稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

今夜は稽古無し。

2017年08月31日 | 剣道・剣術
フェイスブックを見ていたら今夜は稽古が無いのだとか。
いただいた稽古の日程表、ちゃんと見ていなかったなあ。
もう9月なので、昨日捨てちゃったんだよなあ。
確か「休み」とは書いてなかったけど空白だったような気もする・・・。

急に予定も無くなったので、今からスーパーに行って、
先日食べたアヒージョの材料でも買って作ってみようかな。
今夜も飲み過ぎそうだな。(笑)


簡単☆エビとマッシュルームのアヒージョ (クックパッド)
https://cookpad.com/recipe/2287349


あ、素振りは何とか続けてます。
ヤバイ日もあるけど。。。。
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ミサイル飛んできたねえ!

2017年08月29日 | 政治や歴史など
朝から北朝鮮のミサイル騒ぎ。

実際に攻撃される危険性は元々あるし、
失敗して途中で落下して生活圏に落ちてくる可能性はますます高まった。

結局、北海道や青森でさえ、Jアラート鳴ってから4分でミサイル通過。
ということは大阪や東京なら3分ぐらいで落ちてくる?

間に合わんねえ。
我が家や事務所に地下室は無いし、
死ぬ時は死ぬんやと諦めるしか無いねえ。

憲法9条信者は、憲法9条があれば戦争は起こらない!なんて言ってたけど、
憲法9条があろうが無かろうが戦争は起きてしまうというわけだ。
健全な思想と、健全な規模の、適度に整備された軍隊を持たねばならんね。

ミサイル撃つと為替が大きく変動するよね。
もしかしたら北朝鮮は裏で大儲けしてるのかも。
そうなら新しいビジネスモデルとも言えるな、これは。

---------------

本日は、時間が無いので、拾い物の画像を貼っておきます。


(左翼とサルは行動がそっくり)


(朝鮮族は、エベンキ族、濊(わい)属の末裔)

日本人で良かった。
まっとうな中道保守主義で良かった。
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第36回、愛洲氏顕彰祭・剣祖祭

2017年08月28日 | 剣道・剣術
27日は、例年行われている、陰流の愛洲氏顕彰祭・剣祖祭に行った。
場所は、三重県度会郡南伊勢町の五ヶ所浦である。
今年は陰流関係をメインとする20数流派が出場した。

定宿は神津佐の民宿「海晴」。
宿は例年、大和柳生の新陰流兵法の植木康行宗家一門と同泊。
この日も遅くまで(宗家と他1名だが)交流を深めた。

昔、飲み過ぎて演武を失敗した者がいたので、
お酒は控えめに買って行ったのだが、1人が一升瓶を持ってきてしまった。
けっきょく、ビールのあと、呑兵衛3人で一升瓶を空けてしまい、
そのあとも追加のビールなど頼み、深夜までグダグダと飲む始末。


(民宿「海晴」、釣り宿なので魚が旨い)

会場には7時半過ぎに到着。
駐車場確保のため早く行くようにしているのだ。
すでに、日帰り組2名が到着していた。

宝蔵院流高田派槍術の一箭順三宗家、柳生新陰流兵法の毛利圭介先生にご挨拶。
他にも見知ったお顔ばかりなので出来るだけ挨拶しておいた。

小野派一刀流長正館として、今年は新人を中心に出演は10名。
人数が多いので4人の組が2つ。私の組がトリ演武。
二日酔いにも関わらず、迫力のある形が出来たと思う。


(自撮り、前に座っておられるのは、柳生新陰流兵法の、毛利圭介先生)


(初心者中心の4人の演武)


(相方の松本英一氏と私)


(お互いに合わせる稽古などしないのに息が合っている)


(終ったあとは、愛洲の館の横でそうめん食べ放題)(器は愛洲の竹)
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モチベーションが下がりっぱなし

2017年08月25日 | 剣道・剣術
どうもモチベーションが上がらない。

長正館での月水金の稽古が7月で終わってしまい、
一種の燃え尽き症候群というべき感じでどうもやる気が出ないのだ。

それでも、お盆の剣術合宿までは何とか保ってきたのだと思う。

合宿から帰ってからは仕事で忙しかったせいもあるが、
特に何もせずで、何もしないと、余計に体調も悪くなったりしていたのだ。
夏バテなのかも知れないなあ・・・と密かに思ったりしていた。


(長正館での稽古風景、長正館のFさんのフェイスブックから借りてきた)

暑くても忙しくても稽古を続けてきた。
それが長正館の閉館で、パタリと稽古をしなくなった。

他でも稽古が出来るところはいくつかあるが、
妙に蒸し暑い日が続いたりして、やる気がまったく起きないのだ。
忙しいだの、暑いからだの、体調が悪いだの、何かと理由をつけて、
元々のホーム道場であった難波の養正会の稽古にも行ってない。

昨夜は何とか師匠の稽古会に参加した。

で、反省。

基本の足捌きの稽古で、自分でも何だかおかしいなあ・・と思っていたら、
案の定、師匠から姿勢を注意された。

元々猫背なので、稽古していないと、意識していないと、すぐに元に戻ってしまう。
改めて姿勢を意識して足捌きを再開したら、やっと感覚が戻ってきた。

戻ってきたが、今度は左の脹脛(ふくらはぎ)がパンパンに張ってきた。
あきらかに稽古不足のせいだ。いや稽古不足では無い。私のサボリ癖のせいだ。

師匠から、一挙動の素振り(摺りかぶり)を、1日200回しなさいと言われた。
七段審査のずっと前だから、もうかなり前の話である。
実は1日200回やったのは1回だけで、あとは100回とか、50回とか、
だんだん減る一方で、最近は0回がず~~~と続いたのだ。

お盆の剣術合宿では、行く前に「よぉし!毎日200回続けるぞぉ!」と、
妙に意気込んで行ったくせに、暑いのと、早朝の自転車と、ビールの誘惑で、
とうとう素振りの類(たぐい)はやらず仕舞いだったのだ。

この一挙動の素振り(摺りかぶり)は本当に効果的で、
実は自分の欠点(=体幹が出来ていない+打ち込む足が遅い)は、
しっかりと、摺りかぶりを続ければ、ほとんど矯正出来ると信じている。

信じているのに続けられないというのは自分の弱さである。
自分で弱さを言ってしまうというのも言い訳なので見苦しい。
これが私の一番ダメなところで、この「継続した努力」こそ身につけるべき道なのである。
まさに「剣道は人間形成の道である」では無いかと思う次第なのだ。


(師匠の指導風景、これは10日に撮影したもの)(この姿勢こそ目標にしたい姿勢である)

昨夜の稽古で、ほんの少しモチベーションは上がってきたように思う。
これを書き終えてから、摺りかぶりをするつもり。
50回ずつ。1日に4回目標だ。

よぉし、ずっと続けるぞぉ!
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樹脂胴の幅を修正してみた

2017年08月22日 | 剣道・剣術
きょうは、朝から、windows10-32bitパソコンを64bitにする作業で忙しかった。
(なぜ62bitにしたのかは、また別の機会に・・・)

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さて・・・

無料(ただ)で貰った胴の幅が小さかったのだ。
樹脂製の安いやつ。安物でも安く見えないのが今の胴。

先週の地元での稽古で剣友に貰った胴を見せたら、
「粕井さんにはちょっと小さいかもなあ」って言われた。

サイズを測ると内幅が38センチぐらい。
持ってる中で一番大きな胴は43センチぐらい。
でも好みは41センチぐらいなんだよね。

幅以外は高さも他のと一緒だし。円周(?)もほぼ同じ。

取りあえず折れた竹刀を45センチに切って、
胴の内側にはめこんで、炎天下の車の中に午前中から夕方まで置いておいた。
ちょうどハンドルの上にかぶさるような形で。

さきほどサイズを測ったら41センチ。
ちょうどいいやん。


(これで45センチ、竹刀のつっかいを外すと41センチになった)

安物の樹脂製の胴なので、熱で簡単に変形するのかも。
真夏の炎天下の車の中って、すっごく暑いのがわかった。
子供置いて買い物やパチンコなどもってのほかだよな。

取りあえず、気軽な練習用として使ってみます。
軽いので強く打たれると痛いけど。
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長男が嫁を連れて帰ってきた

2017年08月21日 | つれづれ
5月に結婚した長男が嫁を連れて帰ってきた。
5月は東京で、こちらは我が一家4人だけの出席だったので、
今回は、奈良でのお披露目パーティーというわけだ。
場所は私の実家。自宅から800m離れている。


(自宅前で、この日の服装は浴衣に安い薄っぺらの袴だ)
(嫁は極度の猫アレルギーなので、猫屋敷のような我が家には入れない!残念!)


(私の実家で、パーティー直前、まだ整然としてる)


(2時間ほど経過した頃、次から次へと親戚が集まってきたので中締めの写真)


(嫁の酌、娘のいない小生にとって、これは甘露なり)


(これからも仲良く楽しく)

親戚と言っても粕井の親戚付き合いは無い。
集まったのは兄弟関係と甥っ子姪っ子の他は、ぜんぶお袋(扇田家)の一門である。
こういう集まる文化はもともと粕井にはなく扇田の文化だ。
死んだ爺さん(扇田善次郎)が宴会好きだったのを継承しているわけだ。

13時から飲み始め、途切れることなく、注がれるままに19時まで飲んでた。
これでお披露目は終了。気の置けない気楽な親戚との宴会は実に楽しいものだ。
お袋が奥の離れで寝たきりになっているのだけが残念だった。
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デリカ・スターワゴンの三連メーター

2017年08月19日 | バイク・クルマ
デリカ、スターワゴンには3連メーターが付いている。
左から高度計、傾斜計、温度計の3連である。
元々は中央部に付いていたが、カーナビを優先させるため左に寄せた。
何本もあるコードを半田付けして30cmほど引き伸ばす面倒な作業をしたのだ。

この3連メーター、乗っているうちにボロボロと崩れてきて、
エンジンの振動でギシギシカタカタ言っていた。
前部と後部の繋ぎ目がおかしくなったのか中身が見えるほど割れてきた。

お盆の合宿の際、帰りの鯖街道で、ビスや破片が飛び跳ねて落ちてきたので、
いくらなんでもこのままでは分解してしまうと修理することに。



分解してみて驚いた。主要なビス軸が数本折れている。
本体を止めるビス穴2つは、1つは無くなっていて、もう1つは僅かに残っているほど。
温度計は宙ぶらりんの状態で、そもそも外ケースが割れて今にも2つになりそうなほど。
ほとんどが宙ぶらりんな状態で、振ると、割れた部品でカタカタ、カタカタ多重音だ。

うーんと、しばらく考えていたが、ともかく割れているケースを修理。
まずは割れている箇所に瞬間接着剤で仮止めする。
次にゼムクリップをラジオペンチで真っ直ぐに伸ばし、
先をU字型に小さく曲げて長さ4mmぐらいに切って10個ほど作成する。

小さな半田ごての先を、プラスのボルトに交換する。
つまり、こて先がネジの頭となるということだ。
このネジ頭の凹みに先ほどのU字型を差し込む。これで準備OK。


(半田ごての先に+のボルト、この凹みに足が少し出るぐらいのU字型の針金を差し込む)

U字の足を割れた箇所にまたがるように押し込んでいく。熱しているのでスルッと入る。
入ったら、半田ごての位置を変え、ビス頭の平たい部分で押し込んでやる。
ようするに針金でプラスチックを縫い付けていくようなものだ。
熱したホッチキスという感じかな?

ネジ頭で凹んだ部分にボンドを流し込んでやると完璧な強度になった。

次はプラ用のエポキシパテ。
切ってコネコネして無くなった部分を整形補修。
折れて割れたビス軸は、破片を瞬間接着剤で繋ぎ合わせ、
本体に接着し、エポキシパテで周りを固めていく。
完全に無くなった部品は、エポキシパテで作り直す。


(ビスを止める穴が無くなったので平座金を仮止めしてエポキシパテで固定し復元)
(パテが固まったら不用な部分はカッターナイフとヤスリで削り取る)

これで完成。ケースの前後の隙間は黒のビニールテープで巻いて誤魔化し完了。


(エポキシパテは固まるのに時間がかかるので、組み立てはまる1日後)
(左に、新陰流の袋竹刀が何げにあるのが、我が職場の不思議さ)


(今朝、デリカスターワゴンに装着、ガタピシは無くなった)


(関係ないが、今朝の石切の一刀流の演武稽古、私は見学だけ、事務所から自転車で15分ほど)

このあと鬼小手の修理を深江橋の武道具店まで持って行った。


(これも関係ないが、今朝の星ちゃん)
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奥琵琶湖でのサイクリング

2017年08月18日 | 旅行や街角メモリー
お盆中は、ある剣術稽古の合宿に参加した。
三泊四日(初日と最終日は半日)の合宿である。

毎朝、夜明けとともに自転車で近所を回るのを楽しみにしている。
午前4時45分頃に起きて、5時に出発する。

自転車はミヤタの古い通勤通学用。
7段変速だが、本格的なロードバイクとは違う。
言ってみればママチャリに毛が生えたような自転車だ。

ようやく夜が明ける、何とも清々しい気持ちになる時間である。
気温は25度前後。汗はかくが、またそれも気持ちがいい。

今回はカメラのテストも兼ねているので写真を紹介する次第。


(11日、道場の窓から、この写真は初日だからお昼過ぎの風景、NEX-5)


(12日AM6時半頃、海津港、雨が降ってきたので早々に退散した、NEX-5)


(13日AM5時過ぎ、海津大崎付近、右手での片手撮影、WX-350)


(13日AM6時過ぎ、菅浦港の菅浦神社鳥居付近、WX-350)


(13日AM5時半頃、大浦付近、NEX-6)


(13日AM6時過ぎ、菅浦神社の参道、NEX-6)


(13日AM6時過ぎ、菅浦神社、ここから先は土足厳禁、NEX-6)


(13日AM6時過ぎ、参道の途中にあった地蔵群、NEX-6)


(13日AM6時過ぎ、参道を上から撮影、菅浦が見える、NEX-6)


(14日AM5時半頃、今津浜から撮影、右に竹生島が見える、NEX-5)


(14日AM5時半頃、今津付近の民家の道路際にあった「ミニ飛び出し坊や」、NEX-6)


(14日AM6時過ぎ、石田川、この川はサギが多い、NEX-6)

NEX-6はレンズが明るいので、バックのボケが面白い。
被写体深度(ピントが合う範囲)がまだわかっていないので失敗も多い。
気軽に撮れて、そこそこキレイに撮れるのはコンパクトカメラのWX-350。
購入したばかりのNEX-5にはまだ慣れていない。
オートレンズを装着しているのに手ブレやピンボケばかりしている。
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履物を揃えるということ

2017年08月16日 | つれづれ



はきものをそろえると

こころもそろう

こころがそろうと

はきものもそろう

ぬぐときに そろえておくと

はくときに 心がみだれない

だれかが みだしておいたら

だまってそろえておいてあげる

そうすれば

きっとせかいじゅうの

ひとの心もそろうでしょう

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琵琶湖の北のマキノ町にある、海津天神社のホールの入り口に貼ってあった詩である。
誰が書いたのかは知らないが、海津天神社の奥さんは習字の先生なので、
見事な文字で心優しく諭してくれている。







長正館でも、出稽古の時でも、出来るだけ履物は揃えるようにしている。
乱れていたら自分から揃えておくようにする。
トイレのスリッパが乱れていたら子供達に注意することもある。
一番揃えていないのは我が家で、時々乱れててるのは気の緩み。

履物を揃えることは正しく生きることの一つのあらわれ。
やさしい気持ちが伝わっていきますように。
そして世界が平和でありますように。
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特攻出撃30分前「次は俺の番」 死を覚悟 元隊員が語る平和の尊さ 2015.6.12 産経west

2017年08月15日 | つれづれ
もし天候悪化で作戦が中止されなければ、おそらく今の私は生きてはいない。
特攻と言うものは悲惨な作戦だが、でももし自分がその立場であれば、
父と同じように「家族を守るために」躊躇無く死んでいける覚悟はある。

家族を守るということは国を守ることでもある。
国を守るには、観念的な平和論ではなく、適度に整備された軍備と、
軍備に裏付けられた、正義ある外交が不可欠だとくれぐれも思う次第だ。

2015年の記事だが、ここに紹介しておきます。


(中央が父、粕井貫次)

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特攻出撃30分前「次は俺の番」 死を覚悟 元隊員が語る平和の尊さ 2015.6.12 産経west

http://www.sankei.com/west/news/150612/wst1506120022-n1.html



 第二次世界大戦の末期、神風特別攻撃隊(特攻)の出撃命令を受けた後、天候不良などで出撃中止となり帰還した元特攻隊員の粕井(かすい)貫次さん(91)=奈良市=が11日、大阪市都島区の太閤園で「特攻出撃30分前」と題して講演した。出撃待機中に「一時は死を覚悟した」という粕井さんが平和の尊さを語った。(上岡由美)

 粕井さんは、戦局が厳しさを増した昭和18年9月、第13期海軍飛行専修予備学生として三重海軍航空隊に入隊。翌年、特攻が結成されると、熊本県や香川県の航空隊で訓練を受けた後、7月、鹿児島県の国分基地で特攻出撃配置についた。

 講演会では訓練の様子を写真で示しながら、「夜間、沖合の小さな島を敵艦と見なして編隊で飛んでいき、照明弾を落とすと島がはっきりと見える。それに向かって突入した」と特攻訓練について振り返った。

 そして運命の8月10日。索敵機から「日向灘沖に敵の艦隊らしきものが航行中」という連絡が入り、司令部から「攻撃3時間待機に入れ」という命令が下った。やがて30分前待機になり「いよいよ次はおれの番やな」と覚悟を決めた。

 しかし、なかなか敵の艦船の位置や動きがつかめないうちに天候が悪化し、出撃は中止に。そのまま5日後、終戦を迎えた。
 その時の心境について、「命が助かったという思いはなかった。いつ次の出撃命令が出るか分からず、死ぬときが延びただけという気持ちだった」と語った。

 13期予備学生は最終的に1616人が戦死。このうち448人が特攻で亡くなったといい、「今の時代は何でも己が大事ですが、私たちの時代は国家、地域、家が大切という考え方が基盤だった。純粋な気持ちで特攻が行われ、その犠牲に対する敬虔(けいけん)な気持ちを忘れてはいけない」と強調した。

 最後に同期の親友で、特攻で戦死した富澤幸光(ゆきみつ)海軍中尉=当時(23)=の遺書を紹介。「母上様、幸光の戦死を知っても決して泣いてはなりません。靖国で待っています」と読み上げ、「戦争というものは悲惨な結果を招く。平和の大切さを尊重してほしい」と締めくくった。



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行橋市議会議員、小坪慎也(こつぼしんや)の記事より

2017年08月11日 | 政治や歴史など
行橋市議会議員、小坪慎也(こつぼしんや)のフェイスブックの記事より
感銘を受けたのでコピペして紹介しておきます。

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”ナガサキ”ではなく長崎、”フクシマ”ではなく福島だ。【いい加減、ウザイと思ったらシェア】
https://samurai20.jp/2017/08/katakana/
なんでもかんでも片仮名で書く左翼が嫌い。
”ナガサキ”ではなく長崎だ。”ヒロシマ”ではなく広島、”フクシマ”ではなく福島だ。
彼等にも表現の自由はあることは認めよう。
だが、「アレを、ウザイ」と思う自由が私にはあるし、「いい加減、ウザイ」と述べる自由がある。
彼等を”ウザイ”と思うのは、思想信条の自由だ。
彼等を”いい加減、ウザイ”と述べるのは、表現の自由だ。

原爆の被害者を、そして被災地を、愚弄する行為だと思う。
そう思うのは、私の自由だ。
 

▼許せぬ暴挙
かつて、長崎市に原子爆弾が投下された。
罪もない、非戦闘員である国民が核の炎に灼かれた。
私は、この人体実験とも形容すべき暴挙に強く抗議する。
その上で、せめて今日ぐらいは静かに祈りたいと思う。
 

▼片仮名表記と慰安婦
これらの「片仮名表記された地名」に併せ、従軍慰安婦がどうだこうだという話も”なぜか”主張される。核の火に、罪もなく灼かれた者と、慰安婦に何の関連があるというのか。
私は、これが許せない。
 

▼孫に何の関係が?
そもそも論になるが、慰安婦”問題”と言われることが頭に来る。
はっきり言わせて頂くが、ソープ嬢(性風俗嬢)がいた、と。
そこに、亡くなった祖父が通っていたとして、孫に何を言ってきてるのか。
当時、金を払ってたのだろう?で、いい給料もらってたんじゃないですか。
 

▼半島の先祖を責めるなら、まだわかる。
確かに、本人の意思に反した事例もあったようだ。
しかし、それは「半島の女衒」に対し「半島の親」が娘を売ったわけで、さらに警察官のほとんども「半島の現地の方」でしたよね。
【孫の世代の私たち】に、どうしろと言うのか。

 
▼祖父の罪は、孫の罪に相続されるのか。
強姦したとかなら文句を言いたくなる気持ちもわからなくはないが、
それが強姦であろうと、如何なる刑法であろうと、仮に祖父が不法行為をしていた事実が(仮に)あったとしても、「それが孫に引き継がれることはない」と言いたい。
 
 
▼法事で、騒ぐな。
こういう例えは怒られるかも知れないが、大好きなじいちゃんの「法事」である。
「葬式の最中」に、太鼓をバンバン叩きながら大騒ぎするようなもの。

こんな感じだ。
『いま亡くなった、あのじいさんは、昔、ソープに行った!』
『だから、孫のおまえは、謝罪して金を払え!』

いや、違うか。
『おまえの、じいさんが行ったかは知らない。
 だが、おまえのじいさんの世代の誰かがソープに行った!』
 おまえは、その孫だから、今から謝れ、あと金をくれ。』
 
 
▼日韓関係は、ガタガタだ。
これを喪中の家にやってみるといい。
叩き出されるだろう。

【こいつ、なんやねん?】となるだろう。
いま日韓関係がゴタゴタし、「なんか、ウザイよね」と白い眼で見られている理由だと思う。
そして、反原発を始め、原爆を政治利用し続けてきた左翼が「疑いの目」で見られている理由だと思う。

▼一発で覚えろ。
いいか?
”ナガサキ”ではなく、長崎だ。
”ヒロシマ”ではなく、広島だ。
”フクシマ”ではなく、福島だ。

地方都市の名を、愚弄するな。
 

彼等を”ウザイ”と思うのは、思想信条の自由だ。
彼等を”いい加減、ウザイ”と述べるのは、表現の自由だ。

毎年、毎年、うるさい。
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↓リンク先の、ランキング支援もお願いします。↓
”ナガサキ”ではなく長崎、”フクシマ”ではなく福島だ。【いい加減、ウザイと思ったらシェア】
https://samurai20.jp/2017/08/katakana/
(今日は短めのエントリー。ほぼ全文)
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新世界、串カツの「ちとせ」

2017年08月10日 | 食べ物の話など
無性に串カツが食べたくなって独りで出かけた。
場所は八戸ノ里(やえのさと)駅近くの「ちとせ」というお店。


(ちとせのツィッターサイトから拝借 https://twitter.com/94katsu_chitose

この「ちとせ」、もともとは新世界のジャンジャン横丁にあったお店だ。

大阪の心斎橋に生まれ育ったので、
昭和30年代には家族連れで天王寺動物園にはよく遊びに出かけたものだ。
帰りはジャンジャン横丁で食事をして帰るのが定番で、
いつも寄っていたのが「ちとせ」である。

カウンターの道路側に両親と兄2人と私の5人が並んで座った記憶がある。
帰りは新世界の雑踏、夜店の掛け声や灯りなど、
物心ついたばかりの私にも鮮明な記憶となって焼きついている。
常連客では無いが、もう60年近くになるから立派な「永年客」にはなる。

有名な「だるま」や「八重勝」ではなく私は「ちとせ」と決めていた。
お袋が「ちとせの串カツが一番おいしいなあ」と言っていたのを憶えているからだ。

昭和35年に奈良に引っ越してから新世界への足が遠のいたが、
それでも高校生ぐらいになると一人で出かけてブラブラしていた。

もう時効になるが、
高校3年生の時に、親と喧嘩した腹いせに、
母親のサイフから数千円盗み出して「ちとせ」まで来て、
酒を飲み煙草を吸い、串カツを堪能したのも懐かしい思い出だ。

いつの間にか新世界の「ちとせ」のシャッターが閉まり寂しい思いをしていた。
それが10年ほど前に八戸ノ里に復活したと聞いて、またたびたび訪れるようになったのだ。


(店内に貼ってあった昔の「ちとせ」の風景)
(このカメラの位置が私の定番席で、テレビを見ながら串カツをほおばったものだ)


(どて焼きは昔より色が濃くなったが、味は良くなった 食べかけ写真で申し訳ない)

たまーにだが、一人でふらりと出かけたくなる。
清算のときに店長に「先代はお元気にされてます?」って聞いたら、
「元気ですよ、週に1度は店に出てきますよ」って笑顔で返された。嬉しいな。

次回は純米酒を堪能しに来ようと思う。
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台風一過、今朝の猫

2017年08月09日 | うちの猫の写真
昨夜は台風が過ぎてエアコンも入れない夜だった。
上向きに首を振っている扇風機も明け方に切った。

でも涼しいのは起きた時の一時(ひととき)だけ。
きょうはかなり暑くなるとニュースで報じている。


(月ちゃんは外が見えるキャットタワーが大好き)


(みーちゃんと星ちゃんは扇風機の台座に前足を掛けるのが好き)
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暇なので猫の写真

2017年08月08日 | うちの猫の写真
昨夜は台風なので稽古は行かずに早めに帰った。
特にすることも無いので酒を飲みながら猫を撮る。カメラはNEX-5。

それだけ・・・


(星ちゃんのお気に入りの場所はパソコンの横)


(実は星ちゃんは目がほとんど見えていない)


(「何してるの?」と手を伸ばしてきたところ)










(ここからは、みーちゃん)


(視線を合わさないように近づいてくる)


(抱っこは嫌がるくせに、座っていると膝の上に乗って来る)


(顔を埋めて寝る姿が愛らしい)
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台風5号接近中

2017年08月07日 | 剣道・剣術
台風5号 高知県に上陸するおそれ



台風5号は、7日午前8時50分現在、四国にかなり接近しており、
早ければ、朝のうちに高知県に上陸するおそれがある。(フジテレビ系(FNN))

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15年ほど前の事である。
台風が大阪に最接近している土曜日、電車に乗って難波の養正会に出かけた。
すごい風と雨の中、ぐっしょり濡れながら大阪府立体育館に到着する。

いつもなら20人や30人は来るはずなのに、
稽古の時間になっても、私と、もう一人だけ。
仕方なく、同じ五段の先輩と二人だけで稽古を始めた。

お互いに妙な意地があった相手だったので、
けっこう長丁場の気を抜けない稽古になった。

台風の中での真剣勝負だ。
台風のせいか、突然、照明が切れて、非常灯だけになってしまった。
お互いに中段のままで構えていたのだが、非常灯の薄暗い中で、
特に気にすることも無く非常灯のバッテリーが切れるまで稽古を続けた。

構えている相手のシルエットが、非常口の緑色の照明に浮かび上がって、
妙に幻想的なシーンになっていたことをよく憶えている。

さて、東大阪も風が強まってきた。
いまは無理はしない。
今夜の稽古は休むかも知れない。
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