稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

2005-01-15 されどカツ丼

2005年01月15日 | 旅行や街角メモリー
 心斎橋筋と順慶町通りの角に「一休」と名前のうどん屋があった。月に一度の棚卸しの時など従業員用にきつねうどんが振舞われていて、時々余り物のおこぼれを頂戴したものだ。だしは甘めで大きな揚げが載っていて、陶器の丼に木の蓋、割り箸に挟んだ紙製の小さな七味入れなどが鮮明な画像として思い出にある。蓋をとる時に大きな湯気とともに甘い香りが食欲をそそった。

 いつのことか母が一休で食事をしようと言った。きっと奈良に引越したあとで、用事があって心斎橋に買物にでも来た時のことだろうと思う。当時、引っ越した先に幼稚園が無く、小学校前の小生はお袋に連れられて出掛けることも多かった。

 店に入って品書きを見る。「何食べる?」と聞いたお袋は、当然のことながら「きつねうどん」という答えを待っていたのだろうと思う。「カツ丼」という小生の声に一瞬の間があった。「きつねうどんにしとき」少々いら立ったように母は言った。

きつねうどんも確かにおいしいが、大人たちが食べるカツ丼は、棚卸しで振舞われるきつねうどんとは格が違い、子供心にも王者の風格だった。「いつかカツ丼を一人前食べてみたい」と思っていたのだろう。「きつねうどんにしとき」という母の声に、うらめしく思うと同時に「やっぱりな」というあきらめの気持ちもあった。

「いつか大人になったらカツ丼を食えるようになりたい」
そんな夢にもならないような願いが今も心のどこかに生き続けている。
コメント
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