けんけんブログ -guide diary-

国際山岳ガイド近藤謙司の冒険案内記!
“ハイキングからチョモランマまで”

AG隊、ナムチェまでの奇跡②

2015-05-07 01:52:26 | エベレスト&ローツェ&ロブチェ登山隊2015
けんけん@ルクラです。

なんとか歩いてルクラまで辿り着いてしまいました。


※ここまでの間、心配があるといけないので、
結果だけ先にお話をしておくと、AGの関係のお宿や食堂などで
大きな被害のあったところはありませんでした。



先日はゴラクシェプからロブチェまでの様子を
レポートしようとして、

あまりにもロブチェピークの写真が綺麗だったので
脱線して登頂時の写真をたくさん出しました。

今回はその続きです。

ルクラまでの道中の様子もアップしたかったのですが、
すみません、明日は早いので今夜はご勘弁下さい。

もしフライトが飛ばなければ、
ゆっくりとアップさせていただきます。


  

ロブチェは、新しいロッジの壁が崩れてましたが、
古くからあるAG御用達の小屋「エボッタ・クラブ」の
チェリン・ウォンムさんのロッジは無事でした。


  

  

その翌日には、ロブチェを出発しペリチェにて食事をとる。
以外にも壊れている建物が増え、ペリチェの診療所にも訪問し寄付をさせて頂きました。

その後に、いつもお祈りをしてもらう僧院のあるパンボチェへ移動して宿泊。
ここで野口健君に会いました。


  

パンボチェの宿、スィーダワロッジへ。
バルンツエで死んだチュワン・ニマのお姉さんで、そしてAAIの旗頭ラクパ・リタの
従兄弟でもあるチミ・シェルパさんのお宿。
両サイドの壁の石積みが室内側へと落ちてきて怖かったと言う。
僕らが来たから安心して、庭のテントからダイニングに寝床を移してきました。


   


そして更に翌日にパンボチェを出発して、AG隊は僧院へ。
最古のものかもとshルパが言うストューバ(仏塔)が壊れたので募金に行きましたが、
反対に、またまたお祈りをしていただくことになってしまいました。

そして、デボチェは被害も殆ど無く、そのまま通過してタンボチェへ。
僧院はかなりのダメージがありましたね。
この寺院は過去にも日本の寄付で再建されたことがあります。
このあたりはまた同じ団体が協力しそうかな。
タンボチェの斜面はシャクナゲで赤く染まってました。


  

最後にナムチェ・バザール。
ここも大きな被害は無かったけど、シャンボチェに抜けるルートの石組みが、
壊れていたと、ヤンマーとなすびの報告にありました。

ナムチェはそこそこに裕福な集落ですが、
近隣のクムジュンとターメのための募金活動を早速に村人達がしてました。
燕山荘でもお馴染みのソナロッジ(メインフォトの集合写真)のニマ・タシのファミリー、
お隣の超有名シェルパのラクパ・テンジンのサクラロッジの面々も元気でした。
息子のハクパ君、久しぶりに会いました。

ナムチェはそれほど被害ないなと本日に歩き出すと、
回り込んだチェックポストの上の建物の屋根が無くなってました。
一生懸命リペアしていました。



いずれも、どのダメージの建物も石垣も、
モンズーンが来る前になんとか補修しないとなりませんね。


さて、AG隊、常にKhumbu cough(クンブ咳という名の世界的に知られる咳)の大合唱で、
ネパールスタッフも少しはしてるから、誰かしらが必ず激しい咳をしています。

寝ている間も酷いから、ホテルの廊下もうるさいのなんのって。

僕も咳のしすぎで、もう2回も吐いてしまいました。
特に夜になると止まらない。

鼻水も痰も、そしてなぜか鼻血も。
ああ、今夜は無事に眠りたいけど。。。


明日はカトマンズに一人でも多く飛べると良いな。
ではでは。


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おやすみなさい(-_-)zzz (BIKKE)
2015-05-07 05:08:29
お帰りなさい。
今夜はみんな無事に眠れますように・・
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