稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

名人とは(昭和62年12月1日)- 1/2

2017年12月25日 | 長井長正範士の遺文
一般的に技芸にすぐれた人、その道に深く通じている人を指して言いますが、
ここに名人とは如何なる人かを一例を挙げて申し上げましょう。

昔、江戸に歌の名人がおりまして、全国にその評判が広がってきました。
当時、都は京都にありまして、それを聞いた京のお歌どころの宗匠(そうしょう)は
一体その江戸の宗匠はどれほどの名人か一度招待して試してみようということになり
江戸の宗匠のところに使いを出しましたが、京の町奉行は皆に命じて粗相のないよう、
あちこち整備し、特に三条大橋の板が大変痛んで腐っている所もあるので、
真新しい桧(ヒノキ)の板を四角く切ったり細長く切ったりして穴の開いている所を修理させ、
準備万端整えて、今や遅しと江戸の宗匠の来るのを橋の袂で待ち受けておりました。

折りしも約束通りの期限に差廻しの駕篭(かご)に乗った宗匠が山科を通り、
三条大橋の袂に着きました。奉行一行は鄭重に長旅の労をねぎらい、
駕篭から降りた宗匠を先導して大橋を渡ろうとした途端に、
京の宗匠が「この橋を見て何と詠む」と江戸の名人に言ったところ、
間髪を入れず「来て見れば さすが都は歌どころ 橋の上にも色紙短冊」と詠んだので
一同は感嘆の余り唖然としました。

やがて大橋を渡って西へ進み、堺町通りの四つ辻まで参りましたところ、
右(北)の方から花嫁の行列がやって来ましたが、
折り悪しく左(南)の方から葬式の行列がやって来て、すれ違いになったので、
しばし一行は足を止めて待ちました。

その時、京の宗匠が「あれを見て何と詠む」と問いかけましたところ、
くだんの宗匠はすかさず「世の中は 色と恋のさかい町 しに(死に)ゆく人と されにゆく人」
と詠んだので、皆は一層感心致しまして、宗匠の俗世間に通じた粋人(すいじん)に心もなごみ、
急遽予定を変更致しまして、これから島原のいろ里へ案内しようという事になり、
一行は島原へ向かいました。

今はもうずっと家が立ち並んでおりますが、
その当時はまだ家もまばらで、すっかり田舎めいて、
今は花ざかりの菜畑のほとりを歩いてゆきますと、
路ばたにすっかり履き古して鼻緒の切れた藁草履が捨ててありましたので、
道案内の一人がこれをポンと投げ捨てました。

それを見た京の名人が客の名人に「さあ、これを見て何と詠む」と、
まあ何という無理難題を持ちかけたたものでしょう。
名人はすかさずこれに応えて
「世の中は 葉花がくれのほととぎす 血を吐くことが いやでこそあれ」と詠んだのです。

即ち、今、世の中は花盛りの好季節で、うららかなこの日に、
今まで鳴いていたホトトギスがいやになって、
葉っぱの花の中へ隠れたわいという意味ですが、何と粋なことに役に立たない、
すり切れた草履をホトトギスにたとえ、血を(地を)吐く(履く)ことがイヤでこそあれ
(役に立たなくなったのであろう)。
このうららかなよい日に一抹の哀れの風情を感じるわい、とかけて詠んだのはさすがである。
これには一同ぐうの音も出ず感服したのです。

(続く)


(写真は記事とは関係ありません。2017年12月23日撮影、大阪のbarにて)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする