稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

昨夜の稽古(S剣友会)

2017年03月31日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)

(左手の審査組と、右手の中学生組は写ってない)

昨夜の稽古もいつになく多かった。
50人は軽く居たように思う。
審査が近いせいかも知れない。

いつも通り3人一組で大きな伸びのある切り返し。
次に呼吸法を意識した切り返しを2回。

この切り返し、最初の面のあとで1回呼吸し、
左右9本切り返して次の面で1回呼吸し、
同じく左右9本切り返して最後の面で1回呼吸の、計3回呼吸である。
最初は出来なかった。今は出来るが苦しいことに変わりは無い。
これをやると地力が出来る。だが苦しい。葛藤。

次は鍔元まで入って、ゆーーくりっ の一拍子の正面打ち。

次は全員並んで端から端まで123の足捌き。
1で右足入って、2で左足素早く引き付けて、3で右足出す。
これは、一拍子の打ちに続く、とても大切な基本なのだ。

次は遠間、蝕刃の間から123で入って正面打ち。
3でしっかりと体制を作るのがコツ。流れて打ってはいけない。

あとは、応用で、小手打ち、小手面、相面、相小手面、
オマケで、123を使わず、自分から入らずの相面(これ難しい)、1分稽古2回。

そのあと審査組だけ別れて立合い稽古。
他の者は自由稽古となった。

ともかく123を試してみる。何回もやってみる。
自分から間合いに入ると本当に剣道が面白くなる。
相手が打ってきたら返す。居付いたら打ちに行く。

肉離れが完治していないので、少し痛み出した。
でもしかし、ともかく自分から123で入り、相手の反応を確かめる。
打たなくても稽古になる。面白い。

師匠から先週指導いただいた「打った後の顔の向き」を、
中学生に指導したら格段に良くなった。
私は出稽古の身分なので、原則、ここでは指導はしないのだが、
ここの師範が私の師匠で、その師範の言う内容だから「ま、いいか・・」である。

列が途切れたので途中で引き上げた。
上座では、Y積先生が、すごい足裁きで稽古されていた。
Y積先生と稽古すると、その動きに翻弄されるのだ。しばし見とれる。

面を取って目の前の女性2人の稽古を見ていた。

(左が春風会の女性剣士、右が地元S剣友会の女性剣士、2人とも良い剣風だ)

春風会の女性剣士、構えている間、剣先を動かすのは良いが、
右手は動かさず、左手でリズムを取っていた。
稽古後にアドバイス。左手は動かさず、右手で剣先を操作すべし。

1週間ぶりの剣道稽古だったので疲れたが気持ちの良い稽古が出来た。
ここの稽古は欠かせない。
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宮澤賢治(政治家 1927-5-3)

2017年03月30日 | 詩や短歌など

(3月12日、岐阜は下呂温泉にて撮影)
(記事とは関係ありません)


宮澤賢治「政治家」 1927-5-3 作品


   あっちもこっちも

   ひとさわぎおこして

   いっぱい呑みたいやつらばかりだ

        羊歯の葉と雲

           世界はそんなにつめたく暗い

   けれどもまもなく

   さういふやつらは

   ひとりで腐って

   ひとりで雨に流される

   あとはしんとした青い羊歯ばかり

   そしてそれが人間の石炭紀であったと

   どこかの透明な地質学者が記録するであらう
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今夜の稽古(長正館)

2017年03月29日 | 剣道・剣術

(大阪中央環状線の八尾付近)

本当にうっかりしてた。
そういや「春休み」と聞いていた記憶がある。

仕事を終えて準備して、車に乗って40分。
着いた道場は真っ暗だった。

仕方がないので帰宅することにした。家まで1時間。
長居公園通りを東に抜け、長吉長原から大阪中央環状線を北上、
国道1号線から163号線を使って四條畷から生駒を抜けて奈良に向かう。

そうそう、四條畷の田原台で「虎の穴稽古会」があったはず。
寄って見ていこうか。いやいや見るだけですまないだろうな。
肉離れも完全に治っていないのに止めておいたほうが良さそうだ。

生駒でガソリンだけ満タンにして帰宅。25.4リッター。

今夜は沖縄の久米島の泡盛と、
奄美の喜界島の黒糖焼酎のお湯割り。
飲み比べながらこれを書いている次第。
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攻め

2017年03月28日 | 剣道・剣術


ある稽古会で大阪府警の先生が言った言葉。
-----------------------------------------
打つべきところは3つある。
1つ目は、攻めて打つ、
2つ目は、攻めて攻め返されて打つ、
3つ目は、攻めて打たせて打つ。
-----------------------------------------

なるほど、「待って打つ」は無い。

六段審査に悩んでいた頃「攻めろ」と言われて悩んでいた。
剣先をガチャガチャして、ちょっとずつ前に出て、それが攻めだと勘違いしていた。
今は「いつでも打てる気構え身構えでの攻め足」と解釈しているが、
わかっていても、相手によって居付いてしまう場面も多々ある。

攻めてるつもりで攻めが効いていない場合もあり、
攻めても相手が感じ取っていない場合もあり、
少し色を見せるのが良いか、まったく見せないほうが良いか、
早く間合いに入るか、それともゆっくり入るのか、
稽古するたびに悩んでいる次第である。
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打ったあとの抜け方

2017年03月27日 | 剣道・剣術

(写真は記事とは関係がありません)

面に打ち込んだら抜けなきゃならない。
抜けることを前提に打つ前から進路は変えてはならない。
あくまで相手に対して真っ直ぐ打ち込む。
打ち込んでから横に抜けるか体当たりするかはその時の状況で変わる。

初心者、いや四、五段クラスでも抜け方の下手な者がいる。
抜けても顔は真っ直ぐ前を向いたまま抜けていくのである。
相手が追いかけてきて後ろから打たれる場合もある。
振り向いた瞬間に打たれる場合もある。
抜けなきゃならんと、いつまでも同じ姿勢のままでは駄目だ。

どう指導したら良いのかわからなかったが、
先日、師匠から良い指導を戴いた。

いつまでも相手に背中を向けて走り抜けるのは駄目。
打って抜けたら、相手のほうに顔を向けながら抜ける。
顔を向けて抜けるから相手と距離や状況がわかる。
どこで振り向いて構え直せば良いかがわかるということだ。

ただ、相手の方に顔を向くのは良いが、
身体ごと振り向いて後ろに下がって間合いを取るのは良くないとのこと。
実はこれ、私が良くやってしまう方法である。反省。


(写真は記事とは関係がありません)
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籠池泰典氏の証人喚問 安倍昭恵夫人がコメントを発表

2017年03月24日 | 政治や歴史など
 本日の国会における籠池さんの証言に関して、私からコメントさせていただきます。

①寄付金と講演料について

 私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません。この点について、籠池夫人と今年2月から何度もメールのやりとりをさせていただきましたが、寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘はありませんでした。私からも、その旨の記憶がないことをはっきりとお伝えしております。

 本日、籠池さんは、平成27年9月5日に塚本幼稚園を訪問した際、私が、秘書に「席を外すように言った」とおっしゃいました。しかしながら、私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました。

 また、「講演の控室として利用していた園長室」とのお話がありましたが、その控室は「玉座の間」であったと思います。内装がとても特徴的でしたので、控室としてこの部屋を利用させていただいたことは、秘書も記憶しており、事実と異なります。

②携帯への電話について

 次に、籠池さんから、定期借地契約について何らか、私の「携帯へ電話」をいただき、「留守電だったのでメッセージを残した」とのお話がありました。籠池さんから何度か短いメッセージをいただいた記憶はありますが、土地の契約に関して、10年かどうかといった具体的な内容については、まったくお聞きしていません。

 籠池さん側から、秘書に対して書面でお問い合わせいただいた件については、それについて回答する旨、当該秘書から報告をもらったことは覚えています。その時、籠池さん側に対し、要望に「沿うことはできない」と、お断りの回答をする内容であったと記憶しています。その内容について、私は関与しておりません。

 以上、コメントさせて頂きます。

平成29年3月23日 
 安倍 昭恵   
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籠池問題に思う

2017年03月24日 | 政治や歴史など


昨日のネット動画で、
「日本が籠池問題で大変なのに安倍首相はヨーロッパに出かけてしまった」
「これで良いのか?」と言ったコメンテーターがいたので驚いた。

国会は1日開くと3億円もの費用がかかる。まず予算案を審議すべきだ。
国の根幹に関わることを審議するべき国会で、連日のごとく、
籠池問題ばかりやってる国会が変だと考えるがいかがなものか。

籠池問題など簡単に言えば「素晴らしい学校を作りますので応援よろしく」
「そうか皆で応援してあげよう」という単純な善意の気持ちから始まったもの。

金の無い籠池氏は、培った政治家との人脈をたくみに使って金を集め、
偽造見積で補助金を得たり、取得した土地を担保に融資を受けたり、
総理大臣の名前を勝手に使って寄付金集めをしたりと、詐欺師そのものなのだ。
巻き込まれた周りの善意の人達こそ良い迷惑だ。

安倍首相の奥さんが、もし(「もし」だよ念のため!)
100万円寄付したとしても何の問題も無いことだ。善意の寄付が何故悪い?
何の問題も無いのにマスコミや野党はいかにも犯罪かのように言い立てる。
低俗な週刊誌ネタのような国会にウンザリする。

籠池は、たいした詐欺師だとは思う。
まわりの善意の気持ちである「応援してあげよう」を利用しまくった。
確かに、そこに利権を求めて群がった者もいるのだろうと思う。
思うが、何も国会で審議するような問題では無いと思うのだ。

日本を取り巻く環境は大変なことになっている。
トランプが大統領となって、保護主義が自由貿易に及ぼす影響はどうなのか?
中東シリアの混乱、難民対策はどのように対処収束させるのか?
北朝鮮はアメリカに届く核ミサイルを開発中でまさに戦争の危機の状態。
お隣の韓国は大統領が弾劾されてまさに混乱状態。
慰安婦(売春婦像)を、存在しない少女像で作って世界中にばら撒く韓国。
シナは南沙諸島を勝手に埋め立て基地を作ってミサイルまで配備した。
日本は5%から8%に増税した影響でいまだにデフレ状態が続いている。
尖閣諸島や北方領土、竹島や北朝鮮拉致被害者問題など、どうしていくのか?

問題だらけなのに、国会は毎日毎日籠池問題ばかり。
いい加減にせい!と心底怒りがこみ上げている。
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デリカのタイヤ交換

2017年03月23日 | バイク・クルマ


デリカスターワゴンのタイヤを交換。
冬用タイヤを夏用(オールシーズンタイヤ)に交換した。

保管しておいた夏用タイヤはまだ溝は残っていたが、
ヒビ割れが多くあり、走行するには不安が残っていた。

元のタイヤサイズは、215SR15。
今の規格表示だと、215/80R15。

横浜タイヤのジオランダーと言うブランドの
デザイン(パターン)が気に入ってネットで安く購入した次第。

いくら4WDと言っても、街乗りするだけで悪路に行くことは無いが、
やはりスターワゴンにはオフロード用のいかついタイヤが良く似合う。

ジオランダーシリーズはたくさんの種類あって選ぶのに迷ってしまう。



この、GEOLANDAR A/T-S は、何でもこいの万能タイプ。
万能ということは、中途半端だということだ。

カタログには新しい、GEOLANDAR A/T GO15 というものが載っている。
これは、GEOLANDAR A/T-S より、対スノー性能が良いらしい。
貧乏人は安い旧タイプで充分。うるさいし燃費も悪いがこれは覚悟の上だ。

  -----------------------------------------------------------
   ※オールテレーンタイヤ(オールシーズンタイヤ)について
    雪道も難なく行けそうな感じがするが過信してはいけない。
    凍っている道路ではノーマルタイヤと同じ性能でしか無い。
    現に、スキー場へ向かう雪道で立ち往生する4WDをたまに見かける。
    私の場合は冬には専用の国産スタッドレスタイヤに履き替えている。
  -----------------------------------------------------------

タイヤの入れ替え、バランス取り、古タイヤの処分など、
全部で1万5千円近くかかってしまった。(タイヤ本体は別)

我がデリカ、塗装も錆びて穴がいくつか開きかけているが、
今年もあちこち出かけたい楽しいクルマである。
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気付かない者は直せない

2017年03月22日 | 剣道・剣術
20日のブログに「気付かない者は直せない」と書いた。

どんなに指導をしても悪いところが直らない者がいる。
心が素直で無いのか身体が素直で無いのかよくわからないが、
根気よく教えてもまったく直らないのは困ったものだ。

「三年勤め学ばんより三年師を選ぶべし」と言うが、
本人に問題がある場合は何を学んでもどんな師に出会っても無駄である。
ラジオなら、良い放送を流しても「受信機」が壊れている状態と言える。

私が六段審査に苦労していた頃、上に立つ先生方から、
「構えが小さいよ」とか「猫背になってるよ」とよく言われた。

今から思えばあの頃の私の構えは、まるでボクシングのように、
肩をすぼめて顔が俯き左ひざを曲げて構えていた。
向きは違うが銃を持って突撃するような構えでもある。
自分の構えが悪いという指摘をされた事も無かったし、
自分の構えがおかしいという自覚はまったくなかったのだ。

「もっと胸を開いて構えなさい」と言われても
「俺は肩幅狭いから仕方ないやん」と体格のせいだと思っていた。

いつぞや書いたが、ある日、剣友が稽古風景をビデオで撮ってくれて、
それを見せてもらって自分自身の構えがあまりに不恰好なことに気付いた。

技の良し悪しとかスピードがどうとかの問題では無い。
構えは土台であり基礎である。土台が悪い上に何を建てても無駄である。

それから構えの立派な人を見つけては一生懸命真似をした。
結果、胸が開いて前後の足幅が狭くなり、構えも大きくなった。
気付いて修正し続けた結果、やっと六段レベルになれたわけだ。

どうしても直らない者は、そもそも「気付いていない」と気付いた。

「やってるつもりなんやけどなあ」
「ちゃんとしてると思うんやけどなあ」とは良く聞く言葉だ。
手の握りも、姿勢も、拳の位置も、左足の向きも、ヒカガミも、重心の位置も、
どれもこれも悪いのに、本人は「正しくやってる」と思っているのである。

どれか一つでも直せれば、次の修正に入れる。
何も直せないまま、まったく変わらないまま月日が過ぎていく。

六段審査、七段審査で苦労している60代を数名知っているがどなたも構えが悪過ぎる。
若いときはスピードで誤魔化しが効いたが60歳を超えるともう無理だ。
素直になって自分の悪いところを認識するところからしか始まらないと思う。
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二日酔い

2017年03月21日 | つれづれ

(写真は昨年末のものです)

昨夜は4つ年上の長兄と飲んだ。
ビール、日本酒、奄美黒糖焼酎。
話が弾んで酒もすすんだ。最後は足がふらつくほど。

長兄は2度離婚して今は近所に住んでいる。
月に1度ぐらいの兄弟酒だ。
ずっと仲は悪かったが年を取って仲良くなった。
毎回、同じ話を繰り返しては二人で気炎を上げている。

よって本日二日酔い。
仕事が進まず少し焦っている。
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昨夜の稽古(長正館)

2017年03月20日 | 剣道・剣術
昨日は16時から一刀流の自主稽古。
18時半から剣道の月例稽古。
月例稽古は住友化学、平野剣道協会からも稽古に来られていた。

ふくらはぎに自信が無いので一刀流の稽古もほどほどに。
途中で21日に五段審査を受ける者に剣道形の指導稽古に切り替えた。

剣道稽古もやはり怖い。
少し足に違和感を感じた時点で切り上げた。


(構えも気構えも万全で打つも返すも自在というゆとりが感じられる)


(打てると判断したら躊躇無く打つ。待ち剣の出小手狙いでは対処出来ない)

しかしでも、大勢だと楽しいもので、見ているだけでも面白かった。
稽古は1時間10分で終了し、21日審査の者を中心に立合い稽古とした。

実は、本当にびっくりして心底ガッカリした事が一つ。
以前から六段挑戦者に攻め足、探り足を教えていたのだが、
まったく理解していなかった事が判明した。

教えた事を自分に都合よく曲解して、ますます剣道が悪化してきたのだ。
一年間、一生懸命教えてきたのにだんだん悪くなるから「?????」だったのだ。
もう無理。期限はあと一ヵ月半。審査のあとは指導を止める予定。
マジでもうたくさんである。気付かない者は直せない。


(少しずつ右足が前に出て身体が開き左足は横向き右手左手横握り結果あごが出て右手打ち)


(右手が竹刀を横から握り、竹刀の弦と親指が直角になってしまっている)

①右足を少しずつ少しずつ前に出すので攻めになっていない。
②左足は最初から横を向いているが右足を出すたびに段々ひどくなる。
③右手が横握り。竹刀の弦と右手親指が直角になっている。
④左拳の位置も身体に近づけ過ぎる。結果、構えにゆとりが無い。
⑤姿勢が猫背気味で顔がうつむいている。面金の物見と目が合っていない。
⑥見るからに中途半端な間合いである。攻めが無く止まっている。
⑦打つべき間合で打てる姿勢や気構えになっていない。


本日は春分の日。お彼岸である。
日の丸を揚げてから仕事に来ている。
日の丸っていいなあ。
明日は忙しくなりそうだ。

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肉離れの経過

2017年03月19日 | 剣道・剣術
2月28日の記事「肉離れやってしまった!」で書いた肉離れ。
ようやく痛みが無くなってきたので今夜より稽古始めます。

しばらくは思い切って飛び込むような事はせず、
防いで返して動かない、ねっちこーい、おっさん剣道やります。

嫌がられるだろうなあ・・・おっさん剣道。
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小学校の思い出(音楽の時間)

2017年03月18日 | つれづれ
書く前に断っておきます。
過去の「負の記憶」としてますが、けっしてマイナスには取っていません。
所詮は人と人とのことであり勘違いや誤解があって然るべきです。
良かれと思ってしたことが間違いであったことなどいくらでもあります。
誤解が生まれるのは自分自身の行動にも問題があったのです。
経験をプラスに出来るかどうかで人生の幅は決まります。
小川先生も倉富先生も好きではありませんでしたがまったく恨みはありません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
音楽の先生は眼鏡をかけた神経質な先生だ。
アルバムにもあるが、あえてこの人は紹介しない。

小学校の6年生だったと思う。
音楽は好きだったが楽譜が読めない。
読めない者に作曲をしろという授業だ。
一生懸命に作って自分なりに演奏して気に入っていた。
先生は何度か私の楽譜を覗き込んだが特に何も言わない。
何も言われないのでそのまま提出した。
あとで先生は全員の作曲をピアノで弾いた。
私の曲はトンでもない聞くに堪えない曲になっていた。
根本的に楽譜への書き込みに間違いがあったのだ。



クラス全員で合唱の授業。
何度やっても先生は首をかしげる。
合唱中に先生が回ってきて一人ずつ耳に手を当てて聴いて回った。
私の前で私の歌を聞いた瞬間、「君やな」と言われてつまみ出された。
私だけ歌わなくて良いと言われ授業は続けられた。
私は楽譜は読めないが歌には自信があったので誤解だとは思っていた。



合奏ではシンバルの担当となった。
楽譜は読めなくてもシンバルは出来る。
打つべきところと強弱だけだ。
名誉挽回の機会だからと一生懸命練習した。
発表の直前になって、いきなり「粕井君は好きに打っていい」と言われた。

君は完璧だから「任せたよ」という意味か?
シンバルなんてどうでも良い楽器だから適当で良いという意味か?
よくわからなかったが出鱈目に打ったら叱られるのは目に見えている。
これはワナかも知れないと、しっかり練習したとおりに演奏した。

これはこちらが悪いのだが、
1度、木琴の下に潜り込んでぶら下がって遊んでいた。
音楽室から体育館への移動中の廊下で大勢が移動中だった。

先生に見つかってしまい「これは殴られるかも知れん」と思ったが、
案外と普通に叱られて解放された。これは意外な思い出だ。
学年の異なるたくさんの生徒の前だから叱れなかったのかも知れない。

音楽の授業をどこかの偉い人が授業参観に来られた。
私を含めて3人か4人が大人しくしなかったので授業が終わってから別室で叱られた。
(確か給食の後に配られた虫下しの箱をエレクトーンの鍵盤で飛ばして遊んだ)
(虫下しはチョコレート味で、確か「チョコロン」という名の虫下しチョコだと思う)

それだけに終わらず親の呼び出しを食らい親子で謝罪させられた。

6年生にもなると世の中の裏表は大体わかってきているので、
何を言われても横から見て観察するような余裕が出来ていた。
呼び出し食らって泣いていた者もいたが私には観察する余裕があった。
けっこうヤンチャもしたし、成績も凡庸で良い生徒でも無かったので、
先生たちに可愛がってもらえなくても「まあそんなもんやろな」と思っていた。

この音楽の先生にはマジで嫌われていたようだ。
合唱も合奏も呼び出しも、イジメだとは思うが特に何とも思わなかった。
こちらも経験を積み強くなって余裕で受け止めていたように思う。
可愛い生徒では無いのは確かだ。

小学校の思い出はたくさんあるが、先生の思い出はこれでオシマイ。
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小学校の思い出(倉富先生)

2017年03月17日 | つれづれ
昨日の続き。


(イメージです 実際に描いた絵ではありません 逆さまにしています)

図画の時間が好きだった。
画家でもあった祖父(粕井豊誠)の血かも知れない。
描いた絵を見せて褒められたことも何回かあった。
小学校低学年での話である。

4~5年生の担当は倉富先生である。
髪は薄かったが、長身で端正な顔立ちだ。カメラが趣味である。



5年生の春に学校の近所に写生に行った。
学校近くの公園で緑が綺麗だったので思うがままに色を付けていった。
途中まで描いたところで図画の先生が通りかかり「良い色だね」と言われた。
嬉しくてパレットの絵の具を混ぜ合わせ感じるままに描きあげた。

持って帰って担当の倉富先生に見せたら怪訝な顔をする。
「粕井君、これは写生とは違う! 何を描いているかわからんぞ!」
けっこう厳しい口調に驚き、悲しい気持ちで一杯になった。

描いた絵は全員の分が廊下に貼られる。
私の絵だけは上下が逆さまだった。
顔には出さなかったがショックを受けた。

ワザと逆さまに貼ったのだろうか?
わからないまま逆さに貼ってしまったのだろうか?

「逆さですので直してください」も言えぬまま展示期間の一ヶ月が過ぎた。
自分の絵の前を通るたびに悲しい気持ちになったのを覚えている。

逆さでも、誰も気がつかない絵であったことは確かだ。
今なら笑えるが、当時の私には大きな事件だった。
それから楽しんで絵を描くことはしなくなった。

これもトラウマな負の記憶である。
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小学校の思い出(小川先生)

2017年03月16日 | つれづれ

(旧奈良市内にあった旧校舎、1~4年まではバスと電車を乗り継いで通っていた)

小学1年生から6年生まで、ほぼ40名が同じメンバーのままだった。
これは奈良女子大学文学部附属小学校の教育方針によるものである。
(今は奈良女子大学附属小学校と言うらしい)
クラスは2組で、月組と星組で宝塚歌劇のような組名である。


(昭和43年3月の卒業写真、月組みは左側、我が星組は右側)

6年間も一緒に学んで育った同級生は兄弟みたいなもので、
50年経った今でも名前はフルネームで言えるし誰がどんな奴かを思い出せる。
担当の先生は3年毎で変わる。1~3年が小川先生、4~6年が倉富先生。


(小川先生は前列右端、倉富先生は前列左から2番目、
 私は2列目の中央付近で腕に2本線のセーター姿)

良きにせよ悪きにせよ、この6年間は少なからず人生に影響を及ぼした。
自分の人生に影響を及ぼしたトラウマな思い出はたくさんある。

小川先生の強烈な思い出は3年生(2年生かも)。
グループ毎に大きな絵を描いた時のこと。
たたみ1畳ほどのキャンバスに6人ほどで絵を描いた。
汽車が草原を走っている絵だ。

キャンバスの中央にリーダーが
「真上から見た線路の上を、真上から見た汽車が走っている図」を描いた。
他の者が花を片方から線路を頭にして書き始めた。

==□□□□==
↑↑↑↑↑↑↑↑

汽車は真上から見た図。皆は花を横から見た図で描いている。
私は考えた。「反対方向から描くには上下を逆にした方が良いのでは無いか?」
そう確信して、反対側から汽車と列車を上にして花を描き始めた。
イメージ的には汽車を花が包み込むような感じの絵だ。
お花畑の草原を、煙を吐いた汽車が力強く走っていく姿を真上から見た姿が思い浮かんだ。

↓↓↓↓↓↓↓↓
==□□□□==(真上から見た線路を真上から見た汽車が走る)
↑↑↑↑↑↑↑↑

いくつか描いた時に、「ああああっーーーーーーー!」という声。
誰かが「先生!、粕井くんが無茶苦茶してます!」と叫んだ。
先生が飛んでき絵を見るなりすごい形相で腕をつかまれた。
「あんた何してんの!!」と筆を奪い取られた。

皆や先生が思っていたのは汽車は真上からでも花は横から見た図らしい。

↑↑↑↑↑↑↑↑
==□□□□==(この汽車が横から見た図なら納得はしたのだ)
↑↑↑↑↑↑↑↑

「それおかしいやん!そんなら汽車も横から見た図にせなあかんやん!」
と心の中で叫んだが、その頃無口な私は何も言えずただ立ちすくんでいた。
私の描いた部分は消されたり修正されたりして絵は完成したが、
最後まで私は描かせて貰えず、皆の作業を横で見てるだけだった。

「無茶苦茶なことをする変なヤツ」というイメージが定着した。

父兄参観で母が小川先生から言われた言葉。
「粕井君は頭の中の線が3本ほど切れてますねえ」
驚き悲しんだ母親から何回も聞かされた言葉だ。

私が大学生の頃、母は小川先生に会った事があるらしい。
「粕井君、立派にならはったねえ、昔から良い子でしたよ」と言われたらしい。
社交辞令だろうがそんな嘘は聞きたくは無かった。

小川先生は感情的に叱りつけるだけだった。
どうして私の考えを問いただし、冷静になって聞いてくれなかったのだろう。
その時のやるせない記憶は「鮮明な負の記憶」として私の心の奥底に今もある。
担当の3年間の間に、褒めてもらった記憶も特に無い。

今は明るく開放的で行動的だと人から見られるが、
それは高校時代に変化してだんだんと身につけたもの。
基本は無口で引っ込み思案な性格が内部にうずくまっている。
おそらく小学校のこの頃に形成された性格だと思う。
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