稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

剣道講和(敬老の日に話した内容、年不明)- 2/5

2017年12月07日 | 長井長正範士の遺文
大自然は陰陽の二つからなっている。
大自然から生まれた剣道だから、陰陽、プラスマイナス、前に攻め後ろへ間を取り、
左右の足捌き、力を入れる抜く、強弱、位、上下の礼、攻撃防御等、絶えず表裏一体となった
二つの調子が狂わぬよう精進していくところに心身の鍛錬の意義がある。

ただ単に剣道は心と身体の鍛錬だと思っていては剣道に対する考え方が甘いと言わねばならない。
心身一如で剣を交えて人格を作り上げていくのが剣道である。
これが大事な呼吸につながる。打ち間に入る時はスッと息を吸う。
逆に相手が先に出て、打っては来ないだろうか?とか、攻められ迷った時は瞬間トメ息をする。
トメ息は1秒以内。下腹から中腹まで力を入れ、必ず竹刀の先は相手の咽喉に付けておく。
トメ息は心が落ち着く。

息を吐いて打つ。息を吸ってスッと入る。息を止める。
吐き息、吸う息、止め息等で、相手と呼吸を合わせて心身を鍛錬する。
私の先師、吉田誠宏先生は、この上に「含み息というのがあるんだ」と教えられた。
吉田老八十五才の時である。
「もう俺ぐらいになると呼吸をしているかしていないか無心に近い、
ただ打ちの出た瞬間、含み息で打っている、
この含み息というのはわずかに口の中に残っている空気をフゥッと出して打つだけだ」と。

相手の打ってくる時の隙を打つのである。
誰でも打っていく時に隙が出来る。その隙を打つのである。
攻めて隙を作らせて打つのはまだ浅い。隙も無いのに自分の調子や習慣で、
あるいはスピードに任せて打って当てたり、だまし討ちなどするのはもっと浅いと心すべきである。
古歌に「剣先をむやみやたらに振る人は、やがては自分の調子にて打つ」というのがある。
良い教訓だと思う。
吉田老は「相手の隙に誘われて思わずそこへ打って出た、これが本物の剣道なんだよ」と教えられた。

(続く)


(吉田誠宏先生、昭和51年1月11日、聖和道場にて)
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