稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

「肉離れ」やってしまった!

2017年02月28日 | 剣道・剣術


悪い予感は的中した。

昨夜は筋肉痛のまま「なんば養正会」に稽古に行く。
いつもは下の者と稽古するだけなので、
少しぐらい故障していても何とかなると気楽にしていた。

下の者と稽古している横で高木七段と森岡七段が稽古している。
時々横目で眺めて見取り稽古していた。まさに油断していたのだ。

しばらくして気がついたら、森岡七段が自分のところに並んでいる!
森岡先生は大阪体育大学の確か女子部の監督で猛者である。驚愕した!

「いやいや先生、上座に立ってください」とお願いするが辞退された。
こちらが上座である。森岡先生と稽古となると大変だ。おっとり刀でスイッチを入れた。
準備運動もさほどしていなかったので慌ててアキレス腱だけ伸ばしておく。

稽古は案の定大変だった。
ともかく面に何回か飛ぶ。そしたらいきなり肉離れだ。
最初は「筋が違ったかな?」と思った程度だが、だんだん痛みがひどくなる。
仕方が無いので1本勝負をお願いする。防ぐしかなくなって鋭い面を打たれて終了。

帰りは足を引きずって帰った。階段を昇るのも辛かった。
家に帰って風呂で温め、エアサロンパス吹きかけて寝てしまった。

さきほどネットで調べると、肉離れの時は、すぐに運動をやめ、
冷やして圧迫し、安静第一とするとある。
温めるのも熱が引いてからで、それまでは冷やせ、とある。

残念ながら何もしなかった。逆ばかりやっていた。
痛いのに引きずりながら最後まで元立ちもしてしまった。
温めては駄目だというのに長風呂して温めてしまった。
もう最悪である。

医者に行くほどでは無いのだが、またしばらくは稽古出来ないだろう。

何があっても良いように事前の準備運動はしっかりしておくこと。
肉離れの時はどうするかぐらいの基礎知識は持っておくべき。
この2つを痛感した次第。
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疲労蓄積中

2017年02月27日 | 剣道・剣術
土曜日の二部錬に続き、昨日の日曜日は朝から仕事。
昼前に早めに昼食を済ませて高速で1時間かかる古流の道場まで。
午後1時から18時20分まで稽古。途中で休憩有り。

終わってから1時間かかって事務所に戻って仕事。
21時15分にエネルギーが切れて帰宅。おなか空き過ぎ。
途中で愛車に給油したあと家に帰って食事して風呂に入ってすぐ寝た。

きょうも疲れが残っていて目がショボショボする。
週明けで仕事も忙しい。
今夜の難波の稽古、行くべきか休むべきか悩んでいる。


(笹森順三色紙)

無為にして自ずから化す
争いはずしてよく勝つ
これ霊を会(え)た賢徳なり

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手の内の冴え。正中線を割って打ち込む。

2017年02月26日 | 剣道・剣術
昨日は二部錬であった。

先日、師匠に「攻め足を出した時点で居ついてしまうのです」と相談したら、
「足を出しただけでは駄目でこうするんですよ」とヒントを貰った。
言葉にすると難しいのだが、身体全体で、微妙な「打つ体勢」を作るのである。

さっそく昨日の稽古で試して見た。
攻め足出した時点ですぐには打たず止まってみる。
止まってみるがいつでも打てる気勢と姿勢を心がける。
(ここが甘いと自分では反省している)

ここで師匠のヒントを試して見る。

五段、六段、相手に見事に通用した。
七段には通用しない場合がある。
初段二段にはまったく通用しない。(そもそも合気にならない)

二部錬では大阪府警の松江八段と久々に稽古をお願い出来た。
さすがに師匠から教わったヒントは通用しない。
でも攻め足からの気勢と姿勢の維持は出来たように思う。

いくつか面に飛ぶが全部かわされてしまった。
合い小手面に行ったら逆に合い小手面を返された。
こちらが小手を打つ時はやや左方向に小手に打ち込んで行く。
そこを松江先生は正中線を割って小手面に来るわけだ。
2回やったが2回とも見事に正中線を割られ面を打たれた。

タイミング的にも遅れる(こちらの面が遅い)ので稽古後にお話いただいた。
「小手を打つときに力が入りすぎて次の技が遅れてしまうのですよ」

うん、なるほどそのとおり。
手の内の冴えが無いからどうしても力で押し込んでしまうのだと思う。
手の内の冴え。正中線を割って打ち込む。これが昨夜いただいた課題だ。
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想像と我慢

2017年02月25日 | つれづれ
数日前に赤胴鈴之助の話を書いた。
簡単に言えば、漫画本の静止画が、ラジオの音声によって、
頭の中で動画となって再現されるという内容だ。

赤胴鈴之助が私の剣道の原点。かも。
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20170223

小学校に入って文字を覚えると読書が面白くて仕方なくなった。
本を読むと頭の中に想像の世界が広がるのである。
活字に飢えていたから国語の教科書などは貰った日に全部読んだものだった。
教科書の挿絵は頭の中で動き出し次から次へと新しい場面が思い描かれる。

昭和35年頃にテレビが我が家にやってきた。
まだ茶の間には無く、祖父(粕井信一、号は豊誠)の部屋に置いてあった。
まだ番組数が少なく、というか、放送時間が夕方からだったりするので、
テストパターンしか映っていない時間もあった。


(NHKのテストパターン)

真空管だから、スイッチを入れてしばらく経って画面が明るくなるが、
ほとんどが無音のテストパターンだったりするのでガッカリしたものだ。
バックミュージックがかかっているだけでも嬉しかった記憶があるほどだ。

その頃のテレビに番組選択の自由は無い。
他に娯楽も無い時代、ニュースであろうが音楽番組であろうが相撲であろうが、
そこに映っているものが全てで我慢して見ていたのだ。

やがて放送時間や番組の数も広がりドラマや漫画なども放映されるようになった。
しかしチャンネル決定権は子供達にはなく、それ以上に末っ子の私に決定権など無かった。

何も無い時代は我慢するしかない。
着る物もお古だし、食べ物も好き嫌いは言えない。
それでも親の世代からしたら、夢のような贅沢な時代であったのだ。

贅沢なおもちゃは無く、小さな木片を手に持って、
それが自動車であったり、時に船であったりと、想像して遊んだ。

やがては家に複数のテレビがある時代が来た。
そして今や個人個人にスマホで情報を持てる時代が来た。
彼女へ電話するのにどれだけの勇気が必要だったか今の若者は知るはずも無い。

誰も我慢する必要も無いし、必要な時に必要な情報が手に入る時代になった。
我慢など誰もしなくて良い時代になったのだ。

想像も我慢も、何も無い時代だから鍛えられたように思う。
それは昭和40年頃を境にして世代のギャップとして感じている。

現代人が想像力が欠けるとか我慢が足りないとか言われるが、
それは豊かな世に生まれたせいで、どうしようも無いことだろう。

想像力が足りなかったり我慢が出来なかったりするのは良いことでは無い。
しかし、せいぜい、個人的レベルで鍛えるしかないだろうと思う次第だ。
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この時期はこの時期なりに忙しい

2017年02月24日 | つれづれ
とんぼ堂の1月2月の売り上げは無茶苦茶に悪い。
時間があるからブログも頻繁に書けるというわけだ。
ヒマさ加減は「店閉めてアルバイトに行ったほうがマシや」と言ってるほど。
売れたとしてもタイマーなどの小物は荒利が低く儲けはほとんど無い。

ただ2月の後半に入るとキーホルダーなどの注文が入ってくる。



写真は神奈川県のある剣友会さんのもの。
上段は大きめのキーホルダー、下段は小さな携帯ストラップ。

実は携帯ストラップは商品ページには載せていない。
載せると売れるのはわかっているが、卒業シーズンの特需なので、
作業が間に合わない可能性があるからだ。シーズン商品はこれが困る。

裏面も均一ではなく、一つずつ名前を入れる。
1個1個丁寧に作っていく手間のかかる商品である。
かなり意識を集中するので一度にたくさんは作れない。目も疲れる。



これは家紋ストラップ。左は「丸に橘」、右は「右一つ巴」だ。
データベースには約5000種の家紋データがあるが、
家によっては微妙なこだわりがあってデータで間に合わない場合もある。
こういう時はお客様と相談しながらデザインを手作りしていくわけだ。



スマイルバッチは、とんぼ堂の定番商品。時々100個単位で注文が入る。
写真のものは既存の明るい黄色ではなく濃い黄色、いわゆる「卵黄色」だ。
実は先日、うっかり在庫を切らしてしまい、深夜までかかって100個作って納品した。



これは特注の日の丸バッチ。ちかじか50個作る予定。

このほか、卒業用の剣道カンバッチ63個、
個別に名前を入れた卒業記念用のキーホルダー29個の注文などが入っている。

他の出荷作業もあるし、確定申告の作業もあるし、稽古もしなくちゃならないし、
この2月から3月は売り上げは悪いが実に気ぜわしい季節なのである。
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赤胴鈴之助が私の剣道の原点。かも。

2017年02月23日 | 剣道・剣術

(小説家、野崎六助氏のサイト「野崎六助映画評論集」より
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2016-01-14 )

昭和30年生まれの私の一番古い記憶は「赤胴鈴之助」だ。
昭和33年頃の記憶である。

当時はテレビも無く、娯楽は本かラジオだった。
ラジオも当時の番組は、野球や相撲やニュースがほとんどで、
幼い私にとって何の魅力も無かった。

兄たちの買ってきた漫画本も、字の読めない3才児には、
パラパラとめくって見るだけで、話の筋はさっぱりわからない難解なものだった。
しかし赤胴鈴之助の漫画は字が読めなくてもある程度は理解できる。
当時の子供の遊びはチャンバラだったのでその影響もあるのだろう。
赤胴鈴之助は、当時の私にとって、最高最強のスーパースターだったのだ。
真空斬りはこうするのだとかどうだとか兄達に聞いて真似したものだ。

調べて見ると、赤胴鈴之助のラジオ番組は、
昭和32年(1957年)1月7日-昭和34年(1959年)2月14日で全42回。

昭和30年(1955年)5月生まれの私がかろうじて覚えているので、
勝手に昭和33年頃の記憶とした次第。さすがに2才の記憶は無いと思う。

番組が始まる前にラジオの前に父と子供達(兄2人と私)が集まる。
真空管ラジオの時代で早めに電源を入れて準備するわけだ。
固唾を呑んで放送が始まるのを待っている。

ラジオドラマは「赤胴鈴之助の歌」で始まる。
歌の前に、道場での稽古の打ち込み合う音、続いてセリフ、
「エイ!」「ヤーッ!」「ターッ!」
「んー、ちょこざいな小僧め、名を、名を名のれぃ!」
「赤胴ー 鈴之助だ!」
前奏のあと、トントコトントントコトンという小太鼓?と鞭の音、そして歌が始まる。
--------------------------------
剣をとっては 日本一に 夢は大きな 少年剣士
親はいないが 元気な笑顔 弱い人には 味方する
おう! がんばれ 頼むぞ ぼくらの仲間 赤胴鈴之助
(藤原信人作詞・金子三雄作曲)
--------------------------------

もう我々子供達は大興奮である。
漫画で見た静止画が、頭の中で動画として合成され膨らんでいく。
実際は3才児の私にドラマの筋はわからないがイメージだけでも充分だった。
自分自身が赤胴鈴之助になったような高揚感に包まれたのだ。


それから7年ほど経ち、従弟のお供で奈良の習心館道場に入門した。
実際の剣道は、思い描いていた赤胴鈴之助の剣術とは大きく異なり、
自分の才能の無さ、家から1時間も掛けて行くことに疲れ、ほどなく辞めてしまった。

高校になって剣道部に入った頃は森田健作の剣道ドラマ「俺は男だ」の時代で、
すでに赤胴鈴之助のことはすっかり忘れてしまっていた。

しかし物心がつく前から赤胴鈴之助に接していた事が私の剣道の原点だと思うのである。
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ダイハツ「アトレー7」のこと

2017年02月22日 | バイク・クルマ

(写真はcarviewより  https://www.carview.co.jp/express/atrai_7/index.asp )

通勤で使っている車はダイハツのアトレー7である。
後ろに少し長いが、ほぼ軽四の大きさで排気量は1300cc(92ps/6000rpm)。
4年ほど前に知人に10万円で譲ってもらった。15年ほど前の車だ。

ただし元の色はウグイス色。これはイヤなので黒に再塗装。
板金と、内装含めた全塗装をしたので50万円もかかってしまった。
周囲から「バカじゃないの!」と散々言われたものだ。

小さいのに7人乗り。
一度だけ6人で乗ったがさすがに窮屈で手荷物以外は詰めない。
今は3列目のシートは取り外して使っている。

前から「軽四の大きさで1000ccぐらいの車が欲しい」と思っていた。
小さいほうが取り回しが楽だし普段は1人しか乗らないし、
1000ccあれば高速走行もまあ何とかなるだろうし。

アトレー7の前に乗っていたのはホンダのアクティ660cc。
これは20万円で買った中古の商用軽ワンボックスだ。


(ホンダ・アクティ)

アクティで一度、奈良から岐阜の明治村まで稽古に行ったが大変だった。
風きり音とエンジン音が大きく80kmを超えるとラジオも聞こえない。
もともと速度は出ないのだが、トルクも無いので長い坂道では速度が徐々に落ちてくる。
岐阜に行くだけで疲れてしまい、帰りは稽古疲れも重なって2回もPAで仮眠を取った。
「ターボ無しの軽で高速道路での移動はするものではない」と思ったものだ。
二十歳前後の頃は360ccでロングドライブをしたが若さあってのものだったのだろう。

書きながら思い出したが、ついでに、
「250ccのバイクで高速道路での移動はするものではない」
も加えておく。危ないし怖い。

なんば養正会で稽古する時はヤマダ電機の駐車場に入れる。
ここは1時間100円で他の駐車場の半値なので重宝している。

さて駐車場。エレベーターの横は軽四専用スペースだ。
しかし我がアトレー7なら楽々入る。


(難波のヤマダ電機の駐車場、黒いのが私のアトレー7、普通車なので白ナンバー)

というより、後輪より後ろが少しだけ長いだけだから、
後ろ向きに入れてしまうと、写真のように軽四と同じ頭並びになるのだ。

このため軽四専用の駐車スペースしか空いていない場合は重宝している。
ただし軽四割引の駐車場には絶対に入れない。
「粗にして野だが卑ではない」だ。
卑しい行為はしないことにしている。
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恥掻くもまた修行なり

2017年02月21日 | 剣道・剣術
昨夜20日は「なんば養正会」で稽古。
出荷作業を終えてから高速に乗って難波まで行く。
駐車場に止めて急いで歩くが基本稽古にはいつも間に合わない。
一度などは渋滞に巻き込まれ、着いたら稽古が終わる時間だったこともある。

さて昨夜は準備運動だけしてすぐに地稽古。
出稽古の方なのかな?初めての方もいて良い緊張感が維持出来た。

さて自分の課題。
師匠をイメージして攻めたり捌いたりしようとするが、
どうしても一人芝居になってしまう。合気にならないのだ。

師匠だと、師匠の攻めに相手が反応するし誘いにも相手は反応する。
同じようにやってるつもりなのだが相手が六段以上だと反応してくれない。
昨夜は幾度も空回りした。まだまだ攻めも誘いも中途半端なんだろうと思う。

というか、気持ちにためらいがあるから攻めになってない。
攻めになっていないので、誘ったつもりが誘いになってないのである。

攻めや誘いが空回りすると、
「傍(はた)から見て不細工だろうなあ・・」と恥ずかしくなる。

上垣功先生の川上村の剣道場「源流館」には「恥掻処」と書いてあるが、
恥を掻き続けることで剣道のレベルも上がっていくのだろう。

まだまだ恥が足りない。恥を怖がってしまっている。
「恥掻くもまた修行なり」だ。反省反省。
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吉田正さんと稽古(小野派一刀流)

2017年02月20日 | 剣道・剣術
昨日19日は長正館の一刀流自主稽古日だった。
人数は7~8人だったので伸び伸びと普段出来ない稽古を行う。
私は加藤氏と刃引を裏表行った。加藤氏は打方はまだ初心者レベルである。
彼は柳生新陰流の修行が長かったので少し柳生新陰流の色が出る。
この長正館での一刀流の稽古が面白いのは、みなそれぞれの武道暦が滲み出ることだ。
空手の者も、居合いの者も、合気道の者も、それぞれ僅かに他流の色が出る。


(引き身の合下段で吉田氏が逆の本覚残心を取ったところ・ジョージマッコール氏撮影)

さて上の写真左の吉田正さん。
氏は大手門学院大学の先生(役職は知らない)だったとか。
なぎなたも剣道もされていたが、あえて段は取らなかったらしい。

いま74歳だったかな? ご近所なので自転車で道場まで来られるのだ。
昨年は少し体調を崩しておられたので、最近の稽古は様子をみてぼちぼちされていた。

短い休憩時間が終わったあと、
「粕井さん、大太刀50本受けてもらえますか?」と言ってこられた。
大丈夫かな?とふと思ったが、さっそく二人で稽古を始めた。
どうせなら早掛かり(間を置かず少し早めて技と気を練る稽古)だ。
心配したが無事に50本を終えられた。

「吉田さん、体調戻ったみたいですねえ」
「いえ、粕井さんの気をいただいて元気出してました」

ともかく稽古に復帰できて良かった良かった。

一刀流の稽古のあとは剣道稽古。
出稽古の方も3人来られたのでいつもより人数が多かった。
稽古時間は1時間10分。休みなしの元立ちはけっこうきつかった。
足の向き、居付きの無いよう気をつけたがなかなかに難しい。
最後に六段相手に手こずってきょうは朝からかなりの筋肉痛である。
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一刀流の小太刀を作る

2017年02月19日 | 剣道・剣術

(今回の一刀流の大太刀、長正館の山内仕様、柄が立鼓になっているのが特徴)

長正館の一刀流の後輩の木刀がボロボロになった。
以前からひび割れていたそうだが木工ボンドで誤魔化していたらしい。
怪我するので木刀だけはケチったら駄目だと注意した。

彼は木刀に油を付け過ぎる。
時々、植物系の油で拭くぐらいは良いが、油を付け過ぎると脆くなるので注意。
なお、油は亜麻仁油がお勧めだ。

「小太刀に出来ませんか?」
「出来れば空手の組み手で使う短刀も作ってください」

こんなボロボロの木刀で随分と欲張りなものだ。
出来るかなあ? 自信が無いが駄目元で作業に入る。


(ささくれ立った木刀)


(長さを決めて切る)

のこぎりで全長を決めて切る。
電動グラインダーで大まかな形に削る。
木工用のヤスリ数本とサンドペーパー3種類で仕上げていく。
微妙な部分は小さな鉄工用ヤスリや精密用ヤスリも使う。



ともかくダメージが大きく、深くまでささくれが残っていて作業は難航した。
短刀はささくれで大きく削った部分が不細工だったので籐(とう)を巻いて誤魔化した。
あとは亜麻仁油を塗って磨いて、元の鍔を取り付けて終了だ。
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害虫忌避剤「強力ムカデシャット」のこと

2017年02月18日 | つれづれ
もう15年ぐらい昔の話である。
何か売れる商品無いかなあとネットで検索したら「ムカデシャット」が目に付いた。
紀州ひのき屋。会社概要を見ると社長の名前は「岡田良仁」となっている。
知り合いの剣道家に岡田良仁さんがいるがどうなんだろう?
さっそく電話してみたら本人だった。驚いた。

岡田良仁さんはベテラン剣道七段。私と同い年。
八段審査の一次審査を何回も受かった猛者である。
三重県尾鷲市在住。豪快な人柄で熱血漢でもある。

ムカデシャット、取りあえず仕入れて売ってみたら評判が良い。
設置するとムカデがまったく出てこないというのだ。驚くほどの効果である。
何でも5種類の天然精油を絶妙なる配合で効果を高めているのだとか。
真似た商品も出始めているが効果は明らかに違う。やはり本家が本物だ。
今では、わが「とんぼ堂」のメイン商品になっている。


(ムカデシャット屋内用・クリックで商品ページに行きます)


こちらは屋内用。寝室に小袋(10グラム)数個置くと朝まで安心して睡眠が取れる。
何がイヤと言っても、寝ている間に蚊や蜘蛛やゴキブリなどが、
身の回りで徘徊されるのは御免こうむりたいものだ。眠れたものではない。
ましてやムカデが出てきたらパニックものである。

ムカデなど出るのは田舎だからと思うのは早計で、案外住宅地に需要が多い。
というのも、住宅地開発で山を削ると昔から住んでいた虫が炙り出されるというわけだ。
まずはお試しに1個(税込み2160円、送料はメール便だと全国均一164円)購入をお勧めする。
ムカデだけでなくゲジゲジや他の害虫にも効果があるのも特色だ。


(ムカデシャット屋外用・クリックで商品ページに行きます)


こちらは屋外用。家の周りに噴霧しておくと害虫はシャットアウトされる。
主原料は檜(ヒノキ)の木酢液及び竹酢液で、原料独特の若干の刺激臭(燻臭)があるが、
天然成分ゆえ極めて安全な製品。蛇(ヘビ)にも効果がある。効果絶大。
ムカデは排水管から侵入する場合もあるので屋内の排水口に噴霧しておくのも良い。

このムカデシャット、年中売れるが3月ぐらいから本格的に売れ始める。
受注管理やら出荷作業やらでシーズン中は休めないというのが贅沢な悩み。
剣道や剣術稽古に行けないから稽古仲間にはマジで迷惑を掛けてます。

でも本当に良い商品なので頑張って即日出荷に努めている次第。
アマゾンやヤフーショップでも扱いあり。
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剣道における「体用一源」のこと

2017年02月17日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
昨夜の稽古も先週に続いて過酷なものであったが、
稽古が終わって師匠から2つの指摘をいただいた。

1)左足が横を向いている
2)構えに気を取られて左足に重心が乗り過ぎて出遅れてしまう

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1)左足が横を向いている

実は左足が横を向くのは基本稽古の時から気になっていた。
気がついたら戻すのだが、気がつくということは横を向いていたと言うこと。
稽古中にも意識しているつもりだが、相手に応じながら向きを変えている中で、
左足が前を向いているのか横を向いているのか、さっぱりわからなくなるのだ。

結局は相手と正対して(正対しようとして)初めて横を向いていることに気がつく。
気がついてから前を向けてももう遅い。それまで横を向いていたことは明白なのだ。
どうして良いのかわからないのだが今後の大きな課題である。

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2)構えに気を取られて左足に重心が乗り過ぎて出遅れてしまう

師匠は山岡鉄舟の「体用一源」という言葉を借りて説明された。
「体用一源」は「たいゆういちげん」と読むらしい。
聞き取り記憶を解釈したので間違っているかも知れない。
復習のために下に記しておく。

剣道の構えは姿勢と気から成り立っている。
構えが出来ていなければ良い打突は不可能である。
構えが立派に見えても、そこに「気」が入っていなければ何にもならない。
いつでも打てる身構えであり、いつでも打てる気構えがあって本物になる。


(山岡鉄舟・ウィキペディアより)

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私の場合は、構えという形にばかりこだわってしまい、
相手がすっと入ってきた場合に居ついてしまうのである。
入ってきた時に打つ気構えがあれば、入ってきた瞬間に即応出来るというわけだ。

昨夜の稽古のように激しいと、時間が経つにつれ身体も疲れ気力も萎えてくる。
次から次へと懸かられると自分の剣道全体が崩れてくるのがわかってくる。
構えも気持ちもだんだん崩れてくるのだ。誤魔化しても誤魔化しきれないのだ。
体力というかスタミナというか、それも大事だと昨夜は痛感した。

そういった自分の欠点を、大勢から成る稽古の中で、
的確に指摘していただける稽古は最高の稽古である。本当にありがたい。

ともかく剣道は奥が深いものだ。頑張らねば。
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審査で、験を担ぐ(げんをかつぐ)ことについて

2017年02月16日 | 剣道・剣術
験を担ぐ(げんをかつぐ)とは、何か事を行うに際して、
以前に良い結果が出た時の行いを再現することで縁起を担ぐことである。

昔、五段や六段審査に落ち続けていた頃、
審査に向かってはこの「げんかつぎ」を良くやった。

お気に入りの竹刀や甲手を選ぶのはわかるが、
特に審査に影響しない手拭いや鍔にこだわったりしてしまうのである。
ましてや家を出る前に切火(火打石を打って火花を起こす)をしたり、
朝日に向かって願をかけるなど、何だかんだとやってみた記憶がある。

結果的には何のご利益?も無く審査は落ち続けたのだ。

六段審査に合格した時は、会社を辞める、いや訴えてやるなどと
人生で一番ドタバタしていた頃で、収入も激減し精神的にも不安定だった。

稽古も月に1回しか出来ないことが半年以上も続いていた。
審査前の最後の稽古は、審査2週間前の出稽古だが、
ベテラン三段にバカスカ打たれ自信も何も無くなった記憶がある。

実は当日の朝まで審査をすっかり忘れていた。
よそいき防具は道場に置いていたので使ったのはボロ防具。
甲手には小さな穴が開いているし竹刀もいわゆる後家竹刀だった。

独立したばかりで仕事が忙しく、朝からバイクのエンジンも掛からず、
諦めかけた時にエンジンが掛かって京都までイヤイヤ行った次第。
頭の中は仕事のことばかりで精神的には最悪だった。

それが逆に良かったようで、捨てた気持ちで構えてたら相手の様子がよく見えた。
稽古不足だから遠間から打てない。だから大きく間合いに入る。
ぐんと入ったら相手が居付いたので、すかさず面を打ったら見事に決まった。
あとは相手が焦って打ってくるので出小手を2回決めて終了。
二人目も似たようなものだ。

七段審査に合格した時はアバラ骨が3本折れていた。
3ヶ月間、稽古はまったくしなかった。
稽古どころでは無い。寝返りをすると激痛が走り慢性的な寝不足状態だった。
日中、仕事をしながら、デスクの前でウトウト居眠りしていたほどだった。

審査の3日前に長正館で基本稽古だけしたら痛くて動けない。
「こらアカンわ・・」と、審査当日は本当に憂鬱な気分で名古屋に向かった。

面はたまたま家にあった面金が歪んで自分で修理した1万5千円の安物。
ただ竹刀と甲手は佐藤武道具店で購入した使い慣れたお気に入りを持って行った。

手拭いは商売見本で置いてあった兵庫県のある剣友会の手拭い。
鍔はお気に入りを道場に置いてきてしまったので安物のファイバー鍔。
鍔止めも普段用の、売れ残っていたピンクの鍔止めだ。
「おいおい、ピンクかよ」って感じ。

気になったのは手袋だ。
多汗症なのでいつも白い手袋をしている。
手袋ありと手袋無しは微妙に手の内が変わる。
しかし審査で甲手の内側から白い手袋が見えるのは無作法では無いか?

前日に、短く切って(外から)見えなくした手袋を作っておいた。
しかし会場で「こんな事にこだわるほうがおかしい」と思い使わなかった。
「どうせ駄目ならなるようになれ」という気分だった。

端(はな)から捨てていたので気持ちだけは楽にしていた。
少し緊張しているが基本はリラックスしてるので相手が良く見える。

初太刀は、少し攻め足をしたら、相手が面に跳んできたので出小手を押さえた。
ただし脇腹が痛くてこの初太刀、まったく体捌きが出来なかった。
そのあと面が見えたので飛んで見るがまったく飛べない。少し焦った。

面はあきらめ、攻め足使っての出小手と返し胴のみ決めさせていただいた。
二人目は手こずったが構えだけは崩さなかった。で合格。

面は1本も決めていない。「面が打てないと合格しない」というのは嘘である。

げんをかつぐのも良いが、行き過ぎると天候やら方角やら、
何ら関係の無いことまでこだわり過ぎることになるので要注意だ。
「1年間酒絶ちしました」なんて人もたまにいるがご苦労なことだと思う。

あれこれ「げんをかつぐ」人は考えすぎて緊張し過ぎるのでは無いか?
まったく何も気にしない人もたまに見かけるが、それはそれで態度に出てしまうかも。
ボロボロの胴着やヨレヨレの袴、使い古して色落ちした防具などは論外である。

適度な緊張感を持ち、身だしなみだけは気を付けて、
道具は竹刀と甲手だけに気を使うぐらいが宜しかろうと思う次第だ。
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「剣道極意授けます」買いました。

2017年02月15日 | 剣道・剣術


思わず衝動買いしてしまった。
剣道時代編集部編の「剣道極意授けます」。
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剣道範士がそっと授ける剣道の極意。
教科書や教本には載っていない剣道の極意をあなたにそっと教えます。
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なんて自分の剣道を良くしたいと思うものは思わず買ってしまうフレーズだ。

10人の範士のうち、太田忠徳範士、岩立三郎範士、小林三留範士、
小坂達明範士、忍足功範士、有馬光男範士は稽古をお願いしたことがある。

特に太田忠徳範士には20年以上も前、東京勤務時代に、
日本武道館の武道学園では毎週1回指導を受けた先生である。
(武道学園では一般社会人向けの武道教育を行っている)

武道学園の行事で、毎年、千葉の勝浦の日本武道館研修センターで、
一泊二日の合宿があり、在籍していた10年ぐらい欠かさず出席していた。

ある日の合宿で、食事が終わって部屋で二次会があり、
中村毅先生と太田忠徳先生がおられ、我々20名ぐらいの生徒が車座になっていた。
(亡くなられた中村毅先生はその頃すでに体調が悪く、見た目にも辛そうだった)

大先輩の提案で「先生に一言ずつアドバイスを頂こう」ということになり、
端から順番に太田忠徳先生が一人ずつ個別にアドバイスをし始めた。
構えが良いとか、足捌きが良いとか、面が見事だとか、攻めが強いとか、
決して悪いところは言わず良いところだけを言って頂けたのは流石だと思う。
さて自分の番になり、何を言っていただけるかとわくわくしながら膝を正した。

「粕井か、粕井なあ、粕井はなあ、えーとなあ、うーん・・」と詰まってしまい、
しばらくして思い直したように「粕井は稽古熱心なのがいいなあ」と言われた。

その場にいた全員が爆笑しズッコケた。
恥ずかしくて赤面したのを今でも憶えている。

太田忠徳先生は今でも年賀状のやり取りをさせていただいている。
一昨年の七段審査の剣道形の審査でも審査をしていただいた。
太田忠徳先生の記事があるだけでも買って良かったと思う本である。

さて極意だが、実は読んでも、すぐに強くなるわけでは無いと思う。

自分の経験だが、ある高段者の話を聞き、書かれた文章を読み、
それを理解しようと努めたことがあったがさっぱり理解出来なかった。
いや理解出来なかったのではなく、わかったつもりになっても実際に出来ないということだ。

結局、七段を受かってから読み直し「あーなるほどこのことだったのか!」となった次第。
いくら良い情報を聞いたとしても受信機の性能が悪ければ伝わらないという例だ。

さて「剣道極意授けます」。
どれぐらい理解できるか自信は無いが、これから読んで確かめることにする。
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世界人権宣言

2017年02月14日 | つれづれ
世界人権宣言というのがあり、その第一条に、
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すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。
人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
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と書いてある。嘘ばかりで気持ちが悪くなる。

人間は生まれながらに自由では無い。
家族との関係、住んでいる地域やら国の事情、
法律や慣習や、目に見えない暗黙の了解や経済力によって
何らかの制約を受けている。自由などと言うものは無いと考えて良い。

尊厳と権利とについても平等では無い。
北朝鮮の人民と、我々日本人の尊厳と権利が同じであるわけが無い。

自由でありたい、平等でありたいと願うのは自由であるが、
世界にはあまりにも恵まれない環境の人々が多すぎるし、
生命の危険にさらされている者に自由や平等の概念は遥かに遠い。

逆に、どんなに恵まれた環境にあっても、自由だ平等だと満足する者は居ないだろう。
それが人間の性(さが)なのだと思う。

人間には稚拙ながらも理性と良心があることにはあるが、
それを上回る邪心や疑心があり権利と権利はぶつかり合う。
結果、人と人との争いや国家間の戦争は無くならないのである。

この世界人権宣言は、第一条から第十三条まであるが全部が「願望」でしかない。
願望はあっても良いが、世界的にも見て、この恵まれた日本に住んでいるくせに、
どうでも良い権利ばかりを主張する人権屋たる者がいることが解せない。

日本は世界で一番古い歴史を持つ安定した国家であり、
他の国の宗教のような堅苦しい教典や教条に束縛されない暮らしがあり、
(正常に機能していない面も確かにあるが)最低限の社会保障がある国だと思う。

最低限の生きる権利さえも保障されていない人々が世界には巨万(ごまん)といる。
シリアや南スーダンなどの難民、東トルキスタンやチベットなどの中華内占領国家、
北朝鮮内の人民などなど。それに加え、北朝鮮に拉致されたわが国民の人権はどうなるのか?

「人権」という言葉を見るたびに、何か胡散臭さを感じている。

純粋に願望をかなえるために、身近な問題で地道な努力をするのは良いとしても、
一部の左巻きの政治勢力を手助けするような人権運動などくそくらえだと思う次第だ。
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