディンなどを経由して、
ルクラに到着するまでのレポートしますね。

途中、数家屋の倒壊、大きな崖崩れでのトレッキング道通行の
リルートがあったりしましたが、

外国人トレッカーがいないだけで、
街道を往来する人々や、流通製品をかついだポーターは
普通に街道を通行して生活をしているようにも見えました。


 

パグディン付近。一人黙々と道を直しているおじさん。
この人には、どんな団体でも募金が届かないだろうな。現場にいないと。
なすびさんと一緒に募金箱に寄付させていただきました。





パグディンのピーギャルツェンさんの宿もOK!
裏庭には、レッドクロス・ドイツより被災者用のテントが届けられていました。
昨夜までは野宿だった人も、今夜からはテントだね。




ルクラのサウスコル・ロッジに到着。
このへんの建物も大きな被害はなく従業員の皆さんも元気でした。


やはり、どこでも、
「お客さんがこなくて困っている…」
「このままじゃ生きていけない…」
などのグチがこぼれてくる。

シリアスな災害に会ってしまった人もいますが、
普段通りの生活を贈りたい人には辛い日日が続いています。

日本などのように、銀行や証券会社、保険など、
みんな貯蓄があったりするわけじゃないから、

現金収入だけで生きている人たちには
かなりキツイよね。



ルクラではキッチンスタッフとお別れです。
彼らはカトマンズに行かないで、自分たちのソルクンブの村に返ります。
また宜しくね!






AG隊、ナムチェまでの奇跡②

2015-05-07 01:52:26 | エベレスト&ローツェ&ロブチェ登山隊2015
けんけん@ルクラです。

なんとか歩いてルクラまで辿り着いてしまいました。


※ここまでの間、心配があるといけないので、
結果だけ先にお話をしておくと、AGの関係のお宿や食堂などで
大きな被害のあったところはありませんでした。



先日はゴラクシェプからロブチェまでの様子を
レポートしようとして、

あまりにもロブチェピークの写真が綺麗だったので
脱線して登頂時の写真をたくさん出しました。

今回はその続きです。

ルクラまでの道中の様子もアップしたかったのですが、
すみません、明日は早いので今夜はご勘弁下さい。

もしフライトが飛ばなければ、
ゆっくりとアップさせていただきます。


  

ロブチェは、新しいロッジの壁が崩れてましたが、
古くからあるAG御用達の小屋「エボッタ・クラブ」の
チェリン・ウォンムさんのロッジは無事でした。


  

  

その翌日には、ロブチェを出発しペリチェにて食事をとる。
以外にも壊れている建物が増え、ペリチェの診療所にも訪問し寄付をさせて頂きました。

その後に、いつもお祈りをしてもらう僧院のあるパンボチェへ移動して宿泊。
ここで野口健君に会いました。


  

パンボチェの宿、スィーダワロッジへ。
バルンツエで死んだチュワン・ニマのお姉さんで、そしてAAIの旗頭ラクパ・リタの
従兄弟でもあるチミ・シェルパさんのお宿。
両サイドの壁の石積みが室内側へと落ちてきて怖かったと言う。
僕らが来たから安心して、庭のテントからダイニングに寝床を移してきました。


   


そして更に翌日にパンボチェを出発して、AG隊は僧院へ。
最古のものかもとshルパが言うストューバ(仏塔)が壊れたので募金に行きましたが、
反対に、またまたお祈りをしていただくことになってしまいました。

そして、デボチェは被害も殆ど無く、そのまま通過してタンボチェへ。
僧院はかなりのダメージがありましたね。
この寺院は過去にも日本の寄付で再建されたことがあります。
このあたりはまた同じ団体が協力しそうかな。
タンボチェの斜面はシャクナゲで赤く染まってました。


  

最後にナムチェ・バザール。
ここも大きな被害は無かったけど、シャンボチェに抜けるルートの石組みが、
壊れていたと、ヤンマーとなすびの報告にありました。

ナムチェはそこそこに裕福な集落ですが、
近隣のクムジュンとターメのための募金活動を早速に村人達がしてました。
燕山荘でもお馴染みのソナロッジ(メインフォトの集合写真)のニマ・タシのファミリー、
お隣の超有名シェルパのラクパ・テンジンのサクラロッジの面々も元気でした。
息子のハクパ君、久しぶりに会いました。

ナムチェはそれほど被害ないなと本日に歩き出すと、
回り込んだチェックポストの上の建物の屋根が無くなってました。
一生懸命リペアしていました。



いずれも、どのダメージの建物も石垣も、
モンズーンが来る前になんとか補修しないとなりませんね。


さて、AG隊、常にKhumbu cough(クンブ咳という名の世界的に知られる咳)の大合唱で、
ネパールスタッフも少しはしてるから、誰かしらが必ず激しい咳をしています。

寝ている間も酷いから、ホテルの廊下もうるさいのなんのって。

僕も咳のしすぎで、もう2回も吐いてしまいました。
特に夜になると止まらない。

鼻水も痰も、そしてなぜか鼻血も。
ああ、今夜は無事に眠りたいけど。。。


明日はカトマンズに一人でも多く飛べると良いな。
ではでは。